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被害者さんが、落ちてくれない。   作者: 羽野ゆず
第1章 被害者さんが、落ちてくれない
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プロローグ【被害者さん 死亡3時間前】

 自らの希望を余すことなく体現した、豪邸に住んでみたい。誰しも一度は憧れることだ。

 北海道は札幌市に、庶民の羨望を集める“ロイヤルストリート”と呼ばれる一角がある。経営者や弁護士の豪邸が並ぶなか、鷹宮(たかみや)家は高くそびえたコンクリートの外壁が堅牢性を誇示していた。

 長い直線状の塀の内側には、広々とした庭園と日本家屋の趣が感じられる邸宅があり、人生の成功者たる風格を醸している。


 五月初旬の土曜夜。

 洋風ながらも古寺めいた格天井(ごうてんじょう)が設けられたリビングで、主人の鷹宮(ごう)を囲み四人の男女がいた。

 大窓からはライトアップされた庭園が望める。夜の眺めも存分に楽しめるよう、ガーデンライトの位置や配色など計算し尽くされている。


「社長。今回はどの辺りに行かれたんでしたっけ?」


 目尻の皺が人懐こい印象の男が尋ねた。ジャケットを羽織っていても、上腕二頭筋が発達しているのがわかる。

 鷹宮のパーソナルトレーナー、剛力(ごうりき)美和(よしかず)。ワイングラスを傾ける仕草はさまになっているが、飲んでいるのは常温のミネラルウォーターだ。


「ちょっとベトナム辺りにね」


 応じる鷹宮は、プロがマンツーマンで健康管理しているだけあって、還暦間近の年のわりに均整のとれた体型をしている。小柄ではあるものの、額が広く秀でていて、切れ長の瞳には野生の虎のような鋭い輝きがある。彼は市内の各地に店舗を持つ不動産会社の社長だ。


「いつも、お土産をありがとうございます」

「毎回同じもので悪いね。気に入ってもらえると良いんだが」

「とんでもない。色々な国のコーヒーが呑めて嬉しいですよ」


 恐縮するパーソナルトレーナーの脇には高級そうな木箱がある。中身はベトナム産のコーヒー。酒を呑まないかわりに大のコーヒー党の剛力のため、鷹宮が選んできたものだ。

 

「社長は旅行好きですよね。日本にいる時間のほうが短かったりして」

「それはさすがにないだろう」

「今回もおひとり旅? それとも、大谷(おおたに)さんと一緒に楽しんでこられたのかな」


 剛力は向かいのソファに浅く腰掛けた女性をちらり見た。

 鷹宮の秘書、大谷三葉(みつは)、三十六歳。目がぱっちりとした二重で、眉は黒く濃く、鼻が高い。エキゾチックな顔立ちで、どこの国を歩いても違和感がないだろう。身長は170センチ近く、淡い黄色のパンツスーツがスタイルの良さを際立てている。揃えた足元には、鷹宮から土産にもらったベトナム刺繍のバッグが置かれていた。


「いいえ。社長は仕事プライベートの旅行に限らず、飛行機のチケットの手配なんかも全てご自分でされるんですよ」


 謙虚な言葉で否定し、円形の持ち手がついたバッグを手に取る。落ち着いた紫色のシルク生地に、光沢のある糸で小花の刺繍がされている。


「このバッグ、ほんとうに素敵。気に入りました」

「繊細でキレイですよね。あたしがいただいたバッグも素敵でしたよ」


 大谷の背後からのぞき込むようにしているのは、家政婦の折笠(おりかさ)文香(ふみか)

 ふだんは日帰り勤務だが、今夜はゲストたちの世話をするため泊まり勤務の予定だ。大きな邸宅をひとりで管理しているだけあり、体力自慢の六十一歳である。


「マンダラのような模様がビーズで刺繍されていてね。あたし、こういう細密で規則的な絵柄を眺めるのが好きなんです。宇宙を漂っているような、迷路に迷いこんでいるような。不思議な気持ちになれるでしょ」


 うっとりとしている家政婦に、他の者は微笑ましい表情を浮かべる。この女性は、年のわりに夢見がちというか、少女っぽいところがあって、それが周囲の人間を時々癒す。鷹宮は「そうだ、忘れていた」と懐から取り出して、


「空港での待ち時間に見つけたんだ。折笠さん、老後の趣味に絵を描きたいって言ってたろ」

「あら! 絵画ペンのセットですか。これまた素敵!」

「“ハロン”グリーン、“ソンドン”ディープブルー。ベトナムの観光名所がカラー名の由来になっているようですね。現地のオリジナル商品かしら」


 興味深そうに目を輝かせる大谷に、「観光客向けだろうね」と鷹宮は答える。


「油性で、衣服に付くとインクが落ちにくいらしいから。気をつけて」

「ご主人様、ありがとうございます! あたしひとりで頂くのは悪いわ。三葉さんもお仕事でペン使うでしょう、デザインなんかで。よかったら分けしましょ」

「いいんですか」


 女性二人がリビングテーブルにペンセットを広げてはしゃぎだす。その脇で、カルーアミルクを作り終えた小太りの男が黒革のソファに「よいしょ」と腰掛けた。鷹宮に向かって話しかける。

 

「で、今回の旅行は何か収穫があったのかい?」


 口調がフランクなのは、彼が鷹宮豪の実子だから。

 死別した妻との間に生まれた息子、鷹宮(かん)は、母親似なのか父親とはあまり似ておらず、ふっくらとした丸顔で三十代のわりに腹回りがだぶついている。無類の甘党で彼に当てられた土産はベトナム産のカカオ豆をつかった高級チョコレートであった。

 一見愚鈍な印象だが、彼の細い目は油断ない光を帯びており、動物に例えるならば狸。会社での役職は専務で、これまで父が商売で得た資産、また資産を運用して得た利益も、いずれは寛がすべて継ぐことになっている。


「結構長く滞在していたし。父さんのことだから、ただ観光してたってわけじゃないんだろ」


 以前鷹宮がフランス旅行した際、現地のアパルトマンにヒントを得て、デザイン性の高い内装と家具付き物件を販売した結果、若い女性客を中心に好評を得て、いまだに予約待ちの人気ぶりであった。期待をこめて聞いた息子に、


「今回は完全なプライベートさ。タトゥーをね、彫ってきたんだ」


 と全く予想外の答えが返ってきた。


「はあ? タトゥーって、入れ墨? 父さんが?」

「おいおい。そんなに驚くことか」


 寛につられてぽかんとしているゲストたちと家政婦を、鷹宮は愉快そうに見回し、ガウンと中に着ているシャツを少しだけはだけて見せた。

 上半身に施された模様の一部がお目見えし、悲鳴混じりの歓声が起こった。


「腹部に彫ったんですか。腹やわき腹は、腕なんかと比べて苦痛を伴うって聞きますけど」


 浅黒く焼けた肌を紅潮させ、剛力が言う。


「痛くて泣いてしまったさ。肌に馴染むまでも大変でね。年甲斐もないことをした罰だな」

「海外では、民族的な慣習や宗教的な理由でタトゥーを彫るのは珍しくないですよ」

「現地で知り合った日本人が見せびらかしてきてね。どうしても挑戦したくなって……そんな大層な理由で彫ったわけではないんだ。温泉にも気軽に行けなくなってしまったし」

「ご自宅に立派な(ひのき)風呂があるんだからいいじゃないですか」

「いやあ。つい出来心でね、馬鹿なことをしたもんだ」


 とぼけたように頭を掻く社長に、ごく自然な流れで「どんなデザインを彫られたんですか」と秘書の大谷が訊ねた。

 この場面で一同はてっきり、鷹宮が、タトゥーを快く披露してくれると思っていた。好奇心を湛えた四人の八つの目が経営者へと注がれる。

 が、当の本人は、珍しくもったいぶったような態度で、ぶっきらぼうに言い放ったのであった。


「わざわざ見せるほどでもない。彫ると決めてから、図案を決めたくらいだから……つまらないものだよ。まあ、ロマンのある言い方を無理にするならば――“宝のありか”を示す(デザイン)ってところかな」

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