4 呪われる
『あの日……集まっていたメンバーは皆、私の身内のような存在なんだ。彼らの誰かが私を……』
鷹宮はうつろな視線を彷徨わせていた。ただでさえ、おぼろげな存在感は今にも消えてしまいそうだ。
「身内のようなってことは、かなり親しい間柄だったんですね」
遊の相づちには同情が滲み出ていて、麗楽はひそかに感服した。怠け者の弟は、どこでこんなコミュニケーション力を身につけてきたのだろう。
初老の幽霊は辛そうにかぶりを振って、
『公私含めて私をサポートしてくれていた秘書の大谷さん……パーソナルトレーナーの剛力くんは優秀でウマが合ったし……息子の寛は言わずもがな。皆そろって月に一度は訪ねてくれた。妻を亡くした私を気遣ってくれていたのだろうな』
「奥さん亡くされていたんですか」
『一昨年、脳梗塞であっけなくね。妻の死後まもなく、折笠さんに家事をお願いするようになったんだ。明るく陽気な女性で、非常に良くやってくれていた』
語尾に声を詰まらせた。
もしも突然死んでしまったら? しかも身内の誰かに殺されたと知ったら……?
自分はその残酷な事実に耐えられるだろうか。想像した麗楽は小さく身震いする。
「じゃあ事件の夜は、秘書の大谷さん、パーソナルトレーナーの剛力さん、息子のカンさん……寛容の寛。さすが社長、素晴らしい名付けですねぇ。えっと、それから家政婦の折笠さん。あなた以外に四人がいたと」
遊に頷きかけた鷹宮へ、「いいえ、もうひとり」と麗楽は部下が進言するような口調で言う。
「浴室の換気扇メンテナンスのため、業者さんが入っていましたよね。皆さんが語らっていた午後九時半から、場がお開きになった午後十一時頃まで。作業が終了した後、入れ違いで鷹宮さんが浴室に入られたと聞いています」
『おお……そうだった』社長は切れ長の目を大きくした。『懇意にしている営業所の所長が来てくれていた。折笠さんの依頼でね。檜風呂はよく乾燥させないと腐るからって』
「檜ですか、いいなぁ! 僕のは人工大理石ですけど、自然素材はぬくもりがあって素敵ですよねえ」
かくいう遊の浴槽は、リビング続きの外デッキにあるジェットバス。
デッキからは山々に囲まれた街と札幌駅直結のJRタワーが見える。遠景を眺めながらシャンパングラス片手にゆったりとしたバスタイム。大して働いてもいないくせに優雅なご身分だ。夏になったら蚊に刺されまくればいい。麗楽はささいな呪いをかけておく。
「でも、そんな遅い時間にメンテナンスだなんて。ずいぶん急だなぁ」
『折笠さんが休暇を申し出ていたから。家を空ける前に済ませておきたかったらしい』
「家政婦さんが休暇?」
『市外に住む伯母さんの具合が良くないらしくてね。すぐ行ってあげなさいと勧めたのだが。恒例の集まりが済んでからと気遣ってくれて……あげく、私の死体を発見するはめになるとは』
深い嘆息をもらした後、鷹宮は遊から麗楽へと向き直った。
『警察でそちらのお嬢さんが唯一私の存在に気づいてくれたから、迷惑と知りながらもついてきてしまった。頼む……彼らを……折笠さんだけでも解放してやってくれないだろうか』
「残念ですが」
麗楽はあくまでも事務的に告げる。
「事件が解決するまでは難しいかもしれません」
『……そうかい』
ガウンの肩をがっくり落とす幽霊社長。ほぼ同時に、遊が「あっ!」と素っ頓狂な声を上げた。
「ねえ、外部犯の可能性は? 泥棒とか。外から侵入した輩が犯人ってことはないの?」
麗楽は弟にではなく、期待を込めた表情をみせた鷹宮氏に説明する。
「外部犯の可能性は少ないと考えています。鷹宮家は民間警備会社と契約していて、屋外と屋内のいたるところに防犯カメラとセンサーが備え付けられていました。警備会社に問い合わせて確認しましたが、不審な人物が侵入した形跡はありませんでした」
「そんなあっさり! カメラの死角はないの?」
『並みの空き巣じゃ侵入できないだろうね』
豪邸の主がみずから補足した。
『三年前、空き巣に入られて以来、プロに頼んで防犯対策を徹底的に見直したから』
「そっかぁ。おしいですね」
何がおしいのかよくわからないが。自身も防犯セキュリティシステムに囲まれて育ってきた遊はあっさり納得した。
どこからか救急車のサイレンが近づいてきて、遠ざかっていった。
麗楽は額に手を当てる。少し頭痛がしていた。
鷹宮豪の『声』を聴き取るため、遊の側にいなければならないだけでも苦痛なのに、わずかでも集中力を削ぐと駄目なようで、緊張状態を強いられていたからだ。
傍らで、「よっこらしょ」と遊が重そうに腰を上げる。
何をするのかと思えば、専用のキッチンに行ってカラメル色の瓶を三本持ってきた。小脇にはナッツの袋をかかえている。
「話が長くなりそうだから。どうぞ」
瓶の中身は、北海道民のソウルドリンク、ガラナだった。
ガラナは耐寒性に優れた植物で、この植物からできる実を使って飲料がつくられている。味はコーラに似ているが、どことなく薬っぽい味がして、麗楽はあまり好きではなかったが、
「ん? 久しぶりに飲むと、おいしい……?」
強い炭酸の刺激がすうっと喉を落ちていく。
糖分摂取したせいか、いくぶん元気が出てきたように感じた。遊は鼻歌を口ずさみながら、鷹宮の足元に蓋を開けた瓶とナッツの小皿を置く。幽霊の彼は当然のごとくそれらに手を付けられないようで、お供え感満載となった。
ふいに腕時計が目に入った麗楽は我に返り、ガラナを一気に飲み干した。炭酸がきつい。
「私、そろそろ本部に戻らないと」
署の捜査本部に詰めている繁村には「着替えを取ってすぐ戻ります」と伝えてきたのに、大分時間をくってしまっていた。
着替えが入った鞄を手に立ち上がると、遊が口をとがらせて、
「この状況を放っていくわけ? 麗楽の人でなし!」
「だって仕事だし。それに……」
たとえここで新事実を得られたとしても、鷹宮豪の幽霊が教えてくれた、なんて。誰が信じてくれるだろう。
あらためてそのことに気づいた麗楽は申し訳なくなり、憑いてきた被害者へ頭を下げた。
「殺された本人がいるんだよ。この大チャンスを逃すなんて、刑事にあるまじき愚行。もう一度事件を検討し直すべきだと僕は思う」
しつこく食い下がってくる遊に、麗楽はイラつきながらも返す。
「そもそも、なんであんたに指図されなきゃいけないわけ? そんな義務も権限もないくせに」
「だって、目の前に困っている人がいるんだよ! たとえそれが動物であろうとロボットであろうと幽霊であろうと僕は放っておけない。それ以外に理由があるか!?」
大真面目で啖呵を切った遊へ、麗楽は冷ややかな視線を送った。
「あんた、やっぱりこの出来事を動画にして投稿する気でいるでしょう? 収益化のため再生回数上げたい、ってぼやいてたし」
「うっ!? そ、そんなこと……ごめんなさい考えてました。収益があれば出勤日を減らせるかと」
あっさり白状した遊に、麗楽はとうとうブチ切れた。
「これ以上怠けてどうするんだよ! 馬鹿が!」
動画のタイトルは『殺された資産家幽霊VS現役刑事』。こんなところだろうか。どんなに胡散臭くてもいかがわしくても、話題性さえあれば良いのか。
怒りに打ち震えながら、キッチンの対面にセットされたビデオカメラを三脚から外し、他にカメラがないか殺風景な部屋を見渡す。
「鷹宮さんとお姉ちゃん、どうかお願いします! 個人情報には十分留意するし、事件も特定されないよう上手くぼかすから」
「だから駄目って言ってるだろうが! 他にカメラ回してたら蹴り殺すよ!」
しまった。殺された人の前で、『殺す』なんて乱暴な台詞を吐いてしまった。
こちらを傍観している鷹宮の存在を思い出し、麗楽は口元をぱっと押さえる。かりにも警察官なのに。怒りに我を忘れると、言葉遣いが最悪になる悪癖を忘れていた。
「今のは失言でした。申し訳ありません。鷹宮さん……?」
鷹宮豪の肌色が青白いを通り越し、透けるような白になっている。反して、目つきは鋭く恨めしいものになっていた。この変化はいったい……?
「っ!」
血走った眼で睨まれた麗楽は声にならない悲鳴をもらした。本能的に察した。ヤバい。とにかくヤバい雰囲気だ。
このままじゃ、本格的に取り憑かれる――どころか、呪い殺されてしまう!!
急激に恐怖をおぼえた麗楽はたじろぎながらも話しかける。
「鷹宮さん。あなたの願いは、あなたの大事な人たちを一刻も早く解放してあげたい――そうですよね!? でも、彼らが自由になる方法は事件解決しかありえません。実は……」
思い切って打ち明けることにした。
「警察は全力で捜査に当たっています。でも、いくつか不可解な謎があって解決には至っていません。
あなたの記憶が曖昧な箇所は私が補強しますから。思い出したことや気づいたことがあれば、何でもいいので教えていただけませんか。どうかお願いします!」
膝を床に落とし、頭を下げた。
心臓を焼かれるような酷い圧迫感がじょじょに解けていく。全身から冷や汗が吹き出した。荒い呼吸をしばらく繰り返す。
「びっくりしたぁ。悪霊にでもなっちゃうのかと思ったよ」
呑気な遊の声につられて、麗楽は恐る恐る頭を上げた。
鷹宮氏は元の穏やかな面持ちに戻っていた。
何が起こったのかわからないけれど、よかった。胸を撫でおろす姉の横で、弟が気楽な感じで切り出す。
「じゃあ、さっそく。事件当夜の状況を振り返っていきましょうか」




