7 わかっちゃったもんね!
「うぅ……せっかくのチャンスだったのに……収益化も夢じゃなかったのに」
延々と泣き言をもらす遊に、突っ込む気力もない麗楽である。タトゥーを見ることができず、がっくりきたのは彼女も同じなのだから。
そんなに上手くいくわけないって!
申し訳なさそうにしている鷹宮氏に悪くて、必死に自分に言い聞かせる。
「だめだ……急にやる気と元気がなくなった……僕、寝るよ」
「は? ちょっと、遊!」
ゾンビのように足取りでリビングを突っ切り、個室に閉じこもってしまった弟。仕方がなく後を追う。あんな奴いない方がせいせいするが、側にいてくれないと鷹宮と『会話』できなくなってしまう。
畳敷きで道場のようなリビングと対照的に、その室内は、動画編集用のパソコンやカメラ機材が所狭しと置かれていた。おまけに、プリンセスが眠るような天蓋付きベッドが、部屋のど真ん中で異様な存在感を放っている。
「あんた、この部屋……」
「ストップ。言いたいことはわかる。少しは整頓しろっていうんだろ」
少しどころではない。麗楽は鋭い眼光を飛ばすが、素早く引かれたベッドカーテンに遮られた。
「このベッド、いいでしょ? 周りがどんなに散らかっていてもこうしてカーテンを引けば、あら不思議。静謐な空間が」
「ズボラの極みにしか聞こえない! ねえ、そっちから首を突っ込んできたくせに途中で放り出すなんてどういうこと!?」
「麗楽だって、途中で仕事に戻ろうとしたくせに」
「……私ひとりでどうしろっていうの?」
「高名な霊能者にでも除霊してもらえば? ――だってさぁ、もう読めちゃったんだもん。この事件の筋書き」
ふわぁ、と呑気な欠伸とともに返される。
遊はベッドの上で寝がえりを打ち、つまらなそうに指同士を絡めた。
「鷹宮さんのタトゥーは『宝のありか』を示しているんでしょ。
宝を手に入れたいと思った犯人は、タトゥーを拝もうと脱衣所に向かったが、鷹宮さんと諍いになり、殴り殺してしまった」
「……で?」
「死体のタトゥーを拝み『宝のありか』を知った犯人は、秘密を自分だけのものにしようと目論んだ。つまり、タトゥーを切り刻み、判別不可能にしたのさ」
宝のありか――。
冗談みたいな言い回しで、おおよそ大人が使う表現とは思えない。が、麗楽は笑えなかった。たった今遊が寝転びながら述べた説と、同じ見解が署内の一部で出ているからだ。
「浴槽まで運んだ理由は?」
納得いかない箇所を責めるが、こともなげに答えられる。
「切り付けたとき、返り血を浴びないようにするため。
犯行後、自分の部屋に戻らねばならなかった犯人は極力汚れたくなかった。死体を裸にした後、自分も服を脱いだのかもね。浴室だったら、血で汚れてもシャワーですぐ洗い流せるし」
「…………」
一見、筋が通っているように感じてしまう。しかし、気に入らない。
この推理には不協和音が潜んでいる。麗楽はへの字に結んでいた唇を開く。
「今の説明じゃ、死体を浴室に運んだ理由はわかるけど、浴槽の中に入れた理由にはなっていない。返り血を浴びないようにするなら、タイルの上に転がすだけでもよかったわけでしょ?」
不協和音1。死体は重い。一刻も早く現場を離れたいはずの犯人が、意味もなく、成人男性の死体を持ち上げて浴槽の中に入れるだろうか?
不協和音2。タトゥーを目にして『宝のありか』を知った犯人は、当座の目標は達成されたはずである。いくら宝を独り占めしたいからといって、死体を無残に傷つけるような凶行に及ぶだろうか。そんなことをしたら、死体損壊の罪も加わるというのに。さらに、凶器の問題もある。
「あんたの説の通りだとしたら、犯人は、いったん現場から離れて、再び戻っている――そう考えられるの」
「現場を離れている? なんで?」
「遊も言ったでしょ。この事件は衝動的に行われたものだ、って」
「うん。脱衣所の灰皿を凶器に使ってるくらいだからな」
「そこだよ。死体を切り付けたのだから、犯人は最終的に刃物を持っていたはず。でも、脱衣所に入る前から包丁を携えていたら、灰皿なんて使わないでしょう」
遊は寝ぼけ眼をこすって、両目をしばたかせた。
「そりゃ……灰皿より包丁を使うよな……そっか。殺した後に出直したのか……一階の台所から戻って」
不協和音3。衝動的な殺人の後、殺害現場を離れ、包丁を携えてきてからの死体損壊。どうにもチグハグな感じがしてならない。
繁村をはじめ、このような疑問を呈する一派がいて、捜査本部で見解が分かれている状況だった。
「こらっ! 何寝てんのよ」
油断も隙もなく寝息をかき始めた弟をベッドから引きずり出そうとしたとき、
「麗楽ちゃん? いるの?」
リビングの方からよく通る声が響いた。――ママだ!!
麗楽は反射的に個室を飛び出す。ピンク色のパジャマ姿の十和子は、きょとんと目を見開いてこちらを伺っている。
「仕事に戻ったんじゃなかったの?」
「ん……ちょっと、遊に用があってね」
言い訳しつつ、リビングの隅に佇んでいる社長幽霊をさりげなく見た。キッチンへ歩みを進める十和子が、今のところ彼に気づいたようすはない。
ママは、見えないんだ――。
十和子は盆にのった皿をカウンターテーブルに置いて、
「おにぎり、握ったの。時間あるなら食べていきなさい」
「ありがとう~!」
「ねえ……なんかこの部屋、寒くない?」
「そぉう? さっき窓を開けていたからかなぁ?」
「そういう寒さじゃなくて」ぶるっと身震いして、十和子は自分の両腕をさすった。「じゃあ、ママ寝るからね。なんなの。急に寒気が」
直接見えなくても、感じる力はあるのかもしれない。やはり血筋か。母の足音が離れていくのを待ってから、麗楽は遊を個室から引きずりだした。
「ねむい……勘弁して……明日の浴場清掃、早朝からなんだよ」
「おにぎりあげるから頑張れ! 遊の好きな明太子だよ!」
無理やり口のなかに押し込んでやる。むぐぐ、と苦しそうに呻く弟を抱えているうちに、麗楽は幽霊に早口で話しかけた。
「鷹宮さん、お騒がせしてすみませんでした! あとひとつだけ! 確認したいことがあります」
しばし放置されていた鷹宮氏は、『なんだろう』という具合に麗楽を見つめ返す。
「タトゥーのことを打ち明けたのは、事件の夜に集まったメンバーだけですか? 他の人には教えていませんでしたか」
『帰国して、彼らにしか打ち明けていないよ。他の誰かに言うことでもないしね』
「ねえ、タトゥーってどんなだったの?」眠そうな顔のまま遊が、「麗楽は鷹宮さんの死体を見たんでしょ。傷つけられた後とはいえ」
豪奢な檜風呂にあった無残な光景を回想し、麗楽は表情を険しくさせた。
「血で濁った大量の湯の中で、遺体が揺れていて……その場ではよくわからなかったの。後から捜査本部で写真を見た。黒っぽいまだらな模様が前面から背面にかけて、わき腹にも。あれはまるで――」
空中で放り出されたかのように、麗楽は、言葉を失った。
私は何を伝えようとしたんだっけ……?
あいまいだった線が意志をもって、急速に、明確な何かを象っていく。瞼の裏に、そんな残像が浮かんだ。
『“迷路”』
静かに、鷹宮豪が告げた。どこか諦めたような、脱力したような感情を含む声音だった。
『いずれ判明するのなら、この場で明かそう。くだらないものだよ。私が彫ったのは迷路だ』
「迷路!?」
弾かれたように反応したのは遊である。つぶらな瞳を飛び出さんばかりに見開いている。
『といっても、宝の場所を示しているわけではない。迷路を解くと、数字とアルファベットの羅列が浮かび上がる。――私が個人で管理していた株取引サイトのパスワードだ』
麗楽は記憶を探る。仕事上のトラブルはなかったか、と尋ねられた秘書の大谷三葉は、美しい輪郭の頬を撫でながら、
『仕事はおおむね順調でした。取引先のトラブルなどもありませんでしたし。
……私の扱いですか? 良くしていただいておりました。本当です。能力のわりに多分なお給料を貰っていたと思います。……そうですね。重要なアポイントメントは社長が取られていましたが、他は私に任せていただいてました。
ただ、ご自身の資産に関するものはすべて社長が……。株取引もされていたようですが、私は携わっていないので』
しっかりと受け答えしたものの、ときおり愁いを帯びた表情をのぞかせたのであった。
株取引サイトのパスワード――。
はたして犯人は迷路を解き、この解答にたどり着くことができたのか。
「っ!」
奇妙な気配がして、麗楽は横を見る。遊が小刻みに肩を震わせていた。
「どうしたの? ねえ?」
とうとう頭がおかしくなったのか。
顔を伏せたまま震えていた弟は、次の瞬間、夜中の静寂を切り刻むような狂笑を響き渡らせた。
「あはははははははっ! ぎゃははははっ!」
耳をふさいだ麗楽は、「やめて!」と悲鳴を上げた。ただただ不気味で、表しようのない不安に駆られる。久しぶりに聞いた。この嗤いは、遊が絶好調のときのやつだ。
「黙りなさいって!」
「――黙っちゃっていいの?」
面白くてたまらないといったようすで、双子の弟はにんまりと微笑む。
「わかったんだよ。犯人が苦労して、わざわざ死体を浴槽まで運んだ理由が――」
ここまでお付き合いいただいた読者様ありがとうございます。
次回からいよいよ解決編に入ります。よろしくお願いいたします。