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被害者さんが、落ちてくれない。   作者: 羽野ゆず
第1章 被害者さんが、落ちてくれない
2/20

1 出遭う

 金城(かねしろ)麗楽(うらら)が初めて“被害者さん”と出遭ったのは、忘れもしない、この日だった。地元警察署の刑事として初動捜査に駆けつけた事件現場である。


「ウララちゃん。ウララちゃんよ」


 白髪混じりの男に手招きされる。

 このベテラン刑事は『ら行』の発音が若干あやしく、『うらら』が『うりゃりゃ』に聞こえなくもないのだが、名前を気に入られているようで、どこでもかまわず連呼される。


「あなた、殺し(、、)のご遺体を見るのは初めてだね。せっかくだから、お顔を拝ませてもらいなさい」

「は、はい!」


 麗楽はひとつ息を吸って吐く。ついで、手のひらに『人』と書こうとして止めた。緊張すればするほどベタな行動をとりがちなのは自覚している。

 死体を目にするのは初めてではない。

 交番勤務のとき、人身事故の現場で肉片や入歯を回収したこともある。が、刑事課に配属されて半年足らずで、殺人事件の被害者を肉眼で見るのは初めてだった。 

 ええい。現場の雰囲気に気圧(けお)されていたって仕方がない。

 覚悟を決めた麗楽は、一瞬だけ目を瞑り、大きく見ひらいた。


 浴槽のふちに後頭部を乗せて、初老の男がひとり死んでいた。

 豪奢な浴槽は木素材――たぶん(ひのき)だろう――で、大人の男が三人同時に入れそうな大きさがある。死体の傷口から流れ出た血液で、浴槽にたっぷり注がれた湯は朱に染まっていた。死体は水の浮力でゆらゆらと揺れている。


「いいかいウララちゃん。被害者の無念の顔を目に焼きつけて、絶対犯人を挙げてやる、と心に誓うんだ」


 生涯現場主義を明言するやり手捜査員、被疑者を取り調べで落とす名人――“落としのシゲ”と呼ばれる繁村(しげむら)(しげる)が熱っぽい眼で語った。

 被害者は不動産関係会社の社長。生前はさぞ精力的に働いていたであろうことが、精悍な顔つきや俊敏そうな体つきから察せられた。邸宅も申し分ない豪華さで、現在、麗楽と繁村が立っている洗面所兼脱衣所も、大容量の収納棚に冷蔵庫やベンチまで備わっており、ちょっとした温泉施設のようだった。とても個人のものとは思えない。


 無念の表情……。

 開け放たれた浴室への引きから、麗楽は改めて観察する。

 力なく開いた目と口元。ひょっとしたら、自身が死んだことさえ分かっていないのではないか。無念というより、驚きや不可解さの色が勝っている形相(ぎょうそう)だった。

 殺人という名の最悪の暴力。(ルール)を破った人間は裁かれなければならない。麗楽のなかで、生来持ち育んできた正義感がふつふつと滾ってくる。


「誓いました」

「うん」繁村は角ばった顎を引いて、「最近の捜査じゃ、生前のホトケさんを写真でしか確認できないことも多いからな。ご遺体との対面が捜査員(おれたち)のエネルギーになるってのに」

 

 主人が自宅の風呂場で死んでいる。刃物で切り付けられているようだ――。

 通報の内容が内容なだけに、最寄り交番の警察官とほぼ同時に地元警察署の刑事課も臨場した。他の捜査員らは、署や道警本部からの報告要請に追われている。

 辺りには既に非常線が張られ、第一発見者を含む家人は待機させてある。まもなく本部の刑事や検視官らが乗り込んできて、ここは戦場のようになるのだろう。


「なあウララちゃん。ありゃなんだと思う?」


 身を乗り出した繁村が、眼鏡の奥の小さな目を凝らしてる。

 麗楽もつられて同じ動きをする。無数に切りつけられた裸の上半身は、まるで得体の知れない獣の狂暴な爪に蹂躙(じゅうりん)されたかのよう。傷の合間に、何やらまだらな模様があった。びっしりと、わき腹にまで続いている。


「入れ墨、ですかね」

「タトゥーってやつか。粋なことを」


 繁村のほうが麗楽より若者っぽい言い方をした。

 本物の入れ墨だろうか。簡単に貼り剥がしできるシールタイプのタトゥーもあるし、ただの落書きかもしれない。家人に確認してみようか。

 (きびす)を返そうとした麗楽は、足を止めた。視界の端に奇妙な人影が映ったからだ。


「えっ、誰?」


 浴室で、被害者の頭側にガウン姿の男が(たたず)んでいる。

 あんな捜査員、見たことがない。一足早く臨場していた本部の検視官か? 急な出動だったとはいえ、あの服装はいかがなものか。お金持ちが風呂上がりに羽織るようなガウンって。足元は裸足で、シューズカバーさえしていない。

 うっすら髭の生えた顎を摩りながら、なにやら物憂げそうに死体を見下し、しきりに首をひねっている。

 これ、やばい人なんじゃないの? 観察すればするほどに、麗楽の困惑は極まった。


「シゲさん、あのかた。見慣れない人ですけど、ご存知ですか」

「は? だれだって?」

「ご遺体の側に男性がいるじゃないですか」


 眼鏡を取り、レンズの曇りをハンカチでふき取った繁村が、怪訝そうに返す。


誰もいない(、、、、、)ぞ」

「いやいや、ガウン姿の男の人ですよ。ちょうどシゲさんと同年代くらいの。あ! 今しゃがんだ。ていうかこの会話聞こえますよ」

 

 繁村は思いきり顔をしかめた後、にやあと意地悪そうにほくそ笑んだ。ウララちゃん、と意味ありげに呼びかけておき、


「もしかすると、仏さんが見えてるのか」

「ホトケさん?」

「被害者さんだよ。地縛霊になって俺たちの働きを監視しているのかもしれない。早く犯人見つけろよ、ってプレッシャーをかけるために」

「やめてくださいよ。ご遺体の前で幽霊だなんて。不謹慎な」

「何を言う。必ず犯人見つけます、って胸を張っとけよ」

「だから幽霊なんて――」


 途端、ぞおっとするような冷たい悪寒が麗楽の背筋を走った。

 (くだん)の男がゆっくりとした物腰で立ち上がり、伏せていた顔を上げる。一連の動きはスローモーションのようだった。麗楽は金縛りにあったように体がぴくりとも動かない。

 そして、ソレ(、、)と、目が合った。

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