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──とはいえ、クリスティアンの優しさは長所でもあるため、どう改善したらいいのか、冷静になったコニーは思い悩んでいた。
他人に厳しくなりすぎて冷たい兄になったら嫌だ。先程は勢いで言ったが、あまり注意しすぎるのもよろしくない。
四六時中自分が張り付いて、怪しい人物を警戒する訳にはいかないし……。
コニーは午前中を費やしても良い考えが出なかったため、とりあえず、あまりにも唐突で、兄にしてみたら意味不明な発言をしたお詫びに、クリスティアンの部屋へ向かった。
しかし、ドアをノックしようとしたところで違和感に気づき、コニーは動きを止めた。
「なあ、頼むよ」
兄の学友の一人、トーマス──コニーが胡散臭いと警戒する人物がいる。事前に聞いていなかったが、どうやら兄に会いに来たようだ。
トーマスは許可した覚えはないのに、コニーと会う度に馴れ馴れしく声をかけ、呼び捨て、しかも愛称で呼んでくる。ゆいのことを思い出す前から苦手に感じていた。
その存在に気づいたコニーは入室せず、うっすら開いていたドアに張り付いて動向を窺うことにした。
トーマスと接触したくないというのもあるが、中の雰囲気に不穏なものを感じる。
クリスティアンに目を向けると、友人から頼み事をされるという、まさに直前に妹から散々言われた展開のためか、彼は困った様子で苦笑いしている。
「トーマス。さっきも言ったけど、しばらくお金は貸せないよ。以前貸したものもまだ返してもらってないことだし」
「そう言わずに頼む。本当に困っているんだ」
トーマスの懇願に、クリスティアンは眉間に皺を寄せて葛藤している。
やはり、トーマスは既にクリスティアンに金をせびっていたらしい。再び軽々しく頼める辺り、大分手慣れていて常習者のようだ。
トーマス、許すまじ。
頑張れ、お兄様!
コニーは心の中で、クリスティアンに必死でエールを送った。
「俺の友達が悪い奴らに騙されて借金を負っているんだ。少しでも助けたいけど、俺も自分で動かせる金は限られてるんだ。人助けなんだ、頼む!」
「それは……大変だね。いくら出せばいいだろう?」
妹の祈りは虚しく、兄はあっさり陥落した。
お兄様ー!それ、絶対嘘ですよー!
今まで人に借金しまくっている人が、どの口で人助けを語るか!
「お兄様!騙されてますって!」
「なっ……!?」
「コニー?」
クリスティアンを守るため、コニーは我慢できずにその場へ飛び込んでいった。
「絶対嘘です!これまでお兄様に借りたお金は、遊びに使って返す当てがないんです。その上、他からも借金していて、いよいよ返済を迫られて、人のいいお兄様からさらに騙し取ろうとしているんですよ!」
「何で知って……じゃなくて」
コニーがあくまで妄想を捲し立てると、トーマスはぽろっと本音を溢した。
「出鱈目言うんじゃねぇ!」
咄嗟に誤魔化すためか、トーマスは声を荒げてコニーに詰め寄った。いつもは馴れ馴れしいがもう少し紳士だったはずだが、余程慌てて失念しているようで、コニーは自分の妄想がやはり真実だと確信した。
「今、大事な話をしてんだ!ガキが入って来るんじゃねぇよ!」
トーマスがコニーを追い出そうと乱暴に腕を掴んだ。
しかし、次の瞬間、彼は一回転して仰向けにひっくり返っていた。
「自分だけなら我慢できるけど……妹に手を出すなら……これ以上看過できない」
コニーを掴んでいたトーマスの手は、クリスティアンに捻り上げられていた。美形が怒ると怖いというのは本当で、普段穏やかなクリスティアンが笑みを消して怒りを堪える冷たい表情は触れてはいけない恐怖を感じ、ゾッと背筋が凍る。
「わ……悪かったよ。つい……」
トーマスは顔を強張らせながら弁解しようとするが、クリスティアンはすぐに彼を解放して表情を変える。
「こうしようか、トーマス。僕と武術で勝負しよう。君が勝てばまたお金を貸す。君が負けたら……悪いけど、今回はお断りさせてもらう。種目は君が選んでいいよ。……君の本気を見せてくれ」
クリスティアンは口角を上げて微笑んでいるように見えるが、目が笑っていない。
氷の笑み──コニーは心の中でそう呼ぶことにした。
さて、クリスティアンと言えば、誰にでも優しく、気を遣っていつも誰かに譲るような人なのだが、武術に関して違った。
「ちょっと待て!武術って……授業でも大会でもお前がぶっちぎりで優勝してるじゃないか!そんな奴にどうやって勝てって言うんだ!?不公平だ!!」
……そういえば、武道の対戦相手だけは、誰であっても容赦なかったわ、お兄様。
『真剣勝負なんだ。手加減するなんて相手に失礼だろう』
コニーはいつか兄が言っていた台詞を思い出した。
勝ちを譲る気なんてない。トーマスと勝負を申し出た時点で、クリスティアンはお金を貸さないつもりなのだ。
「では、勝負を放棄する?勝負しないなら、どのみちお金は貸せないな」
珍しくクリスティアンは強気だ。コニーに手を出されて、本気で怒っている。
「……わかった。今日は帰るよ」
これ以上は無駄だとトーマスは諦めて、大人しく帰っていった。
その背中を見送り、クリスティアンはコニーに向き直った。
「コニー……大丈夫?」
「はい。ありがとうございます」
「お前は……いや……」
クリスティアンは何か言おうとして口をつぐみ、ぎゅっとコニーを抱きしめた。
「……不甲斐ない兄ですまない」
正直、あの場面でクリスティアンが友人の頼みを断るのは意外だった。妹に手を出されても、とりあえずお金を渡して帰らせるかと思った。
コニーの忠告を聞いてくれたということだろうか?
何はともあれ、クリスティアンがこれ以上騙されることを防げて良かった。
この時のコニーは兄のことだけで、この行動によって自分にどのような影響があるのか考えられていなかったのだった。