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夫人に何かが突き出されて当たる──その寸前、クリスティアンが割り込み、男の手を捻ってその場に押さえ込んだ。
「放せ!何をする!?」
大声を上げて抵抗する男。その手からは小さな刃物が零れ落ちた。公爵に抱えられて男から引き離された夫人は、男を見て顔を青ざめている。
「あの人は……!」
アーヴィンも男を見て驚いている。どうやら知った人物のようだ。
中肉中背の若いその男は、通常であればとりとめのない平凡な男だろう。しかし、今は髪を振り乱し、クリスティアンを払い除けようともがいている。
「邪魔をするな!俺と彼女は愛し合っているんだ!」
男は捻られていない方の手を公爵夫人に向けて伸ばした。
「なあ、そうだろう?」
「……何?何なの……!?あなたは、息子の家庭教師でしょう!」
夫人に近づいた男は、アーヴィンの家庭教師だった。夫人を抱えるガーネット公爵も唖然としている。
男は押さえられてもなお興奮したまま、もがき叫ぶ。
「事情があって、今の夫と別れられないんだろ?わかってる。だから、一緒に死んで、来世で結ばれよう!」
「……ふざけるな!」
「訳のわからないことを仰らないで!」
ガーネット公爵の怒りと夫人の戸惑いが伝わってくる。
どうやら、男は夫人に一方的な好意を寄せ、自分のものにならないならと思い余って彼女を殺しに来たようだ。危ないところだった。
妄言を叫ぶ男、どよめく会場。そんな混乱を納めるべく、パンッと手を打つ音が響いた。
「どうやら、彼は夫人へ一方的な思いを募らせ、暴走したようだな。詳しい話は別室で聞こう」
会場の視線が、よく通る声で処理を進めるブラウン伯爵に集まる。
「──さて、皆様。お騒がせして申し訳ございません。このような騒ぎの後ですが、今日は娘の誕生日。どうか引き続きご歓談し、お楽しみいただきますよう、お願いいたします」
ブラウン伯爵は客人達に頭を下げると、楽団に合図を送り、明るい音楽を演奏させた。娘の誕生日をめちゃくちゃのまま終わらせたくないというブラウン伯爵の意図を汲み、人々は何事もなかったかのようにパーティーに戻っていった。
一方、騒ぎの元凶である男は、会場に来ていたブラウン伯爵の部下が引き受け、別室に連れていった。ブラウン伯爵もその後に続くが、会場を去る際、クリスティアンとコニーの頭を撫で、「よくやった」と褒めてくれた。
怒涛の展開に加え、考えていたことが実際に起こった衝撃で呆然としていたコニーは、父からの称賛で現実に戻り、急いでアーヴィンに目をやった。
「アーヴィン!大丈夫?」
「え……うん、一応。母上が無事で良かったよ」
彼は自分の家庭教師が暴走に驚き戸惑っているようだ。しかし、母親が無事なので絶望する程の出来事にはならないと思われる。ひとまず安心していいだろう。
ほっと息を吐いたコニーは、いつの間にか横に立っているクリスティアンが自分をじっと見つめていることに気づく。
「クリス兄様?」
「……ねぇ、コニー。何であの男が刃物を取り出す前に、公爵夫人が危ないって気づいたの?」
妄想が現実になると思って叫んだことが不審に思われたようだ。
「何でと言われましても……勘としか言いようがありません」
「……勘、ねぇ」
誤魔化す意味もないので、コニーは正直に答える。ただし、乙女ゲームうんぬんは言っても意味不明なので、省略する。それでも、クリスティアンは納得いかない様子だ。
クリスティアンはコニーをとても大事にしてくれて、誰よりも性格、習慣もろもろを知っている。だから、コニーが隠し事をしていることに気づいているのだ。昨日のこともあり、より疑念が膨らむのだろう。
しかし、それ以上のことはこちらも言えないので、にっこり頬笑むと、クリスティアンは息を吐いて言いたいことを堪えた。
「まあ、お前のことだ。悪いことをしてるわけではないんだろう」
気を取り直したクリスティアンは、コニーに優しい笑みを向ける。
「コニーがいち早く気づいたおかげで、夫人がケガをする前に男を取り押さえられた。お手柄だったね」
そう言うと、クリスティアンはコニーの肩をぽんっと軽く叩いて、その場を立ち去った。
「……そうだね。コニーが気づいたおかげだ。ありがとう、コニー!」
隣でクリスティアンとの話を聞いていたアーヴィンははっと気づいて、コニーの手を取った。コニーは震えるその手を握り返した。まだ先程の衝撃と恐怖が残っているのだ。これから様子を見た方がいいかもしれない。
──男が暴れたり、兄に疑惑を持たれたりしたものの、何とか最後までパーティーを乗りきり、波乱の誕生日は幕を閉じたのだった。