白の腕輪と赤の腕輪
鳴を含む一年一組全員に、白い腕輪が配られていく。鳴もそれを受け取り二の腕に装着すると、成道がそれを真似して、次々と皆が腕輪をつけ始めた。
「皆手際がよくて楽です。さすが一組ですね」
根本が素直に賞賛しながら、思わせぶりに一組ということを強調する。
事前の身体検査と称した肉体調査、学院アンケートと称した精神調査で既にバトルログの適正調査は済んでいる。適正調査では適正値と呼ばれる値が求められる。バトルログシステムとの適合率、まあ仮想世界との相性みたいなものだ。高ければ高いほど仮想世界で何かしらの恩恵が受け、低ければ受けられない。決して適正値が低いから落ちこぼれというわけではないが、ある程度実力が左右されるのは事実である。
ちなみに神田凛子が新入生代表を務めたのは、適正レベルが一学年の中で一番高いからだろう。本人の優秀さというのも、もちろんあるのだろうが。
話を戻すが、一組というのは適正値が高い順に並べて、上から四十人を引き抜いた、所謂エリートクラスである。だから教師からのウケはいいし、そこそこ優遇されるし、内申も上がる。必然、一組以外は次の学年では一組に入れるように精進する、つまり競争意識が高くなる。結果、生徒の誰かが才能を華々しく開花させる確率が高くなる、というわけだ。
一学年ではまだ実力は分からないので適正値が高い順に選ばれるが、二年、三年になると期末の実力試験で入れ替わる場合もある。
まあ鳴は番号三十一なので、適正値については喜んでいいのか悪いのか微妙なところだったが。
ついでに根本に物申すと、別に一組だからといって手際がいいわけではないのだ。あくまで鳴がうっかり手本を示してしまっただけである。
鳴は自分のうっかりした行為を窘めた。
「さあ皆さん、これから仮想世界で訓練を始めます。移動教室になりますので、私についてきてください。次回からは自分で来てもらいますので、道をしっかり覚えていくように」
そう言って根本は、さっさと廊下に出てしまった。
鳴は少しの間、自分の腕輪を見つめてしまう。目があと一つあって周りを見渡すことができたら、多くの生徒がそうしていることが分かっただろう。ただし、鳴は不安や疑心から見ているのではない。
違和感、である。
いつもは返り血を浴びたように真っ赤な腕輪であるので、こうも質素な腕輪だと戸惑ってしまうのだ。いかにも新品という感じの手触り、いかにも性能が低そうな単純な造り。
鳴はついついため息をついてしまう。
「成道、行こう」
「……ん?あ、あぁ分かった」
だがいつまでも眺めているわけにもいかない。鳴は成道に声をかけ、一番最初に廊下へ出た。続いて成道、皐月、凛子が廊下に立つ。四月五日。昔の暦では早夏といっても、冬の寒気が抜けた感じはしない。特に暖房機器がない廊下に立っていると、冷蔵庫の中にいる気分だ。
鳴は教室の中にいるクラスメイトに呼びかけ、さっさと廊下へ出させた。
根本が全員いるのを確認して、移動を開始する。向かうは訓練室。一年一組はそこで初めて、もう一つの世界というものを体験するのだ。
鳴以外は。
一年一組は二階の階段を上がってすぐの場所だ。根本率いる一年一組は階段を一つ下がり、一階にあるエレベーターで地下へ降りた。
「すごいな……エレベーターなんてあったのか」
四十人が少し広いエレベーターの中に入るとどうなるか。答えは鳴がみてのとおりである。スーパーの特売詰め放題のビニール袋の中身のような状態だ
。鳴が狭苦しい雰囲気で息苦しい気分を味わっていると、成道が気楽そうに話しかけてきた。
「ここにエレベーターなんてあったんだな」
その笑顔に、影は全く見られない。鳴は少しだけ成道を見直した。この状況を苦に思わないのは、滅多にいない珍しい馬鹿である。
「一階にはここの他にあと二つある」
「物知りだな、鳴」
「お前が知らなさすぎるだけだバカ」
「本当に仲がいいですね」
「良くないです」
「そうですか」
お喋りしていると、エレベーターが止まる。と同時にドアが開き、根本が出ると雪崩のように他の乗客も降りた。
「さっ、ここですよ」
根本がエレベーターから出てすぐの場所を指差した。
「おお…………」
四十のため息が重なる。壮観、と評価してもなんら問題のない見た目だった。
いつの間にか汚れ一つない白い壁に四方を囲まれていた。つまり、エレベーターは部屋の端ではなく、部屋の真ん中に到着するようになっているのである。倒れこんだ生徒が立ち上がり、首を回して感嘆する。
壁に背を預かるように並べられた無数の椅子。数える気もなくなるほど同じ見た目をしていて、どれも違いが分からない。すわり心地の良さそうな黒い革張りの椅子だ。
よく見ると右手が乗るはずの手すりが、近代的に改造されていた。明らかにあの無数の椅子達は、ただのすわり心地の良い椅子などではない。一見してそう断言できた。
「では皆さん、好きな椅子に座ってください」
一年一組は今度は戸惑うことなく、各々好きな椅子に座った。好きな椅子、というよりは好きな位置、だろうか。なにせ無数の椅子は全部が同じ見た目なのだから。
「皆で固まって座りませんか?」
「別にいいですよ」
「凛子ちゃんがそんなこと言い出すなんて意外だよ!いいねぇ、心配そうに怯える女の子って少し興奮すぐふっ!」
「成道はうるさい!」
成道が空気の読めない発言をして、皐月に鳩尾を蹴られる。凛子に関しては皐月は過剰に反応するのか。鳴は気をつけておこうと、肝に銘じた。倒れる成道を引きずって、鳴は適当な椅子の一つに成道を放り込んだ。
「冬鐘くーん、椅子が壊れない程度にしてねー」
「はい、すみません」
根本の注意に気のない謝罪を適当に返しながら、鳴は成道の隣にどっさりと座り、楽な姿勢になる。
凛子は鳴の隣に座り、皐月は成道を叩き起こしながら隣に座った。
「全員着席したようですね」
根本がそう頷いてポケット中に手を入れると、椅子の手すりからコードが二つ出てきた。
「その接続線をの一つを腕輪に、吸盤みたいなやつは頭にくっつけてください。髪の毛を抜く羽目になりたくなければ、額につけることをおすすめします」
全員が大人しく額にコードをくっつける。誰も無闇に自分の髪の毛を傷つける趣味はないのだろう。そして腕輪にもう一つのコードを差しこみ、根本も端っこの椅子に座って手際よく同じような動作をしていた。
根本の接続が終わる頃には、生徒の全員がなんとか接続に成功していた。
「では最後に椅子の手すりに右手を乗せて、目をつぶってください」
最後の指示は意味のわからない生徒も多かったようだが、結局大人しく従った。
鳴は隣の凛子と成道が目を閉じたのを確認してから、素早く胸ポケットからもう一つコードを引き抜く。もう片方の胸ポケットにコードを突っ込み、伸ばした先を自分の白い腕輪に差し込んだ。素早く作業を終わらせて、何食わぬ顔で目を閉じる。
いつまでも隠し通せるとは鳴も保護者の茜音も思っていないが、こればかりは見られては困る。
最後に根本をちらりと見ると、どうやらもう仮想世界に行ったようだ。静かな寝息を立て、目は固く閉じられている。
鳴は安心して目を閉じて、全身の力を抜いた。無意識に左手を左胸に添えてしまう。腕輪から伸びているあるはずのないコードは、鳴の左胸ポケットの中身に差し込まれていた。
鳴の胸ポケットの中の真紅の腕輪が、一瞬鮮やかに光る。鳴の意識はその時に、仮想世界へ飛び立った。
目をつぶるという行為自体に、特別な意味はない。視界から得る情報を出来るだけ少なくするために、そうしなければいけないだけであって、何なら白目を向くという方法も不可能ではないだろう。
それがスイッチ代わりなのだ。視界からの情報が突然少なくなった時、バトルログは仮想世界へ人間を誘う。
脳からの電気信号を全て横から掻っ攫い、偽の情報を脳に送り返す。簡単に言えば仕組みはそれだけであった。
目を閉じてすぐに意識がなくなり、そしてすぐに戻る。次の瞬間、鳴に慣れ親しんだ感覚が襲った。
体を細かく砕かれ、砂粒のように崩れ落ちた全身が水に流されて運ばれる。下流に行き着いた一つ一つの砂粒が、鳴の全身が、丁寧に縫合されて元通りになる。そんな感覚。
鳴が目を覚ますと、住宅街の真ん中に立っていた
。
そして多くのクラスメイト達が、崩れ落ちていた。悪寒、吐き気、不快感。そんな言葉では言い表せない気分なのだろう。本当にこればかりは慣れるしかない。凛子も成道も皐月も、同じようにアスファルトに突っ伏して呻いていた。立っているのは鳴と根本だけであった。
「ほうほう、冬鐘君凄いね。君初めてでしょ?」
「そうですよ」
「何食わぬ顔で……面白いなぁ君」
根本が別人のような怪しげな笑みを浮かべる。鳴は目をそらすことなく、真っ直ぐ見詰め返した。何を聞かれようと正直に話すつもりなど毛頭ない。根本にもそれは分かったのだろう。仕方ない、と肩をすくめて、他のクラスメイトのフォローに回った。
鳴も次々と、クラスメイトの介抱を始めた。介抱と言っても出来ることは少ない。肩を抱いて、背中を擦り、ゆっくり呼吸させるだけだ。
やがて全員がなんとか回復すると、少し具合の悪そうな成道が近づいてくる。
「いやぁ……すげぇなこれ……お前良く平気な顔してられるよ……」
「大したことじゃない」
「照れちゃってー」
「ふん!」
途端に調子に乗る成道の頭に、鳴は拳骨をめり込ませた。
「皆さん大丈夫そうですね。では、ようこそ、仮想世界へ!」
根本は腕を広げて歓迎のポーズをとる。が、まだ気分を悪い者もいる中で、そのテンションはどうだろう。
根本は少し冷たい視線で察したのか、腕を下げていつもの真面目そうな顔に戻った。
「ここで皆さんは三年間、毎日訓練することになります。傷を負っても、死んでも、現実世界とは何ら関係はありません。まずは意識の切り替えが完璧にできるように目指してください」
確かに仮想世界と現実世界の感覚は繋がっている。が、痛覚などの苦痛はある程度遮断されているのだ。正確に言うと半分にシャットアウトされている。そうでなければ今まで普通の学生だった者が戦うなど無理な話だ。
「では最初に色々と説明していきますね」
根本は早速仮想世界の説明を始めた。
「まず仮想世界で一番重要なのは、あなた達がつけているその腕輪です。それが破壊されると強制的に現実世界へ返されてしまい、現実世界の腕輪も破損します」
鳴は根本から腕輪へ視線を移す。現実世界と何ら変わらない、真っ白で質素な腕輪だ。
「仮想世界では色々と特殊機能も備わっているんですよ。そっちは後で教えましょう。とにかく仮想世界で第一に気をつけることは、とにかく腕輪を壊さないことです」
凛子はそれを聞いて、腕輪の締め付けが少し強くなったような気がした。もちろん実際に締め付けが強くなるはずもなく、精神的なものである。
死はない。負傷はあるが、痛みは軽減される。だがそんな仮想世界でも腕輪さえ壊されてしまえば、死と同義なのだ。人間の体と仮想世界を繋ぐものがなければ、ここに人間はいられないのだ。凛子は自分の存在がひとく危ういものに感じてしまった。
「じゃあ次に装備の説明です」
「装備……俺ら普通に制服だよな?」
成道が鳴の耳元に口を近づけて、ひそりと呟く。邪魔なので今すぐ蹴り飛ばしたい気持ちになるが、確かにその通りだ。自分たちは銃も、ナイフも、それどころか服さえもらっていない。制服のまま、仮想世界に放り出された。
「今から皆さんにお配りしますので、少し待ってくださいね」
根本はそう言って全員に一辺一センチほど立方体を配った。
「これは……なんなのでしょう、冬鐘さん」
「さあ?」
鳴に聞かれても困る。粗悪品の扱いなど、いくら経験者といえど知るはずもない。そもそも凛子は鳴が経験者ということすら知らないのだが。
「はい皆さん、よく聞いてくださいねー」
凛子の他にもこの立方体が何なのか気になる生徒は多数いる。ざわめきを抑えるため、根本少しだけ声を張り上げた。
「その立方体を握りしめて、『展開』と言ってみてください」
「展開?」
鳴が思わず聞き返すと、立方体を握っていた手が光った。否、手が光っているわけではなく指と指と間から眩い光が漏れている。
音声認証かーーーーまたやってしまった
鳴が自らの失敗に気づいた時にはもう遅い。音声を認証してからデータの読み込み、展開までは一秒の間隔もないのだ。
鳴が光源に気づいた一瞬後。
鳴が眩しさに瞬きしている間に、装備の装着は終わっていた。動きやすく、それでいて防刃、防弾素材の迷彩服に、腰のホルスターには拳銃が収まっている。
立派な戦闘服であった。
「おぉ……」
両手を使わない音声認証で、文句のつけようのない装備展開。確かにこれなら戦闘中でも素早く装備を装着出来る。技術大国の名は未だ廃れてはいなかったか。鳴は今すぐ手を叩いて賞賛したい気分だった。
「すげぇ!俺も俺も!展開!」
「私も……展開です!」
「展開!」
無事展開できた鳴を見て、クラスメイト達が次々と展開する。僅かに発行し、立方体は戦闘装備へと形を変えていった。
仮想世界は現実とは大きく異なる。存在そのものがデータであるため、そこにいる鳴たち人間も同様にデータなのだ。ならば服も、銃も、全てがデータであるのは当然である。
データなのだから、わざわざ着替える必要はない。データを読み込み、それを自分の体のデータに上乗せしてしまえばいいのだ。
鳴も『展開』のようなことをしたことがあるが、そういえば名称が違っていた。それに音声認証ではなかった。そんな相違点のせいで、最初ピンとこなかったのだろう。
「おお!すげぇ!」
「すごいねこれ!」
成道と皐月は大はしゃぎである。子供のようにはしゃぐ姿が似合っているといえば似合っているのだが、それを本人たちに言ったら激怒しそうなのでやめておいた。
鳴は先程から不気味に静かな凛子に話しかける。
「凛子さん、どうかしましたか?」
「変身ですわ……」
「展開、ですけどね」
「展開ですわ……」
どうやらあまりの衝撃でおかしくなってしまったらしい。目は虚ろで、空をぽけーっと見たまま微動だにしない。
他の生徒も同じような反応で、成道と皐月のようにはしゃいだり、あるいは凛子のように呆然としたり、大体そんな感じだった。
そして鳴のように落ち着いて周りを見ている者は一人もいなかった。少しだけ疎外感を覚える鳴であった。
どうも餃子です。
最近気温が不安定ですね。吐く息が白い時もあったり、自転車で通学すると汗をかいてしまう日もあったりと、私は地球に振り回されている気分です。
しかしそれでも気温は確実に下がっているので、先日コートを購入しました。シンプルな黒いPコートです。
皆さんコートは来ますか?あれはいいですよ。暖かいし、何よりかっこいい。高校生の私はそれを着るとまるで大人になったような気分になります。心がぴょんぴょんしてしまいます。
読者の皆さんも是非、機会があったらコートを着てみてください。