過去の英雄3
――夕刻、宿場町へと到着する。
馬車を降りてゆっくりと馬を引きながら、木でできた、質素な町の門を通過した。
もうここは俺の住む土地バティスタ領のすぐ近くで、貧困と荒廃が広がり、浮浪者があふれている。
――一人の老人が、門の側に座っていた。
頭の毛はぬけ落ち、しわだらけの顔が、なんとも苦労を感じさせる老人だった。
彼は目を閉じている……どうやら盲目らしく、おぼつかない手つきで、両手で持った籠を俺たちの方に差し出してくる。
「施しを……施しをお願いします。」
「貴様、ローゼン様に無礼な!」
老人に突っかかろうとする護衛を、ローゼンは手だけで軽く制す。
そして、老人の前に優しく膝をつくのだ。
「ええと、ポーションはもう無いし……ご老人、少し硬いが焼き菓子だ。袋に入っている。この籠に入れるぞ。」
そう言ってローゼンは、菓子の入った包みを籠へと入れた。
リリスは老人に寄り添い、老人の手伝いをしだした――優しい子だ。
俺は、ローゼンたちに断りを入れる。
「先に行っていてくれ。」
「わかった。宿と明日の馬車の手配はしておこう――ゼノ殿、また後で。」
「ゼノさーん! 俺と同じ部屋に泊まりましょう! いっぱいお話、聞きたいっす!」
俺は、手だけで合図を送る。
ローゼンたちは宿場町の中心部へと向かい、去っていった……
リリスに手伝われながら焼き菓子を硬そうに口で割っている老人。
俺は、その老人の前に膝をついた。
「爺さん、さっきのがあんたの孫娘だぜ。」
老人は、菓子を食べるのを止める。
リリスは、驚いた顔で俺を見る。
老人は小さな声で答えた。
「そうか……」
「同じ宿に泊まるんだ。一緒に行こう。」
提案したが、老人は首を横に振った。
「どうして? あのお嬢様、あんたを探してここに来たんだぜ。」
「できぬ……わしは、恥ずかしいのだ。
世界を救えず、おめおめと生き延びたわしは、家族にも――誰にも顔を向けられん。」
「あんたは英雄だ。あんたを敗者と笑う者もいるが、ほとんどの人間は、あんたを尊敬しているよ。」
そう伝えたが、老人は沈黙する。
そしてまた、焼き菓子を食べ始めた。
俺は、リリスに言った。
「リリス、その爺さんを少し見てやってておくれ。」
「若いの! やめてくれ!」
老人が落とした菓子を、リリスが慌ててキャッチする。
「戦って敗れたことは恥ずべきことじゃあ無いよ。あんたがそんな風に思ってしまったら、この先を生きる人間が、戦う勇気を失ってしまう。」
「わしが……わしがこの世界をこんなにしてしまった。――多くの人が苦しんでいる。」
「あんたは、知らないんだな。
こんな世界でも、あんたのセントール領は、世界で一番豊かなんだぜ。英雄ウルゴ・セントールの志を慕って、領地には有能な人材も、民も集まっている。
戦争で財産を失ったあんたの領地は、戦争の中で財を貯め込んだ貴族どもの領地よりも、ずっと栄えているんだ。
――それは、あんたの戦果だよ。」
また、老人は沈黙した。
俺は左手で老人のしわがれた手を掴み、両手で握って、その閉じてしまっている目を真っ直ぐに見た。
「――俺も、あんたを尊敬しているよ。」
そして、そう伝えてから、無理やり老人の手を引くのだ。
俺とリリスは老人の手を引きながら、ローゼンたちの待つ宿へと向かう。
途中パンを買って老人の菓子と交換。俺とリリスで焼き菓子は美味しくいただいた。
食べながら、俺たちは老人と話をする。
「若いの、神具を集めているね。」
「そんなことがわかるのかい?」
「魔神を倒す気なのかい?」
「どうかな? 悠々と生きるやつらに嫉妬して、奪っているだけ――なのかもな……」
普段よりずっと……素直に、気持ちを出してしまう自分に驚く。
それは憧れからか、親しみからか――
セントール家のやつは不思議な力があるのか、なかなかに侮れない。
「魔神には勝てんよ。」
「そうだろうな。」
「神はもう、いないのだ。」
「そうだな。」
「お前の手は言葉と違い、力強い。」
「――引っ張っているだけだ。」
老人……ウルゴ・セントールは歩くのを止めて、昔を懐かしむように話し出した。
「――魔神はとても恐ろしくてな。
わしは対峙した時、膝が震えて馬から落ちた。馬も一緒に戦ってくれた皆も……そうだった。
だが目をやられたわしを、皆は足を震わせながらも必死に逃がしてくれてな……
わしなどより英雄に相応しい者は、たくさんいたんだよ……」
「そうか……」
――英雄本人から語られる、過去の戦い。
俺がその話に聞き入っていると、リリスが俺たちに尋ねてきた。
「ねえ。なんで二人はお互いのこと、わかっている感じなの?」
――わかっている感じ?
なんと説明するべきだろう……
彼の中に眠る、深い魔術エネルギー。
痩せた体に感じる、達人の気配。
絶望した心に燻る――小さな炎。
俺は、わかりやすく答えた。
「勘かな。」
「勘かの。」
二人の答えが重なり合う。
その答えにリリスは驚いたような、呆れたような表情を浮かべるのだった。
――小さな宿の一部屋。
そこに、たくさんの人間が集まる。
老人は腰かけ、女は跪き、残りの者は立っていた。
「お祖父様! お会いしとうございました。
ご健在で、何よりでございます!」
宿のベッドに腰掛ける老人の手を取って、女騎士は涙を流す。
護衛たちも後ろで、声なく泣いていた。
いかにウルゴが尊敬されているのか――俺は、それを実感していた。
――俺は静かに部屋を出る。
宿の主人にコップを数個借り、そして、飲み水をもらい部屋へと戻る。
「ローゼン、出会えた乾杯をしよう。」
「――そ、そうだな。ゼノ殿とも出会えた。
今日は喜ばしい一日だ。祝杯を上げねばな……」
ローゼンは涙を拭きながら、そう答える。
「ウルゴさん、酒じゃないが構わないだろう?」
俺はそう言って、リリスに小瓶を渡した。
リリスは驚いたが、俺がウインクすると笑顔で老人にそれを渡すのだ。
「では、この出会いに感謝を!」
ローゼンの乾杯の音頭で、俺たちはゴクリと水を飲む。
老人も少し顔を緩め、リリスに手伝われながら、小瓶の中の緑の液体を飲んだのだ。
「な!」
「こ、これは!」
老人からあふれる神術エネルギーに、全員が驚き目を見張った。
盲目だった老人も目を開いて、驚いた表情を見せていた。
「若いの……エ、エリクサーか!」
「そうだよ。あんたには誰よりも、次を生きる世代を見る資格がある。
あんたの志を継いだ孫娘の顔を、しっかりと見てやるといい。」
俺は、そう答えた。
「……ゼ、ゼノ殿。」
ローゼンは、涙目で俺に微笑んでくる。――それは、とても美しい少女の顔だった。
視力の回復したウルゴさんは、俺を見る。
「志を継ぐ者、しかと見たぞ――ゼノよ。」
そして、濃い緑の瞳で真っ直ぐに俺を見て、そう言ったのだ。
――意志を宿した真っ直ぐな瞳――
――ウルゴという英雄の優しい目。
その目を見て背中に……重い何かが乗るのを、なぜだか感じていた。