入学
四月四日。なんて縁起が悪い日なのだろう、と思う人もいるかもしれないが、いや、鳴もそう思って何回も確かめたのだが、今日が福海学院の入学式であることは間違いない。
鳴は途中まで半信半疑でいたが、いざ入学式会場の体育館に来てみれば人が馬鹿みたいに集まっていた。なるほど、数だけは凄まじい。
体育館自体は特に変わった様子はない。ただ大きいだけだ。確か今年の入学予定者を合わせると、全校生徒は四桁に届いていた気がする。流し読みをした学院案内パンフレットの内容などはっきりと覚えていないため、確かではないが。
鳴は最後尾から数えて三列目の端の椅子に腰を掛け、目を瞑って学院案内パンフレットの内容を思い出すことにした。別に福海学院に興味があるわけではない。ただの暇つぶしである。入学式が始まるまであと二十分ほどある。座って過ごすには長過ぎる時間だ。
ざわざわざわざわ。無駄な雑音が多い。一瞬だけ苛立ちを覚えるものの、すぐに引っ込んだ。考えてみれば数百人はこの場に集まっていることになる。それだけの人間が集まってこの喧騒なら、むしろ静かな方だろう。そもそも元からこういうのは諦めるしかないものだ。鳴はそう思い直して、本格的に暇つぶしに専念し始めた。
国立福海学院。枠組み的には防衛省に所属しているが、それは形だけであり事実国とは大きく独立している存在だ。軍主主義の国もあるが、日本は政治と軍はならべく離されている。多少影響力は持つものの、あくまでそれなりの範囲に収まっている。
創立は確か十年ほど前。十八歳以下がバトルログに強い適性をもっていることが発覚して、それをきっかけに全世界が軍校を設立し始めた流れに乗って設立した。
そもそもバトルログとは何か。人の名前でも、物の名前でもない。"人の感覚を仮想世界上でも共有できる技術"が、そう命名されたのだ。当時第三次世界大戦寸前だったため、どうにか現実ではない場所で戦争ができないか、という考えで作られた。
バトルログには種類がある。本体ともいえる親機と、付属品、模造品としての役割を果たす子機だ。ここ福海学院には、地下に親機が一機厳重に保管されている。世界に七つしかない宝物が自分の下にあると思うと、鳴ですら背筋が伸びる思いだ。ちなみに子機は親機を複製しようと国々が躍起になって開発した結果である。ただ仮想世界で戦うだけなら子機でも出来ないことはない、という所まで性能は上がってきているが、最初はそれはもうお粗末な出来だったらしい。
世界中探しても親機は全てで七機、子機は推定二百機。
そのうちの一機と十二機を独占しているだけで、福海学院が凄まじい力を持っているのが分かる。恐ろしい学院だ。ある意味戦争より恐ろしい争いが繰り広げられていることだろう。
それを裏付けるように、この福海学院にはある制度が設けられている。それはーーーー
「あのー、すみません」
鳴の思考は丁寧にこちらを伺う視線と、言葉で中断された。目を開けて、背もたれに深々と沈み込ませた背中を浮かせる。姿勢を正してから、声の主へ目を向けた。
「お隣、座ってよろしいですか?」
少し姿勢を低くして尋ねてくる女子。綺麗な黒髪と大きめな目が特徴だった。鳴の趣味嗜好は関係無しに、顔の出来という面ではかなり優れている。
だがそんなことは鳴は考えていなかった。いや、考えてはいたが、小さく頭の隅で呟いていただけだ。それよりも何故わざわざ自分に声をかけたのか、何故自分の隣に座ろうとするのかが疑問だった。
客観的に見て、鳴は特別イケメンというわけではない。よくて中の上、といったところだろう。さらに周りを見渡しても席は埋まりつつあるもののまだまだ空きはある。どう捻っても、彼女が自分に関わりをもってきた理由が出てこなかった。
鳴の心境を察したようで、女子はクスクスと笑う。その仕草は可愛らしくもあるが、確かな上品さを感じさせるものだった。
「いえ、別に他意はないんですよ。ただこの学院には友達がいないもので……よろしいですか?」
鳴は頷き、手で鳴の右隣りの席へ促す。女子は軽く一礼してから腰を掛け、丁寧に足を揃えた。近くで見て気がついたが、この髪や肌の艶は異常ともいえるほど優良だ。容姿といい仕草といい、恐らくどこかのお嬢様かなにかだろう。
「私は神田凛子といいます。これも何かの縁。これから仲良くしていただければ幸いです」
神田凛子と名乗ったお嬢様は、またもや華麗に一礼した。下がった頭を追って、絹のように細やかな黒髪が垂れ落ちる。
鳴は見とれそうになった自分に気づき、急いで意識を正した。凛子が自己紹介をしたのだ。こちらもしなければ失礼になる。
「冬鐘鳴です。こちらこそよろしく」
固すぎず、柔らかすぎず、自然体で無難な挨拶。そのはずなのだが、凛子の表情は何故か不自然だった。驚きを無理やり抑えこんだような感じだ。
「ーーいえ、失礼致しました。少し……人混みに疲れてしまったようで……」
「あー、気持ちは分かりますよ。ここ人めっちゃ多いですもんねー」
鳴の適当な口調に対して、またもや驚愕。凛子は作り笑いを引きつらせ、その後それに気づき手で口元を隠した。鳴は特別気にした様子を出さず、天井をぼうっと見上げた。
神田凛子……か。
気の利いたフォローの一言でも言えればいいのだが、生憎鳴はそのような技術は持ちあわせていなかった。だからそう、心の中で初めて接した同級生の名前を反芻する。
神田……か。
どこかで聞いたことのある苗字だ。神田……神田……どうしても思い出せない。もう少しで出てきそうなのに、そのもう少しが遥か遠い。
鳴が悶々と唸っている間、凛子はいつの間にか立ち去ってしまっていたらしい。数分後目を開けると、鳴は一人で椅子に座っていた。
「……まあいいか」
なんとなく寂しい気もしたが、仕方ないだろう。なんの前置きもなく放置されては、そのまま待っている人のほうが珍しい。たかが一瞬話しただけの相手に時間を潰しては、人生があっという間にすり減ってしまうというものである。
ちょうど寂寥を吹き飛ばすような豪快な声が、入学式会場を満たす。
「ただいまより、福海学院入学式を開会します」
それを合図にぞろぞろと、上級生らしき生徒が壇上に上がっていく。最後に校長が上がり、先に上がって横一列に並んだ十人の前に立つ。
「私が校長代理の柳町竜司だ。新入生の諸君、入学おめでとう」
鳴は周りに合わせ、座ったまま礼する。
全員が顔を上げたのを確認して、校長代理、柳町竜司は続ける。
「諸君らの目の前にいるこの十人は、諸君らの目標である、序列十以内の戦士である」
右足から踏み出し、左足も前に出し揃える。それだけの行為だ。それを十人が一瞬のズレなく同時に行った。
感嘆、驚愕、それらが入り混じった溜息が会場全体から漏れる。鳴もそれを見て感心していた。なかなか見応えのあるものだった。
「彼らは既に将来を約束された、優秀な人材である。だからこそここにいるわけだが、彼らもまだまだ完成ではない。これからも成長していくことだろう。そして、諸君らもそれは同じである。才能、義務、そんなもので努力を怠る愚か者がここには一人もいないことを、期待している」
「全員、礼!」
鳴は規律して、礼をした。だが、周りはそうでない者もいた。
礼の後、顔を上げて見渡してみると鳴のように立ち上がって礼をしたのは二十に満たない。ここには三百以上の生徒がいるというのにだ。
校長を伺い見ると、満足気に頷いて壇上から降りていった。
ほどなくして、また豪快な声が言う。
「新入生代表挨拶。神田凛子」
「はい」
落ち着いた声が答える、と同時に壇上にあがる女子がいた。間違いなく凛子だ。歩くたびに揺れる長い黒髪。その魅力は未だ鳴の心に染み込んでいた。ついでに言うと、胸もなかなか魅力的だった。
「新入生宣誓。私、神田凛子を含む新入生一同はーーーー」
壇上で宣誓する凛子は、名前の通りとても凛々しかった。中身はあまり入ってこなかったが、凛子の姿だけは、鳴の網膜に焼き付いた。
入学式はつつがなく終了した。さっさと帰ってゆっくりしようと決めていた鳴は、一番に会場を出た。
修行をしようか、それともだらだらと過ごすか。どうしようかと迷いながら鳴は歩く。とりあえず校門まで行ったら適当に昼食をとりにいこう。既に時計の針は十三時を指そうとしていた。
「冬鐘さん!」
その声がかかる前に、鳴は振り向いていた。革靴がアスファルトを叩く音が、自分に向かって近づいていたからだ。相手は大体予想がついていて、振り向いてそれを確認しても大して驚きはなかった。
「どうしたんですか?神田さん」
凛子は鳴の前で立ち止まり、ちょっと待ってください、と言いたげにしている。かなり全力で走ったのだろうか。肩で息をしていて、鳴の眼の前で必死に荒くなった呼吸を整えようとしている。
ほどなく落ち着いた凛子は、鳴に向かってにっこり笑った。
「凛子、と呼んでください」
容姿には合っていないが、その少女のような幼い面影が残る笑顔に顔が赤らむ。それを自覚しながら、鳴はなんでもない風に装う。
「オッケー。で、どうかしたんですか凛子?」
鳴は同じ質問を繰り返す。名前で呼ばれて嬉しいのか、凛子は嬉しそうにまた笑った。
「冬鐘さん、少しお時間を頂けないでしょうか?」
「……は?」
鳴はたっぷり間をとって考えて、本音を口にした。意味が分からない。今から帰ろうとしていたところだったのもあって、混乱は余計増した。
「冬鐘さん、お昼まだですよね。ご一緒させて頂けませんか?」
息が荒くなった反動で赤らんだ頬。少し大きく動く肩。ついでに可憐な上目遣い。
これで断れる男がいるならば、鳴は是非教えて欲しかった。
どうもこんにちは餃子です。最近ぐっと寒くなってきましたね。
ところで皆さんインフルエンザの予防接種はしましたか?私はまだです。早くしなければと思っているのですがなかなか都合がつきません。重症化しないためにも、受けていない人は一刻も早く病院へいきましょう。人生健康が第一です。