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アニューラス国立エンダー学園では、ゆいの世界と同じような一般教養の他に社交界に出た時に困らないようダンスやマナーの授業がある。もっとも、コニー達貴族の子女は家で教わることなので、復習のようなものだ。しかし、平民にとっては初めてのことで、当然差が出てしまう。
「イヤだわ。あの子、あんなことも出来ないのね」
初めてのことを出来ないと侮って嘲笑する生徒達が、コニーは不快で仕方なかった。
乙女ゲームでもあるわね、こういう場面。
ヒロインを嘲る生徒達の中心にいるのが、悪役令嬢──嫉妬や侮蔑からヒロインを虐める存在だ。
授業初日は学年合同のマナーとなっていて、教師のお手本通りに挨拶をすることになったのだが、アリサは貴族の淑女としてのお辞儀に苦戦し、何度もやり直しをさせられ、それを見た貴族子女達が笑っているのだ。もちろん全員ではない、主に貴族至上主義と言われる派閥の家の者達で、その集団の中にはパトリシアがいた。スザンナと同じクラスのため、コニーがパトリシアを見たのはこれで二回目だ。
琥珀色の瞳は真っ直ぐアリサに向けられ、口は真一文字に結ばれている。彼女自身が笑っているわけではない。しかし周囲を止めることもなく、アリサに向ける目も冷たいもので、明らかに良い感情は持っていない。
アリサは健気にも正しく出来るまでやり続けようとするが、そこへ一人の少年が前へ出てきて空気を変えた。
「先生!俺とアリサは平民だから、すぐ出来そうにありません。俺達は隅の方で練習しておくので、授業を進めてください」
そう教師にも堂々と言ってのけたのは、ふわふわと波打つアメジストの髪にとろんとした蜂蜜色のタレ目、庇護欲をそそる可愛らしい少年だった。
意外にも頼もしい彼は、アリサの手を取り、教室の隅へ引っ張っていく。机のないこの教室は広く、最初はクラス毎に整列していたが、教師の前で実践する者以外は待機なので自然にバラけて友人同士で固まって点在している。二人が隅で練習しても目立たないだろう。
「ノア……ありがとう」
「ううん。俺も出来ないし、お互い様だよ」
近くにいてその会話が聞こえていたコニーはすぐにピンときた。彼が幼なじみ枠だ。二人並ぶと何とも甘酸っぱくて可愛らしい。
それと同時に、コニーはこの後起こる展開も予想できた。
幼なじみに助けられ、移動しているヒロインは突如出てきた何かに躓いて転んでしまう。
起き上がろうとするヒロインに降ってくる声。
『あまり調子に乗らないことね』
それは、婚約者に親切にされたヒロインへの忠告だった。わざと足を出してきて、ヒロインを躓かせたのだ。
『痛い目に遭いたくないでしょう?』
悪役令嬢はそう言って、ヒロインへ笑みを向ける。ヒロインはゾッと恐怖を覚えて何も言えず、悪役令嬢はその間に立ち去ってしまうのだった。
ヒロインと悪役令嬢の邂逅──これからの展開にドキドキワクワクする場面だ。でも、転ばせることがわかってて見過ごすのは気分が良くない。痛そうだし。
コニーは自身の妄想で悩んだ。
そうこうしている内に、パトリシアが移動し、アリサ達がその前を通り過ぎようとしている。
──やっぱり、虐められるのをわかってて見過ごすのは、虐めと同罪だ。
「パトリシア・オニキス様!」
コニーは決心して、パトリシアの前に進み出た。
「お初にお目にかかります。コンスタンティン・ブラウンと申します」
コニーが挨拶をすると、パトリシアはコニーの方へ向き直った。その間に、アリサ達は通り過ぎてくれた。とりあえず、一安心だ。
「ああ、ブラウン伯爵の……私に何の御用かしら?」
「実は、お聞きしたいことがございます。生徒会長のことで……」
「……殿下のこと?」
パトリシアのコニーに向ける目が鋭くなる。アーネストに近づく新たな不届きものと思われているかもしれない。コニーは慌てて弁解した。
「私がお聞きしたいのは、殿下のお人柄です。私の幼なじみが生徒会に入ることになったのですが、本当のところは抵抗があるようでして……」
「幼なじみ?」
「アーヴィン・ガーネットです」
「あら、その方でしたら何度かお会いしたことがあるわ。表面は取り繕っているけど、よそよそしい感じの方ね」
アーヴィンは社交の場で頑張っていても、人見知りが漏れていたようだ。
「そうですね。それで、パトリシア様から見て殿下はどのような方かと思いまして……あまり苛烈な方なら、アーヴィンがやっていけるか心配で」
コニーはあくまで気にかけているのはアーヴィンであることを強調する。アーネストに気があると勘違いさせて、こちらに敵意を向けられたくない。コニーは心の中で出しにしたアーヴィンに謝罪しておいた。……アーヴィン、ごめんね。
「……心配しなくても、殿下は部下に無体なことをされるような方ではないわ」
「そうですか……それを聞いて、安心しました」
「コニー、授業中だよ」
タイミング良く、話題のアーヴィンがコニーの腕を引いた。おそらく、様子を伺っていたのだろう。生徒達はあちこちでお喋りしているが、時間的にそろそろ終わりになりそうなので、元の位置に戻った方が良さそうだ。
「ありがとうございました。失礼いたします」
コニーはパトリシアにお礼を言って、逆にアーヴィンの腕を引っ張り、足早に立ち去った。
パトリシアには不審に思われたかもしれないが、何とか誤魔化して、虐めを阻止できたという達成感と共に、コニーはどっと疲れを感じた。
「コニー。僕の心配をしてくれてたの?」
パトリシアから離れたところで、アーヴィンが問いかける。やはり近くで様子を伺っていて、会話が聞こえていたようだ。
「当たり前でしょ」
パトリシアとの会話の出しにさせてもらったが、コニーがアーヴィンを案じているのは本当だ。人見知りのアーヴィンが生徒会でやっていけるのか、他のメンバーと上手くいくのか。
「一緒に生徒会に入らないけど、何かあったらいつでも言ってね」
「……ありがとう。頑張るね」
アーヴィンはコニーに笑顔を見せた。コニーの気持ちが嬉しかった。生徒会入りを断られて落ち込んでいた気持ちが浮上していく。
しかし、アーヴィンは知らない。先程の台詞の後、コニーが心の中でこう付け足していたことを……。
──ヒロインと生徒会でどうなっているか、是非とも教えてちょうだい!
……コニーは自分では関わりたくないのだが、せっかく幼なじみが関係者なので、彼を通じて乙女ゲーム的展開を楽しむ気満々だった。




