病人のお世話をいたしましょう
リリアンヌは屋敷に到着するなり、人手をつかって、客間に謎の汚い人物を運び込ませた。さらに湯を用意するように指示する。自らは手ぬぐいを手に取って、鼻と口を覆った。
元々、屋敷で働く者は下働きものすべて集めても10人ほどしかいないのだ。そのうち3人は父親に付き添って、出掛けている。
「こんな汚いままじゃ、治る病気も治らないわ。ソニア、この子をきれいにするわよ」
「はい、お嬢様」
リリアンヌを幼い頃から良く知るソニアは、いつもの事とばかりに、見知らぬ不審者を屋敷に連れて来たことを諫めはしなかった。この屋敷の家令はソニアの夫であり、彼女自身も侍女長として屋敷内のことに関して多くの采配をふるっている。まあ、人数が少ないので何でもしなければならないということもあるのだが。
二人は、まず、ボロ布としか言えないマントをはずす。重ねられている、着ているのか巻き付けているのか分からないようなボロボロの服を一枚一枚脱がせていく。脱力している体は重いが、着替えさせることに慣れているソニアがいたことで、スムーズに出来た。
本人は時々薄目は開けるが、されるがままでいる。意識が朦朧としているようだった。
「あら、この子、男の子ね」
「病人の詮索は後になさってください。さあ、手早く済ませますよ」
手分けして、ぬるま湯に浸した布で頭のてっぺんから手足の先まで拭っていく。強くこすると少年が顔をしかめる。下履きを残し、ある程度きれいになったところでひとまず止めた。フカフカの布団を改めて掛け、寝かしつける。
「ふぅ、ゴワゴワの髪は後でちゃんと洗わなくちゃダメだわ。それにしてもお湯が真っ黒になったわねぇ」
汚れにめげること無く、布を湯ですすぐ。
リリアンヌは目の前の眠る少年をジッと見つめた。少年の顔はまだ赤く、息も荒い。眉間にはシワが寄っている。
ソニアが濡れ布を少年の額にのせた。
(この子が目を覚ましたら、どんな顔をするだろう)
ソニアに後を任せて、リリアンヌはそっと客間を出て行った。
◇◇◇
――コンコンコン
リリアンヌはごく弱い力でノックした。出て行った時以上にそっと客間の扉を開ける。
朝食の済んだ時間の今、屋敷の者達はすでにそれぞれの仕事に取り組んでいた。眠っている少年の側には誰もいない。
リリアンヌは少年の額におずおずと手を当てた。
(熱は下がったみたいね)
しばらくジッと少年の顔を見ていたが、頭の横に落ちていた濡れ布を拾い、再度濡らして額にのせる。さらにズレた布団をかけ直す。
貴族の娘だが、その手は世話をすることに慣れたものだった。
「早く良くなると良いわね」
リリアンヌは小声で話しかけ、寝入っていることを確認すると忍び足で扉へ向かう。
「うぅん……ここはどこだ?……」
「え?起きたの?ソニア、ソニア、早く来て!!」
リリアンヌは急いで扉を開け、廊下に向かい大きな声をあげた。
素早くベッドの脇に戻った時には、少年は上半身を起こしていた。彼は部屋を見回し終わるとリリアンヌの方を向いた。
「誰だ、お前」
汚れ乱れた黒髪の少年は、長い前髪の隙間から見事な三白眼の灰色の目でリリアンヌをじっと見つめていた。ただ見ているだけなのに眼光鋭く、睨み付けているようにしか見えない。
「私はリリアンヌ。目を覚まして良かったわ。貴方の名前はなあに?」
少年の目力に全く動じもせずに、リリアンにはニコッと微笑んだ。
「……」
「名前を教えてくれないかしら?」
リリアンヌはベッドに両手をつくと、グイッと少年に向かい体を近づけた。
仰け反るようにして少年は答える。
「……カナル……」
「もう安心よ、カナル。それにしても、こんな小さい子が道に倒れていたんだもの、驚いたわ」
リリアンヌはカナルの頭を撫でようとした。しかし、素早くカナルは避ける。
「お前の方が小さいだろ。何するんだ」
「そんなことなぁいぃ。私、10歳だけど、カナルみたくやせっぽちじゃないもの」
「見たな、お前俺を脱がせたな」
「だって脱がせなくちゃ体を拭けないじゃない」
二人が言い合いをしていると、ソニアが部屋にやって来た。手には温かいスープを載せた盆を持っている。
「あらあら、元気になったみたいで良かったわ。それにもう仲良くなったのね」
「「そんなことない!」」
一緒に言って、二人は顔を見合わせる。黒髪に灰色の目のカナルと、ピンクがかった金髪に翠色の目のリリアンヌという対照的色味の二人だった。
ソニアが手渡したスープを受け取るなり、カナルはものすごい勢いで飲み始めた。目を丸くしてリリアンヌは見ている。
「さあ、お嬢様はお勉強の時間ですよ。お部屋にお戻りください」
「えー。カナルの話聞きたいのに。それじゃあ、カナル、また来るからね。絶対に逃げ出したりしないでよ」
「何で逃げる前提なんだ。だいたい、逃げたくてもまだ体が動かねえよ」
カナルは小声で呟いた。
リリアンヌは小さく手を振って、客間から出て行った。
「……変な奴」
扉が閉まるのを見届けると、カナルはお代わりしたスープを再び飲み始めた。
側ではソニアが口元に手を当て、クスクスと笑っていた。
恋愛要素が薄いです。たぶんあまり甘くなりません orz