機械からの逃走
「お前ら早くあっち行けぇぇ!」
成道の声などまるで聞こえていないように、凛子達は真っ直ぐに鳴達に突っ込んでくる。距離はそれなりにあるものの、恐らく数秒で詰められるだろう。
その間にもあの防衛ロボットは後ろから迫ってくる。先程の声を聞きつけたのか、足音は間違いなくこちらに向かっていた。
もう少しで撒けたものを……
ロボットといい鬼といい、どうして今日はタイミングが悪いのだろう。鳴は自分の行いをついつい振り返ってしまう。
だが、鳴の反応は早かった。普通ならば判断に迷い立ち止まるところを、逆により早く足を踏み出す。立ち止まりそうになった成道の戦闘服の襟を掴み、無理やり動かす。
「上等ですわ……っ!」
本来ならば逃げるのが正しい場面。それでいて尚向かってくる鳴の態度を凛子は挑戦ととった。鳴に答えるように凛子もまたスピードを早める。だがそれは独断だ。皐月と紫を追い抜いて凛子だけが先頭を走り、三人の鬼の位置関係は横一直線から変化してトライアングルを描く。
「ちょっと凛子!」
「……?」
それに動揺した皐月のスピードが緩やかになり、紫は追いつこうとスピードを上げたため、位置関係は更に歪になる。
それこそが、鳴の狙いであった。
成道の襟を引っ張りながら駆ける鳴が、手を伸ばし触れようにする凛子への行動はたった一言。
「今のお前なら、のってくると思った」
凛子がその言葉に訝しんだその瞬間にはもう、鳴は成道を上に放り投げ、スライディングにより凛子の手から回避していた。凛子の手は逃走者を捕まえるどころか空を切る。
凛子は皐月と紫が横にいないことに今更気づき、自らの失敗に目を見開いた。
鳴は固まる凛子に構うことなく、放り投げられた成道を乱暴にキャッチしてさらに乱暴にまた投げた。
「なんでやねーーーーーーん!!」
成道の悲痛な叫びが響く中、上に視線を変更された皐月は反応することもできず鳴を素通りしてしまう。
「なっ……冬鐘!」
一拍遅く伸ばした手は、何もない空間に突き出された。
突破完了。
鳴は一人でほくそ笑みながら、成道をキャッチした。
■
「ちょっと凛子!何一人で突っ走ってんのよ!」
突破されたすぐ、皐月は凛子にずんずん向かっていきそう言った。
凛子は悔しげに肩を震わせながらも、ぴしゃりと言い返す。
「あなたこそ何もしてないではありませんか!」
「それはっ……あんたが一人で行っちゃうからでしょ!」
「っ…………」
皐月がそれを言うと、凛子は俯き黙りこんだ。
凛子とて分かっている。完全に自分が先走ったことによる失敗だ。強く言い返したものの、あの失敗は間違いなく凛子に責任がある。
だがそれを認めるのはあまりにも悔しかった。恥の上塗り、ならぬ悔いの上塗りだ。
「申し訳ないと……思っています」
しかしそこで謝罪しないことは更なる上塗りになる。凛子はそこに気付けないほど頭に血を登らせてはいなかった。頭を深々と下げ、謝罪の言葉を口にした。
「いやそんな謝ることじゃ……別にいいって……」
一度は言い返されたものの、頭を下げる凛子に皐月は責め立てることはしない。怒りを覚えるよりも先に、強くあたってしまったことに対しての罪悪感が胸に湧く。
「さっ、いいから追おう」
「はい」
凛子と皐月。二人は親友である。そのことを強く思っているのは恐らく皐月より凛子だ。
凛子は皐月のこういうところが大好きだ。皐月は感情が尾を引かない。彼女の感情はとても刹那的だ。一瞬で湧き上がり、一瞬で消え失せる。薄情、というわけではない。無感情、というわけでもない。ただ切り替えが出来過ぎてしまうだけ。多くの場合それは欠点になるが、凛子にとっては皐月のその点に何度も救われてきた。
凛子は先に走りだした皐月の後を追いながら、嬉しそうに鼻を啜った。
「…………?」
先に異変に気づいたのは皐月だった。足を止め立ち止まり、耳を澄ますような仕草をした。凛子は一緒に足を止めて耳を澄ましてみるも、何も聞こえない。
「皐月、何か聞こえるの?」
「……」
「皐月?」
「……足音みたいな音がするような」
皐月は凛子の二度目の問いに、囁くように答えた。まるで自分の声ですら雑音に感じるような微かな声だ。
「足音?」
凛子の耳には足音など聞こえない。皐月が何を行っているのか、全く理解できなかった。
だが数秒後、皐月の体がビクンと震えた。
「すごい大きな音がした!」
と言いながら振り向く皐月の顔はまさに鬼気迫ったといった感じだ。額からは冷や汗が流れている。
「どうしたのですか皐月?なにが」
「なにか来るよ!ここに!早く逃げよう!早くーーーー」
その瞬間、凛子にも何かが空を切る音が聞こえた時、背後の地面に何かがぶち当たった。岩が砕ける轟音。振り向く前に体がその巨大な音に硬直させられる。
「皐月……」
凛子は表情を歪ませ、固まった体を動かそうとしてもより強張るばかり。凛子に出来たことは親友の名を呼ぶことだった。
「凛子……あれ……なに……」
その皐月でさえも凛子の背後にいる何かを見て硬直しきっている。今まで見たことないような表情をして、皐月の背後を直視している。
「フュ……カネ……ナル……」
意味を持った電子音が、瓦礫が崩れ落ちる音に混じり、二人の体に染み渡る。
「凛子っ!」
最初に回復したのは皐月だった。振り下ろされた鉛色の残像に反応して、その先にいた凛子を突き飛ばす。
そして、また轟音が轟いた。
突き飛ばされ背中を盛大に打った凛子。呻きながら上体を起こすと、先程まで凛子がいた場所に巨大な盾が突き立てられている。巨大な質量に、凛子より固い瓦礫がなすすべもなく粉々になっていた。
「皐月……?」
親友の名を呼ぶ。もちろん何かから逃げるためだ。皐月のおかげで助かった、早く一緒に逃げよう。大丈夫、私達は足が早いから。本当に、助けてくれてありがとうございます。
だが、凛子の視線が固定されたように動かず、逸らそうとするので精一杯で立ち上がることにまで頭が回らない。
凛子の視線の先には、自分に突き立てられたはずの鋼鉄の盾がめり込んだ地面があった。人より大きな瓦礫がそこら中にあるのに、そこだけ押しつぶされて瓦礫はすっかり細かくなっている。その砂粒の一つ一つが何故か赤く、大盾の底面の周りには同じような色の飛沫が散っていた。
「皐月……?」
壊れたラジオのように、凛子は呆然と同じ言葉を繰り返す。皐月はそれに答えない。それどころか、どこにいるのかも分からない。
凛子は自らの脳が下したある考察を、無意識に避けていた。まず最初に皐月を呼び出した時点で、その考察は真っ先に浮かんでいたものだ。
その考察とはつまり、皐月があの大盾の下敷きになっていて、あの赤いものは皐月の血であること。飛沫に混じる不思議な固形物は、皐月の臓物だったものだということ。
「いやっ……!!」
凛子の表情が紙芝居のように、一瞬で早変わりする。疑問から閃き、呆然から絶望へ。
まさか。そんなまさか。
信じたくないと、凛子の心が叫んでいる。だが眼前の事実は、明らかに真実を物語っていた。そのまさかだと。皐月は凛子を突き飛ばし大盾の下敷きになって、原型がなくなるまで押しつぶされたのだと。
悲鳴を上げる間もなく、皐月はさっき死んだのだと。
「いやああああああああ!!!!」
凛子は頭を抱えて絶叫した。
■
「……っ」
「どうしたんだ鳴?」
成道は。突然立ち止まって進んできた方向にふりかえった鳴に首を傾げた。鳴は答えずにただその方向を真剣な顔で見つめている。気のせいか、歯を強く食いしばっている気もする。
鳴のいつもとは違う雰囲気に気がついた成道は、聞くことを止めて同じように後ろに振り返った。ただの道路が崩れきった住宅街の風景に、鳴は何を感じ取っているのだろう。成道は全く想像がつかなかった。
成道の勘通り、鳴はいつもとは違うものを感じていた。誰かの悲鳴と、そして誰かの死の音。鳴は音に関しては仮想世界内で高い才能を持っている。であるから、鳴は数百メートル先の悲鳴も、数百メートル先で人が死んだ音も、聞き取ることができた。
感覚強化。仮想世界で自らの能力を意識的に上げる方法の一つ、肉体強化と対をなす技だ。
そして鳴は薄々感づいていた。
悲鳴の主と原因は恐らく…………。
「成道、ロボットが皐月を殺したぞ」
「……それ本当か?」
成道はまず怒り、戸惑いより先に聞き返した。鳴はゆっくりと頷く。成道も質の悪い冗談ではないと理解したのか、神妙な顔つきになった。
「そうか……」
そう言って、来た方向へいきなり駆け出した。
鳴はその後を追わなかった。
半ば予想出来ていたことだ。先の鬼との接触、それなりの反応が現れるに違いない。そしてその反応をロボットが見逃すはずもない。僅かな反応を察知して、現場に急行するだろう。そしてたまたま会った凛子達に何らかの行動を起こすかもしれない。どれだけ才能があれどたかが練度1ではあのロボットの前では虫ケラに等しい。武器があれば幾分か違うのだろうが、その武器ですらままならない状況だ。
しかし、あの防衛ロボットの狙いは間違いなく自分だ。それを鳴は理解している。そうと分かっていたから鬼に警告せず走り去ったのだが、ロボットも殺戮はお好みらしい。
結果からみると、無情な判断だった。その自覚と共に、罪悪感が鳴の頭にチクチクとした痛みを与え始めた。
どうも餃子です。
今日はとても不思議なことがありました。なんと十二時まで寝ていたのです。基本的に朝は弱いのですが、ここまで遅く起きることはありません。昨晩だってとりたてて夜ふかししたというわけではありませんし、本当に不思議です。
僕はどうなってしまったのでしょうか。
それにしても、遅い時間に起きると一日が早いですね。時間を無駄にしたようで、本当に後悔しています。みなさんもお気をつけください。