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後編

[4]


「『エラーコード』の詳細は判明した?」

「判明したよ。『また』人型ウィルスだ」

「またか」


 会話の一端を担う女性は小さくため息をついた。


「今回こそはデリートせねばならないな。なにせあいつは『ガン』だ」

「ガンとはまたいいたとえだね。バグでもいいだろうに」

「このプログラムは世界を作ったのだよ。だったら、それは『ガン』と言っても問題はない」

「確かにね」

「ああ、そうだ」

「だったら――はじめようじゃないか。ガンを取り除く作業を。しかしそれは、『対象』を排除してはならない。厄介なことだけどね」





[5]


 パラドックスの恋文理論に関わらず、人の生き死にに関わる実験はそう簡単に行うことができない。人の命を無碍にすることが出来ないからだ。そいつは当たり前なんだけれど、だからといってそうでもしなければ科学というものは発展しない。だが、倫理的な問題でそれは拒まれてしまう。ならば、どうすればよいか……科学者が考えたのは、こういうことだった。

 実験用の箱庭を作り上げ、そこで実験を行うということ。

 そこにいる人間は言ってしまえば人権が剥奪された人間、または事前に実験に協力してもらう許可を得た人間だ。

 そうして、人々を箱庭へと閉じ込めることに成功した。


「箱庭と言っても電脳世界だから、ただの0と1で作られたデータに過ぎないんだけどね。データは、膨大な大きさになったけれど、それでも彼らが行う実験の凡てをそれで行えるとなると、彼らはどんなサイズの箱庭でも作り上げた。それが成功してしまえば、あとは配置の作業に入る。配置は簡単だ。プログラムを書き上げてしまえばいい。もともとテンプレートにあったデータ、それをプログラムに組み込むだけで……『箱庭』は真に完成する」

「箱庭は……人命を厭わない実験場だというの? 電脳世界も、凡て?」

「そうさ。凡て、凡てデータに過ぎない。僕も消される前にそれを知ってから、なんとかこの世界から逃げ出そうとはしているのだけれど、どうもそう簡単には行かないね」

「……どういうこと?」


 ここでシノはひとつの仮説を立てる。

 それは、彼女自身考えたくなかった、ことだった。

 バッドエンドということにもなるし、考えてしまっては自分という存在意義そのものが消え去ってしまいそうだったから。

 そして。

 それを知っているのか解らないが、縁は小さくため息をして――それを言った。


「この世界は、君の知る現実世界であって、彼ら研究者の作り上げた電脳世界……謂わば『箱庭』だよ」


 パリン、と何かが割れる音がした。それは、現実に何かが割れた音ではなくて、彼女の心にあった何かが割れた音だった。

 その何かとは――紛れもなく、彼女が今まで『普通』だと認識していたものだった。

 あのラーメン屋さんも、母親も、近所の川も、クラスメイトも、いつも仲のいいあの二人も、担任の池崎先生も、保健室の浪川先生も、この前転校してきたエドワードさんも。

 全部、全部、空想に過ぎなかった。データに過ぎなかった。0と1の羅列に過ぎなかった。

 それを考えると、彼女の目から涙が止まらなかった。



 ◇◇◇



「……これから、この世界は消滅するだろう」


 唐突に縁は言った。

 消滅――とは文字通りの意味なのだろう。この世界そのものが、消滅する。0と1の羅列に過ぎないのだ。消滅というより、デリートと言ったほうが近いだろう。


「……だが、僕がここに居なければ、君は何らかの実験に利用されて、もしいいデータが出たとしても、そのまま世界ごと消滅していたことだろう。……大丈夫だ、世界は消えても、君を消したりはしない」

「どこへ……向かおうというの?」


 シノはそう言うと、縁が彼女の手を取った。

 シノが若干慌てると、縁は校舎の奥へと歩いていく。


「……エラーコードは、どんな世界にだって張り巡らされている。完璧なデータなんてこの世に存在しない。だから、それを縫っていく。そうすれば、彼らの管理から外れた場所……ぼくらは『ゴミ箱』と呼んでいるけれど、そこにたどり着けるだろう」


 ゴミ箱。

 なんと響きの悪い単語だろうか。少なくともゴミ箱にいい響きを持つ人間はそういないだろう。ゴミ箱は誰が作ったものなのか――それはやはり人間の始まり以前からできたものだろうと誰もが考える。

 今こそはゴミ収集車などがゴミを収集するためのダストボックスが存在しているが、かつてはそう簡単ではなく、屋外に置かれたゴミ箱からゴミを大八車が回収するといったものだった。

 しかし、コンピュータでのゴミ箱はそうではない。

 不要なファイルをそこに収めてリソースの回収が必要となくなった瞬間に、データを完全に消去する。概要で言えば、そんな感じだ。

 だから、それはユーザーからすれば一番必要である場所ながら、そこに入っているものは全く不必要なものだ。


「……そういうわけで、これから向かう」

「何処へ?」

「聞いていなかったのか。……『ゴミ箱』と言う、我々が持つ拠点のことだ」

「響きの悪い単語だよね、改名すべきだと思う」

「正式名称というか、そういうものから取ったんだ。文句はそっちに言ってくれ」

「そっちに言ってくれ、って……」


 シノはそう言ったが、縁からの返答はない。

 そもそも『ゴミ箱』という名の拠点というのも些かよろしくない。

 隠れ蓑のためにそう呼んでいるのだとしても、だ。


「そういえば、ゴミ箱にはどれくらいの人間……といってもいいのかな、がいるの?」

「人間でいいよ。ぼくらは人間だからね。それ以上でもそれ以下でもない。……そうだね、確か百人は居たと思ったな。正確には数えていないから、あくまでも概ねそれくらい――という感じにはなるのだけれど」

「百人もあなたと同じような人がいるの」

「そうだよ。そして、君と同じような存在がね」


 縁はそう言いながらとことこと歩いていた。

 気がつけば、あたりは最早――いつもの学園風景ではなかった。

 そこに広がっていたのは、ただ白。ペンキをぶちまけたような真っ白な空間が、そこには広がっていた。


「ここは……?」

「ここは、『始まりの空間』。凡てが終わって、そしてあらたな『凡て』が始まる空間……」


 そこまで言って、不自然に言葉が切れた。


「どうしたの?」

「……いや、ちょっとやばい状況になってきたというか。こいつはマズイな……。どうやら、デリートをかけ始めたようだ……!」

「ちょっと、何その不穏な言葉!?」


 シノは思わず縁の肩を持ってガクガク震わす。

 縁は慌てて、止めるようにいった。


「あ、ごめんなさい……。別にあなたの問題じゃないというのに」

「ごめんよ……。まったく報告しなかった僕も僕だったからね」


 そう言って縁は襟を正す。

 ちょうど――そのタイミングだった。

 今まで真っ白だった空間が、一斉に真っ赤に染まったのだ。

 それを見て、縁は舌打ちする。


「もうだめだ。間に合わない……ちょっと荒療治だけど!!」


 そう言って、縁はシノの身体を抱き寄せる。


 「な、なにを……!」とシノは慌てているが、そんなことを全く考えることなどなかった。





 ――そして、縁とシノはその空間から姿を消した。


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