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被害者さんが、落ちてくれない。   作者: 羽野ゆず
第1章 被害者さんが、落ちてくれない
12/20

11 落ちる【真相編1】

 捜査本部に戻って真っ先に飛び込んできたのは、“被疑者自首”の一報だった。

 夜が白む前に出頭した被疑者は「私がやりました」とだけ告げ、すみやかに取調室へ通された。


 取調官は繁村(しげる)警部補。本部の刑事を退けて彼が担当になったのは、やはり実績を買われのことだろう。そして、立ち合いに金城麗楽(うらら)巡査部長。繁村が取調官でなければこの抜擢はあり得なかっただろう、と麗楽は思う。

 

「寒くないかい? 五月の札幌はまだ冷えるからね」


 落しのシゲこと繁村の、気遣うような言葉からやり取りは始まった。対面の人物は膝の上に手を揃え、姿勢良く腰掛けている。


「こんな時間にわざわざご足労いただいたんだ。さっそく始めようか。――あなたが、鷹宮豪さんを殺害した。間違いないね?」

「はい」


 供述を記録するためキーボードに手を置いていた麗楽は、その潔さに息を呑んだ。


「あたしが旦那様を殺しました」


 紫色のストールを羽織り、ビーズ刺繍の鞄を提げた彼女は、警察署に出頭するというより、芝居か映画を観に行くような風体だったという。

 折笠(おりかさ)文香(ふみか)は、どこか夢のなかの花畑を歩いているような様だった。



『どうして大谷三葉が犯人になるんだよ!?』


 幽霊が消えてしまった後、強引に麗楽をとどめた遊は、半ば呆れたように一喝した。


『いいかい? タトゥーを切り刻んだ人物は、株取引サイトのパスワードと気づいた上で、わざと主張するような行動に出た。

 そんなことをするメリットがどこにあるって? ()自身にメリットはひとつもない! 真犯人を(、、、、)庇う(、、)ため(、、)だからね。

 誰か、って、そりゃ鷹宮さんを殺し奴に決まっている。その人物は、株取引サイトなんて知り得ない存在だろう。でなきゃあんな偽装をする意味はない。鷹宮さんも言っていたね……「PCも触ったことのない機械音痴」って。――犯人は家政婦の折笠文香だ』


 世にも不思議な、被害者さんとの邂逅(かいこう)

 最初から最後まで、鷹宮豪は誰を守ろうとしていたのか。振り返ってみて、麗楽は過去の自分を責めたくなった。


『折笠さんは犯人じゃない。事件とは無関係だ』

『頼む……彼らを……折笠さんだけでも解放してやってくれないだろうか』


 彼は、あからさまなほどに彼女(、、)――折笠文香を庇っていたではないか。

 事件解決に協力するようなふりをして、老成した叡智(えいち)で間違った方向へ誘導しようとしていたのか。そもそもあれは夢だったのか。現実感さえ薄れている。

 駄目だ。今は現実に集中しなければ。家政婦は乙女のような双眸で告白を始めた。


「あたしは、寛坊っちゃまから求婚されていました。あたしも許されることなら彼と添い遂げたいと願っておりました。おかしいですよね……親子ほど年が離れているのに」

「おかしくなんかないさ。色恋に年の差は関係ない。月並みなセリフだけどな」


 ゴマ塩頭を掻く繁村に、折笠は控えめだが声を上げて笑った。


「でも、旦那様なら許してくれると思っていたの。寛大な方で、激高するところなんて見たことがなかったから。

 脱衣所をノックして、ミネラルウォーターを届けたとき。ちょっとした弾みで、旦那様にお話ししてみたんです。お客様と飲んで気持ちが高揚していたのかしら。でも、旦那様は怖い顔で『寛との結婚は許可できない』って。その後、信じられないようなことを……」

「なんと?」

「あたしが旦那様と結婚するなら、寛に資産の全てを譲っても良いって。

 でなければ、自分の死後も相続は一切させない、だなんて。寛さんが新しい事業を起ち上げようとしているのを知っているくせに」

「なるほど。ひどい話だ」


 繁村は眉一つ動かさなかった。が、内心は驚いているのではないか。

 折笠文香という老女を巡って、資産家の親子が対立していたなんて、誰が予想できるだろう。


 鷹宮寛と結婚したい女性――

 社長幽霊の独白を聞き、麗楽はてっきりそれを若く美しい秘書の大谷三葉と決めつけてしまった。折笠本人が自嘲したように、年齢的なつり合いからして、大谷だろうと思い込んでしまったのだ。

 ところが、まるで内情は違っていた。どういう運命のイタズラか、父と息子の想い人は一致していたのだ。


「旦那様があたしを想っていてくれたなんて、正直驚きました……。世間的にみれば、あたしは旦那様との方が似合っているだろうし裕福な暮らしもできるでしょう。

 でもね。こう見えて、あたしは一途なんです。この年まで独身を貫いてきたのは、打算や妥協で誰かと結ばれるなんて真っ平御免だったから。ようやく運命の人と出逢えたのに……こんなのってあんまりでしょ」


 だから、と細く鋭い吐息をして、


「浴室を覗くようなふりした後、棚の灰皿を後ろ手に持ち、こちらに背中を向けて立っていた旦那様の腰辺りを蹴りました。蹴るって……足グセが悪いわね。とにかく一発で仕留めなきゃって必死だったのよ。で、床に手をついて倒れた旦那様へ力いっぱい灰皿を振り下ろした」


 折笠は右手の指を握って開いた。感触がよみがえったのか、やけに生々しい動作だった。

 蹴って昏倒した相手の後頭部に鈍器を振り下ろす――そんな蛮行(ばんこう)を、この人の良さそうな婦人が行ったとは……。人は見かけによらないとはよく言ったものだが、警察官になってから、麗楽はそういう人間を両手の指で数え切れないほど見てきている。いまさら動揺はしない。

 ベテランの繁村は「へぇ」とか「ほぉん」とか世間話でも聞いているような調子で、リズミカルに相づちを打っている。対する折笠文香もテンポ良く独白を続ける。


「どうしよう、って頭が真っ白になったわ」

「だろうねぇ」

「そのとき視界に飛びこんできたの――旦那様の胴回りに描かれた見事な迷路の彫り物が」

「めいろ?」

「そう。お客の前では披露してくれなかったけど、迷路なんて彫っていたのね。子供っぽいって笑われるのが嫌だったのかしら。

 あたしは死体のはだけたシャツを脱がせて裸にしました。腹から背中までびっしりと線が描かれていたわ。旦那様の体を抱えながら迷路を解いているうちに、思うように動かせないものだから、じれったくなって……お風呂に入れることにしたんです」

「あれもあなたがやったのか。しかしまたどうして風呂に?」

「そりゃ、水中なら浮力で重さの負担が減るでしょ。あたし、市外に住む伯母を時どき介護しているんですよ。介護ってのは力学の原理を応用した技術なの。刑事さんご存知かしら」

「いいや……。重さの負担を減らすためか。そりゃあ思い付かなかった」


 はは、と乾いた笑いを漏らす繁村。さすがに唖然としているようだ。

 麗楽は泣きたくなった。“重要なのは真実か、そうじゃないか”――よりにもよって遊の『死体クルクル説』が真実だったことが判明してしまった。

 一方で冷静に観察もする。目の前にいる老女は、肩幅が広く立派な体格をしている。彼女ならば、鷹宮氏の死体を浴槽まで運び、抱え上げることもできただろうと。


「迷路に集中していると、『文香さん』って後ろから声をかけられたの。寛坊っちゃまでした。

 あたしと旦那様を順繰りに見て、色白のお顔を真っ青にしていたわね。利口な坊っちゃまは、すぐに何があったかを悟ったようでした。キッチンから包丁を取ってくると、死体を湯に沈めながら刺青を切り刻み出したの」

「なぜそんなことを?」

「あたしがやらかしちゃったからっ!」


 膝を打ち大声で笑い始めた被疑者。あまりにも唐突で、麗楽は肩をびくりと震わせた。


「あたしったら、本当に馬鹿! 迷路を解き進めるのに、旦那様からベトナム土産でいただいたアートペンでなぞってしまっていたのね。

 眠る前に試し書きしようと思って、パジャマのポケットに入れたままだったから。……ああ、現物を持参するのを忘れてしまったわ。“ハロン”グリーンっていう淡い緑色で少しラメが入っていてね、それは綺麗な色なんですよ。色が付くと落ちにくいからって旦那様が注意していたとおり、いくら湯で擦っても落ちないの」

「そうかそうか」


 繁村が頷きながら、麗楽に目配せした。

 察した彼女はなるべく音を立てないよう取調室を出て、外で待機していた捜査員に鷹宮寛の任意同行を求めるよう伝える。二年先輩の刑事は弾かれたように走り出した。

 それから約一時間後、別室で鷹宮寛の取調べが始まった。

 すでに覚悟した様子で自宅待機していたという鷹宮寛は、たった数日でひどくやつれて見えた。

 三十代で自社の専務を務める男だが、良くも悪くも純粋で、犯した罪の重さに耐えられるほどの器ではなかった。


「親父は、ベトナム土産を皆の前でそれぞれ渡していました。文香……折笠さんに渡していたペンも同様に。その場で開封した上、大谷さんと分け合っていましたから、皆の記憶に残っていたと思います。

 アートペンは海外製の特徴的な色合いで、日本ではなかなか手に入らない代物でしょう。死体にインクが残っていたら、折笠さんの仕業と特定される可能性は高いと考えました」


 インクが付いた箇所だけ消すと怪しまれるので、カモフラージュのため、周囲のタトゥーも丹念に切り刻んだという。

前回から間が空いてしまいました(^-^;明日、最終話『落ちた【真相編2】』を更新予定です。

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