前編
――嘘つきを嘘つきと思うのは、いったい誰が考えたのか。
――それは、きっと、ただのエゴだったとすれば。
――嘘つきを嘘つきと言えるのは。
――嘘をついた、人間だけである。
(「嘘と人間」John Edward著)
[1]
今日も今日とて夏休み。日光は反射し、地面を照りつけ、街ゆく人たちが茹だるような暑さであった。
ここに歩く少女、シノも同じようなかんじであって、女子高生である彼女はさっさと学校に着いてしまいたい気持ちがあった。
では、どうして夏休みであるのに彼女は学校へ向かっているのだろうか?
「――どうして、あの○×問題で×選ぶかなあ……。普通は○って解っていたのに」
彼女はぶつくさと、おそらくは学校へ向かう理由の一つにもなったことを話している。
彼女が試験答案を返却され、先生に言われたのはただ一言だった。
「いやあー、惜しかったね。あとちょっとでクリアだったのに。再試験だよ。頑張ってねー」
と、グーサインで言われた。それを思い出すと彼女は腹が立って「なぜお前はそこで殴らなかった」と自らを責め立てる。しかしまあ、実際には殴ってしまっていればこれ以上の事態になっていたことは避けられないので、実際はこれでいいのかもしれない。
ともかく、と。
彼女は歩いて、歩いて、歩いて、汗をかく。水も滴るなんとやらというのを彼女は思い出したが、残念ながらそれは女性に使う言葉ではないことを、彼女は知らない。
シノが学校にたどり着いたのは、それから約十分ほどたった頃だった。時計を確認すると八時半を回ったあたりだった。試験は十時からなので、まだまだ余裕はある。
シノは上履きに履き替え、廊下を歩く。歩くと、誰も見えない。再試験を受ける者、受ける権利があるのに受けない者、受けなくてもよい者、そもそも受けられない者と様々いるが、ここに居るのは少なくとも再試験を受ける者に分類されるだろう。
学校はひどく静かだった。なんというか、静か過ぎて気持ち悪かった。ここに化物が出てきても、所詮おかしくはなかった。
「……なんてね」
シノは冗談交じりに呟くと、目の前にある人間が姿を現した。
そこに居たのは、男だった。否、男子生徒だった。その視線は窓を見つめていたが、どこか朧げで消えてしまいそうなかんじだった。シノはそれを見て蟀谷に汗が伝うのを感じた。恐ろしいわけではない。気持ち悪いわけでもない。ただ、わからない。訳が分からなかったのに、シノは汗をかいていた。
神経により汗腺が刺激され、汗をかく状況には二つ存在する。――物理的な熱による発汗と、感情的なストレスによる発汗だ。後者に至っては特定の部位しか汗をかかない。今の汗は、ちょうどその状況を指している。
だから、なのかは知らない。
「――」
シノはここで、ようやく彼に対するものが何か、理解できた。
――殺意。明確な、殺意。
果たしてそれは誰に向けられているものなのかは、わからない。しかし、彼女はそれが彼女に向けられたものではないと勝手に思い込もうとした。思い込むのは、大事かもしれないが、それは逃げに過ぎない。例えば巨大な虎が目の前に現れたとして、その眼光は自分に向けられたものではないと勝手に思い込む。逃げるためだ。それと同じだ。
しかし、彼はこちらに目線を向けることもなく、振り返り、立ち去っていった。
それを見て、シノはようやく一息つく。そして、シノは彼を追うように、教室へと向かった。
シノが教室へ入ると、まだ誰もいなかった。
仕方ない。なぜなら、まだ時間的には余裕があるからだ。そう考えて、シノはカバンから教科書を取り出し、それを開く。長ったらしいまえがきをすっ飛ばし、五頁目にある目次を眺め目的の項目を見る。
「『パラドックスの恋文』ねえ……そんな理論成立するのか知らないけれど、戯言だよなあ」
独りごちり、シノは教科書をとじる。
シノは窓から外を眺める。窓は楕円の形になっていて、そこからは地面が見える。この学校は高台に立っている。だから景色もよい。
「眠い……」
どうやら寝ていたらしい。にしても、いつになったら来るのだろうかとシノは考えていた。窓を見ると、日が暮れかけていた。
もしかして――シノはそう言ってスマートフォンを操作し、カレンダーを眺める。すると――、
「……嘘。明日だったじゃん……」
カレンダーを確認しなかった彼女が悪いのだが、彼女はどこかにこのイライラをぶつけたかった。
なんで明日と気づかなかったのかということではない。
なんでカレンダーを確認しなかったかということに、彼女は怒っていた。
「ああ。もう踏んだり蹴ったりだよ」
踏んだり蹴ったりの意味を理解してもいないのに、彼女はそう言ってみた。そのほうがなんだかかっこよく見えるからだと彼女は思ったが、あいにく校内には誰もいない。かっこよく見えるもなにも、ないのだった。
仕方ないので、彼女は廊下を歩く。歩いて、次の角を曲がれば玄関だ。
「今日も無駄に時間を潰してしまったのだった、まる」
そう言って、角を曲がると、ひとりの少年とすれ違った。
それは、朝であった少年だった。
「……どうしてこの時間まで残っているの?」
少年は問いかける。
それは少女の方こそ自分自身に尋ねたかった案件でもあった。
「いやあ……ちょっと忘れ物をしちゃってね……ハハハ」
「奇遇だね。僕もだよ」
「何を忘れたんだい?」
「ちょっと……あるものをもらっていなくて」
「あるもの?」
シノは気になって、訊ねてみた。
思えば――それが間違いだったのかもしれない。




