これでも戦えるんです
「っぶな……!!」
薙ぎ払うように勢い良く振られたナイフを間一髪屈んで避ける。すぐ頭上でナイフが私のフードを切り裂く音が聞こえ、私の緊張は更に高まりました。屈んだ体制のまま、しかしいつでも動けるように警戒しながら、相手のフードから覗く濁った眼を見据えます。すると後ろの方にいた男が狼狽えたように声を洩らしました。
「こいつ……女……!?」
……え。私は自分の身体がぴしりと固まるのを感じました。何、この人たち皆私のこと男だと思ってたの? 双方が全く異なる理由で驚き一瞬その場の空気が固まります。ですがそんな静寂も束の間、リーダーらしき人物が声を張り上げて仲間を叱咤すると同時に再度私にナイフを突き付ける。
「か、構うな! 男だろうが女だろうが容赦はしねぇ!!」
避けようと慌てて跳びのきますがここはせまい路地裏の奥の奥。逃げ場は限られておりナイフの切っ先が腕を掠めました。傷口を中心に腕が熱を帯びますが、反して頭の中は不思議と冷静になっていきます。
――動きに無駄が多い。なにより相手を傷つけるという覚悟が、無い。戸惑いが更に動きを鈍らせている。この人達は――人を傷つけることに慣れていない。きっと心根は、優しい人達。
そんな考えが浮かんだとき胸の中に奇妙な感情が渦巻きました。同情、戸惑い、憤り、何より――悲しみ。犯罪に手を染めるまで追いつめられている人々がいる。その事実が、哀しかった。どうしようも無い気持ちが胸一杯に広がっていきます。私は思わず縋るように相手の目を見つめ、そこで――光を見ました。『光』と呼べるほど綺麗なものではないのかもしれません。そこにあったのは、暗い瞳の中にあったのは、隠しきれないほどの不安、恐怖、罪悪感。私にとっての、希望の光。
――彼らは、まだ、引き返せる
心の中で何度も反芻します。確証はありません、しかしそう確信しました。彼らを人殺しになんて、させません。私はまだ、死にませんから。
悲鳴に近い雄叫びを上げて突進してくる男の鳩尾に、持っていた大根を力の限り叩きこみます。続いて切りかかってきた男のナイフを蹴りあげ、そのまま相手のこめかみに蹴りを入れて気絶させる。息つく暇も無く今度は二人同時に襲いかかってきます。しかしやはり迷いがあるのかその動きは鈍い。護身術のために学んだ人体の急所を狙って、一方には顎に大根を叩きつけ、もう一方には首に手刀を落として昏倒させます。残ったひとりは目に恐怖の色を叩えながらも私の懐に飛び込んできました。私は手に持っていた大根をようやく手放すと、相手の走るスピードを利用して一本背負いで男の身体を投げ飛ばします。完璧、と喜んだのも束の間、切りつけられていた腕に思い出したかのように激痛が走りました。
「っ~~!!」
痛い痛い痛い!! あー、調子に乗って一本背負いなんかしなけりゃ良かった、大根を有効活用するべきだった、と座りこんで痛みに悶えながら脳内反省会を開きます。思えば、このとき私は油断しきっていたのです。背後でかたん、と小さな物音がしました。微かな音でしたがこの狭い路地では十分すぎる程の音。血の気がさぁっと引くのを感じながら勢い良く振りかえると、そこにはナイフを振りかぶった男の姿。その瞳にはもう私の求めた光はありませんでした。むき出しの恐怖と、狂気。
――あ、私死ぬのか
直感的にそう悟りました。恐怖はありません。あるのはただ、目の前の男を人殺しにしてしまうという罪悪感。結局全てを知れなかったという虚無感。
――まぁ、仕方ないかなぁ……
『すぐ諦めるのはあなたの悪い癖ですよ』
昔キースに言われた言葉を思い返しながら、けれども私は結局諦めて目を閉じました。近づいてくる死の気配。私が追い求めた疑問の答えがもう、すぐそこに――。