二人の勝者
「冬鐘鳴が死亡です。訓練室へ帰投します」
無機質なアナウンス音でクラス全員が凛子の勝利を確信する。勝ったのだ。あの生意気な冬鐘に目にものを言わせたのだ。きっと訓練室で膝を抱えて泣きながら悔しがっているに違いない。
「「「「うおおおおおおおおおおおおお!」」」」
精一杯の歓声が上がり、肩で息する凛子を包み込む。凛子は未だ勝利を信じられないのか、それとも大きな余韻に浸っているのか、腹に大穴を開けた鳴を見つめたままだった。アナウンスの声を聞いたように、それと同時に鳴の体がゆっくり消えていく。
「凛子ぉぉ!!」
皐月が子供のように無邪気な表情をして、スキップしながら凛子に近づいていく。それに釣られるようにクラスメイトが次々と凛子へ寄って行った。
「やったな神田!」
「さすがです神田さん!」
「凛子すごいよ!」
素直な賞賛が雨のように凛子へ降り注がれていく。それでも凛子は肩を震わせ、俯いたままだった。
さすがの皐月も違和感を感じたのか、「大丈夫?」と声をかける。凛子の顔を下から覗きこむように見ると、その前に凛子の顔から雫を地面へぽたりぽたりと落ちていることに気づいた。
「凛子……」
そんなに嬉しいのか。感動で涙を流すほど、鳴に勝ったことが嬉しかったのか。皐月は凛子を労うように、ぽんぽんと優しく肩を叩いた。
「あっ……」
「きゃあっ!!」
感動的な哀愁の中、突如クラスメイトの二人が悲鳴を上げた。皐月は何なのだろうと振り返る。悲鳴を上げた二人は口を抑えて、信じられないものを見たかのように凛子から後ずさっていた。
「ちょっと、どうしたのよ」
皐月が悲鳴を上げた二人のうちの一人を心配して、肩を抱いて後ずさるのを止めさせた。だが皐月に触れられた瞬間その一人は腰を抜かしたようにへたり込んでしまった。
「あぁっ……!」
その口から恐ろしいほど低い悲鳴が漏れる。
ぽたり。ぽたり。
凛子の落とした雫はいつの間にか道場の床に溜まり、水滴の音を道場に響かせていた。
ーーーーん?
皐月はその音を不自然に思って、凛子に振り向き直した。さすがに涙が水溜りになるほど号泣するだろうか。そもそもそんなことがありえるのだろうか。
しかし凛子は特に変わったところはなかった。俯いたまま、静かに涙をーーーー。
「凛子っ!」
涙ではない。それに気づいた皐月は凛子に駆け寄る。急いで凛子の顔を手で掴み上げると、皐月は悲鳴を上げて尻から崩れ落ちた。凛子も同時に倒れこむ。
「おい!何が……っ」
成道も異変に気づいたのか、人混みをかき分けて凛子と皐月に近づいてきた。見ると皐月の顔は真っ青で、唇は紫がかっている。一体何があったのか、凛子に何かあったのか。そう感じて成道も皐月と同じように凛子の顔を見てみることにした。
しかしその前に気づいた。鳴の腹から溢れた血は確かに道場に撒き散らされている。しかしそれは鳴が帰投した時点で消滅するはずのものだ。それなのに凛子の足元には、小さくない血溜まりが出来ていた。しかもそれは今も少しずつ広がっているように見えた。ならばその血は。
雫がーーーー赤い?
「っ!」
成道は気色を変えて凛子を抱きかかえ、顔を確認する。
すると呆けた沈黙の後、信じられないほどの悲鳴が上がった。歓声と後の悲鳴というものはこれほどまでに悲劇的に響くものなのかと、他人事のように成道は考えていた。それがある種の現実逃避だと気づくのは、少し後のことだった。
蜘蛛の子を散らすように散り散りになる集団の中、成道は改めて凛子の顔を確認する。
「……」
恐らく鳴は自らの負けを察して、勝利を諦めて、引き分けに持ち込むことを決意したのだ。凛子の一瞬の躊躇の間に道場の床の破片を拾って、刺さるように投げたのだ。凛子の両目と喉へ狙いをすませて。
凛子の目には親指ほどの木の欠片が刺さっていて、喉のちょうど真ん中にはそれより長い欠片が突き刺さりうなじに貫通している。そこから少しずつ血が溢れていて、凛子の血は既に指一本も動かせないほどに奪われていた。
単純に言い表すなら、酷い、の一言に尽きる。しかし成道の頭にはそんなのものはなかった。鳴に対しての恨みーーーー、いや違う。これは悲しみだ。お前はここまでするのか。なんでこんなことするんだ。ぶつけたくてぶつけたくて仕方ない疑問が次々と頭に浮かんでくる。
「凛子……」
「……」
悲壮な呟きに振り向くと、皐月は顔面蒼白の様子で膝で歩きながら凛子に手を伸ばしていた。成道は顔を歪めながら凛子を皐月の方へと持っていった。
「ああ……」
力が抜けてしまったような空虚なため息を繰り返しながら、皐月は凛子の額に手を当てた。凛子を慰めるように、赤ん坊を宥めるように優しく優しく何度も撫でた。
周りのクラスメイトも続々と集まってきた。最初は衝撃で狼狽えたものの、根本の組手のせいである程度の耐性は付いている。
成道は顔を伏せ、刺さった三本の破片を抜いた。噴水のように噴き出した血に装飾されるように、無機質なアナウンスが流れた。
「神田凛子が死亡です。訓練室へ帰投させます」
全員が唇を糊付けされてしまったような重い沈黙。それと同時に鳴への憎しみもまた、伝播していった。
凛子の体は氷が日に焼かれ溶けるように、いつのまにか自然に消えていた。
■
「うっ……」
仮想世界に入るときは体が再構成される時のなんとも言えない不快感があるが、戻るときは入る時ほど辛くはない。しかし仮定とはいえ死ぬほどの怪我を負って帰ってくるのだから、精神的なダメージはただの高校生にはあまりにも酷だ。ただの高校生ではない鳴にもさすがにこたえるので、少しは目をつぶって休んでいなければならない。
鳴は痛む気がする腹を擦りながら、椅子に楽な姿勢で座り直した。目をつぶりながら自分の懐を探り、コードを抜いたり腕輪をしまったりして後処理を終えてから、ようやく一息ついた。
「まさか凛子があそこまでとはな」
椅子だらけの寂しすぎる部屋には鳴以外は誰もいない。答えてくれる者がいないと鳴も重々承知しているが、それでも漏らさざるをえない愚痴だった。
あの強化の出力。はっきり言って異常だ。訓練中の態度も至って真面目で、恐らく見えないところでも努力しているのだろうが、さすがにあのレベルまで達するには普通一年はかかる。それを一ヶ月と少しで、凛子は手に入れていたのだ。
恐ろしさを感じるほどの、圧倒的な成長力。
「俺もこのままじゃまずいかなぁ……」
今回赤い方の腕輪は使っていない。一応非常時のために連結しておいたが、全力を解放するには赤を晒す必要がある。今のところそれを見たことがあるのは成道だけだ。あいつは秘密を遵守するだろうが、さすがに他のクラスメイト全員に見せるとなると話しも危険度も違う。自分の判断は間違っていなかったと、鳴は目をつぶったまま一人頷く。
しかしあの咄嗟の判断はどうだったのだろうか。
凛子に放った三つの悪あがきは、まあ命中しただろう。ならばもうそろそろ死んでいる頃だ。凛子に会って何か弁明できるだろうか。いや、できるはずがない。そういえば絶交関係にあったのだった。話しかけることすら禁止されている中でどう謝れと言うのだ。
鳴は真っ直ぐ真正面を見つめる。そこには凛子が座っていた。それにこだわるのが凛子か、皐月か、はたまた成道かは知らないが、絶交宣言後凛子達の座る位置は鳴ともっとも遠い場所になっている。他の生徒もちょうどそのあたりに密集して座っていた。
鳴の近くには誰も座っていない。
凛子の椅子が、不快なアラーム音を鳴らした。
どうも餃子です。
今日は朝七時に普通に朝ごはんを食べて、午前十一時に友達七人としゃぶしゃぶへ行きました。正直もう吐く寸前。食べ過ぎは良くないと改めて痛感しました。
とまあ、店を出たあとのトイレでこの文を打っているので、なんとか大丈夫でした。皆さんも食べ過ぎは体にも心にも悪いので、注意してください。




