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玻璃の静謀ー赦し4

4️⃣

会津若松駅から南へ10分、紺のレクサスは一路、鶴ヶ城を目指して走っていた。秋の日は釣瓶落としー太陽は早くも西に傾き始めていた。

「この信号は右に曲がればいいんだね、雪臣君…雪臣君?」

ドンッ!雪臣は背中に感じた衝撃でハッと我に返り、反射的に振り返った。そこには後部座席に座っている綾が怖い顔で拳を握りしめて睨んでいた。衝撃の正体はどうやら綾が雪臣を正気づかせるべく、助手席の後部に見舞ったフックだったらしい。

「看板がこっちになっているもの。右でいいのよね、雪臣ちゃん?」

「えーあ…うん…」

"ちょっとシャッキリしなさいよ、みっともない。但馬がいなくちゃ何もできないのッ!"

綾の目が無言で語っている。返す言葉もなく向き直った雪臣に、ステアリングを握る喜徳がフワリと笑いかけた。

「大丈夫ー?やっぱり疲れているのかな…?」

「いいえっ!ただちょっと夕陽が眩しくて…そっちに気を取られてたもんだから…失礼しましたー」

「そう?じゃ…ハイ」

ひょいと腕を伸ばした喜徳は雪臣の前の日避けを降ろした。

「あー」

ふと視線を泳がせた途端、ミラーの中の綾と再び目が合った。雪臣の視線に気づいた綾は思いきり舌を出してそっぽを向いた。

『まいったなぁ…』

雪臣はふっとため息を漏らした。うわの空の原因が後ろのクラウンにあることなど、とうの昔に綾はお見通しらしい。

『妙な誤解をされたばかりだってのにー』

などと思いつつも雪臣の視線は知らずのうちに彷徨ってしまうのだ。

「お前のせいだ…バカ……」

クッションの良い助手席にもたれながらも居心地の悪い雪臣は、バックミラーに映っている恭四郎の無表情に向かって小さく毒づいた。


砂利を撒き散らしながら三の丸跡の駐車場にレクサスとクラウンが止まった時、白亜の鶴ヶ城天守閣は夕焼けに染まって茜色に輝いていた。薄暗い木立を抜けて本丸を囲む濠にかかる朱塗りの廊下橋を渡る。閉城時間が間近らしく、帰ってくる人影は数人あったがこれから城に向かうというのは雪臣達の一行しかいなかった。ピーヒョロローッー森閑とした静寂をかすかな鳴き声が破った。見上げると天守閣の真上に鳶が一羽、大きな円を描きながら悠々と飛んでいる。

鶴ヶ城ー正式名称、若松城。鎌倉時代芦名直盛がその礎を築き、伊達、蒲生、上杉などの戦国大名が入城した平山城である。江戸時代に入ってからは二代将軍秀忠公を父とする保科正之公を祖とする会津松平家九代に渡る藩主の居城となっていた。

この城が天下の名城として最後に全国にその名を轟かせたのは幕末会津藩を襲った戊辰の役の時だった。縄張りの緻密さ、城郭の備えの厳密さで怒涛のように押し寄せてきた薩長軍の攻撃を受けながらも実に1ヶ月の籠城に堪えたのである。


「いい眺めだなぁー」

「ほんとー都心のビルからの眺めとはまた違った趣だわね。新鮮」

刀や鎧などの武具什器類などを展示してある場内を抜けて一行は最上階の天守閣へ直行した。

不満はさておき、与えられた状況を目一杯楽しまなければ気が済まない綾と莞爾とした表情を崩さない好奇心の塊のような喜徳は、遠足に来た子供のように我先へと欄干に出て行き感嘆の声を上げた。

続いて無言のまま雪臣と恭四郎、たつ子が階段を昇ってきた。5階の天守閣まではかなりの数の階段がある。そこを一気に昇り詰めるのは健康な者でもずいぶんときつい。ましてだいぶ回復したとはいえ並の心臓を持ち合わせていない雪臣にとっては富士山に登るのと同じくらいの大変さであった。吐く息が異様に荒い。こめかみと心臓の鼓動だけがやけに大きく自分の内で響いている。やっとの思いで階段を昇り詰め、差し込む夕陽に顔を上げた時、雪臣の視界がふいに暗くなった。

「雪臣様っっー!」

フワリと傾いだ雪臣の華奢な体を受け止めようと恭四郎が血相を変えた時ー。

「大丈夫…だよッ!」

すんでのところで持ちこたえた雪臣は手すりに体をもたせかけると差し出された腕を邪険に払い除け、上目遣いに恭四郎を睨んだ。

『野生動物を手懐ける飼育係の気分だー』

恭四郎は前髪を掻き上げながら小さく吐息をついた。

「無理をしないで…少し休みますかー?」

「平気だって言ってんだろッ!それともお前、俺の邪魔をする気なのか?」

瞬間ムッとした表情を隠しきれず口をつぐんだ恭四郎。雪臣を覗き込んでいたその目がスッと細まった。

「ーわかりました…ご深慮をお邪魔して申し訳ありません、雪臣様。浅はかな私などが手出し申し上げては妨げになりますからね。私は退がらせていただきその素晴らしいお手並みをじっくりと拝見させていただくといたしましょうーただ……」

腕を組んだ恭四郎は明後日の方向を向いてボソリと呟いた。

「車の中から意味ありげにこちらを見るのは、できればやめていただきたいのですが…浅慮な私ですゆえ、何かご用かと近づいてしまいお邪魔する恐れがありますのでねー」

『クーッ!バレてる…』

雪臣は思わず歯噛みした。

「ーこんのぉ…根性悪ッー!」

「雪臣君ッー!」

恭四郎に噛みつこうとした威勢を削がれて、雪臣は反射的に呼ばれた方角へ顔を向けた。赤い欄干にもたれながら喜徳が手招きをしている。

「あれ、何かな?ほらあそこの…」

「え…どれー?」

喜徳の指さした方向を覗き込もうと、雪臣が欄干に近づいた途端、喜徳は雪臣の背後に回ってそっと耳打ちした。

「ほら雪臣君、そんな目で但馬さんを睨まないで…彼は別に仕事をさぼってどこかに消えるっていうわけでもないんだし、いくら秘書って言ったって各々別の人間なんだもの、人格を認めてあげなきゃ。息が詰まってしまうよ?」

「そーそー」

無責任に相槌を打つ綾から喜徳に視線を移しながら、雪臣は皮肉な口調で切り返した。

「仕事中に私情は禁物ーだろ、喜徳さん?」

「それはもちろんだーでも今日の顔合わせは仕事ってほどのことでもないよね。僕はこれから家族になる君と少しでも仲良くなりたいと思って会津を案内してもらうことをお願いしたんだけど…君はそうじゃないのかい、雪臣君?」

そうじゃないーとはさすがに言えず、黙り込んだ雪臣はやがてポツリと呟いた。

「ビジネスとプライベートは別ーね…害がなければプライベートは何をしてても構わないってこと?ーアメリカ的だね」

「ああ…たつ子は優秀なスタッフだ。僕は彼女を信頼してるからね」

「……」

「こんなこと言うと留学帰りのアメリカかぶれがって思われそうだけどね…日本って国は従は主の所有物扱いでしょ?従にしても自分はいかに主の為に役立つかってことが重要で常に控えめだしーたまに主を諌める事があったとしても"蜂の一刺し"じゃないけど命懸けでやるから1回こっきりで終わってしまう。昔なら切腹とか、今なら辞表を出すとか…でもそれじゃ後が続かない。大切なのは主とか従とかの問題じゃなくて、人格を認め合えて互いに協力し、高め合える仲間が必要なんじゃないのかなぁ…」

「ー」

雪臣は何も答えなかった。その瞳がさりげなく肩越しに向けられる。その視線はちょうどなんだかんだと言いながらもやはり気がかりそうな眼差しでこちらを見つめていた恭四郎とかち合ったのである。その瞬間白い貌に浮かんでいた皮肉な笑みは消えた。

「ー明日は飯盛山にある白虎隊の墓を案内しますよ、喜徳さん…」

「白虎隊の…墓?」

「そうーあの山の中腹にあるー会津と言ったら白虎隊ですからね、やっぱり」

雪臣は頷きながら城の背後に見える山を振り返った。

「ーああでも喜徳さんは嫌いかもしれない」

「どうしてー?」

首を傾げる喜徳を顧みることもせず、雪臣はほとんど独り言のように呟いた。

「…あそこにはね、ヒトラーとムッソリーニが白虎隊を褒め称えた碑があるんです。意外でしょ?会津のこんな山奥に、第2次世界大戦の三国同盟(ドイツ、イタリア、日本間で結ばれた同盟)の名残があるなんて…国の為、主君の為に死んだ白虎隊は、戦争中独裁者達の格好の餌食になった…愛国者はこうあるべきだってね…白虎隊もいい迷惑ですよね」

「主君の為に尽くした白虎隊の純粋な心が、権力者によって祭り上げられ利用されていく…」

ふと呟いた喜徳の顔から笑みが消えている。彼の声は低く、自らの物思いに沈んでいるようだった。

「嫌だとかそういうことではなく…それはとても恐ろしいことだよ…とても哀しいことだー」

「喜徳…さん…?」

「権力を持つということは人間の純粋さや真心を平気で踏みにじれる人間になってしまうということなんだろうか、ねぇ雪臣君?」

問いかけられた雪臣は肩をすくめながら振り返った。

「もしそうだとしても、俺はそんな人間になりたくないーそんなんだったら権力なんかいらない…って普通だったらそう思うんでしょうけど、生憎俺は政治家を親父に持っちまったからそうは言えない。自分だけが清く正しく生きていたって、そんなの権力の前では何の効力もないってことを知っている。だったら自分がそいつらより力を持つしかないんじゃないかな?どんな世界でも"生き残ってこそ"でしょ?俺は別に恭四郎…但馬のことを従なんて思っちゃいないよ、喜徳さん。あいつは親父の秘書で、俺の秘書なわけじゃないし…でもね今は俺達、とりあえず勝たなきゃならない相手がいてーそういった意味でいうなら協力者だからね。あいつの気持ちが勝つこと以外に向けば喝入れるのは当然でしょ?それが俺の為だしーあいつの為でもあるんだから…"勝たなきゃ"…ね、喜徳さん?」

あんたには負けないよーそれは言外にありありとそう語っていた。

「ーま、人間自分のやってることが一番正しいと思っているものね。自我を押し通すためにぶつかり合うんでしょうね。俺の親父も喜徳さんの兄さんも」

「……」

雪臣の微笑を眩しげに見つめた喜徳は、ふと我に返ったように自嘲的な笑みを漏らし義弟から顔を背けて呟いた。

「ー君は強いね、雪臣君ーそれは生来のものなの?それともまだ失うことを知らない単なる怖い物知らずなだけなのかな?」

「失う…って、何をー?」

軽く目を見開いた雪臣に、欄干に背をもたせかけた喜徳は、遠い目をして笑ってみせた。

「そうだね…たとえば父上の愛情ー」

「そんなのー」

「たとえば但馬さんの存在ー」

「……」

瞬間、雪臣と喜徳の瞳がかち合?った。

「但馬さんを大切にね、雪臣君ー君にとって彼はたぶん2人といない得難い人だ。人間は誰でもそういうかけがえのない存在を常に求めて生きてるんだろうけど、そう滅多に転がってるものじゃない。親子、夫婦、兄弟でもー彼が在るということに慣れ過ぎてしまっている君にはわからないかもしれないけれども人の心はいつどんな風に変わるかわからないからね。君が大切なものを失くさないうちに忠告させてもらうよ。僭越だけどー意地っ張りも程々にね」

「だっ誰がっっ!?喜徳さんの話を聞いてるとなんか俺と恭四郎がやたらと仲悪そうに聞こえるけど、こんなのは日常茶飯事のことで…でもあいつの考えてることは俺と同じでー」

「本当にー?」

「えー?」

「本当に同じなの、君と但馬さんの考えてることは?それは今はそうかもしれない。"勝つ"ことだけが目標なのだとすれば。でもその後は?"勝ちたい"と思った理由は君と但馬さんでは違うだろう?その食い違いが見えないと後で取り返しのつかないことになるかもしれない。それをしっかりと見ないとねー互いの努力もなしに永遠に続く愛情や信頼関係なんてあるわけがないーこれが僕の持論なんだ」

言葉を返そうとした雪臣はふと口をつぐむ。彼の思考は自らの内面に向いた。

『俺はー父様に俺の実力を認めさせたくて、恭四郎にかけている苦労に少しでも報いたくて…勝ちたいと思った…でも恭四郎はー?』

"知っていますか、雪臣様ーあなたを許せない人間がいる。けれどあなただからこそ愛せる人間も確かに存在するんです"

夏の事件の後、恭四郎はそう言った。だが恭四郎自身が前者なのか、後者なのか。雪臣はまだその答えを聞いてない。

『…わかっている、恭四郎がそんな奴じゃないってことは…誰よりもこの俺がわかっている…けどー』

"私より細い"と綾に不興を買っている白く長い指で、雪臣は無意識に口許を覆っていた。

『もし恭四郎が喜徳さんと俺を比べて喜徳さんの方が勝っていると見たら…』

"人の心は変わるものだよ"ー今さっき聞いた喜徳の声が脳の中に韻々とこだまする。

『恭四郎は政界で生きるために秘書になったんだーあいつは俺を……見限るかもしれないー?』

居ても立ってもいられなくなった雪臣は、助けを求めるように恭四郎の姿を天守閣の四方に追った。

が、さっきまでそこにいたはずの恭四郎の姿がない。たつ子と共に既に階下に降りたのだろうか?胸苦しさを覚えた雪臣がふと東の空を見遣ると、山の端にはやけに大きな錆びついた鉄のような赤い月が不気味な様子でかかっていた。

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