3 拒否される
複雑な心境で待っていたのに、被害者さんはつれない返答だった。
教えたくない?
「あのぉ……それは一体全体どういう」
自分を殺した人物を教えたくないとは。
殺人犯を告発するため私に取り憑いたんじゃないの?
混乱する麗楽をよそに、鷹宮と遊の会話がふたたび始まった模様だ。『声』が聞こえない麗楽にとっては、何ともじれったい間である。
「ん? はい……そうなんですか。へえ」
「鷹宮さん何て?」
会話が一段落したらしいタイミングで、さっそく詰め寄る。遊は口を開きかけたものの、長めの前髪を掻き、んーと唸った。
「あのさ。これ、ずっと僕が通訳しなきゃいけない感じ?」
「はぁ」
「面倒くさいよね。麗楽も直接聞けたほうがいいよね」
「そりゃあそうだけど……っ!?」
おもむろに手を繋がれた。麗楽はぎょっとして払いのける。
「いいから。実験だよ。こうすると僕の力が伝わる気がするから――鷹宮さん、姉にも伝わるよう念じながらお話してもらえませんか? 僕には劣るけど素質はあると思うので」
いちいち癪にさわる言い方をしてくれる。
手を繋ぐなんて何年ぶりだろう。清掃業で強い洗剤を使っているせいか遊の手先は荒れていた。不本意な状況にじっと耐えていると、
『犯人……い……私……んだ』
聴覚を通じてではなく、意識にノイズが流れ込んできた。
麗楽は、はっとして鷹宮を見上げる。能面のようだった表情が微かに変化しているのが読み取れた。真っすぐ結ばれた口元がほどかれる。
『犯人……いない……私が……滑って……転んだ……事故』
霊体になったせいか、少しくぐもってはいるが低音で豊かに響く声。佇まいも立派で、やり手経営者としての風格は充分である。惜しむらくは既に亡くなっていることだが。
「事故ですって?」
しかし今の発言は、刑事として聞き捨てならない。
思わず力むと、「痛たた! 指ちぎれる!」と遊が悲鳴を上げた。麗楽は鷹宮に向かって言う。
「こうおっしゃりたいんですか? あなたが亡くなったのは、ご自身が滑って転んだことによる事故だったと」
還暦間近で亡くなった社長は、いかにも、という具合に頷いた。従いたくなるような威厳のある仕草だったが、冗談じゃない。
「どういうつもりでそんなことをおっしゃるのかわかりませんけど――あなたは他殺ですよ」
他殺。
鷹宮氏は一瞬ぽかんとした後、不愉快そうに首をひねった。とんでもない誤診をされたかのように。
「他殺って、確かなの?」
遊がさりげなく口を挟む。麗楽は頭を抱えながらも説明した。
「鷹宮さんの死因は後頭部を鈍器で殴られたことによる脳挫傷。凶器も明らかになっている。脱衣所にあったガラス製の灰皿」
「どうして灰皿が凶器だと?」
「灰皿にルミノール反応が出たから」
「ルミノールって、血液のヘモグロビンに反応する薬品だっけ」
「そう。にもかかわらず、灰皿から指紋は一切検出されなかった」
「うーん。日常使いの灰皿でなかったとしても、指紋が全く出ないのはおかしいね。犯人が血液と一緒に拭き取ってしまったのか。なるほどだから他殺」
合点がいったようにこぶしを手のひらに打ち付ける遊。
後に、凶器の灰皿は、事件当夜に居合わせたゲストのひとり、剛力美和が鷹宮豪に送ったものと判明した。彼いわく、
『鷹宮社長はまめな方で、海外旅行のたび土産を買ってきてくれたんです。貰いっぱなしじゃ悪いから、半年前くらいだったかな、プレゼントしました。小樽へ遊びにいったときの土産物だけど』
なぜ灰皿を? という捜査員の問いには、
『僕と社長はお酒が呑めないのですが、どちらも煙草好きでして。いや、身体に悪いとわかっていながら、つい止められず……健康指導をする立場なのにお恥ずかしい限りです。
ほら、脱衣所の中央にベンチがあるでしょう? ちょうど真上に換気システムがあって、風呂上がりにベンチで一服するのが社長の習慣だったんです。僕も何度かご一緒したことがあります。浴室扉の横にある棚に、灰皿を置いてくれていて――ええ? 洗面台の上にあった? おかしいな。僕が見かけたときは飾り棚にあったんですが』
と涙ぐみながらも、太い首をかしげたのであった。
灰皿の位置について。家政婦の折笠文香に確認したところ、彼が証言したとおり、普段は飾り棚に置かれていたことが分かった。
一般人に捜査情報を漏らしてしまった。遅まきながら気づいた麗楽は、ごほんと咳払いをしてから忠告する。
「ちょっと、遊。今の情報、動画投稿サイトに絶対流したりしないでよ」
「僕を何だと思ってるんだよ。弟を信じろって」
素直にそうできないから困っているのだ。大丈夫、とばかりに胸を張る遊を横目に、麗楽は鷹宮氏の表情を伺った。
「というわけで……事件は他殺とほぼ確定しているのですが」
被害者に裏を取るのも変な話だ。鷹宮の低い呻きが響く。
『殺された……そんな』
「鷹宮さん、よく思い出してみてください。転んだというのは確かな記憶ですか」
『風呂に入ろうと、脱衣所で服を脱いだところで……意識が途切れた……だから……てっきり足を滑らせたのだと』
「記憶が明確でないことは証言しなくて結構です」
『……ごめんなさい』
ちょっとちょっと、と間に入った遊は苦笑して、
「ここは取調室じゃないんだから。厳しい尋問は止めなよ」
「仕事ならもっとちゃんとやるよ。私」
「そういうこと言ってんじゃないんだよ。馬鹿マジメだな、お姉ちゃんは」
「うるさい! 黙ってろ!!」
「えっと、今の証言から推測するに」どこ吹く風という調子で、遊がまとめに入る。「鷹宮さんは、入浴しようとしたところを脱衣所で背後から襲われたってことかな」
その見解は、捜査本部で出されたものと大体一致していた。が、肝心の被害者は肯定も否定もせず、憂鬱そうに俯いたままであった。