竜宮城に籠城
むかしむかしのことでした。
ある国にそれはもうかわいらしい姫さまがいらっしゃいました。名は、乙姫。長い黒髪がつややかで白い肌に映えておりました。お風呂好きで見目麗しく、そのたたずまいから幼少のころより「乙姫さま」と呼ばれ大切にされたそうでございます。
ところが。
「わらわは、魚はきらいじゃ」
成人を前にするころには、すっかり跳ねっ返りに育ったようでございます。
「ですが乙姫さま。父上さまが『将来国を治める者が魚嫌いであれば、漁師たちが困ろうに』とお怒りでございます」
「わらわが困るくらいなら、漁師どもが困れば良いであろう」
何という暴言でございましょう。ですがもちろん、これは失言ではありません。乙姫さまは主義主張はおろか、信念まで込めて断言なさいます。甘いものがたいそうお好きで、魚もそのくらい甘ければこのような悲劇は起こらなかったでございましょうに。
「大変です乙姫さま。殿さまの大軍勢がこの竜宮城を十重二十重に取り囲んでございます!」
「報告! 今、外を取り囲む乙姫さまの父君から、新鮮なタイの刺身が届けられました」
「『だだをこねずいますぐ食え。でないと水攻めするぞ』と言ってきています!」
家臣団の女性から、次々報告が寄せられております。乙姫さま、だぁいピンチでございます。
「ふん。こんなもの」
家臣団がかしずき見守る中、乙姫さまは何と、タイの刺身が乗った皿を手にし窓際まで歩み寄るのでした。ま、まさか!
「リリースじゃ!」
ぽいと、窓の外から刺身を投げ捨てたのでございます!
こうして、竜宮城は激しい水攻めを受けたのでございました。
それはもう、この世の終わりもかくやの。
それから長い長い年月が過ぎ去ったのでございます。
乙姫さまはさらに美しくたおやかに成人なされております。
「ま、もともとわたくしは風呂好きでございましたし」
激しい水攻めで水没した竜宮城の中で、乙姫さまは長いおみ足を横たえ悠然と言い放つのでございます。水の方も、美しい乙姫さまを水死させるのに忍びなかったのでしょう。水の中で不自由なく暮らせるよう便宜を図っているようでございます。
それでも、たまに遥か水面の方を懐かしそうに見上げていらっしゃいます。陸の上の甘いものが懐かしいのでございましょう。かわいそうな乙姫さま。家臣団の女性たちも、乙姫さまの魚嫌いを慕って寄ってきた魚たちも、そして水攻めの水たちもはらはらと涙を流し不憫な身の上を悲しむのでございます。
「ちょっと、しょっぱい」
乙姫さまは少しだけ、眉をおひそめなさいます。
ところで、いまだ乙姫さまたちは籠城を続けております。
哀れと思えば、どうぞ、甘いものを海に投じてくださいませ。
なお、乙姫さまの父君は「これを食べ切れば、ゆるす」と魚料理一年分を寄越していらっしゃいます。
乙姫さまが、「誰かかわりに食べてくれる人、いないかナ」などと思っていることは、どうぞ御他言ありませんよう。父君には、特に。
おしまい
ふらっと、瀬川です。
別サイトの同タイトル企画で書き上げた旧作品です。
乙姫さまの麗しさをご堪能ください。