01ココ
ゴボゴボゴボ。
気泡の弾ける音がする。
ゴボゴボゴボ。
押し流されるような感覚に戸惑う。
(ここは)
ゆるりと目を開く。
ゆらゆら揺れる光の筋。
気泡が弾け、昇ってく。
弾ける白。差し込む光。その向こうに映るのは、どこまでも澄んだ、透明な青。
それはどんどん遠くなって、水は冷たさを増し、くらく、ふかく、なっていく。
ゆらゆらと靡く黒い髪が、伸びる私の腕が、翻る白い裾が、ゆっくりと、落ちていく。
(このまま)
穏やかな気分のまま、眠れたら。
―――眠れたら?
(?)
湧きあがる疑問。
眠れたら、どうなるのだろう。
このままこうして揺蕩っていても、私は。
(・・・私は?)
―――そんなもの、私は、いらない。
(!?)
冷水を浴びせられたような私の言葉に、ハッと意識を取り戻した。
「ゴホッ・・・ゲホっゲホ」
ザバッと水面に顔を出し、息を吸い込む。
急激な呼吸に喉と肺が悲鳴を上げる。
滲んだ視界に地面が見え咳をしながらそちらへ泳ぐ。
「ゴホッ・・・ゲホッ・・・ゼェハァ」
岸に上がって咳き込む。
呼吸を整えようやく私はあたりを見回す事が出来る。
「どこよ・・・ここ」
目の前に広がるのは湖。
私はどうゆうわけかこの湖の中に落ちたらしい。
湖を取り囲むようにして木が立っている。
ちょっとした湖畔と言ったところだろうか?
人の気配はないけれど、獣道のようなものが発見できた。
水分を含んで重くなった白いワンピースを絞る。
靴はない。たぶんあの湖の底に沈んだのだろう。
浮かんできたとしてもわざわざ取りに行こうとは思わないのでいいとする。
波一つ揺れない湖面にカバンが浮いてくるというようなこともなかったので、私は着の身着のまま身一つと言う事だろう。
不安と疑問を抱くが、いつまでも湖面を見ているわけにもいかない。
ここに至って私が湖から溺れ時に掛けた事実は変わらないし、手首や足首が赤くなっていない事から手足を縛られ重石付きで人柱よろしく湖に投げ込まれたという訳でもなさそうだ。
生贄として湖に捧げられたという最悪の可能性はなさそうだ。よかったよかった。ホッと胸を撫で下ろす。
かといってこの状況が良いモノかどうかは別の話。
「なんか、嫌な予感しかしないんだけど・・・」
嫌な予感ほどよく当たるという
私は外を見るべく、歩き始めた。
「・・・これは」
目の前の光景に言葉を失う。
あたり一面に広がる景色は見事なまでに茶色一色。
見渡す限り土土土の土色だった。
「見事に何もない!」
民家なんてもってのほか、ぺんぺん草一つ映えていない。
此処が道だと分かるのも辛うじて杭らしきモノが続いているからだ。
振り返れば彼方に湖の有った森がぽつんと見えるだけ。森と言うような大層なモノじゃなかったけど。
だって、歩いて十歩ほどで外に出たくらいだ。
それ以外は土色の荒野だった。見渡す限り荒野だった。何度見ても荒野だった。見事なまでに、荒野だった。
「・・・嘘でしょう」
こんなところでは人を探すのも難しそうだ。
カンカンと照っている太陽のおかげですっかり髪もワンピースも乾いている。
むしろ湖の水をどうしてもてこなかったのかと不安になる照り具合だった。
直接触れている足は熱い、痛いを通り越してもはや感覚が亡くなっている。
ワンピースの裾を破って足に巻いてみたけれど、気休め程度にしかならなかった。
ゆらゆらと揺らめく大地が恨めしい。
「干からびる」
じっとりとわく汗をぬぐい、恨めしく太陽を睨みつけるが、それで何かが変わるわけじゃない。
土色の大地にもうんざりする。
「なんで私がこんな目に・・・」
ふつふつと湧きあがる怒り。
ぶつけられない苛立ちに、とうとう私は叫んだ。
「この際、盗賊でも狼でもいいから出て来い!誰かいませんか―!!」
かー!!
かー!!
かー!!
声だけが空に虚しく吸い込まれていった。
「はぁ、ちょっと休憩」
土色の大地に穿たれた杭に背中を預け腰を下ろす。
じりじりと照りつける太陽が恨めしい。
木が一本でも生えていれば影が出来少しは涼しく休めたのに、と思うけど、ないものは、ないのだ。
「湖から出てこなきゃよかった」
少なくとも此処よりはましだろう。
あそこなら湖が合って水に困ることはない。
こんな風に喉が渇いてもすぐにのどを潤す事が出来たのに・・・
後悔に項垂れたとき
「?」
ふと地面が揺れたような気がした。
キョロキョロとあたりを見回す。
「あれは・・・」
土煙だろうか?
今でこそ遠いがそれは確かに土煙だった。
それは勢いよくこちらに向かって近づいてきている。
「どどど、どうしよう!?」
あたふたと慌てる。
人か、獣の群れか。
願わくばそれが私にとって良いモノであってほしい。
「人だ!おーい!」
ぐんぐんと近づく土煙と現われたのは馬に跨った人だった。
それに安堵し声を上げて手を振る。
気が付いた人が私を指さし、馬の頭がこちらに向いた。
「おーい!おー・・・え?」
ぴたりと降っていた手を止める。
近づくそれがようやく私にとっていい人ではないと理解できた。
馬に跨っていたのは嫌味なほど見目麗しい金髪の男たち。
その姿は白馬にまたがる王子様の様だろう、その手に抜き身の刃を持っていなければ。
そして、親の仇を見るかのような殺意溢れる形相でなければ。
「な、に?」
射抜く殺意に体が反応した。
それを理解する前に、身体は動く。
ぶんと風を切る音、頭の有ったところを銀の軌跡が通り過ぎた。
(殺される!)
ペタンと地面に腰をつけ見上げる男の形相。
美しいその顔は憎しみに彩られ私を見下ろす。
飛ぶ言葉が理解できないのは幸いだった。
喚いている様子からするに、ろくでもないものだろう。
少なくとも出会い頭に問答無用で殺されるぐらいには、私は歓迎されていなかった。
(どうなって!?)
痺れる頭ではまともに考えられない。
だた、このまま地面に座って男たちを見上げていれば、殺されるのだけは理解できた。
だからと言ってこのまま彼らに背を向けて走ったところで、殺されるものまた理解していた。
どんな美形でも醜悪に歪んだ顔というのは出来るんだとぼんやりと思う。
嘲笑う醜い笑みに、何の感情もわかなかった。
ただ太陽の光を受けて光刃の光は、綺麗だと思った。
振り上げらえた刃を見て、
(それも、いいかな)
不思議とそう思ってしまった。
来たるべきその時を受け入れ私は目を閉じた。
だが、その時はやってこなかった。
「ぎゃぁ!?」
ひゅんと、風を切る音、男の悲鳴。
それに意識が引き戻される。
眼を開けば、醜悪な笑みを浮かべた金髪の男は腕を貫いた矢に剣を落とし呻いていた。
ヒュン、ヒュン。雨の矢が降る。
それは的確に男たちを射抜き、いつの間にか馬に乗った集団が、男たちと剣を交えていた。
「え?」
赤い花が咲いた。
私を殺そうとした金髪の男が腕を切り落とされたのだ。
赤い花が咲く向こうで、赤銅色が私を映す。
それを最後に私は意識を手放した。