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「驚いたねぇ。まさか目の前でひったくりが起きるとは……」
アリサと別れ、街の散策に戻ったところで、エリオットがふっと息を吐いた。思わぬトラブルで、気疲れもあったのだろう。
「あの子だよね?ウチの弟が気にかけている子って」
エリオットは先程の少女が何者なのかわかっていた。さすが王太子。弟に関わる人物については調査済みのようだ。
「あの……どう思われますか?」
目上の、しかも王族に対して無遠慮に率直な意見を聞くのは憚れたが、コニーは恐る恐る訊ねてみた。乙女ゲームの攻略対象として、ヒロインにどういう印象を持ったのか、どうしても気になる。
「かわいらしい子だと思うよ。でも……あれだね」
「あれ?」
「あれ」
「あれって何ですか?」
エリオットの含みを持たせた言い方に、コニーは答えを求めて前のめりになる。
「……内緒だよ」
エリオットはコニーの肩に手を置いて、有無を言わせぬ笑顔を向けた。これは聞いても無駄だということだ。
「わかりました」
コニーはしょんぼりしながら近づきすぎていたエリオットから離れた。そんな彼女の様子にエリオットはフフッと笑みを溢す。
「コニーは聡いね。……そういえば、コニーはさっき、彼女に何か起こる前に気づいていたように見えたけど……?」
「それはおと……」
「気のせいです、リオ。さあ、目当ての店があるのなら早く行きましょう。あまりうろうろしていては、護衛の方々が気の毒です」
うっかり乙女ゲームのことを話してしまいそうになったコニーだが、クリスティアンが遮って誤魔化してくれた。あまり前世だの乙女ゲームだの吹聴しない方がいい。さすがはコニーの兄。ナイスフォローだ。
その後は穏やかに時は過ぎ、夕方になって一行はブラウン邸へ戻ってきた。
「やれやれ……王宮に戻るなんて憂鬱だ。このままこの家に住みたい」
王太子の姿に戻ったエリオットは、クリスティアンにもたれ掛かって溜め息を吐いた。
「お気持ちはお察ししますが……父が倒れますので」
「冗談だ。大人しく帰るよ」
ぱっと起き上がったエリオットは明るい笑顔を見せるが、きっと先程のは本心だろう。アーネストがアリサに髪飾りをプレゼントしたことで、王妃はお怒りで、アーネストとの関係がギクシャクしているらしい。アーネスト自身は何も悪いと思っていないので、そのうち母親が折れるしかないのだろうが、しばらくは王宮内が気まずい、というのはスザンナからの情報だ。二人の様子から事実だろうとコニーは確信していた。だから今日は気晴らしのつもりだったのだろうが、親子喧嘩の原因と関わることになってエリオットの心境は複雑だろう。何だか乙女ゲームのせいみたいで、コニーが申し訳なく思えてくる。
「そうだ、コニー。こちらへおいで」
見送りのためクリスティアンの後ろで待機していたコニーは、手招かれてエリオットの前に立つ。
エリオットはコニーに小さな紙の袋を差し出した。
「今日はありがとう、コニー。これを君へ贈りたいんだ」
「え……そんな!こちらの方こそ、お連れいただいてお礼をするべきところですのに!」
「お陰で楽しかったんだ。今日の記念に貰ってほしい。それに……申し訳ないけど大したものじゃないから、遠慮しないで」
コニクリスティアンの様子を伺うと、笑顔で頷いているので、コニーは恐る恐るプレゼントを受け取ることにした。
袋を開けて中身を取り出してみると、それは四つ葉のクローバーの形のガラスのチャームが付いた、かわいらしいネックレスだった。
「貴族令嬢への贈り物に失礼かもしれないけど、コニーならきっと喜んでくれると思って……」
一瞬、アーネストとアリサのことが思い浮かんだコニーだが、エリオットの言葉とネックレスを見ていてほっと安心した。
高級品ではなくて、箱にも入っていない、平民の少女がちょっとしたおしゃれで着けるようなアクセサリーだが、前世庶民のコニーにとっては親しみやすく、また、エリオットの親愛の想いが伝わってきて心暖まる贈り物だった。
「ありがとうございます、リオ様。大切にしますね」
コニーが笑顔を見せると、エリオットも嬉しそうに微笑む。
まさかモブの自分が、攻略対象から贈り物をされるとは思いもしなかったが、ささやかなものだし、問題ないだろう。
胸がざわめくのは、物語の影響への不安だろう。
──コニーはそう自分に言い聞かせて、エリオットを見送るのだった。
「コニー。彼女に何かが起こると事前にわかったのか?」
「わかったというか、乙女ゲームのイベントで起こりそうだと思っただけです」
エリオットが帰ると、クリスティアンが早速コニーへ問い質す。エリオットの手前聞けなかったが、ずっと気になっていたのだろう。
「コニー……危ないことはもっと早く教えてくれないか?」
「だって、直前に思いついたんですもの」
困り顔で言ってくるクリスティアンに、コニーは申し訳なく思いながらも反論した。コニーとしてももう少し早く色々わかっていれば、巻き込まれないように回避したい。本当に唐突に思ったことが現実に起こるので困ったものだ。
「そうか……ごめん。わかる範囲でいいから、他にこれから起こりそうな揉め事はないか?」
コニーの想いが伝わって、クリスティアンは苦笑して問い質す形になったことを詫びた。そして、改めて今後のことを聞かれてコニーは考える。
ここはライトな乙女ゲームの世界で、治安がいいと勝手に思い込んでいたが、どこの世界も光があれば闇がある。やはり、この国にも悪いことをする人はいるのだ。悪役令嬢以外にも……。
そういえば、手紙はやはりヒロインがうやむやにしていたが、パトリシアは次の動きはどうなるだろうか。アーネストとアリサの接近度合いによるのだろうが。贈り物はそのままで、アリサとの接し方も改めていないということだから、アーネストは王妃と揉めたままなのだろう。
王族の雰囲気が良くないのは周りにとっても良くない。成り上がりを目論む臣下に付け入る隙を与えることになる。王子が暗殺されそうになるのをヒロインが助ける──なんてこともよくある話だ。
例えば、アーネストを国王にと推す勢力がエリオットを廃そうと企むが、完全無欠の王子様・エリオットには隙がない。そこで、いっそのこと殺してしまおうと、暗殺者を仕向けるとか……。
「……お兄様!!」
コニーは自身の恐ろしい展開予想に青ざめ、クリスティアンに泣きついた。




