帰る場所2
――神は魔神に敗れ、死んだという。
だが神を失ってしまっても、教会はその役割を果たしている。
職にあぶれた者を修道士として受け入れ、農村や都市へと派遣する役割や、病に伏した貧しい者を看病する施設として――
皮肉なものだ……神がいた頃より教会は、その役割を増していた。
聖堂の横には大きな建屋。
そこに、石になる子供たちが、俺を頼って集まって入院している。
「ジェノ〜」
「ゼノ様!」
「ゼノ、帰ったんだね〜」
たくさんのベッドには子供たち……それを看る、親たちや修道女たち。
建屋に入れば、歓迎の声が飛んできた。
皆に微笑みと手振りで挨拶をしながら、俺は新しく入った子がいないか探す。
――すると、一人の少女が眠っていた。
彼女の髪や背中の一部は固まって、灰色の石になってしまっている。
『石になる子供たち』
ここ数年現れた、薬でもポーションでも治せない、体が石化するという難病だ。
知る限り、治す手段はたった一つ。エリクサーを飲ませることだけだった。
眠る少女は意識なく、エリクサーを自ら飲むことはできない。
仕方無く、俺は自分の口にエリクサーを含み、口移しにゆっくりと、その秘薬を飲ませるのだ。
しばらくして、少女の体からは神術エネルギーが溢れて……徐々に石化が解けていく。
「あ……ありがとうございます!」
母親だろう女性が、涙声で礼を言った。
「これでとりあえず、石化は治りました。
筋力の衰えが酷いだろうから……まだしばらくはほかの子と同じように、ここに寝かせてあげてください。」
「はい……ありがとう……ございます。」
「あ〜れ〜リリスちゃん、お顔が真っ赤だ。かぅわいい〜なぁ〜♪」
母親との会話に割り込み、静かな雰囲気をぶち壊す声。
そのティクトの声に後ろを振り向くと、なぜかリリスが赤い顔で固まっている。
そして、そのリリスの顔に自分の顔を近づけて、ニヤニヤと笑っている銀髪パーマ。
それからティクトはイタズラを……
リリスの口に自分の口を近づけて……
――キスをしたのだ。
嫌な口髭の感触に気づいたのだろうか?
固まっていたリリスが、ニヤニヤしているティクトの顔をゆっくりと見る。
硬直したその顔が緩んだと思うと、リリスは飛び跳ねてティクトから離れた。
そして、片手では自分の口を押さえ、片手ではティクトを人差し指で指して、大きな声で泣き叫ぶ!
「――ゼノさんだけだったのにぃい!!」
俺に迷宮でキスをされたことも、リリスは
根に持っていたらしい……
さらに別の髭少年から唇を奪われたとあって、だいぶショックを受けている。
――制裁を加えねば。
そう思い、俺はティクトの胸ぐらを掴んだ……ティクトがキョトンと声を上げる。
「――え?」
――そう、俺はキスをした。
リリスへの仕返しに俺は、ティクトの唇を奪ってやったのだ。
「ぎゃあああああ! ゼノのヘンタイ!
ヘンタイ! バカバカ! ヘンタイ!」
「お前に言われたくないな。」
今度はティクトが飛び跳ねる。
ティクトは俺を睨み、リリスは呆けた顔で俺たちを見ていた。
俺はリリスのために真実を見せる。
ティクトの顔に乗っかる、違和感たっぷりの黒い髭――それを俺は掴んでみせた。
そして、その口髭をヒッペ剥がし、リリスに真実を告げるのだ!
「リリス、見ろ。こいつは女だ。
君にキスしたのは女だし、その女のティクトを、君と同じ目に合わせてやったよ――いい気味だろう?」
――目には目を、というやつだ。
これでリリスの溜飲も少しは下がることだろう。――そう考えたのだが……
どうも、俺の目論みは外れたらしい。
リリスの顔が赤く、怒りを宿していく!――そして、リリスは泣き出した!
さっきよりも強く、泣き叫んだのだ!
「ゼノさんの……バカぁああああ!!!!」
どうやら火に油を注いでしまったようだ。――もう、どうすればいいかわからない。
そんなタイミングに奇跡が起こる……長く赤い髪が、建屋に入ってくるのが見えた。
――助かった。
ちょうど、ラナが来てくれた。
ラナを見つけたリリスは彼女に駆け寄り、彼女の前で、凄い勢いで泣いている。
そんなリリスの頭をラナは、優しく撫でてあげている。
リリスは泣きながら、何を言っているのかわからない……
手振りでどうにか伝えているであろうリリスの話を、ラナはうんうんと相槌を打ちながら聞いてくれているのだ。
リリスが涙目で、俺を睨んできた!
まるでリリスの使者とでも言わんばかりに、ラナはゆっくりとこちらに歩いてくる。
――どうやらお説教の時間のようだ。
ラナが俺の前に立ち、その青い瞳で真っ直ぐに俺を見て……――!!
――俺の左頬に衝撃が走る!
鋭い平手打ちが、俺の顔の方向を変えた!
――冷たく氷のような青い瞳――
俺を平手打ちした後、ラナは青い瞳で見つめると、何も言わずリリスの元へと戻っていく。
「エリクサーとポーション、ここに置いておくから……」
そして冷たく言ってから、泣いているリリスの手を引き外へと去っていったのだ……
――静かになった建屋の中。
そこにいる全員が、ラナたちが去るのを見送っている……そこには、沈黙が流れていた。
そしてラナたちが出ていって、扉が閉じた瞬間から、今度は笑いがあふれ出す。
「ギャハハハハハッ! ゼノ様、スパーンっだって! あのゼノ様が、ビンタ食らってる!」
ティクトは嬉しそうに笑い転げた。
クスクスと、周りからも笑いが漏れる。――今までに無い、明るい雰囲気。
どうやら俺の行いも、悪いことばかりじゃ無いらしい……
子供たちも、看病する人たちも、楽しそうに笑ってくれたのだ。
――子供たちを見終わった後。
一人の男の子と、その父親と話をする。
「ゼノさん、またね。
ぼく、もう少しでうごけるようになりそうだから、そしたら、お外であそんでね。」
「ああ、チェチェ。
うちの子たちとも一緒に遊ぼうな。」
――チェチェという九歳の男の子。
その側で、俺と同世代の父親が話をする。
「ゼノ、渡したいものがあるんだ……」
この父親は、スラムでリーダー的役割を果たしているゲバラという男だ。
――貧困、差別、飢餓。
弱い人間は追い詰められて初めて、団結を知り、数という最強の力を手に入れる。
今のスラムはこのゲバラを中心に、まとまった組織を形成しているのだ。
「ん? なんだいゲバラさん。渡したいものって?」
「これなんだが……」
そう言ってゲバラは、帽子くらいの大きさの――黒い缶を手渡してきた。
それは、前に俺が買ってきた『クッキー』の容器……スラムの子供たちにと、以前渡したものだった。
俺は受け取り、中をあらためる。
中には……クッキーが入っていた。
「これは……?」
ボロボロに砕かれ、形の良いものは一つも残ってはいない。
量は元の半分といったところか?
悩む俺にゲバラが申し訳なさそうに、その答えを教えてくれる。
「すまない、ゼノ……
子供たちがだな……その……『半分はゼノさんにあげるんだー!』って言って、みんながみんな、そんな風に……
――いや、ちゃんと配ったんだよ!」
「なんだい、そりゃ!」
――俺は笑ってしまった。
子供たちのためにあげたのだから、みんな貰ってくれたら良かったのに……
「ゼノさん、ぼくも半分ゼノさんに!」
「チェチェがくれた分もあるんだね。――じゃあ、一ついただこうか♪」
――嬉しそうに笑うチェチェ。
チェチェに見せるように、一欠片のクッキーを取り出して、それを口に放り込む。
『クッキー』
小麦の粉を乳から取れる油と卵、それにハチミツを混ぜて作る焼菓子だ。
高級品で値は張るが、保存が効くし、なにより美味しい――俺も好物だ♪
少し塩気のある甘さが口いっぱいに広がって、頬が緩んでしまう。
その緩んだ顔のまま、俺は父子に断りを入れた。
「あとは、うちの子たちと一緒に食べるよ。
子供たちにお礼を言っておいてくれ。」
「ああ、わかったよ。ゼノ。」
「チェチェ、ありがとう……チェチェはもうすぐ退院だったね?
退院したらチェチェからも、もう一度みんなにお礼をお願いだよ。」
「うん、ゼノさん!」
今度はポーションとエリクサーを数本、ゲバラに渡した。
後ろのティクトを親指だけで指し示し、その理由を説明する。
「そこの銀髪パーマの話だと、どうやらグラッツ領でクーデターがあったらしい。
戦争なり……何かゴタゴタに、スラムが巻き込まれる危険がある。渡しておくから、必要なときは使ってくれ。」
「――ああ、わかった。」
――教会での用事は済ませた。
「ジェノ〜、バイバ〜イ。」
「ゼノさん、またね。」
「ゼノ、ありがとう!」
それからみんなに見送られ、俺はティクトと教会を後にする。
「嬉しそうだね、ゼノ♪」
――少年のような少女の笑顔。
そんな、らしい微笑みを向けて、ティクトがそう言ってくる。
いつもの嫌味に似ていたが、優しい微笑みから放たれた言葉……その言葉には反論しない。
クッキーの缶を大切に抱え、自分が微笑んでいることに、俺だって気づいていたからだ。
うす暗い街がいつもより、明るく感じられていることのにも……俺は気づいていた。