降臨失敗
「…………はぁ……はぁ……」
一体、この場所に来てどれくらい経つのか。少年にはもう分からなかった。
ひっそりと家を出てきたのはいいものの、こうして森を彷徨っているのでは何の意味もない。こんなことになるのなら、太陽を嫌って森になんか入るんじゃなかった。
……ああ、しかし、お腹が空いたな。ところどころで食べられそうな果実は見かけるものの、足を怪我したせいで取りにいくこともできないし、動物の一匹すら見かけないのでは、この聞き飽きた腹の虫を鳴り止ませることもできない。
少年は一度足を止め、近くの木に寄りかかるようにして腰を下ろした。体の力を抜いて瞼を閉じ、完全に体を預けようとして――どこかから、草木を踏みしめる音が聞こえた。
「ねえママ、こんなじかんにどこにいくのー?」
「……いいから、静かに着いてきなさい」
声のする方に目を向ければ、小さな灯りを手に誰かが歩いているようだった。
少年は咄嗟に立ち上がろうと力を込めるも、体は思うように動かず。そうしてもぞもぞと動く姿を映し出すように、灯りは静かに少年を照らした。
「!?」
「ママ!だれかがたおれてる、たすけなきゃ!」
「……ッ!ダメよレティ危ないわ!戻ってきなさい!」
「く、来るな……!」
「ねえ、だいじょうぶ?どこかいたいの?」
「だから来るなと――」
その時。
場の空気を切り裂くように、「ぎゅるぎゅる」という音が辺りに鳴り響いた。
「……おなかすいてるの?これ、さっきとったやつだけどたべる?」
「……」
「――レティ!急に走り出したら危ないでしょ!」
「うぅ……ママごめんなさい……」
「まったく、これが動物とかだったらどうする――」
受け取った丸い果実を、少年はしばらく眺め――小さく、かじりついた。
「………………うまいな」
「……でしょ!よかったあ!」
怒られていたことも忘れ、花開くように笑う目の前の少女。
これが、この少女――プレディアとの最初の出会いだった。
「おうキース!今日も狩りに行くぞ!」
「はい。よろしくお願いします」
少女に、集落に案内されてから早数週間。
記憶喪失だという少年を受け入れてくれた村の人たちとは、こうして一緒に働いている内に打ち解けることができた……と思う。
少女――プレディアの家に住まわせてもらいながら、日が出ている内は森で狩り、日が落ちてからは農業の手伝い、といった日々を少年は送っていた。
「キース!そっちに行ったぞ!仕留めろ!」
「任せて……ください!」
少年は、持ち前の身体能力で暴れる『いのしし』を槍で突き刺す。すると、獲物は糸が切れたように動きを止めた。もう槍を使うのにも、慣れたものである。
「流石だなキース!やるじゃねえか!」
「……ありがとうございます」
「おいおいどうした!もっと喜んだっていいんだぜ!」
笑みを浮かべながら、そう背中に活を入れようとする男の手をひょいと躱し、少年は歩き出した。
「……行きましょう。冬が来る前に、獲れるうちに獲っておかないと」
「へいへい。相変わらずだなあキースは。……おい、お前らはこいつを村に持ち帰って――」
村に戻れば、少年はプレディアの家に直行する。その途中にある畑に目を向ければ、プレディアが父親の仕事を手伝っているのが見えた。
少年が畑に向かって歩くと、こちらに気づいたプレディアが手を振った。
「あ、おかえりキース!だいじょうぶだった?」
「ああ、ただいま。プレディアこそ、顔に泥ついたままだぞ」
「あっ……えへへ」
「悪いなキース。疲れてるだろうに手伝ってもらって」
「……いえ、好きでやってるので」
「そうか。じゃあ今日は――」
そうして、少年の一日が終わる。
「いやあ、キースが来てくれてから仕事が楽になったな!」
「ありがとうございます」
「ほんと、地震のせいで冬が越せるか心配だったが、飯もこれだけ食べれるなら大丈夫そうだな!なあ母さん」
「……そうね」
テーブルには、暖かそうな野菜スープや柔らかそうなパン、こんがりと焼けた肉が所狭しと並べられていた。少年が来る前は肉など食べられなかったそうなので、ささやかながら贅沢な食事だ。
だが――
「……あの、一つ聞いてもいいですか」
「おう、どうしたキース」
数週間この村で暮らして、少年には分かったことが二つある。一つは、地震が来たというせいか、この村には食べるものがもうほとんど残されていないこと。
そしてもう一つが――
「……地震のせいで、収穫がほとんどできなかったんですよね。なのに、こんなに食べちゃっていいんですか……?」
「……」
押し黙る母親をよそに、父親が答える。
「ああなに、気にするな。もうすでに目途はたっているからな。遠慮なく食べてくれ!」
「……」
そしてもう一つが、こういう状況にもかかわらず、なぜか村の人たちが明るく振舞っていること。初めはよそ者である少年に気を使っているのかとも思ったが、どうやらそうではないらしい。
それに。
「……ッ!」
母親が急に立ち上がったことでテーブルが揺れ、スープが少しこぼれ落ちる。
「…………ごめんなさい。少し、夜風に当たってきます。レティ、私の分も食べていいわよ」
「……いいの!?ありがとうママ!」
席を立った母親は、口元を押さえながら外に出ていった。
……そう。村の中で唯一、様子のおかしい母親が少年は気がかりでしょうがなかった。
むしゃむしゃと、口いっぱいに頬張るプレディア。しかし少年には、この幸せな時間がいつまでも続くとはどうしても思えなかった。
そして。
その日はやってきた。
「レティ。今日は大事な話がある」
いつもの日課を終え、夕食を取っていると父親がそう切り出した。死人のような顔で横に座る母親に、嫌な予感はしていたのだが……。
「……なーに?」
「お前は、めでたく儀式の巫女に選ばれた。そして明日、その儀式を執り行う」
「ぎしき?」
「ああ。神にお力を借りるための儀式だ。もはや村を救うにはこれしかない。そして、その巫女は最も心の清いものにしかなれない」
「……どんな、儀式なんですか」
「伝承によれば、森の奥にある湖の底に巫女が触れることで、神が現れる……と言われている」
「……それは」
「わたし、およげないよ?」
「大丈夫だ。レティは頑張って泳ごうとしてくれるだけでいい」
「……?わかった。みんなのためにがんばってみるね!」
「………………」
夜。
おやすみ、と大きな欠伸をしながら寝ようとするプレディアに、少年は言った。
「……なあプレディア。一緒に行かないか。誰も知らないような、どこか遠くへ」
「……んー、どういうことー?キース、どこかでかけるの?」
「ああ。明日の儀式は止めにして、二人でどこか遊びにいこう」
「……でも、ぎしき?をしないと、むらのひとたちはこまっちゃうんでしょ?なら、ぎしきはちゃんとやらなきゃ」
「…………その結果、死ぬことになってもか?」
「……しんじゃうのはこわいけど、わたしがみんなをたすけられるならがんばれる」
「………………理解できない」
「ではこれより、神下ろしの儀を執り行う。巫女を前へ」
仰々しい服を着たいかにもな白髪の老人がそう言うと、プレディアを連れて父親が前に出た。母親は数人に支えられかろうじて立っているが、動く気力はもはやない。
「レティ、愛しているぞ」
「……うん!がんばるね!」
……どうして。
「では巫女よ。飛び込みなさい」
……どうして、他人なんかのためにそこまでできる。
「…………………………えいっ」
そして、プレディアは窪んだ湖に自分から飛び込んだ。
プレディアはなんとか水中に潜ろうとしているも、一向に潜り込めずにジタバタを繰り返している。……当然だろう。泳げないのだから。
やがて、水中から大きな気泡が湧き上がり、今では息継ぎをしようと必死に水面から顔を出そうとしている。もはやこれでは、湖の底どころか表面でただ溺れまいとしているだけだ。
そんなプレディアを見てられず、少年は老人に詰め寄った。
「これの何が儀式だ!それにこんなんじゃ儀式だって成功しねえだろ!」
「何を言うか。すべて滞りなく進んでおるじゃろうが」
「何を言って――」
「こうして待っておれば、いずれ巫女は溺れて沈む。底にさえ触れればよいのだから、生きてようが死んでようが変わるまいて」
「……ッ!このクソ野郎共が!」
「……待て、キース!何をするつもりだ!」
「放っておけ、どうせ助からん。それに、見よ。天が……」
父親の静止を無視して、キースは湖に飛び込む。
そして、沈んでいたプレディアを抱きかかえて水面に上がった、その時だった。
「おお!神が……ご降臨なされるぞ!」
少年の真上から、真っ白な一筋の光が湖を照らすようにして現れた。
その光が逆光となり、姿は見えないが何かがたくさん降りてきているのが見える。
そして――
「…………我々は一体、何を呼び出したのだ……?」
光が止めばそこには、無秩序に線や図形が重なる、幾何学模様の何かがいた。
「貴様らか。我ら天使を呼び出したのは」
「…………天使?」
「如何にも。それで、貴様らは何を求める」
天使を名乗るその集団に、老人は言った。
「わ、我々をお助けくださいませ!」
「ほう、救済を望むか。いいだろう」
「……!何を言ってやがる!そんな奴らを――」
「では、一人ずつ救済してやる」
そう天使が言うや否や、村人が一人ずつ倒れていった。
「――――え?何をして――」
「案ずるな。お前もすぐに天界に送ってやる」
そうして、次々と倒れていく村人を見た老人は頭を抱え――叫んだ。
「……何が天使だこの悪魔どもが!我々は助けて欲しいだけだ!死にたいわけではない!!」
そんな魂からの叫びも無意味に、村人は全員倒れ、残るは少年たちだけとなった。
……はっ、ざまあみろってんだ。
「……だけどこれで、降臨とやらも失敗に終わったことだし――」
「失敗ではありませんよ」
「!?」
少年が振り返れば、そこには奇妙な幾何学模様――ではなく、羽の生えた人間が宙に浮かんでいた。
「……天使、なのか?」
「はい。あの方たちとは姿は違いますが、同じ天使です。どうやらこれが可愛いらしくて――」
「そんなことはどうでもいい!こいつも……プレディアも、天界とやらに送るのか……?」
「……その必要は、もうなさそうですね。その子を助けていただき、ありがとうございました。しかし、どうしてこんな古い方法を知っていたのかと疑問に思っていましたが…………あなたが教えたのですか?」
「…………いや、俺じゃねえよ」
「そうですか。しかし、あなた方悪魔のせいで毎回こんなに大勢で来る羽目になったんですから、くれぐれもいたずらはほどほどにするようお友達にも言っておいてください。では」
「……」
帰っていく天使を見送った少年は、腕に少女を抱えたまま宙に浮いた。倒れ伏す亡骸の中から、母親の遺体だけを丁寧に埋葬し、すやすやと眠るプレディアを抱えて少年は飛び去った。
空を飛びながら、少年は誰に言うともなく口を開く。
「オマエは……こんな世界に似合わない。帰ろう。魔界へ一緒に」




