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アーヴィンに見守られる中、コニーは木登りを開始した。
この提案をした時、コニーが落ちないように、落ちてきてもすぐに受け止められるように目を放してはいけないのだが、スカートのコニーを下から覗き込むことになるので、アーヴィンは顔を真っ赤にして引き止めようとした。コニーがやりたいようにさせてくれると言ったばかりなのに……。
コニーに登らせるくらいなら自分が登る!とアーヴィンが訴えたが、流石のコニーも女子として下着を見せつけるようなことに対する恥は残っている。今日のスカートの下にズボンを履いているから木登りを提案出来たのだ。
最近物騒だし、何だかんだ危険と近づいてしまうコニーは、動きやすいようにワンピースの下に短めのズボンを履くようにしていた。この世界の貴族令嬢は基本的にドレスかワンピースで、馬術等の運動以外でズボンを履かせてもらえないが、これなら隠せるので母にも見咎められない。
不服そうなアーヴィンを強引に納得させたコニーが、ちょうど良い高さまでよじ登ったところで、ガシャンッと大きな音がした。
「あの組織が壊滅状態!?どういうこと!?」
目の前の部屋の窓が換気のためか半分開いており、そこからパトリシアの声が聞こえる。
カーテンも閉じられていないので、コニーは生い茂る木の葉の隙間から目当ての人物の様子を窺うことにした。
部屋の中にいたのは、やはりパトリシアだった。
床には陶器のような破片が散らばり、使用人と思われる男がパトリシアに頭を垂れている。
パトリシアが使用人の言動に激高し、カップを床に落とした、といったところだろうか。
「お……お嬢様!お怪我は!?」
「そんなこと、どうでもいいのよ!」
驚きながらも気遣う侍女が伸ばした手を、パトリシアはパシッと跳ね除けた。今の彼女は周りを気にする余裕がない。
「組織の誰とも接触できなかったの!?」
「少し前に一部が警察に捕まったようで、そこから芋づる式で、今やほとんどの者が捕まったそうです。まだ警察も公表していない情報です」
「これだけ時間がかかって、持ち帰った情報がそれ!?……約立たず!」
パトリシアはバンッと机を叩いて使用人を叱責した。
どうやら、コニーの予想通り、悪役令嬢は犯罪組織と手を組もうとしたようだ。クリスティアンに先回りして手を打ってもらって良かった。
悪役令嬢が犯罪組織に依頼し、ヒロインに危害を加えようとしたところに攻略対象者達が救出に来る、というのは乙女ゲームの定石だ。悪役令嬢の悪事が暴かれて断罪されることも……。
パトリシアがこのまま引き下がってくれれば良いのだが、そう上手くはいかないだろう。
「……こうなったらやるしかないわね」
「お嬢様、どちらへ?」
木の隙間からなのでコニーの位置から見えないが、パトリシアは部屋から出ようとしているようで、侍女が彼女に声をかけている。
「お父様に命じられて私がしたこともいずれバレる。もう後戻りは出来ないのよ」
パトリシアはそう言って部屋を後にした。侍女達も出たのか、部屋からは声も物音もしなくなった。
情報収集はここまでだと判断したコニーは、するすると木を降りていった。
「コニー。そろそろ帰らないと」
下から心配そうに見守っていたアーヴィンが、コニーが地に足をつけた途端進言した。
夢中になっていたコニーは気づかなかったが、時計を見ると大分針が進んでいた。これ以上時間をかけると、帰る頃には日が落ちてしまう。
「……そうね。帰りましょう」
コニーは素直に頷いて、待たせている馬車に戻ることにした。
──どのみち、コニーだけではどうにもならないので、クリスティアンかエリオットに相談しなければならない。
コニーが見たパトリシアは、思ったより深刻な状態になっていた。あの思い詰めた様子では何を仕出かすかわからない。
何とかして、パティ様を止めないと……!
コニーは遠ざかるオニキス侯爵邸を見ながら、そう決意するのだった。
コニーがブラウン伯爵邸に帰ると、母が待ち構えていた。
「遅いわ、コニー!」
「何で待ち構えているんですか、お母様!?確かにちょっと遅いですけど、そこまででは……」
何かやらかしていたのか心当たりを思い返しながら、コニーは身構える。
「ご……ごめんなさい、お母さ……」
てっきり怒られるかと思っていたら、ブラウン伯爵夫人からは予想外の言葉が出てきた。
「フィロメーナ王女殿下がお待ちなのよ」
──乙女ゲームでヒロインのライバルとなる隣国王女、フィロメーナがブラウン伯爵家を訪ねてきた。
まさかの展開を予想もしなかったコニーは、その事実を飲み込むのに時間を要した。
「ほら、早く!これ以上殿下をお待たせするんじゃありません!」
「……えぇっ!?ちょっと、待っ……お母様!私を訪ねていらしているんですか!?あのフィロメーナ、殿下が!?」
「そうよ。以前お茶会でご一緒させていただいたのでしょう?その時に、是非またお話したいと思われて、居ても立っても居られなくなったそうよ」
母から説明を受けるが、コニーは理解できなかった。コニーには、こんな性急に再会したくなるほどフィロメーナと話した覚えがない。
混乱している間に、コニーはブラウン伯爵夫人に手を引かれ、応接室の前に着いてしまった。
「粗相をするんじゃありませんよ」
ブラウン伯爵夫人はささっとコニーの身なりを整えると、ポンッと肩を叩いて言い聞かせた。
……良かった、木登りで服が汚れていなくて。
コニーは母の鬼気迫る表情を見て、自分の木登り技術の高さを賞賛したくなった。
後は、これから向かう対面を無難に乗り切るしかない。
コニーは未だによくわからない状況に置かれながらも、覚悟を決めて扉を叩いた。




