ずるい人
「…ドキドキしすぎて、死んじゃいそう。」
蚊の鳴くような、小さな声が自分から出た。
私はいったい今までの人生の中で、何度男性と間近で見つめあってきたのだろう?
全く恥ずかしがる様子もない彼は、この行為に
“特別”
…を感じてくれてはいるのだろうか?
彼は私の頬を両手で包み込み、私の睫毛に親指でそっと触れた。
私の頬が熱く、ドキンドキンと胸が上下に動いているのがわかる。
息を吸うのさえ、精一杯だ。
しかし、私は彼に見つめられたまま石のように動けないでいる。
目だけが、彼から逃れようと必死に泳ぐ。どこか変な所はないだろうか?
こんなにまじまじと観察されてしまえば、きっと見て欲しくないような場所や、私でも気が付かない欠点があるはずだ。
そんな所まで、彼に見られたくない。
それを見られる事で、彼に幻滅されるのも嫌だ。
彼はそんな私の気持ちをわかった上で、こうしているのだ。
「全部見せて。」
…ずるい人だ。
彼は、自分の全てを見せてくれない。
なのに、私には全てを見せてくれと言う。
「僕から逃げないで。」
…ずるい人だ。
私はもうとっくにあなたからは逃げられない。
「すき。」
彼の高い鼻が、私のぺちゃんこな鼻にくっついた。
…ずるい人だ。
私の全てを手に入れたくせに。
それでも満足せずに、まだ新しい私を探し求めている。
「私も…す、」
“き”の言葉は、待ち望んだ彼の柔らかな唇に吸い込まれて、優しく消えていった。