合間のコーヒーブレイク
展開に成功した鳴たち一年一組は、再開した根本の説明に耳を傾け直していた。と簡単に言ってしまえば終わりだが、多感な高校生にとって初の仮想世界での体験は些か刺激が強すぎたらしく、五分ほどは騒ぎが収まらなかった。
根本は特にそれに怒って指導しようとは思っていなかった。自分も初めだけはあんな風に興奮してはしゃいでいたのを覚えている。そしてその興奮が恐怖に変わった瞬間もまた、昨日のことのように覚えている。
仮想世界とは夢の世界。現実では味わえないエキサイティングな経験ができて、すごく楽しい。そんな的外れな夢は速攻に潰しておいたほうがいい。そちらのほうが後々の傷も少ないはずだ。根本はそう考え、頭に浮かんできた自分らしいやり方に一人ほくそ笑んだ。
やるべきことがあるのならば、終わるのは早ければ早いほどがいい。根本は残酷な試練を生徒達に課すことを決定付けた。
「仮想世界でのあなた達の体は現実世界のそれとは違います。こればかりは説明してされてもピンとこないと思うので……皆でゲームでもしましょうか」
「ゲーム、ですか?」
凛子がきょとんとした顔で首を傾げる。
「ゲームといっても難しいものではありません。きっと皆さん人生で一度はやったことがあると思いますよ」
この時点で鳴は大体の見当がついた。周りは相変わらず腑に落ちない顔をしているが、仮想世界と現実世界の違いを嫌でも理解できるゲームといえばそう多くはない。
恐らく根本がやらせようとしているのはーーーー
「鬼ごっこですよ」
鬼ごっこ。鬼を一人決め、他の人は鬼からひたすら逃げ続けるというゲームだ。鬼に触れられた人は、その時点でその人が鬼となる。そしてその鬼が他の人を触って、その人が更に鬼になって誰かを触って、とそれが永遠に続く。
大抵は時間制限があったり、鬼が交代制でなく増え続けるものだったりと、多種多様なルールが存在する。シンプルで人が二人いれば出来るため、日本では今でも最もポピュラーな遊びだ。
「今から始める鬼ごっこは少し変わっていますけどね」
そう言って根本はクラス名簿を取り出して、適当に三人を見繕った。
「大島皐月、神田凛子、佐藤紫の三名が鬼、他は鬼から逃げてください」
「え、私ですか?」
「ちょっと先生!ウチそんな足速くないのに!?」
「…………」
二人の言葉の抗議と一人の視線の抗議をものともせず、根本は続ける。
「この住宅街の中ならどこへいても構いません。走って逃げきってもよし、隠れて逃げ延びるもよし。とにかく鬼に触れられないことです。鬼の人はこのタスキをつけてください」
根本ははっきりそう言って、タスキを一本ずつ、凛子と皐月と、紫という女子生徒に投げ渡した。
三人に文句を言わせる暇も与えず、根本は早口で言い切った。
「開始はこれより一分後、制限時間は一時間、住宅街から出るとすぐに分かるようになっているのでくれぐれも不正はしないこと。では!」
「ちょっと先生!」
まだ諦めきれない皐月からの抗議から逃げるように、根本は背中を向けてあっという間に走り去ってしまった。
残された三人の鬼を尻目に、逃亡者側の生徒は一斉に逃げ始めた。その中に鳴と成道が含まれていたことは、当然である。
ステージ15住宅街R。それが鳴達一年一組が存在している仮想世界の名前だ。第二の地球、なんて呼ばれ方をしているが、親機と本物の子機を併用しない限り、地球をまるごと複製する程の芸当は不可能に近い。鳴達が使っているのは所謂代用子機と呼ばれるもので、本物の子機とは質が格段に落ちる。
だがその代わりに、一部だけを複製してそこで訓練を行うのだ。住宅街Rは一辺五キロの正四角形の、ただの平坦な住宅街の地形である。住宅が規則正しく、五目板の如く永遠に並んでいる。
住宅街に続くRの文字の意味は、容易に想像できる。住宅街R。またの名を迷宮街。
ここで行うには鬼ごっこよりかくれんぼがぴったりだろう。
鳴も多くの生徒と同じくそう考え、スタート地点から二キロほどの家に穴熊していた。ちなみに成道と共に行動をしていて、今はリビングの目の前のソファで寝転がっている。鳴は向かいの椅子に腰掛け、キッチンのレンジが音を上げるのを待っていた。
「鳴、こんなんでいいのか?」
「何がだよ」
成道はソファから体を起こし、問い返した鳴を見た。
「鬼ごっこだろ?こんな家がいっぱいある場所じゃあ、多分見つけられない」
「そうだな。なんだ、成道は見つかりたかったのか?なら今すぐ道の真ん中に出て鬼を呼んでくればいい」
成道は鳴の皮肉のキツさに顔を引きつらせてしまう。凛子や皐月、他の人への対応を知っている分、どれだけ鳴が猫かぶりかが分かってしまう。悪い奴ではないはずだが……真っ直ぐな人間でないことは確かだ。これを口に出したらきっと鳴は同意して、それから道路に成道を引きずり出すことだろう。
「いやそういうんじゃなくてさ。こんなのつまらなくないか?」
つまらない。その成道の意見には一理ある。ここに寛いで一時間経つのを待つのもいいが、それはあまりにも不毛だ。もちろん鳴もそれは思っていた。
だが同時に勘付いてもいたのだ。このまま穴熊をしていられる環境なら、根本が自分たちをここに連れてきた意味がなくなってしまう。わざわざ仮想世界に来た意味そのものが、無意味になってしまうのだ。
それを鑑みると、恐らくもうすぐ何かが起こる。この不毛な環境をベコベコに凹みこませる緊急事態が起こるはずだ。鳴は自分のその予感を強く確信していた。
それを伝えると、成道は納得した顔で頷いた。
「言われてみればそのとおりだな。根本すげぇ性格悪そうだったし」
成道との付き合いはまだ短いが、それでも分かったことが幾らかある。
その内の一つは、この楠木成道という男は人に気を使うという概念そのものが存在しない。傍若無人、とまではいかないが……空気を読めない、と言い換えたほうが分かりやすいだろう。要は何が言いたいかというと、成道に年上、身上の人間への敬意など求めるだけ無駄だということだ。
それをとっくに理解しているため、鳴は成道が根本を呼び捨てにしたことも歯に着せぬ言い方をしたことも指摘しなかった。
そもそも人の言葉遣いを指摘できるほど、鳴はお口がお上品ではない。
「ああ、そういうことだ。だからその緊急事態が起こるまで」
鳴はピーー!と大きな音で呼ぶレンジの元に近づき、沸かしたお湯を取り出す。予めインスタントコーヒーの粉を入れておいた二つのコップにお湯を注いだ。湯気と共に、香ばしい珈琲の香りがリビング中に漂い始める。
「ここでゆっくりしていよう」
鳴は全くの無表情で、成道に二つの内の一つのコップを差し出した。
成道は驚いた顔をしたものの、すぐにその後満面の笑みをして、差し出されたコップを受け取った。
「悪いけど、俺は苦いものダメなんだ」
そう言いつつもコップを口に傾けだした成道を見て、鳴は少し赤くなっていた頬を隠すために後ろを振り向いた。
「柄じゃないことをするものじゃないな……」
誰が聞いても照れ隠しにしか聞こえない台詞を呟いて、鳴もまたコップに口をつけた。
インスタントの癖に、まあまあ良い味がする。
鳴はそう、評価した。
空になった二つのコップをシンクに投げ入れ、部屋に残った珈琲の残り香を消すために窓を少しだけ開ける。鳴はしばらく黙っているようにと成道にジェスチャーで伝えた。
それにしても遅い。
鳴の予想では開始二十分には動き出すのかと思ったが、とうに残り時間は半分を切ろうとしている。このままでは相当厳しいルール追加をしない限り、鬼ごっこは成立しないまま終了するだろう。
因果応報、とでも言うのだろうか。鳴がそれに少し苛立っていると、突如部屋中が騒音が満たされた。成道は驚いてソファから飛び上がり、両手を耳に押し当てた。鳴は反射的に耳を塞ごうとする両手を押さえつけ、音の元凶を探るため更に耳を澄ます。
ものの数秒もかからないうちに、騒音の元凶は発見することができた。
「……腕輪か」
鳴の右二の腕に装着されている腕輪は、ピコピコと点滅しながら工事現場の如きの音量の電子音を撒き散らしている。なぜ今になって……。
鳴は根本の思惑を悟った。
「成ど……そうか。聞こえないか」
あの担任、なかなかいやらしいやり方をするものだ。鳴は心の中で舌打ちする。耳を聞こえにくくし、コミュニケーションにおいて大きな役割を果たす言葉を奪う。更に鬼に居場所を知らせることも出来るのだ。煩くて邪魔で足を引っ張る存在でもこの腕輪だけは破壊できない。仮想世界の代用子機が破壊された時点で現実世界の代用子機も活動を停止するようになっているから。
鳴はハンドジェスチャーで成道に外に出ることを伝えた。成道は両手で耳を塞ぎながらも頷き、鳴の後についてきた。
「やっぱりか…………」
外へ出た瞬間、鳴は根本にしてやられたことがようやく分かった。そもそも途中でルール変更する時点で根本の性格は相当にねじ曲がっていると決めつけるべきだったのだ。
「うっわ、ひでぇな」
さすがの成道でも目の前の光景には呆気を取られてしまうらしい。惨状に眉をひそめ、にらみつけている。
道路が木っ端微塵になっていたのだ。
音もなく、衝撃もなく、鳴達が籠城して目を離した隙に壊されてしまっている。無数のクレーターの周りには、尖ったコンクリートの破片が散らかっていた。
まるで破壊の権化が道路を通ったような、不思議な光景だった。そういえばコンクリートが砕かれ、破片が飛び散ったはずなのに周りの家々には一切の被害がない。恐らく、そうなるように親機側で細工されたのだろう。今のところ、全てはあの食えない担任教師根元の思惑通りということだろうか。
鳴は考えこんでしまう。
腕輪のアラームは鳴たちが家から出る前に止まった。恐らくこれから一定時間ごとに鳴り続けることが予想される。鬼に定期的に居場所を教えに行くような状態の今、移動しながら隠れるのが最良の選択だ。
しかし、ご覧の通りに一番移動しやすい道路は崩されてしまった。今の移動手段は徒歩のみ。そんな中綺麗に整えられた道を失うことはかなりの損害だった。
「鳴どーすんの」
「んー……とりあえず移動しよう?ここで立ち止まっていても良いことがあるとは思えない。まずはスタート地点から出来るだけ離れる」
「へいへい」
鳴と成道は瓦礫を踏みながら、ならべく早くスタート地点から離れ始めた。運が悪くも二人が穴熊していたのはスタート地点から約二キロの地点。開始から全力で逃げていれば今頃その四倍は遠くに行けていたことだろう。不意をつかれたのは確かだが、見誤ったのも事実。鳴は反省していた。
まったく、ここに来てから反省ばかりだ。それから今日は音に縁があるらしい。
鳴は思わずため息をついた。
歩きにくい瓦礫の上、なんとかかんとか足を動かし続かし続け、鳴と成道はかなり遠くへの移動を完了していた。
その理由は殆ど鳴にある。歩きにくい場所を瞬時に把握して、そこだけを歩く。成道はそれについていくだけでよかった。成道としてはありがた半分、申し訳なさ半分といったところだったが。
しかし、そんな成道にも一つ不思議に思うところもあった。
「なぁ鳴。なんでアイツらと合流しなかったんだ?」
「アイツらだよ。さっき会っただろ?」
「ああ、あのグループか」
先程鳴と成道が移動している途中、十人ぐらいのグループと出会った。どうやら仲間を増やしながら遠くへ遠くへと進んでいるようで、二人が誘われた時にも別のグループに声をかけていた。
成道はせっかく誘われたのだから一緒でもいいのだろうと思ったのだが、鳴はそれに反して強引に突っぱねた。目をくれただけで口も聞かず、一言成道に「行くぞ」と言ってさっさと行ってしまった。
「なんでも多いほうがいいなんて、そんなの安直すぎるだろ?」
「いや、そんなことないだろ」
「あるんだよそれが」
鳴はやけに自信満々にそう言い切った。
「へぇ……」
成道は曖昧な返事しかできなかった。言い返そうかと思ったが、そうはさせない圧力が鳴から発せられていた。
鳴は信じていたのだ。数の暴力は力があればねじ伏せられる。相手が百いれば自分が百人分の実力をつければいい。数の差も才能の差も実力の差も、全ては努力で超えられる。鳴は熱血漢ではないが、そんな奇跡を心の底から信じている。
どうも餃子です。
突然ですが、コタツって神ですね。休日の半分はコタツの中で過ごしています。
コタツといえばやはりミカンですが、知っていましたか?ミカンは揉むと甘くなるそうです。周囲の友人に聞いたところほとんどが知っていましたか、僕は全く知りませんでした。まさか揉むと甘くなるとは……。これからは食べる前にミカンをぐちゃぐちゃに揉みしごきたいとおもいます。