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被害者さんが、落ちてくれない。   作者: 羽野ゆず
第2章 銭湯の地縛霊が、成仏してくれない
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2 銭湯の地縛霊

 大量発汗せざるを得ない浴場清掃は、化粧などしていられない。色白できめ細かい肌のアヤメは、ノーメイクで素っ気ない服装でも、地味にならない素地が備わっていた。

 遊などは素直にキレイだなぁと見惚れてしまうが、そのたび彼女は照れたように顔を伏せてしまうのだった。しかし今日はいつもより顔色が冴えないような……


「アヤメさん、体調がいまいちなのでは?」

「……わかります? 実は、朝に栄養を取り過ぎて、お腹の具合が少し」

「無理しないでくださいね」

「大丈夫です。ありがとうございます」


 青白い顔色で微笑み、女湯へ入っていった。

 栄養の取り過ぎ、だなんて一体何を食べたのだろう。無茶食いするようなタイプには見えないけど……。栄養満点スムージーでも一杯あおってきたのか。

 隔日で会ってはいるものの、まだまだ彼女について知らないことだらけだ、と遊は思う。

 もともとアヤメ湯は、三年前に亡くなった彼女の両親が経営していたらしい。とある日の休憩時間、待合い室で冷たい緑茶を啜りつつ、銭湯を継いだ経緯を教えてくれた。


『私、高校卒業して本州で就職して以来、実家に戻っていなかったんです。

 ちょっとしたことで親とケンカして、互いに意地を張ったまま……。でも、父と母が事故で亡くなったと聞いたとき、私がこの銭湯を守らなきゃ、と強く感じたんです。幸い叔父も援助してくれて』


 一見おとなしそうなのに、何を巡って両親と言い争ったのか。さすがの遊も、そこまで踏み込んだ事情は聞けない。

 いざ銭湯経営を始めた彼女だが、やるべきことは山のようにあった。ひとりではとても手が回らず、金城コーポレーションに清掃業務を依頼した。

 社長の息子で専務の遊がやって来たことで、かなり恐縮した様子だったが、


『いやぁ、よくあることですから。一日二時間だけ、しかも隔日の条件で働いてくれる人って、なかなかいないんすよ。身内なら融通が利くでしょ』


 遊に説得された彼女はふくよかな胸に手をやって、それでもなお申し訳なさそうにしていたっけ。

 清掃業務は定休日の月曜を除く隔日。それ以外の日は、従兄弟や知り合いが手伝ってくれているらしい。


 さて、と。

 遊はジャージの裾を捲り、サンダル履きで浴場に入る。開店時間の午後二時までに、男湯女湯の清掃その他の準備を済ませなければならない。入浴するわけじゃないので男性が女湯を清掃(もしくは逆もありき)しても良いのだが、何故かその辺は自然と割り振られている。

 

 全体的に水まきをして、洗剤を入れた洗面器を転がしながらデッキブラシでタイルを擦る。

 洗い場の桶と椅子をスポンジで擦り洗い流す。ついでに鏡も。汚れが気になる箇所には、さらに強い洗剤を用いる。肌を守るためにゴム手袋は必須だ。皮膚や粘膜が弱い人は対策しても手が荒れるし、目や鼻がピリピリくるらしい。幸い、遊はそこまでの影響はない。丈夫な身体に感謝。

 仕上げに、タイルや鏡に残った洗剤を水でよく洗い流す。タイル壁はカビが目立たないよう、定期的に磨き上げている。

 女湯の場合は、さらにもうひと仕事が加わる。

 洗い場の排水溝周りに髪の毛を取り除く作業だ。一度だけ手伝ったことがあるが、黒髪茶髪白髪など幾人もの毛が混じった塊はホラー映画じみていて、アヤメの前で「ヒイッ!」と情けない悲鳴を漏らしてしまった。忘れたい黒歴史だ。

 

 そんなわけで、髪の毛が短い男性の浴場はわずかに早く清掃が終わる。

 部活終わりの学生みたいな汗をかいた遊は、首に巻いたタオルで顔を拭う。清掃後の浴場は、いっそう明るくなったように感じる。爽快感と達成感に浸る時間。壁を隔てた女湯から、アヤメが水を流す音が聞こえている。

 ふいに、遊は、首だけ振り向いた。

 正面の壁に面する大きな浴槽で、禿げ上がった頭にタオルを乗せた親父さんが、のんびり湯に浸かっている。


親父さん(、、、、)おはよう(、、、、)


 親父さんは無愛想な顔で遊を一瞥し、タイル壁に視線を戻した。

 この幽霊(、、)は初対面のときから同じ調子だった。肩までしっかり湯に浸かり、白い壁をぼんやりと眺めている。

 どうやらこれ(、、)が幽霊らしい、と知ったのは最近である。


『アヤメさん。営業前なのに湯に浸かってるオッサンがいますけど……ご身内か誰かですか?』

『すみません……どこに、誰が?』

『ほら、貴女のすぐ傍に、禿げたオッサンが』


 え、と呟いたきり、アヤメは訝しげな表情になり、まるで残念な人を見るかのような目つきをした。それ以来、アヤメに親父さんの話はしていない。遊の代打で清掃に出てくれるベテラン掃除夫・菊田(きくた)にも尋ねてみたが、


『いやぁ、見たことねぇなぁ』

『マジっすか、菊パイセンも!?』

『……坊ちゃん。まさか、とは思うが、やばいクスリでもやってるんじゃないだろうな?』


 と心配そうにねめつけられた。

 まもなく他の現場でも同じような現象に遭遇し、自覚せざるを得なかった。

 己は見える(、、、)体質だと。姉の麗楽も見えるらしく、遺伝的に受け継いだ能力なのかもしれない。楽天的な性格の遊は、割り切ってしまえばどうということはない。


「今日はいい天気だよ。お客さん沢山入りそうだね」


 親父さんに話しかけても大抵は無視されるが、今日は機嫌が良かったらしく、『おぅ』と小さな声で答えてくれた。


『俺が通い詰めていた頃は、肩がぶつかるくらい混み合ってたもんだ』


 チャンスかもしれない。

 女湯の水流音を耳にしながら、かねてからの疑問を口にしてみた。


「ねえ、親父さんはどうしてここにいるの? 何か未練でもあるの?」


 自分が死んだことに気づかず、銭湯に住みついているとか。

 親父さんは、静かな水面に視線を落とし黙り込んでしまった。やはりタブーな質問だったか。あきらめて脱衣所に戻ろうとしたところ、背後で深くて太い溜息が聞こえた。


『俺はな――。ここで、男をひとり殺したんだ』

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