5 ○○の視点
『ハロー。ファイター・シェンだ』
オープニングもBGMもなく、シェンが唐突に映し出される。
タイガーマスクに黒マントの衣装は変わらないものの、椅子に腰かけたまま動きのないカメラワーク、奇声も発しない。ファンにとっては、違和感のある画だった。
『今日はお知らせがある。タイトルのとおり、動画投稿を止めようと考えている』
帰宅するなり寝室に閉じこもり、嘘であってくれと願いながら動画を再生した。
嘘じゃなかった……。掴んだシーツに皺が寄る。
『理由は、リアルが忙しくなることとか……色々ある。だが、根っこの原因はオイラ自身にある』
急に、どうして?
画面に投げかけるが、膝の上で手を組むシェンはうつむいたまま、
『視聴者の仲間たちには感謝してる……オイラの動画を今まで観てくれてありがとう。本当に感謝している。これしきのことでヘコむなんて情けない。すまない。またいつか復活できたら――』
言いかけて、「いや」と軽く首を振った。
『復活の予告はそんなに軽々しくするものじゃないよな。
とにかく、今まで応援してくれた仲間たち、ありがとう。君たちに明るく優しい今が在ることを切に願っている。じゃあ、本当に最後だ。いつものやつ最後にやっとこうか。ワッシャー!』
お決まりの雄叫びの後、映像はぷつりと途切れた。
遊は呆然とするしかなかった。どうして? なぜ? たくさんの疑問符が胸中で吹き荒れている。
「こんなことって何だよ」
“このくらいのことでヘコむなんて情けない。”――シェンをヘコませた出来事ってなんだ。
“君たちに明るく優しい今が在ることを切に願っている。”――じゃあ、シェンは? 彼の今は、明るく優しいものではなかった?
幸い過去の動画は削除されていなかった。漠然と嫌な予感を抱きながら、コメント欄を斜め読みしていく。
『最高!!!』『GJ』等の肯定的なメッセージがある一方、『テンションうざい』『毎日投稿サボるなニート』『最近完全にマンネリ化してる希ガス』等の否定的なメッセージも目立つ。いや、むしろ多い。反響が多くなるにつれ、様々な意見が入り乱れる。人気者の定め、といってしまえばそれまでだが……。
ネガティブなコメントに負けない、応援のメッセージを送りたい。
最近は、せいぜいグッドボタンしか押していなかったくせに、止めると言われた途端にそんな行動をとるなんて虫の良い話かもしれない。ただ衝動のまま、遊は、先に観た動画のページを開く。
「……クソ、なんで」
『コメントはオフになっています』の表示。
コメント受付はユーザーが設定できる仕様になっている。シェンが欄を閉じてしまったのだ、と気づくと同時に猛烈な無力感に襲われた。打ちひしがれた遊の鼓膜に乱暴なノック音が響く。
「ねえ、お父さんが焼肉の火おこしを手伝えって!」
麗楽だった。
そういえば、休日にBBQをやると言っていたっけ。とてもじゃないが、今はそんな気分にはなれない。
「ごめん。僕だけキャンセルで」
けだるい声で答えると、「あそう。じゃそう伝えておくよ」とあっさり引き上げていく姉。
遊は重い体を起こして、のっそりとした動きでベッドから出た。
どうせこの後、母・十和子がやって来て、最終的には父・剛三郎に襲来されるのだ。同じストレスを何度も受けるより、自分から動いた方がいくらかマシだ。
階下に降りると、十和子が大量のおにぎりを増産していた。中庭行事におにぎりは必須アイテム。金城家ではおなじみの光景である。
「あ、降りてきた。お皿運ぶの手伝って」
「麗楽がこんな時間に家にいるなんて珍しいね。通り魔事件解決したの?」
おにぎりを皿に盛る麗楽は、すこぶる機嫌が良さそうだ。
「このくらいなら教えてもいいかなぁ」と勿体ぶってから、「被疑者を真正面からバッチリ映したカメラが見つかったの」
「そんな都合の良いカメラ、どこにあったの?」
「一般家庭の防犯カメラよ。こう言っちゃなんだけど、築年数が古いお宅でね。まさか最新の防犯カメラを設置しているとは思わなくって。近所で空き巣騒ぎがあって、物騒だからって取り付けたばかりだったらしいの」
「へえ」
最近は個人でも防犯カメラを設置する家庭が増えてきている。家の周りだけじゃない、道中でもドライブレコーダーを搭載した車両が激増している。近い未来、地球上でカメラに映らない死角なんてなくなってしまうんじゃないか。
「あれ、そういえば雨……」
テラスに続く大窓から空を見上げると、どんよりとした雲が消え、日が射し込んでいた。アヤメ湯からの帰途は雨が降っていたのに、いつのまに晴れたんだろう。
中庭から、炭が燃える匂いが流れ込んでくる。窓ガラスに映る自身は、いつも以上に間抜けな表情をしていた。
「カメラの視点、か」
*****
翌々日の朝、寝不足の目をこすりながら、マウンテンバイクで出勤した。
アヤメ湯に到着して腕時計を確認すると、午前8時35分。9時からの勤務というのに、かなり早く着いてしまった。
「おはようございまーす」
挨拶しながら暖簾をくぐる。返事は、ない。
出迎えてくれる大東菖蒲の笑顔に癒されていた遊は少し落胆する。いつもより早く出勤してしまったし、仕方がないか。
待合室を抜けて脱衣所に入ると、白い裸身の後ろ姿が目に入った。
ええ……? 幻か、と目をこするが、長い髪を慣れた仕草で結い上げている。露わになった背中に、遊は一瞬で目が醒めた。
「わーっ! ごめんなさい!!」
絶叫しながら待合室に走って戻る。
脱衣所から、「えっ、金城さん!? 嫌だ嫌だ嘘っ!?」とアヤメの絶叫が返ってきた。こういう場合、どうするのが正解だったんだろう……。遊はしゃがんで頭を抱える。
「見なかったフリして、さらっと、もう一度出勤したフリをすればよかったんだよ……バカ野郎」
「金城さん」
Tシャツにハーフパンツにお団子頭。ユニフォームに着替え終えたアヤメが待合室に現れた。
「っ、ほんとにすみません! ごめんなさい! 大丈夫です、ほとんど見えませんでしたから!」
「……いえ……こちらこそごめんなさい。あんなところで着替えていた私も悪かったんです」
律儀に頭を下げるアヤメに、遊は申し訳なさがMAXになった。土下座したくなる。
「僕なんかが無駄に早く来ちゃったせいで、本当にすみませんでした」
「とんでもないです。ええと」銭湯の若き経営者は小さな咳ばらいをして、「今日、仕事が終わったらお話したいことがあるんですが。お時間よろしいですか」
「はい? 今でも良いですけど」
「いえ……清掃が終わってからにしましょう」
「わかりました」
そんな成り行きで、通常より早く浴場清掃が始まった。
凄いものを目撃してしまったが、仕事は通常どおりキッチリこなさねばならぬ。それがプロというものだ。
全体的に水まきをして、ブラシでタイルをこする。ペースを上げている分、呼吸も荒くなる。話よりも清掃を先にしてくれたのは遊にとっても好都合だった。
「――よし」
ルーティンの業務を終わらせて、浴槽を振り向く。
禿頭にタオルをのせた地縛霊と目が合う。
「今日もいい湯だね」
当たり前だ、とでも言いたげに瞑目する親父さん。デッキブラシを置いた遊は、彼に三歩近づく。
「少し話をしない?」
『……』
「親父さんを無理やり成仏させてやろう、とか考えてるわけじゃないよ。でも、ひとつだけ確認したいことがあってさ」
無言を貫く地縛霊に、遊は問いかける。
「あなたは一体誰なんですか?」




