契約の刻印3
「――ゼノさん!」
迷宮を出てギルドに立つと、可愛い女性の声に名を呼ばれた。
たった一度で良く名前を覚えてくれたものだ……と、有能で可愛いポニーテールの女性に感心したが、褒める時間も無かった。
――俺は彼女に詫びを入れる。
「すまない。ポーションは持って帰っていない。――だが、もう一度このまま潜るよ。
今度は三個くらいは渡せると思うから、またその時に……」
そう言って手を振れば、女性は驚いた顔で見つめてくる……だが、時間が無いのだ。
俺がパーティーを離れたことで、魔獣たちはアジールたちを襲い出す。
上手く判断し引き返してくれれば良いが、彼らは自滅に向かい突き進むと……俺はなんとなく感じていた。
だからそのまま再び迷宮へと、階段を走り降り、急ぎ足で戻ったのだ。
――魔獣と戦うことは無い。
地下十一階、二十二階と、ゾロ目の階ではポーションだけを回収。
四十四階までは一度通った道であり、さっきの数倍早く、そこまでは到達できた。
……だが、遅かった。
四十五階からは、知った顔の遺体に出くわしてしまう……アジールの近衛兵たちが、魔獣に襲われ、無残な姿になっていた。
五十階までには、五人の死体を確認。
地下五十一階への階段の手前。そこで、近衛隊長ギーの死亡も確認する。
――この男も有能だったと思うが、上が無能なら仕方がない。
あの男とあの娘は、生きているだろうか?
地下五十一階へ降り立つと、俺の懸念が当たりでも外れでも無いことがわかる。
瀕死の二人が倒れていて、それに襲いかからんと、巨大な熊の魔獣が立っていた。
俺は、カバンから金の小刀を取り出す。
そして背後から、俺に気づいていない、その熊の魔獣の首へと、小刀を突き刺した。
熊は痛みと抵抗で暴れたが、右手で腰のナイフを抜いて、その爪を防ぐ。
左手は、熊の首へと突き刺した小刀を持ったまま……
そこから意識せずとも神術エネルギーが注ぎ込まれ、魔獣にダメージを与えていく。
しばらく熊は暴れたが、ついには動かなくなり――そして死んだ。
それから、二人の元へと駆け寄る。
貴族の男アジールは、座り込んでいる。
その体はもう、ポーションでは回復しきれないほど傷だらけになっていた。
その横でぐったりとしつつも、リリスは主人に回復術をかけ続けている。
それは、契約の刻印によるものなのか?
彼女の、優しさによるものなのか……?
彼女自身は外傷は少ないが、頭を打った様子で、瀕死であることに変わりはなかった。
――中年の男が呟く。
「――お、お前は?」
男の黒い目も、娘の緑の瞳も、もう死んだような、光の無い色をしている……
だがどうやら、俺に気づいたらしい。――俺は悩んだが、一人を助けると決める。
カバンから小瓶を取り出して、それをアジールに見せた。
ポーションの青では無い、緑の液体の入った小瓶……それを見てアジールは、目を少しだけ見開いた。
「そ、それは……、エ……リクサー?」
「さすがだ。よく見たことがあったね。」
アジールは、このレア物を見たことがあったらしい……
ポーションの回復力を遥かに凌駕し、瀕死の傷も、病をも癒す、奇跡の秘薬エリクサー。
貴族でも滅多にお目にかかれないはずの代物だが、知っているとはお目が高い。
――それに、話が早い。
俺は、アジールに取引を持ちかける。
「なあ、アジールさん、賭けをしないか?」
「か……、賭け?」
「そう、コイントスさ。あんたが勝ったら、このエリクサーを、あんたに飲ませよう。」
俺は賭けの報酬を伝えた。――そして、リスクを伝える。
「エリクサーは貴重な品だ。釣り合いが取れるように、俺が勝ったらその娘も含めたあんたの持ち物、全部頂こうと思うけど、どうだろう?」
「わ、わかっ……た」
提案に、アジールは素直に応じる。
どうやら、もう元気だった頃の威勢は失っているようだった。
俺はアジールの肩に触れ……そして、意識を集中し、契約の刻印を施す。
契約の刻印はこういった賭けにも使える便利な術だ。――もちろん俺自身も、この契約に必ず従うことになるのだが……
――さあ、賭けの始まりだ。
俺は口元に笑みを浮かべ、アジールの前に座り込む……そして、じっと彼を見つめる。
「は、やく、コインを……な、げろ」
アジールは急かしてくる。だが何もせず、じっと、アジールを見つめ続けた。
「は、はや……はや……が、げはぁ!」
アジールは口から血反吐を吐き出し、その血飛沫が俺にも飛んでくる。
「――ぼ、がぁ、あ」
こちらを見ながら、力ない声と、血を垂れ流すアジール。
――その血の叫びは最期の叫びだ。
血反吐を吐いた後アジールは、首をカクンとうつ向かせ……もう、言葉を発することは無くなった。
それを見て俺はコインを投げて、手の甲で止め、それから尋ねるのだ。
「なあ、アジールさん。表にするかい、裏にするかい?」
アジールは、もう答えない。
「答えないなら俺の不戦勝だが、いいのかい? アジールさん?」
もう首も手も、全てを力無く垂らして、座り込むアジール。
彼はもう、問いに答えることは――無い。
……どうやら、俺は賭けに勝ったようだ。
「残念だったね、アジールさん。でも、契約は契約だ――自己責任だから仕方ないね。」
そう言って、もう死んだ男に賭けの負けを宣告したのだ。
――今度は、少女を抱きかかえる。
少女もまた力なく、人形のように動かない。
エリクサーを一滴、少女の口に注いだ。
だが、少女は飲む力無く、小さな咳と、血とともに吐き出してしまう。
ならばと、俺は自分の口にエリクサーを含み、口移しで少女にエリクサーを飲ませた。
少女が吐き出そうとしても、ずっと口づけをしたまま、その口を押さえ続ける――どうやら、エリクサーが体内に入ったらしい。
少女の身体から神術エネルギーが溢れ、その傷が、瞬く間に癒えていく……彼女の白い肌に、血の気が戻ってくるのが見て取れた。
俺は少女から顔を離して、語りかける。
「やあ、お嬢さん。君のご主人から君を譲り受けた。もう、契約の刻印の効果も無いはずだ。
――俺と一緒に、来ていただこうか。」
そう言ってから少女を抱え、地面へと立たせてあげる。
少女は混乱した顔で、死んでいる元主人と俺の顔を、キョロキョロと見回している。
「名前は、なんだったかな?」
そう尋ねると、その緑の瞳で俺を見て、小さな声で少女は答えた。
「リ、リリスです……」
「そうだったねリリス。俺はゼノだ。
両親か……、家族はいるかい?」
「い、いえ……」
……寂しそうな少女。
「なら、そうだな……もう少しこの迷宮を潜った後で、俺の家に来てもらおう。
――そこが、君の新しい住処だ。」
「は、はい……」
少女は相変わらずの弱々しい声で、かろうじて返事を返した。
――そんなやりとりの後。
戸惑うリリスの柔らかな手を、俺は無理矢理左手で掴む。――そしてその手を右手で握って、握手をする。
「よろしく、リリス。」
リリスは顔を硬直させていたが、俺は笑みを向け続ける?
すると、その手に少しだけ力が入るのを感じ取れた。
「リリス、ついておいで!」
「……は、はい。」
――俺は立ち上がり、進み始めた。
少女はまだ、自分の意思では歩けない……だけど、それでも歩き出す。
自分の力で立ち上がり、歩き出したのだ。




