アウェーの戦闘
「どちらも準備はいいですね?」
「はい、万全です」
「いつでもどうぞ」
根本の確認に凛子は自信満々に答え、鳴はあくまで落ち着いた様子で答えた。凛子は首を少し回してからボクシングのような構えをとる。態度といい構えといい、なぜだか既に貫禄を感じる。まあそれも当たり前だろう。今まで鳴と組手をすることはなかったから知らなかったが、試合前に成道から聞いた話では組手は全勝不敗だという。それなら自身もつくし貫禄もつくし、あのしっかりした構えも頷ける。
だがどうするか……
凛子を倒せと言われたら別に難しいことではない。しかしそれは鳴の本来の実力を出した場合だ。今の状態ではいくら戦闘に心得があるとしても、適正値50ちょうどの凡人に過ぎない。圧倒的才能差を前に勝ちを豪語するほどには、鳴は慢心も油断していなかった。
「ではーーーー」
根本はそう切り出して、腕を天井に掲げる。凛子はその腕を凝視している。明らかにやる気満々である。確かに鳴は皐月に非道いことをしたが、あそこまで凛子に闘志を漲らせるほど酷な行いをした覚えはない。
本当にどうしようかなあ
鳴がそんなことを気楽に悩んでいる間に、根本の右手が勢い良く振り下ろされた。
「はっ!」
次の瞬間、一息で鳴との距離を詰めて気合の一声と共に拳を突き出す凛子が視界いっぱいに広がっていた。
「おっ」
鳴は眉一つ動かさないまま、拳ごと凛子を受け流した。難なくそれをやれたかというとそうではない。流しきれなかった衝撃が鳴の右の手のひらにじんじんと響いてくる。あくまで慣れのおかげでガード出来たというわけだ。
なるほど、これは不敗だろう。
鳴はそう納得した、せざるを得なかった。鳴個人の意見としては天才とか鬼才とか俊才とか、そういう最高の才能を生まれ持った人間というものはあまり好きではない。本音を言うと嫉妬してしまうので直視したくない。だが凛子のこれはそんなくだらないプライドを握り潰してしまうほどだった。たったの拳一つで、鳴は凛子の才能を思い知らされた。
凛子は突進の勢いを受け流されて鳴とすれ違う。鳴はお返しとばかりにそのすれ違う瞬間に合わせて、鳴は左足を軸に回転して左の肘を凛子の鳩尾目掛けて振るっていた。純粋な威力に回転の勢った一撃を、凛子は咄嗟に振り上げた膝で防ぐ。だがそれだけではなかった。
回転するための勢い付けのための空気を蹴った右足をそのまま凛子の顔面へともっていく。狙いを合わせて、的確な一撃を顔に叩きこもうとしたのだが、凛子はそれすらも首を捻って躱してみせた。
これも躱すか
静かな驚きを抑えながら、鳴は攻撃をやめて大人しくすれ違うことにした。凛子もそれを察したのか、さっさと横を通り過ぎていく。ちょうど初期位置が入れ替わった場所で、鳴と凛子は振り返って睨み合った。
あれをガードしちゃうのかーほんと凄いな
鳴は視線で素直な賞賛を送った。凛子がそれに気づいたかどうかは微妙なところだが、実際先程の反応は見事だった。一ヶ月目の初心者がよくここまで闘えるものだ。。普通ならば腰が引けて当たり前の場面に、凛子は対応というものを覚え始めている。
天才。大嫌いなこの言葉を他人に当てはめる時が来るとは、鳴本人思いもしなかった。
とすれば、客観的な根本は一番に凛子の存在に注目し、才能も見抜いたはずだ。そんな根本は凛子と組手をさせて、鳴に何をさせたいのだろうか。根本も薄々は鳴がただのアメリカ帰りではないことを感づいているはずである。その根本は何を。
戦闘中の思案など許されるはずもなく、凛子は睨み合いを中断して再度接近してくる。凛子の身体には間違いなく、なにか液体のようなものに纏われていた。凛子のスピードが爆発的に上がるときは、それが間違いなく反応する。鳴は凛子ではなく、凛子が纏うそれに目を凝らした。
一歩、二歩、三歩、次の一歩を踏み出した凛子は顔を力を入れるように顰めーーーー
次の瞬間、鳴の顔面に拳がめり込んでいた。
「ぐぅぅぅぅ」
否、鳴はギリギリで防いでいた。凛子の拳と自分の顔の間になんとか腕を挟み込んだ鳴だったが、しかしパンチの威力で足が浮かび上がってしまい、いつの間にか横一直線に宙を舞っていた。
言い表しがたい浮遊感が、鳴の頭を揺らす。
「なかなかーーーー」
「おらぁ!」
「ーーーーッ!?」
可愛らしい声に似つかぬ野蛮な掛け声に目を見開くと、なんと凛子が宙を舞う鳴を追いかけてドロップキックを叩き込む直前だった。だが幸いにもそれほど俊敏でもなかったので、普通に腕をクロスさせて凌ぐことが出来た。
それを凌いだというのならば、だが。
ドロップキックを受けて加速した自分の体の行き先を考えた瞬間、鳴はやっと凛子の追撃の意図に気づけた。だが時すでに遅し。鳴には腹に力を込め覚悟を決めるしか出来ることがなかった。
来たるべき衝撃に備えたものの、背中から道場の壁へ突っ込むと肺の中の空気全て吐き出してしまう。鳴はズルズルと壁を滑るように床に落ちていくのを感じて、体勢を整えなんとか着地した。
「ううぅ……」
気持ち悪い。ガードした腕は痛いし背中はもっと痛い。
「くそっ……なんでそんな強化使いこなしてんだか……」
えづいてしまいそうな吐き気の中、鳴は立ち上がりながらそう毒づいた。全くその通りで、凛子が何故ここまで強化を使いこなせるのか、鳴にはどうしても分からない。これが単に才能のおかげだというのなら、鳴は今までの人生を放り捨てたい気持ちだ。
文句たらたらの色を含ませた目で根本を盗み見る。すると根本は気づいたようで、視線を合わせてからにっこりと笑った。鳴はその笑顔を今すぐ消し去りたくなった。いつかアイツを面倒事に巻き込んでやると、固く決心した。
しかし他人に当たっても現状は何も変わらない。根本への苛々と吐き気を振り払うように咳払いしてから、鳴さ構えをとった。構え自体はそれほど変わったものではなく、凛子のようなボクシングスタイルだ。
しかし、鳴の表情だけは少しだけ変わっていた。真剣味を帯びたというか、何かを取り払った表情をしている。
鳴も負けるのが好きというより、むしろ負けず嫌いな質だ。今までは凛子には申し訳ないということで使っていなかったが、たった今から強化を使うことを決心したのである。適正値の低下のおかげで少しだけ精度が下がるが、感覚強化ぐらいは使えるはずだ。鳴は目を閉じて集中力を高める。
まずは聴覚を
次に視覚を
最後に反射神経を
鳴がじわじわと体の奥が痺れる感覚を覚える中、凛子は鳴へ急襲を仕掛けた。鳴はその時ちょうど、目をゆっくり開いているところだった。
そんな鳴の瞳には、くっきりと飛び込んでくる凛子の姿が映っていた。その目をチラリと見た凛子は、思わずぎょっとしてしまう。
鳴の目が薄く濁っていたのだ。まるで不透明な液体が眼球が薄い液体の膜が覆われているように、薄く濁っていたのだ。凛子からは視認できないが鳴の鼓膜も覆われ、そして脳の一部分にはそれが染み入っていた。
凛子は歯を食いしばり、思い一撃を鳴の顔面へと叩き込む。鳴はそれをただ待ち構えているだけま。
勝負がつくのは一瞬だった。
根本を除くギャラリーに見えたのは鳴がまるで自分のパンチがそこへ飛んでくると分かっていたかのように事前に避けていて、さらに一瞬の内に鳴の鋭すぎる手刀が凛子の首筋を捉えたところだけだった。
凛子は僅かに口元を歪ませ、ふらふらと千鳥足でよろめいてから、その場に倒れた。
どうも餃子です。
最近は極寒という単語が似合う気温ですね。特に風が強い日なんて家のこたつに直帰したくなります。
しかし不思議なことに、僕は夏に風邪を引くんですよね。冬に風邪になったことは今までの人生の中で一度もありません。
油断大敵、という言葉もありますから、皆さん気を抜かずにこの寒波を乗り越えましょう。




