玻璃の静謀ー赦し14
⑭
秋の夜長をあれほど賑わせていた虫の音もいつの間にか聞こえなくなり、夏の間は霞んでいた丹沢の山々が晴れた朝にはクッキリと望めるくらいに秋が深まったある日の事。ここ成城の松平桂之介本宅は常になくザワついた空気感に満ちあふれていた。
「ん〜ただいまぁ、まつ〜」
正月は党派の挨拶回りの来客をもてなす為に大勢の人々でごった返す広いダイニングキッチンに、芝居がかった様子で入ってきたのは照だった。
桂之介が前松平夫人と再婚した時に出て行った以来の里帰りで、どことなく居心地が悪そうな照。横田で雪臣を保護した直後は雪臣の事は恭四郎に任せ、自分は喜徳の事を気に病む綾が必要以上に負い目を感じることがないようにとさりげなくフォローに回っていたが、成城に帰宅してからというものはほとんど毎日のように電話してきては雪臣の体調を気にかけていたのだった。
血の繋がりはないものの、実の子同様に可愛がっていた雪臣ゆえに今回の囮作戦は照にとっては辛いものとなったが、愛する義弟桂之介や首相からの依頼とあっては警察官としての勤めでもあり、従わざるを得なかった。
結果、雪臣を危ない目に合わせてしまったという後悔が照に松平家の敷居を高くさせていたのだったが、今回一ツ橋首相の計らいもあり、再び起きるかもしれない麻薬密売組織からの攻撃に備えて桂之介と雪臣のSPを兼ね、三度実家に戻る運びとなった照であった。
「男ばっかりの家でさぞやむさ苦しい思いをしてると思って帰ってきてあげたわよぉ?しばらく世話になるからねっっ!!」
照れ隠しの為かアメリカナイズされた仕草でお手伝いのまつを抱きしめた照は大仰にその頬をなすりつけた。
が、それに対してのまつの反応は意外に素っ気ないものであった。無表情にチラリと一瞬、照を見たかと思うと何事もなかったかのように食卓に皿を並べ始めた。
「お嬢様のまつへのお気遣い恐れ入りますけどー」
「ま、お嬢様なんてっっ!そんな嬉しいこと言ってくれるの、まつだけよ。それに引き換えこの家の男達ったら気遣いのないー」
呆れたように目を細めて振り返った照の視線の先に居たのはー。各々照の荷物を持たされてキッチンに入ってきた桂之介、雪臣、恭四郎の3人だった。
義姉の帰りを今か今かと待ちわびて、財布を持ったまま門の外で立ち尽くしていた桂之介。日頃現金など持ち歩くことのない一国の大臣はいそいそと財布を持ち、その到着を待ち構えていた。
結局照は乗ってきたタクシー代金をカードで支払った為、桂之介の出番はまったくなかったが、とにかく久々の義姉との再会がそんなに嬉しいのかと問いたくなるほど、ニコニコと満面の笑みを浮かべて桂之介はその場に立っていた。松平桂之介ー実に罪作りな男である。一方ー。
「照伯母さん…昼間から一杯ひっかけてんの?家に入ってくるなり持ってたバック投げ出すしーこれここに置いておくからね!!」
対する雪臣の反応は一見冷めたものではあったがーその涼やかな双眸の奥には照れ臭そうな歓迎の感情が見え隠れしていた。恭四郎は何も言わずにただ黙って次々に荷物を運び入れている。だが誰1人として照の投げかけた文句に答える者はいなかった。当年取って40云才の照を彼ら及び世間の誰がいったいお嬢様などと呼ぶだろう?彼らの評価はこの上なく正しい。
「お嬢様はいくつになられようとまつにとってはお嬢様でございますよ。こんな小さな頃からお世話申し上げてきたんですもの。ただー」
「ただー?」
フーッというまつのため息が彼女の心の内を雄弁に物語っていた。
「ーどこでお育ての仕方を間違えましたものやら…とんでもない跳ね返りにお成り遊ばされて……こう申しては何ですけど、お嬢様が帰って来られた方がこの家は片付かなくなりそうに思えますよ。男の方ばかりとはいえ旦那様も但馬さんもすべて身の回りのことはご自分でお片付けになれますし、雪臣様に至ってはこのまつの仕事が無くなりそうなほどそれはもう完璧に家事をこなされますから…まったくお嬢様にも少しは見習っていただきたいものでございますよ」
やぶ蛇だったと言わんばかりの表情で、そろりとまつに背を向けた照であったがー。
「お帰りなさ〜い、照伯母様!!」
その時華やいだ声と共に姿を現したのは綾だった。その場に漂う微妙な空気を物ともせず照に向かって両手を振りながら、綾は勝手知ったる松平家のキッチンに入ってきた。
「あら綾ちゃんいらっしゃ〜い!!」
ほっとしたような笑みを浮かべて綾の手を握りしめる照。しかしその視線は綾の後ろからのっそりと姿を現した1人の男をとらえていた。
「あなた、確かー!?」
「日新社、社会部記者の小林隼人っす。先日の横田で恭四郎と一緒にいた…」
「ああYouTubeの配信とか、但馬と一緒に雪ちゃんを助け出してくれた記者さんね。その節のご協力、感謝いたします」
桜田門の鬼百合にビシッと敬礼を決められて、隼人はガラにもなくとまどった様子でもごもごと口ごもりながらぎこちなく敬礼を返した。
「伯母さん、別にいいんだよ。こいつはこいつでスクープ狙いの目的があってやったことなんだから。なっ!?」
「お、おうっ!!」
「雪!!言い方ー助けてもらった事に変わりはないでしょう?」
照にたしなめられてペロリと下を出した雪臣。代わって恭四郎が絶妙なタイミングで言葉を継いだ。
「今日、照様がお帰りになるタイミングで今回の事件に関わりのあった綾様や隼人にも現段階までの事の顛末を共有しておいた方がいいだろうという先生のご判断で集まっていただきました」
「なるほどね」
「まぁまずはその前に、台所で立ち話というのも何だから…」
ピリッとした空気感で話が進むかに思えたその時ー絶妙な合いの手が入った。
「皆リビングに移動してはどうかな?まつが紅茶を用意してくれているようだ」
一同の視線が集まったその先にはー窓から差し込む柔らかな秋の陽を背にふんわりと微笑む桂之介その人が立っていた。
「一ツ橋首相から内々にとあった話だが、ここにいる者達は皆今回の事では当事者ではあるし、話しておこうと思う。喜徳君だがー今、都内のとある病院に入院して静養中とのことだ」
「静養中ー?」
雪臣の形の良い眉がピクリと上がる。
「つまりはヤク抜きって事っスよね?」
遠慮のない隼人の声が間髪入れずに食いついた。
「隼人!!」
それをたしなめるように恭四郎の声が覆いかぶさった。
「まぁ有り体に言えばそうだな」
鷹揚に頷く桂之介の様子に今度は照がギョッとしたように声を上げた。
「ちょっと、桂之介ー!!」
いくら関係者であるとはいえ隼人はスクープを撮る事を生業としている記者である。現首相の身内のスキャンダルをあっさりと認めてしまってよいいものかー?
「まぁまぁ照姉ー」
軽く片手を上げて照を制した桂之介は紅茶のソーサーを手に、にこやかな笑みを隼人に向けた。
「小林君は今回、米軍基地内にはびこる麻薬闇ルートという大スクープを記事にした将来有望な記者ですよ。彼はこれからもっとビックになっていくー」
「ハァ……」
常ならばその通り!!と言い出すに違いない隼人が毒気を抜かれたような相槌をわずかに打った。
「そして一流は持ち玉の活かし方をちゃんと心得ているー無駄玉を打ったりはしないんですよ。そうでしょう、小林君?」
「それは…つまり、今回は闇ルートというスクープを挙げられたんだからそれで満足しとけってことですか?これ以上欲かくとアブハチ取らずになるぞ、若造!!っ的な?」
桂之介は答えない。ただニッコリ笑うと身振りで隼人に紅茶を勧めた。
「喜徳君の療養はいつまで続くかわからないということで、今回の養子の件は白紙に戻して欲しいと首相からお話があったー喜徳君が社会復帰できるようになるまでは首相の手許に置いて面倒を見てやりたいとおっしゃられていたよ。養子の件で彼がそんなに傷ついていたとはと首相ご自身も痛くショックを受けられたようだー首相からすればご母堂の手前もあり、一ツ橋に居ては喜徳君を活躍させてやることもできないからとの兄心だったのだがな…どこでボタンを掛け違ってしまったのか、これからは彼の傍らに居て見守りながら考えていくとおっしゃられていた」
桂之介のしみじみとした語りにその場に居た一同は皆、神妙な面持ちになったーかに思えたが。
「ふーん?」
次の瞬間雪臣の声がその場の者達の目を覚まさせる錫杖の如く響いたのだった。
「ーで?どうして父様は俺を囮に使ったの?」
まさに核心を突いた、当の雪臣にしか口火を切れない質問だった。一同の視線は一斉に桂之介に注がれた。
「ゆー雪臣…っ」
極上の笑みで誤魔化しきれなくなった桂之介にすかさず恭四郎が二の矢を放つ。
「ご自身のご子息を危険に晒すような真似は二度とおやめ下さい先生!雪臣様がお可愛くはないのですかっ!」
「むろん可愛いに決まっている!雛子が命をかけて残してくれたたった1人の忘れ形見だ。可愛くて可愛くて目に入れても痛くないー」
「でしたらどうしてー」
口を開きかけた恭四郎はだがふと自らの肩に置かれたわずかな重みに口をつぐんだ。それは雪臣の手の重さだった。父を見つめる雪臣の目がうろんげに光る。
「なんで目に入れても痛くない、可愛いはずの俺を世の中じゃ禁止されてるはずの"囮捜査"に使ったの?俺1人を騙すのならまだしも恭四郎にまで黙って巻き込んでさ」
「本当にすまなかった、雪臣……但馬にもー」
桂之介は雪臣の世にも冷たい口調と視線に、シュンとうなだれた様子で言葉を繋いだ。
「だがなぁー私は彼らを放っておけなかったのだ、雪臣ー喜徳君と首相を見ていると、まるでお前と私を見ているようで…幸い私には照姉や但馬がいて助けてくれたが……一歩間違っていれば私がお前をあんな目に合わせていたのかもしれない……そう思うと何かをせずにはいられなかったー」
「…それはまぁ確かにそうかもしれないけどー」
妙な方向から説得されて口を開けなくなった雪臣に代わって恭四郎がすかさず言葉を発した。
「お言葉ですが先生、しかし今回の事はアームストロングの単独犯罪とは思えません。今回はその裏の麻薬シンジケートを摘発する為に警察組織も入ったと聞いております」
「その通りだ」
「そこまで承知された上で雪臣様をっ!」
「そうは言ってもなぁ但馬…」
桂之介はまるでいたずらを見咎められた子供のような表情で恭四郎を見るとバツが悪そうにフイと視線を逸らした。その様子はとても一国の大臣とは思えなかった。
「首相が直々に私を頼ってきたのだ。漢が頭を下げているものを無下に断るわけにもいかんではないか?聞けば不幸な兄弟だ。互いに想っているにも関わらず、周囲の都合に翻弄されてー国家公安委員長のポストにある私ならばこれ以上喜徳君を世間に晒さず首相の体面ーひいては日本の体面、損害も最小限に抑えられえうと思ったのだ」
「その為に雪臣様を犠牲にされてもー?」
「俺、恭四郎が来るのがあと5分遅かったら今頃ホントに薬中だったからねっ!そうなったら父様、一体どうするつもりだったの?」
一ツ橋首相の心配どころではない。警察を束ねる国家公安委員長の息子が薬物に犯されたとなれば桂之介本人も大臣辞任に追い込まれていたに違いないのだ。一国の一端を担う大臣として一時の感情に流されるのは無責任というべきではないのか?桂之介をじっと見つめる雪臣の瞳は言外にそう言っていた。
「それはっ!!」
雪臣の無言の追求を察した桂之介の目が苦しげに宙を彷徨った。
「ーまったく予想外だったのだ!!まさか事態があんなに早く動くとはー」
"思ってもみなかったー"恭四郎の一睨みで後に続く言葉は桂之介の口の中で消えた。しかし桂之介もそのままでは終わらない。人たらしの本領発揮でチラリと上目遣いに恭四郎を見るとその肩をすぼめて小さく呟いた。
「ーそれに……但馬がいる限りお前の事は何に代えても必ず守り抜くに違いないと思っていたっー」
「先生ー」
「だってさ、よかったな恭四郎?」
傍らで恭四郎と桂之介親子の様子を見ていた隼人が堪え切れなくなってケラケラと笑いながら口を挟んだ。
「すげぇ信頼度…松平大臣の懐刀だって噂にゃ聞いてたけど本当だったんだー既にお嬢を嫁にやった感が満載ってか…?」
「ちょっとお兄さん、変な事言わないでよ!!私の立場が無くなるじゃあないのっ!!」
からかうような隼人の言葉に、横に居た綾が今にも飛びかからんばかりの口調と共に目を吊り上げた。これはマズイと察した照が咄嗟の一言を放つ。
「あーっ!!ごめんねぇ〜綾ちゃ〜ん!!うちの男達ってもう、ホンット〜にヤボ揃いでさぁ〜、内輪揉めは後でやれってのよねぇ?だいたいユキッ!あんた、綾ちゃんが危険を冒して駆けつけてくれたっていうのに感謝の一言もないわけ!?」
「あ…綾さんー」
父を問い詰めていたつもりが、あさっての方向から飛んできた伯母の詰問に不意を突かれて雪臣の表情が一瞬緩みかけた次の瞬間ー。
「別にー綾様に救援をお願いした覚えはございませんが……」
無意識なのかわざとなのかはその場に居た誰にもわからなかったものの、しらっと言い放った恭四郎の言葉は一瞬にしてその場の空気を凍りつかせた。
「恭四郎!!バカッ、お前ー」
「但馬ッ!!こんのぉ〜KY男がっ!!」
雪臣の白い掌が蝶のように舞い恭四郎の口を塞いだのと、照の強烈な回し蹴りが恭四郎の背後に見舞われたのはほぼ同時だった。
「ーッ!!照様、一体何を……」
背中を押さえ顔をしかめながら言葉を発した恭四郎に、照は皆まで言わせなかった。
「うるさいッ!!自分の胸に手ぇ当てて考えてみなっ!!行こっ、綾ちゃん!!」
「えっ?ちょっと…照伯母様…私ー」
ガシリと照に腕を掴まれた綾は恭四郎に怒りをぶつける隙もなく有無を言わさず居間の外へと連れ去られたのだった。
果たしてーそれが照の心からの怒りから発せられたものか、はたまた弟親子にゆっくり話をさせてやろうという心遣いからなのかは謎だったがーとにかく彼女らが去った後には深い沈黙と共に男達だけが取り残されたのだった。
「恭四郎…お前、いいかげんにしろよ。きっと後からもう何発か照伯母さんに殴られるぜ」
沈黙を破ったのは雪臣だった。眉をひそめながら恭四郎を振り返る。
「私は事実を言ったまでですー確かに綾様の策には助けられましたが」
「綾さんの事認めてるのに……素直じゃないんだよなぁ?」
呆れたような口調の雪臣は恭四郎の表情を伺うようにゆっくりとその前に回り込んでクィッとネクタイを引っ張った。
「そんなんじゃ伊達銀行のお歴々から不興を買って物言いが着いちまうだろ?松平の息子の目付役を交代させろって…俺、今回の事でちょっとは真剣にお前と一緒に政治をやるのも悪くないかもと思ったのにさ」
「雪臣!!それは本当かっ!?」
だがそれを聞いて真っ先に反応したのは恭四郎ではなく桂之介の方だった。思いがけない息子の言葉を聞いて桂之介の瞳は隠しきれない喜びと期待でキラキラと輝いていた。
そんな父親を横目で見遣りながら雪臣はどうする?と問いかけるように肩をすくめて恭四郎を見た。
「綾様の対応の件につきましてはー」
答えた恭四郎の口調は珍しく歯切れが悪かった。
「なるべく善処いたしますー」
憮然とした様子の恭四郎。滅多にない状況に雪臣は満足げに微笑んだ。
「それはそれとして先生!!」
と、もつれにもつれた話の糸口を見出すように、恭四郎はキッと眼尻を決して桂之介に向き直った。
「とにかくーまたこのような事がありましたら、私は先生の秘書を辞職させていただきます。身内をないがしろにされるような方を信じることも、命を賭けてついて行くことにも自信を持てませんのでー」
「但馬ァ……」
再び話の矛先が自分に戻ってきた桂之介は、喜んだのもつかの間、青菜に塩の状態である。息子とはおよそ対照的な、あまりにも取り繕わないその姿をチラリと盗み見て恭四郎は陰ながらため息をついた。
『こういう人なのだ、松平桂之介という政治家はー』
首相でも捨て犬でも困っているものがあれば放っておけない。まさに理想的ともいうべき天性の政治家であったが……理想といえば聞こえはいいものの近くにいる雪臣や照、恭四郎達秘書にとってはーなかなかの受難であるかもしれなかった。とはいえー恭四郎は我が身を振り返って再びため息をつく。
『先生の事ばかりは責められないかーそういう自分も先生に拾われたんだった……』
そんな恭四郎の様子を見て桂之介は何か感じるものがあったらしい。不意に労るような気遣うような表情で恭四郎に語りかけたのだった。
「なぁ但馬ー今回の一件ではお前に辛い事を思い出させてしまった…すまなかったなぁ。お前と萱野たつ子が何の関係もないことは後で私から神保君によぉく話しておくー本当にすまなかった……」
『これだー』
恭四郎は桂之介と顔を合わせないよう、そっと瞳を閉じた。これが出たらもう自分は折れるしかなかった。
自らの心情をとつとつと不器用に話す。演説の神様と呼ばれる一ツ橋首相のような爽やかさ、鮮やかさはないものの、熱意と嘘偽りのない真剣な口調に耳を貸してしまうと後はもう桂之介の思いのままだった。息子である雪臣でさえ、父のその手口に引っかかって夏の事件以来、未だに代官山の自分のマンションに帰れずじまいなのだ。桂之介のすごい所はそれを本人が意識的にやっているのか無意識にやっているのかを周りに気づかせない所にあった。それでもーと恭四郎は意を決して口を開いた。桂之介のペースに巻き込まれぬうちにこれだけは言っておきたかった。
「先生、今回の件では私の方こそお詫び申し上げなくてはなりません。旧知の関係につけ込まれて雪臣様を危険な状況に晒してしまった事、今すぐにでも監護権者の任を解かれても何の反論もできない身ではありますが…雪臣様がこの先どう進まれるのかを決定されるまではどうかお側でお仕えさせていただきたくーお許し願えますでしょうか?」
「恭四郎!?」
弾かれたように恭四郎を見る雪臣。それは先程何気なく雪臣が言葉にした事への恭四郎の返答だった。
「こちらこそーあらためてよろしく頼む。これには母親もいないし兄弟もおらん。父親である私も仕事柄もあって、並の親のようには色々気遣ってやることもできなくてな……そのせいもあってこれも少々毛色の変わった性格になったようだーしかし私にとってはたった1人の可愛い息子なのだよ」
「私にとっても雪臣様はお仕えしたいと思える唯一の方です」
「ありがとうー」
「なーに2人で見つめ合ってしみじみしてるんだよ!」
しんみりとした雰囲気を破ったのは雪臣だった。
「雪臣……」
「しかし、一応父様にも自分は並の親と違うって自覚はあったんだね。ちょっとホッとした」
照れ臭さを隠す為か、茶化すような口調で恭四郎の隣のソファに滑り込むように腰を下ろした雪臣はふと真顔になると、眼の前の父に大人びた視線を向けたのであった。
「父様ー恭四郎からは聞きづらいだろうから俺が聞くけど……萱野たつ子の今後ってどうなるの?」
「雪臣様」
顔に出したつもりはなかったものの、横田基地で最後にたつ子を見て以来心の片隅に引っかかっていた事を見抜かれていたことに驚きを隠せず恭四郎は息を詰めて雪臣の貌を見た。
「照姉から聞いた所によると茅野たつ子は覚醒剤ルートについてもお前の監禁についても素直に事実を認めたそうだ。最も主犯は彼女ではなく情夫のフレデリック・アームストロングなので事件の全貌を知っているわけではなさそうだと。アームストロングとの関係も、そもそもは弁護士資格を取る為の大学に通う学費の援助を受ける交換条件として始まったものらしい。その関係を続けるうちにアームストロングの扱う覚醒剤の常習者になっていったようだ…この点では彼女も闇ルートの被害者ではあるー」
『修が亡くなった後、工場をしていた実家は仕事の依頼が失くなって…早い話が干されたのね』
『こんな風にしたのはいったい誰!?』
「……」
恭四郎の胸に突き刺さったままのたつ子の慟哭の言葉がふいに頭をもたげて、そのまま飲み込まれそうになった瞬間ー。
「お前は悪くない」
ギュッと拳を握りしめる手の感触に恭四郎は我に返った。
自らの手に重ねられていたのは白く儚げな見た目とは対照的な、力強さの籠った雪臣の手。ハッとして手から顔を上げるとそこにはまだわからないのかと言わんばかりに憮然とこちらを睨む雪臣の表情があった。
「先生ーその……」
雪臣に背中を押されたように、ためらいながらも恭四郎は口を開いた。
「うむ?」
「私からお願いできる筋ではありませんが…先生のお口利きでたつ子に良い弁護人をご紹介いただけませんでしょうか?あれは元々正義感が強く反社会的な行動に身をやつすような女ではありません。ここまで身を落とすにはよほど…色々な事情があったのだと思います。私だって先生に拾っていただけなければどうなっていたかわかりません……私は幸せでした。先生に拾っていただいて、雪臣様と巡り会えてー何かひとつ条件が違えばたつ子は私、私がたつ子のようになっていた」
恭四郎の独白のような言葉を否定するでもなく肯定するでもなく、ただじっと黙って聞いていた桂之介は恭四郎の言葉が途切れるとやがてポツリと呟いたのだった。
「その事なのだがー茅野たつ子の面倒は今後一切自分が見ると…神保君がそう言っているのだよ」
「え?神保顕彦がっ?」
「修の兄である神保氏が…ですか?」
意外な人物の名前に雪臣と恭四郎は顔を合わせていた。
「うむ……今回の事は神保君には直接関係はないのだが、但馬を紹介した縁でご子息を危険な目に合わせてしまったと、先日わざわざ議員会館の私の部屋まで謝罪に来てくれたのだ」
「ふーん」
「神保君も修君の事件後の但馬の様子も見ていた事だし当時、茅野たつ子の事も気にはしていたらしいのだがー」
「だったらたつ子ん家が嫌がらせ受けていたのにも気づいてたんじゃない?なんで黙って手をこまねいてたのさ!?」
「そうは言ってもな、雪臣…政治家とはいえ人間だ。弟の死の原因になった茅野たつ子に手を差しのべる事は神保君も複雑なものがあったに違いない」
「それが何で今更?何年も放っておいた火種に火がついたから大きな火事にならないうちに火を消しておこうってわけ!?」
「雪臣、お前は敏いが何にでも白黒をハッキリつけたがり過ぎる。人の心というものはもっと複雑なものだ。なぁ但馬?」
微苦笑した恭四郎を見た雪臣はプイッとむくれて口をつぐんだ。
「ともかくー数年前の気がかりが今回の事件に発展してしまった事を神保君は悔いて、茅野たつ子の更生に全面的に協力すると申し出てくれた。事件当時は抵抗もあったが、時を経てみれば弟が命がけで愛した女性をこのまま見捨てるような真似をしては弟に顔向けが出来ないとー近頃はようやくそんな風に思えるようになってきたのだと語っていたよ。ここは神保君を信じて任せてみてもよいのではないかと私は思うが?」
「神保氏がそうおっしゃられているのなら…私に異存はございません」
「今度こそ立ち直れるといいな、たつ子」
その時、話の区切りがついたのを見届けた隼人が背後から現れて恭四郎の両肩にポンと手を乗せた。うなづいた恭四郎の傍らで雪臣が冷めた視線を隼人に投げかけた。
「あれ?あんた、まだ居たんだ?」
「まだ居たんだ?じゃねえよ!呼んだのはそっちだろ!?」
「あ、もう用事は済んだから帰っていいよ、じゃっ!」
「じゃっ!じゃねぇ!!」
ギャハハと笑った雪臣は、拳を振り上げた隼人から逃れようと恭四郎を盾にその背中にクルリと回り込んだ。
「これ、雪臣!!」
珍しく年相応な一面を見せる息子を、微笑ましい気持ちでたしなめた桂之介だったが…次の瞬間、彼を待っていたのはまたもや予想だにしなかった展開だった。
「あっ、それから父様ー」
恭四郎の背中越しにひょこっと顔を出した雪臣が放ったのは、絶妙な間合いの言葉の弾丸だった。
「せっかく照伯母さんがこの家に戻ってきたんだから今度こそちゃんとケジメつけてよね!?俺はもう知らないおばさんを義母なんて言うのはゴメンだからねっ!!」
「雪臣ッーそれは……」
確かに雪臣にはそれを言う権利はある。と、こればかりは恭四郎も心の中でうなづいた。元を正せば桂之介が照との事をうやむやにしたままで前松平夫人と再婚した事が尾を引き、雪臣は命を狙われる羽目に陥ったわけでー。
助けを求めるかのような桂之介の視線を感じ、恭四郎はわざと目を逸らせた。
「その話はいずれまた…なー」
睨みつける息子からなんとか逃れようと桂之介の視線は再び泳いだが。
「と、とにかく今は昼食だろう?そろそろまつの支度が整ったのではないかな?小林君も雪臣の言うことなど気にせず、ぜひとも一緒に食べて行ってくれたまえ」
「えっ!?いいんすか?じゃご相伴に預かっちゃおうかなぁ〜」
「もちろんだよ。小林君には今回雪臣が世話になったからねぇ、ハハハー」
そう言いながら桂之介は中庭に面した居間の扉を開けて(パーティの時には全面開くようになっている。普段はガラス張りの窓の一部が開閉できる仕組)目を輝かせた隼人の肩を抱かんばかりの様子で彼を促しながらそそくさとその場を離れたのだった。
「ったく父様は……何だよ、恭四郎?」
話をはぐらかされた雪臣はやり場のない怒りをくくくっと失笑した恭四郎にぶつけた。
「いえーやはり先生にはかないませんね。あの煙の巻き方で政界を乗り切っておられるのですから…私達など軽く交わされるわけですよ」
「あんななぁなぁでどうにかなっちまう世界なわけ?政界ってのは?」
「普段はね…でも事が動く時は大きな決断力が必要ですよ。大臣の決定は国民の命にも関わります。先生も数々の決断をされてこられたからこそ今の地位におられるわけでー」
「なるほどねーあ〜なんかやっぱし俺、ちょっと本気で考えてみるかなぁ進路のこと。学校の締切り過ぎちゃってるんだよなぁ」
「進路…ですか?雪臣様は内部進学のおつもりかと思ってましたが?」
雪臣も綾も小学校からこの成城の地元にあるS学園に通っている。S学園は小・中・高・大の一貫校で政財界の子女達が通う名門私立校である。偏差値はそこそこではあるが、この学校に子弟を通わせている家庭の多くは偏差値などというものよりも幼い頃から共に学び遊んだ末に築かれる人脈の方を遥かに重視していた。
そしてその人脈が将来の日本を動かしていくと言っても過言ではなかった。代々受け継がれている決して表立っては語られない、特権階級の世界ーそんな世界が存在する事を恭四郎は桂之介の秘書になって初めて知ったのだった。
「そりゃまぁもちろん内部しかないだろ?高3の秋に拉致られるような日常送ってたら他所の大学なんて受験できないことくらいは俺にもわかってるよ。ま、内部進学の方もビミョーな線だけどなぁ……発作起こしたのが夏休みだったのがせめてもの救いってか」
頭の上で腕を組み、どこか他人事のように壮絶な体験を語る雪臣に、不憫そうな頼もしそうな眼差しを向けながら恭四郎は口を開いた。
「そうですねぇーでも雪臣様、成績だけは非の打ち所ありませんからねぇー家庭内の諸事情って事でなんとかなりませんかねぇ?」
「う〜ん……」
去年も留年しているだけにその辺りの事情には妙に詳しくなっている雪臣は、自らの出席日数を脳裏に思い浮かべたのか、眉根を寄せたまま宙を睨んで固まってしまった。
『こっちの問題も早急に何とかしなければ』
心の中で微苦笑を浮かべた恭四郎は、表面上はあくまでも冷静さを装いつつ会話を続ける。
「まぁともかくー無事に卒業できたとしましょう。その上で進まれたいというのは?」
「法学部…だろ、やっぱりー」
気を取り直した雪臣は恭四郎に片目をつぶりながらキッパリと言い放つ。
「やるなら基礎からきっちりやらないとな。そうじゃなくても親の七光りって何かにつけて言われるだろうからさ」
「先生、涙を流して喜ばれますよ」
どちらからともなく顔を見合わせ、雪臣と恭四郎は笑いあった。その時ー。
「雪臣ちゃ〜ん、昼食出来たって!!」
中庭の方から静寂を破り、綾の声がけたたましく響いた。その声に反応したのか、どこからかカイザーの吠える声もする。それを聞いて雪臣は苦笑しながら恭四郎を振り返った。
「ったく、何かと落ち着かねぇなぁこの家は……でも」
『恭四郎がいて、父様がいて、照伯母さんがいてー皆、好き勝手なこと言ったりやったりしながらもいざって時には互いの存在があるから1人じゃ乗り越えられないような事も乗り越えて行けるのかもしれないな』
「どうかされましたか?」
「ん?いや何でもないー行こう恭四郎、綾さんにまたドヤされる…あ、進路の話は当面父様には内緒だからな」
「はい」
ふいにー雪臣の脳裏に飯盛山で投げかけられた喜徳の言葉が蘇った。
『君は強いね、雪臣君ーそれは生来のものなの?それともまだ失うことを知らない、単なる怖い物知らずなだけなのかな?』
"皆、あたりまえに在るものじゃないーだから守っていく!どれも欠かせない大事なものだから"
「雪臣様?」
「ん?ああ」
促されて我に返った雪臣を恭四郎は深い眼差しで包み込む。微笑みながら、まるで自動ドアのような滑らかさで部屋のドアを開けると雪臣は慣れきったごくごく自然な歩みで扉の向こうへ消えたのだった。
パタンー微かな音がして扉が閉まった後ーテーブルの上に残されたティーカップの間を、穏やかな秋の風が吹き抜けていった。
完
玻璃の静謀ー赦しー(略してハリボー2)、前作より倍以上の長さの作品を読んで頂きまして、まずは感謝をお伝えさせていただきます。
誠にありがとうございました。
松平ファミリーのお話はこの後まだ構想を練っている所ではありますがひとます完了として次作はこの話の元になっております時代物を紹介させて頂きたいと思っております。引き続きご覧いただけましたら幸いです。
最後になりますが、"玻璃の静謀ー赦しー"へのご感想・ご評価を頂けますと執筆の一層の励みとなります。心よりお待ち申し上げておりますのでどうぞよろしくお願いいたします。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました。




