2020年のクリスマス・イブ
二〇二〇年十二月二十四日。今年は、史上最悪につまらないクリスマスイブだった。
毎年、イブには友達とクリスマスパーティをするのが恒例だった。ケーキを自分たちで作って、ジュースで乾杯して、ゲームをして日が暮れるまで遊ぶ。特に今年は小学校最後の冬休みだから、ぱーっと派手に遊ぼうねと約束をしていた。
でも、このご時世でそれも中止。それどころか終業式の三日前に学校に行けなくなってから、二週間の外出禁止命令がお父さんとお母さんから出されてしまった。
大晦日に行く予定だった除夜の鐘突きも、初詣も、何なら友達とちょっと遊ぶことすらも今はできない。かといって家で相手をしてくれる四つ上のお兄ちゃんもいないから、この冬休みは一人で過ごすしかなかった。
ゲームは二日でクリアしちゃって、家にあった漫画や小説も読み切っちゃった。まだ五時過ぎだからテレビも、ニュースしかやっていなくて面白くない。三学期の予習でもやろうかと勉強机に座って教科書を開いたけれど、習っていない範囲はほんの少ししか残っていなかった。
やることがないから、自分の部屋のベッドにうつぶせで飛び込む。いつもはきちんとベッドメイクされている布団も、一日のほとんどをここで過ごすようになってからは直すのが面倒くさくて常にぐしゃぐしゃだ。
「つまんなーい。あーあ」
声を出しても、布団が吸収してほとんど聞こえない。ひっくり返って仰向けになって、もう一度叫ぶ。
「つまんなーい! あーあ!」
一瞬声がうわんと反響したが、それもすぐに広がって消えていった。後に残るのは、サイドテーブルに置かれた目覚まし時計の針の音だけ。お父さんもお母さんも叱りに来ないし、いつもは私以上にうるさい隣のお兄ちゃんの部屋だって静まり返っている。
首を回すと、枕元のテディベアと目が合った。眉毛を下げた表情が私を憐れんでいるように見えて、むかついたからベッドの隅に放り投げる。
今日はクリスマスイブ。みんなが幸せになる日のはずなのに、どうして私はこんなにイライラしているんだろう。どうして、一人で部屋に閉じこもっていないといけないんだろう。いつものように友達と遊んだり、お兄ちゃんと喧嘩したり、家族そろっておいしいご飯を食べてはいけないんだろう。
今年はお手伝いもいっぱいやったし、勉強も運動もそこそこ頑張って、わりといい子でいたのにな。
そんなことをぼんやり考えていると、鼻の奥がツンと痛んでじわりと視界が歪んできた。
本当に、今年は最悪のクリスマスイブだ。
「もう、やだぁ……」
その時、勉強机に放り投げてあった携帯電話がブーッと震えた。手を伸ばして取ると、画面には電話のマークと「山下ひまり」の文字。
ひまりは、三軒隣の家に住む親友だ。幼稚園からずっと同じクラスで毎日のように遊んでいたけれど、家から出られなくなってからは一度も会えていない。暇すぎて電話しようかとも何回か思ったけれど、ひまりの携帯はお母さんが管理しているらしくて外出時など必要な時以外は繋がらないから、今回も諦めていた。
そんな彼女から、家にいるときに電話が来るなんて。
慌てて通話ボタンを押して、携帯を耳に当てる。
「もしもし、ひまり? どうしたの?」
「ももこ、外見て外! 雪!」
「えっ、雪?」
ひまりの興奮した声につられ、窓際に移動して締め切ったままのカーテンを開ける。ベランダに出て首を伸ばすと、黒で塗りつぶしたような夜空から白い雪のかけらが数えきれないくらいたくさん落ちてきていた。それもふわふわと少しずつではなく、風に乗ってどかどかと勢いよく降ってくる。
「えっ、嘘、こんなに?」
「すごくない⁉ ホワイトクリスマスだよ! こんなの、あたし初めて‼」
ひまりのはしゃぎ声に、思わず窓を開けて彼女の家の方を見やる。隣の家が邪魔して見えないけれど、ベランダから身を乗り出しているひまりの姿が想像できて、何だか笑えてきた。
「これだけ降ってると、明日には窓の外が真っ白になってそうだねぇ」
「ね! 今から庭にクリスマスツリー出しておいたら、雪が積もってめちゃくちゃきれいになると思わない?」
「あー、確かに。ひまりの家のツリー、結構大きくて立派なのだもんね」
去年彼女の家でクリスマスパーティをしたとき、ひまりのお父さんが自慢していたのを覚えている。天井まで届くほどの高さで、綺麗なオーナメントがたくさんついてキラキラと光っていたのが印象的だった。
「あーでも、大きいから出すの大変そう。ひまりのお父さんも、大事なものだから! って反対しそうだよねぇ」
「うーん、そうか……。いいアイディアだと思ったんだけど……」
ひまりの声がしゅんと沈む。楽しい気分に水を差してしまったようで申し訳ない。
どうしたら元気になってくれるだろう。眉根を寄せると、寒さで顔がぴきりときしんだ。私は一旦部屋の中に戻り、ベッドに腰かけてうーんと首を捻る。
「あっ、じゃあさ、庭の木にツリーの飾りをつけたら? 確か、玄関に細い葉っぱの木の鉢植えがあったよね」
「ゴールドクレストかな? それならパパも許してくれるかも! ももこ、ナイスアイディア!」
ひまりがぱっと声を明るくする。それを聞いて、私は少しほっとした。
「あっ、でも外は寒いから風邪ひかないようにね」
「大丈夫大丈夫! いっぱい着込むから!」
「それなら安心」
ふふっと笑うと、ふいに電話の向こうが静かになった。電波が切れたかなと思い画面を見たが、アンテナはちゃんと立っている。そのとき、おずおずとしたひまりの声がスピーカーから聞こえてきた。
「……ももこ、体は大丈夫?」
「……うん。冬休みの間は、家から出ちゃダメって言われたけど」
そっと言葉を選んでひまりに言う。気を遣われたらどうしよう、と緊張しながらひまりの言葉を待っていると、電話口でひまりがふーっと大きくため息をついた。
「よかったー。ずっと心配だったんだ。ママからは迷惑かけるからお見舞いに行くなって言われてたし、そんなに大変なのかなって……」
「ううん、外に行けないだけで私は元気だよ。三学期が始まったら学校に行ってもいいって」
本当⁉ とひまりが嬉しそうな声を上げた。
「あたし、ももこに話したいこと、いっぱいいっぱいあるんだ! あっ、あのね、優香ちゃんが終業式の日に隣のクラスの佐藤君に告られたらしいよ」
「それ本当? だって優香ちゃん、タケル君が好きだって前に言ってたよ」
「だからすっごく迷ってた。冬休みの間に決めるって言ってたみたいだけど」
「えー、どうするんだろう。始業式の日に聞いてみよ」
「それなら電話してみたらいいんじゃない? ももこ、あたしと違っていつでも使えるじゃん」
「それだけのためにかけるのも悪いよー。っていうかひまり、電話使うのよくお母さんが許してくれたね」
「ももこが大丈夫そうなら授業でやったところを教えてあげたい、って説得したら、思ったよりあっさり渡してくれたよ。ママも心配していたみたい」
「そっか。ひまりのお母さん、優しいね」
それから、私たちはいっぱい喋った。休んでいた間に学校で起きたこと、勉強の話、テレビの話、ひまりの家の猫が可愛かった話。会えなかった日々を埋めるように、次々と話したいことが降ってきて口が止まらない。
どれくらい話した頃だろう。ふいに、電話の向こうでひまりのお母さんの声が小さく聞こえた気がした。
「あっ、ちょっとごめんね」
ひまりは断ると、電話の外でお母さんと何かを話している。顔を上げて時計に視線を向ければ、時刻は七時少し前を示していた。
そろそろご飯の時間かな。ぼんやり考えていたら、ひまりが申し訳なさそうな口調で電話に帰ってきた。
「ももこごめん、ママがご飯だって呼んでて」
「うん、わかった。電話してくれてありがとうね、すっごく楽しかった。」
見えないとはわかっているけど、私はガッツポーズをしてみせる。でもそれが伝わったのか、ひまりがふふっと笑ってくれた。
「そう言ってくれて嬉しいな。連絡したら迷惑かなって思ってたんだけど、どうしても我慢できなくて、話したくて……。急にかけちゃってごめんね」
「ううん、私もひまりとおしゃべりできて、超元気出た。またいつでも電話して!」
「ありがとう! それじゃあ、またね」
明るい声を残して、ピッと電話が切れた。私は携帯を置いて、うーんと伸びをする。ずっと携帯を当てていたから耳がしびれているし、久しぶりに長い時間話したから口は疲れているけれど、少し前までの暗い気持ちはどこかへ吹き飛んでいた。
今年は最悪のクリスマス。だけど、最後に楽しい気持ちのプレゼントをもらえた気分だった。
次の日の朝、カーテンを開けると外は一面の雪景色だった。青い空の下に並ぶ屋根はどれも真っ白く覆われていて、ベランダにはこんもりと雪の山ができている。
私はそれを使って、小さな雪だるまを作った。目はボタン、腕は鉛筆を使い、両手に乗る程度の大きさしかない簡単なもの。それでも可愛くできたから誰かに見せたくて、写真を撮ってひまりに送る。
送信ボタンを押した瞬間、ピコンと着信音が鳴った。開いてみると、雪を被った小さな緑の木とひざ丈くらいの雪だるまが並んで写った写真と、メッセージが一通届いていた。送信元はなんとひまりだ。
『みてみて、雪だるま作ったの!』
どうやら私と同じことを考えていたようだ。でも同じタイミングでメッセージを送るなんて、とすごい偶然にひっそり笑っていると、すぐに『被っちゃった(笑)』というメッセージが照れた顔のスタンプに合わせて送られてきた。
離れていても、会うことができなくても、こうして気にかけてくれて、心を通じ合わせられる友達がいる。私は一人じゃないんだと実感できたことが暖かくて、私は携帯電話をぎゅっと握りしめた。
拙作にお目通しいただき、本当にありがとうございました。
大変な時期ですが、毎日のちょっとしたことに幸せを感じながら日々を過ごしていきたいと思っています。
皆様のクリスマスが、少しでも温かなものになりますように。