契約の刻印1
その薄い金色の髪色は、幼い少女の不安を映しているようだった。
奴隷として契約したこの少女のように、どうして人は権力を持った者に、安易に、その命を握らせるのだろうか?
「うるさい! お前など要らんわ!
とっとと迷宮から立ち去るがいい!」
そう言って男は、パーティーから俺を除名した。
「くくっ……、あいつほんとに特級冒険者かよ。」
「俺たちばっかに魔獣と戦わせて、あいつなんも役に立ってないじゃん。」
「あいつは要らないでしょう。」
メンバーたちも同調し、笑っている。
権力を持つ者、それに付き添う者たちも、安易に、命の手綱を扱ってしまう。
人は互いに牙を隠して生きていることを忘れているようだ。
――俺は素直に迷宮を去る。
彼らには死が待っているだろう……そう知りつつも、振り返ることなく地上へと向かった。
ただ、少女の不安げに見つめる緑の瞳だけが、脳裏に焼き付いて離れなかった……
――ほんの少しの付き合いだった。
神具があると情報を聞いてやってきた、この迷宮。
その地上一階部分にある冒険者ギルドで、初めて彼らとは出会った。
普段は酒場のような雰囲気のギルドだが、今日は妙な雰囲気で、中に入れば人盛り。
そこでは「登録冒険者」の選定を行なわれていて、その面接官をしていたのが彼だった。
『登録冒険者』
冒険者は通常パーティーを組むことを禁じられている。――その武力が危険だからだ。
だが、登録冒険者となればパーティーを組んで迷宮に挑むことができる。
一人で迷宮に挑むのは危険が高い。
だから多くの冒険者はまず、登録冒険者になることを目指すのだ。
――俺より少し、年下だろうか?
若い男が、面接に挑む。
「アルベルト、二十五歳!
ぜひアジール様の元で冒険者として活躍したく、本日参った次第であります!」
立って一生懸命に話す若い男。
それに対し、座って肘をついた中年の男は、若い男に冷たく質問をする。
「アルベルト君……君は今までどこで登録冒険者をしていたのかね?」
「いえ、私はまだ一度も登録冒険者になったことはありません!」
「はッ! 二十五歳のその歳で一度も!
話にならんなぁ……経験の無い者など雇えんよ君。その歳まで一体何をやっていたんだ!」
若い男は声を震わせて答える。
「な、何度も面接は受けたのですが、どこもこの領地ほど裕福でなく、新しい冒険者を認めてくれることは少なくて……」
「少ない? でも、いたのだろう?
君なぁ……君はその少ない認められた者たちは努力をしていなかったと思うのかね?」
「し、していたと……」
「なら、認められなかったのは、君の努力が足りなかったのでは無いのかね!
つまらんな君は、環境のせいにして。自己責任という言葉を知らんのかね!」
シワと油が目につく丸顔の男は、正論に見せかけた罵声を放つ。
若い男は涙を浮かべ、反論もできず立ち去ってゆく……
そんな不愉快な光景が、何人も、何度も繰り返されて……そんな光景をギルドにいる全員が、笑うことなく見ていたのだ。
「――あんたは、受けないのかい?」
俺は、このギルドで一番目立たない中年男を見つけて話しかけた。
その髭面の男は急に声を掛けられて、驚いたように目を見開く。
だが、すぐに落ち着きを取り戻し、親しげな雰囲気で俺の問いに答えてくれた。
「俺は、もうこの歳だ。門前払いだろう。
――あんたは受けないのかい?」
「年齢は五つも変わらないだろう。俺は、別の目的でここに来たんだよ。」
話しながら、ギルド全体を見まわす。
冒険者の実力は発しているエネルギーの量と、その隠し方である程度わかる。
見まわせば、人ごみに隠れ気配を消し、わずかに神術エネルギーを発している色白の若い男を見つけることができた。
「あの兄さんが、ここの『偵察』かい?」
「偵察を見極められるのか? あんた、見る目があるね。俺にはよくわからねえよ。」
「ご謙遜を。俺が潜るのに警戒しなきゃいけない相手はあんただけさ。
頼むから、迷宮で襲わないでくれよ。」
「どういう意味だい?」
「あんたが一番強いって意味だよ。」
「俺が強い? あんた、見る目がないね。
あれ? さっき、逆の事を言ったかな?」
笑顔でお道化てみせる、髭面の男。
お互いに少し気が緩んだところで、俺は話題を切り替える。
「なあ、ここには神具があるって噂を聞いたんだが……」
「ああ、前の領主が死んで引き継ぐ者がいなかったからな。」
「本当か!」
「悪い……期待させちまったな。つい先日、迷宮から持ち出されちまったよ。」
「そうか……」
――どうやら一足遅かったらしい。
ティクトの持ってきた情報に間違いは無かったが、ここに来るまで時間が掛かり過ぎたようだ。
「なあ、神具を持ち出したのは、どんな奴か知っているかい?」
「ん? まあ、知ってるよ。ここらじゃ有名人だからな。
あそこで面接やってる貴族……あれがアジール様だ。そんで、あの方の甥にあたるマルス様ってのが神具を持っていったのさ。」
「へえ。じゃあこのカストロ領は、あのおっさんじゃなくて、そのマルス様ってのが引き継ぐのかい?」
「ハハハ! あの坊ちゃんは戦闘バカだからな。領主にはならんだろう。」
親しげな誰かの話をするような、髭面の男。――嘘の無い微笑みが彼から漏れた。
その優しい顔に少し驚いたが、悟らせないように話題を続ける。
「じゃあ、迷宮に潜る意味も無くなったな……俺も、面接でも受けてみようかな?」
「大丈夫かい?
ありゃあ、雇う気なんて無さそうだぜ。」
「まあ、大丈夫だろう。」
「自信だな。あんた、何級なんだい?」
「あんたは?」
そう質問しあった俺たちは、互いに冒険者カードを見せ合った。
髭の男は二級冒険者……やはり、とんでもないバケモノだ。
「へえ! あんたなら受かるかもな。」
「とりあえずやってみるよ。」
男は驚いてくれたよう……俺は男に微笑みを見せて、手を振り別れを伝える。
そうして、面接場所へと向かうのだ。
――偵察を二名も配するとは、この地はそれほど力が衰えてないらしい……
そんなことを考えながらギルドの中央へ。
そこのテーブルに陣取っている、アジールという男を見た。――アジールは目が合うなり怒鳴りつけてくる。
「お前も面接を受けに来たのか? なら、シャキッとせんか!」
俺は気にせずに自然体で答える。
「俺はゼノといいます。登録冒険者になる気は無いのですが、雇ってもらおうと思いまして……迷宮に潜るならお役に立つと思いますよ。『契約の刻印』が欲しいのでしょう?」
提案にアジールは浅黒い丸顔を赤くし、怒りの顔に変わっていく。
「なる気が無いなら消えろ! お前など必要ない! 希望者は腐るほどいるんだ!」
フェアな提案を持ちかけたつもりだが、気に入らなかった様子。
俺は怒鳴られ、ため息をついて振り向き、その場を立ち去った。
交渉の場であるはずが奴隷を選ぶ場になっている……意味があるのだろうか?
交渉が上手くいかず、そのまま迷宮に潜ろうと、俺はギルドの受付に向かった。
受付の、茶髪をポニーテールにした女性が、可愛らしい笑顔を向けている。
「こちらのギルドは初めてですか? 冒険者カードを見せてください。」
黒いマントの下のカバンから、カードを取り出して彼女へと渡す。
「ゼノ様ですね……あ、すごい! 特級冒険者だ!」
――受付の女性が叫んだ。
可愛く大きな声に、周りの視線が集まる。
「す、すいません! 初めて特級のカードを見たもので!」
「謝る必要は無いよ、元気なお嬢さん。君の明るい声は聞いていて気分がいい。」
「あ、ありがとうございます!」
そんな風に、可愛い女性と話をする。
俺は言葉通りに気分が良かった……
――が、それを邪魔するように、背後から不愉快な中年の声が飛んでくる。
「お前、特級なのか!?
先に言え! 雇うぞ、雇う!」
アジールの声……その声を聞いて、ポニーテールの女性は声を出さずに笑っていた。
落とすのだけを目的に罵声を放ち、結局、必要な人間を雇えなかった面接官の手のひら返し。
ずっと、その不快な面接会場を見続けていた彼女には、それが小気味良かったのだろう。――俺も同じ気分だった。
「お嬢さん、予定が変わったようだ。後でもう一度、受付を頼むよ。」
「はい、ゼノさん。お待ちしております!」
そう可愛い彼女と笑顔で話してから、後ろを振り返る。
表情を戻して、今度は笑顔を作り、俺は不愉快な男へと振り向く。
――さあ、交渉を始めよう。