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被害者さんが、落ちてくれない。   作者: 羽野ゆず
第2章 銭湯の地縛霊が、成仏してくれない
14/20

1 銭湯へGo!

 六月終わりの早朝。

 暖房も冷房もいらない快適な気候に、少しずつ夏の気配が訪れていた。

 強い日差しを感じながら、金城(かねしろ)(ゆとり)は、アラームが鳴るスマホを枕元から探り出し、動画投稿サイトを開いた。


 今日も午前7時きっかりに投稿されている――。


 遊は眠気で緩む口元をさらに緩ませた。

 『プロテイン20種 飲み比べてみた!』と縁取り文字が目立つサムネイルをクリックすると、軽快なBGMとともに、タイガーマスクを被った人物が登場する。


『グッドモーニング。ファイター・シェンだ!

 今日はぁぁぁあ、人気メーカーのプロテイン20種飲み比べてみたぞ! 筋トレマニアの仲間たちに耳寄りな情報だぜ』


 今日は、の後、ずらりと並ぶプロテインのパッケージとシェンの全身が、忙しく交互に映し出される。臨場感のあるカメラワーク。20種のプロテインを呑み終えたシェン(マスクの下からストローを差し飲んでいた)はわざとらしく息を弾ませ、


『では、オイラが選ぶベスト5を発表する!』2位まで発表し、『栄えある1位はぁぁぁ、アイムプロテイン社のクリーミーチーズかき氷味! プロテイン界の味変!! 初心者の君にもおすすめだッ!! そして、ここまで観てくれた君にプレゼント。アイムプロテイン社の割引クーポンコードを概要欄に貼っておくから、ぜひ活用してくれ!』


 遊は、すかさず概要欄からクーポンコードをクリックし商品サイトを開く。身体を鍛えているわけではないが、シェンが太鼓判を押すのだから試す価値はある。購入するのはもちろんランキング1位のクリーミーチーズケーキかき氷苺味だ。


『じゃあ、最後にいつものやついこうかぁ! せーのぉ』


 漆黒のマントの袖から、ラクダのこぶみたいな上腕二頭筋がお目見えする。


『ダラー! ワッシャー!!』

「ワッシャー!!」


 シェンが吠えたタイミングで、遊は拳を振り上げた。

 勢いのままベッドを降り、寝室を飛び出す。ようやく目覚めた感じ。やっぱり朝はこれをやらないと。


 動画投稿サイトには数多(あまた)の動画がアップされているが、人気の高い動画には、視聴者が見やすい工夫がこらされている。その点、ファイター・シェンの動画は巧妙に作られており、初心者クリエイターの遊は大いに参考にしているのであった。同じ札幌市内に住んでいるらしいことも親近感を持つ理由だ。


 リビングの大窓からベランダに出ると、爽やかな風がそよぐ。

 気持ちのいい快晴の朝。

 ポット栽培のマリーゴールドが山吹色の蕾を膨らませている。そろそろプランターに移してあげよう。表面の土が乾いていたので、たっぷり水をあげる。

 次は自分の食事だ。キッチンで、卵とズッキーニを炒めた惣菜を作りトーストを焼いて、簡単な朝食をとる。締めに、グラスいっぱいに注がれた緑色の液体をあおった。うん。安定のマズさ。一階に住む遊の母が毎朝作り届けてくれるスムージーは、小松菜やケールが含まれていて栄養価満点らしいが不味いものはマズイ。


 空のグラスを抱えたまま、遊は、殺風景なリビングを見回す。 

 双子の姉の麗楽(うらら)は、実家の三階に住みつく遊を“パラサイト”か、世捨て人みたいに思っているらしい。現役刑事でバリバリ働く彼女からすると、週三日程しか働かない遊は怠け者に見えるのかもしれない。


 大学院を出た遊は、両親と交わした約束通り、父が経営する金城コーポレーションに就職した。専務として本社で従業員を動かす立場になるはずだったが、「現場を知りたいから」と駄々をこねて、清掃や警備業の見習いから始めることにした。

 結果、大正解だった。

 未知の職種を経験しながら、余暇を趣味に費やす。刺激的かつ平穏な今の暮らしを、遊は至極気に入っている。いずれは朝から晩まで本社勤めになるだろうが、しばらくはこの穏やかな初夏のような生活が続きますように――。彼のささやかな願いだ。


 身支度を整え、地下駐車場に降りる。

 父と母が所有する車が数台と、遊のマウンテンバイクが並んでいる。電動シャッターを開けてサドルに跨り、さぁ行くぞというタイミングで、インターホンのマイクがノイズを発した。


『遊くん、いってらっしゃい』


 母・十和子の声。社長夫人として様々な雑務に追われているだろうに、「いってらっしゃい」と「おかえり」の声掛けは欠かさない母である。


『今日はどこ?』

『浴場清掃でアヤメ湯へ。昼過ぎには戻ってくる』

『気を付けてね』


 地上へ続くスロープへ、ペダルを強くこぎ出す。

 防水機能付きの腕時計は9時35分を示している。出勤や登校の時間は過ぎ、人通りは落ち着いている。通り過ぎる街路樹の葉が青々として眩しい。

 目指す銭湯は、自転車で十分足らずの位置にある。

 クリームがかった壁の建物に流麗な筆文字で【アヤメ湯】の看板。今は準備中の札がかかっている。臙脂(えんじ)色の暖簾(のれん)をくぐると、番台とロッカーが並ぶ待合い室がある。ロッカーの鍵は木札で、昔ながらの銭湯といった風情が漂う。


「おはようございます。アヤメさん」

「おはようございます、金城さん。今日もよろしくお願いします」


 出迎えてくれた女性が深々とお辞儀した。

 アヤメ湯二代目、大東(だいとう)菖蒲(あやめ)。Tシャツにハーフパンツの姿で、髪はまとめてお団子にしてある。年齢は三十歳そこそこといったところ。


「脱衣所の清掃は終わっています。いつものように男湯の清掃をお願いします」


 ひと仕事終えたアヤメの額には、玉の汗が浮かんでいた。

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