第1話 失恋
緊急事態宣言が発令された。
なんでも突然街中にどこからともなくモンスターが出現するようになったらしい。そのため多くのモンスターが夜行性であることを踏まえ、夜8時以降は外出自粛が要請され、家の外に出ることを強制ではないが禁止された。
その要請で困ったのは、飲食店やホテルなどの接客業。夜行性のモンスターを狩る冒険者。そして、
「――クビ、ってことですか?」
「いいえ、そうではなく……。緊急事態宣言が解除されるまでの間お休みしていてほしいというお願いです……」
それはつまりクビということだろう。モンスターが出現する理由はわかっていないし、いつ解除されるのかも全く目処が立っていないのだから。
「も、もちろん補償金も出しますっ。月3万マイテほどですが……」
「月3万って……。今借りてる社宅の家賃と同じじゃないですか」
「私も上にかなり掛け合ったんですけど、貯金があるだろう、って言われてしまって……」
「俺ほとんど故郷に寄付してるってクウカさん知ってますよね?」
「そう、言ったんですけど……」
どれだけ話してもクウカさんは申し訳なさそうな顔をして頭を下げるだけだ。たぶんもうこの決定は覆せないのだろう。それに悔しいが既にこの決定を受け入れている自分もいる。
俺の仕事は運送業だ。ただし荷物ではなく、人間の。
陰属性・黒魔法・黒幕。空間に闇のゲートを創り出し、あらゆる物を他の闇のゲートに転送させることができる。これによって冒険者を遠くの目的地に送ることが俺の業務となる。
ただしこの魔法は夜にしか使えない。正確には暗闇があれば発動できるのだが、転送先が明るかった場合どこにも移動できなくなってしまう。
つまり夜間外出ができないこの緊急事態下では、俺の魔法は完全にお役御免ということだ。
「アキトくんの事情はちゃんと説明したんですっ。重要性だって伝えたんですけど、ギルド自体冒険者の減少が予想されていてお金がなくて……」
黒幕は俺にしか使えない魔法だ。正確に言えば陰魔法の適正が100%あれば使えるのだが、適正のある者。陰属性キャパシティ、通称陰キャは絶対数が少なく、さらに完全な陰属性適合者なんてレア中のレア。しかも大人となると、この広い世界でも俺くらいしかいないはずだ。だからそれなりのお金をもらってギルドに力を貸してきたが、無駄金は払えないということなのだろう。元々正規の職員というわけでもないし。
「まぁ仕方ないですよ。一応少しは貯金もありますし、数ヶ月は生きていけます。それよりも――」
本音を言えば、仕事なんてどうでもいいんだ。
そんなことよりも大事な人が、目の前にいる。
「――もう一緒にはいられませんか?」
俺とクウカさんの関係性を一言で言うのならば、仕事仲間だ。
クウカさんが受付をし、俺が転送する。この一年間ずっと二人でそれを繰り返していた。俺はギルドから依頼を受けているフリーの人間。クウカさんはギルドに雇われているギルド側の人間という立場の違いはあったが、それでも俺たちに上下関係はなかった。
お互い人付き合いが苦手なタイプ。最初は仕事以外の会話なんて一つもなかった。
「仕事辞めたい……」
「辞めればいいんじゃないですか?」
今でもはっきりと覚えている。クウカさんと初めて交わした会話。ぽつりと漏らしたクウカさんの言葉に、俺は適当にそう返した。
「ずいぶん簡単に言いますね。さすがは高給取り。できる人の余裕ってやつですか?」
「いや……そんなんじゃないですけど……」
「なら放っておいてください。無責任です」
「ぅす……」
最初はこんな険悪な会話から始まった。あの時はかなりの自己嫌悪に陥ったものだ。もっとちゃんと話せていれば。いいアドバイスができていれば。ずっと後悔で胸がいっぱいだった。
「……昨日はすいませんでした。ちょっと上司に嫌なことを言われてあなたに当たっちゃいました」
「いやこっちこそ……本当にすみませんでした」
翌日の会話はそれだけだった。もう今後話すことはないだろう。そう思っていた。
「先日のお詫びがしたいんですけど仕事が終わったらごはんでも奢らせてくれませんか?」
「いや、俺陰キャなんで日が上っている内は活動できなくて……」
「そうなんですね……すいません、忘れてください」
数日後、そんな会話をして。
「休憩時間に前のレストランの予約を取っておきました。後で行きません?」
「あぁ……そういうことなら……」
「この前のレストランおいしかったですねぇ……。また行きましょうっ」
「そうですね……今度は俺が奢ります」
「今度のお休みの日にお買い物付き合ってくれませんか?」
「いいっすよ。俺も買いたいものあったんで」
「聞いてくださいよー。また上司がめんどくさいことを……」
「あーわかります。俺も何日か前その人に……」
「あははっ。アキトさんあの日はてんぱってましたもんね」
「そうなんすよ。でもクウカさんが……」
「ずっとアキトくんと一緒にいられたらなぁ……」
「……俺もそう思います」
クウカさんとの思い出が頭の中に浮かんでは消え、浮かんでは消えていく。言葉には出さなかった。でも俺とクウカさんは、もうただの仕事仲間という関係ではなくなっていた。
そう思っていたんだ。少なくとも、俺は。クウカさんも同じだと思っていた。でも、
「――ごめんなさい」
「……そうですか」
俺は今日から無職だ。高給取りどころか普通にすらお金を稼げない。夜しか動けないのに夜に仕事がないんだ。そんな人と一緒にいられるわけがない。
「でも俺は、逆の立場でもクウカさんとなら――いや、すいません。今のは忘れてください」
「ごめんなさい。本当に、ごめんなさい――」
もうこれ以上話すことはないし、話せない。もう俺はクウカさんにとっては不要な人間だ。
すすり泣く声を背中に受けながら俺はギルドを出て夜の街に出る。
俺の視界には誰一人として人の姿は映っていなかった。