玻璃の静謀ー赦し11
⑪
その少し前ー横田基地の第2ゲート周辺ではちょっとした騒動が勃発していた。第2ゲートは基地の西側に面した一番人の出入りが多い門である。地元福生の商店街などもあり一般人の目も多かった。通用門であるので当然守衛は居るのだが、この第2ゲートにはその手前になぜか日本人警官の詰所があり、常時日本人の警官が2、3人在中している。
横田基地というと米軍基地という印象が強いが、実際はアメリカ空軍と日本の航空自衛隊の両方での所有という建前になっていた。日本国内にある日本の自衛隊と共有の基地であるというのはあくまでも建前なので、実際に第2ゲートの日本人警官を見た人は何故か?と違和感を覚えてしまうのだが。
恭四郎、隼人、沖田の3人はこの警戒が厳重な治外法権とも言うべき横田基地に極秘裏に潜入を命じられていた。無論基地への潜入は全警察のトップである国家公安委員長(つまり桂之介の事である)の指令である為ゲートを守る日本人警察官らは言い含め済み。それらの指示は基地の主であるアメリカ軍のメンツを潰さないよう万事しめやかに行われた。
一方、日本の政府筋を通じて事態の把握はしているアメリカ軍だったが、一部とはいえ軍が麻薬取引に関わっていたとは口が裂けても認めるわけにはいかなかった。それ故、自らの管轄下である基地の中で起ったことであるという事実に蓋をして今回の事件は全てフレディの単独行動だったということにして、彼を切り捨てることにしたようだった。何も知らされていない様子の門番のアメリカ兵達は日本の警官達が通した恭四郎達には何の感心もしめさなかった。そんなわけで、その警官達の関門をとりあえず突破した彼らは周囲の建屋に目線を配りながら低く言葉を交わしていたのだがー。
「ったく、あの警官ったら失礼にも程がありますよねぇ〜!?こっちは本物の手帳見せてるっていうのにわざわざ松平警視正本人にまで問い合わせちゃって…この僕のどこが警官に見えないっていうんだかーねぇ!?」
言い含められていたにも関わらず、すんなりとゲートで通してもらえなかった沖田が腹に据えかねた様子で足許の小石を蹴る。その姿はまるで拗ねた小学生のようだ。
「う〜ん、まぁねぇ…相手もさ、任務だし…ねぇ」
プリプリと口を尖らせて愚痴る沖田をゆる〜い苦笑いで受け止めたのは隼人だった。その笑いに"お前が警官だと言われてすぐに信じる奴の方が世の中少ないと思うが"と論外の意味が含まれていることに沖田はまったく気づいていない。そんな微妙な空気の2人をよそに1人だけ隙のない身のこなしで周囲の様子を伺っていたのは恭四郎だった。
「ーどうだ、恭四郎?この広い基地の中でお嬢が居そうな所の検討つけられそうか?」
恭四郎の視線の先にあるものをとらえようと目を凝らした隼人。その声を聞いた恭四郎はふと我に返ったように呟いた。
「組織と繋がっているとはいえそれを知るのは軍の上層の一部のみのはず…ならば大勢の目に触れるような場所に雪臣様を運び込むような真似はしないはずだー高飛びすることを考えれば主犯のフレデリック・アームストロングのプライベートジェットに連れ込まれている可能性も高いと思うがー」
「思うが?」
"大嫌いよ!!"その瞬間、恭四郎の脳裏にまたもや蘇ったたつ子の言葉。確信はないが、しかし。
「たつ子は雪臣様を嫌っている…フレデリックと一緒に居るとすれば雪臣様のことはたぶん高飛び寸前まで顔を合わせない場所に置いておくに違いないと思う」
「俺も組対から配信された基地の資料見てみたんだけどさ、西と東は人が多そうなんでここはやっぱ北か南か…?」
「組対本部が設置されている瑞穂スカイホールの監視からだと、眼下の基地北部じゃ不審行動者は確認出来できてないって話ですけど」
沖田の言う瑞穂スカイホールとは横田基地北部に隣接する瑞穂ビューパークの中にある町民ホールである。軍事機密が転がっている横田基地は内部建屋などの詳細情報を表立って公開していない為その全容を把握するのはなかなか難しいのだが、なぜか瑞穂スカイホールの事務棟屋上のみが基地全体を見渡せる唯一の場所として存在していた。
組対は恭四郎、隼人、沖田を基地に潜入させるのと同時に不測の事態に備え、基地を見下ろせる小高い丘の上にあるこの町民ホールに対策本部を置いたのだった。
「スカイホールのせいで北部の方が監視されやすい事は軍関係者なら周知の事実だ。とすればやはり雪臣様達は南に連れて行かれている可能性が高いな…第5ゲートの辺りは車両や引込線もあるし、滑走路にも近い。荷物に紛れ込ませてお2人をプライベートジェットに連れ込むのも容易そうだ」
隼人の差し出したスマホの画面を見ながら呟く恭四郎。その横顔を見た隼人はポンと軽くその肩を叩きながら頷いた。
「よし!!じゃあ行ってみるか、南に!そこで作戦実行開始だ!!」
基地の西側ー入ってきた第2ゲートから左手に延びる滑走路を眺めまっすぐに南下した所に第5ゲートはある。すぐ近くにはJRと西武鉄道が乗り入れた拝島駅から延びている、基地内に物資を運び込む為の引込線のある辺りに恭四郎、隼人、沖田は立っていた。
「ここいらかぁ?」
振り向いた隼人に恭四郎は頷く。
「あぁ」
「じゃあお先に!!遠慮なくぅ〜」
発声練習をするかのように両腕を広げてブラブラさせていた沖田が目を輝かせ、いたずらっ子のように大声を張り上げた。
「ヤッホーッ!!麻薬売人さ〜ん!!聞いてますかぁ〜。覚醒剤買いに来たんだよねぇ〜ここで買えるって聞いてきたんだけどなぁ〜」
両手を上げてグルグル回しながら叫ぶ沖田の声に、何事かと驚いた表情で第5ゲートの方向から何人かの米兵達が駆けつけてきた。
「おっ、早速のお出ましだ。さすがは訓練された職業軍人だね」
目立たぬように、しかし動かぬ証拠を記録するために米兵達の方にスマホを向ける隼人の横で、だが恭四郎の視線はそれらとは反対方向の引込線の横にある古くて小さな平屋から姿を現したダークスーツの男をとらえていた。サングラスをかけた男の体躯は鍛え上げられてはいるものの、明らかに軍人の纏う雰囲気とは違っていた。彼はこちらに近寄ろうとはしていない。様子を伺うだけで、むしろはばかるように建屋の影に身を翻して消えようとしていたのだが、その時ー。
パンッー!!
乾いた音がして隼人は隣りに居たはずの恭四郎の姿が消えてることに気づいた。
「おいっ、恭四郎ッ!!」
次の瞬間隼人がとらえたのはパパパンッと乱射する発砲音と建屋に向かって走り出す恭四郎の後姿だった。反射的にその姿にスマホを向けながら隼人は何が起きたのかをようやく理解した。
「おい、星が現れたみたいだぞ!恭四郎がいきなり発砲しやがった!!」
「ええぇ〜!?」
いきなりの過激な展開にさすがの沖田も呆気に取られて騒ぐのをやめた。
「ちょっと…但馬さんてこんなに危ない人だったんですかぁ〜?証拠もないのにいきなりの銃乱射ってー?永田町の若手秘書じゃ1番の冷静沈着イケメンだって評判だったのにィィーあのブッ放し様ったらうちの土方さんよりヤバイですよぉ」
「そうっ!!あいつら、奴の地雷踏みつけちゃったからねぇ〜。キミ、奴のあんな姿見れんのキチョーだよ。あいつ、普段は噂通りのスカした奴だからねぇ〜アッハッハッ」
沖田の背中をバンバンと叩きながら、隼人はヤケ気味な笑い声をあげて恭四郎の後を追ったのだった。
「雪臣様!!どこですか!?雪臣様!!」
男に馬乗りになられて呼吸困難に陥りそうになっていた雪臣の耳に、だがその声はやけにハッキリと響いた。雪臣がこの場所に居ると確信しているかのように少しの迷いもなく、それは古い建屋の隅々まで届く声だった。
『恭四郎ー』
声をあげて応えようとしたが、胸を潰されて声が出ない。雪臣はとっさの機転で男が今まさに彼に打とうとしている覚醒剤の注射器を入れていたアルミ箱が足許に転がっていたのを見つけ、それを思いきり足で蹴り上げた。アルミ箱はカシャーンと派手な音を立て驚いた男の手が一瞬止まった。
「コイツ、無駄な抵抗しやがってー」
パンッという乾いた音がして男が倒れ込んだのと、部屋のドアが開いたのは果たしてどちらが先だったかー次の瞬間雪臣が目にしたのは倒れた男に無表情に発砲し続ける恭四郎の横顔だった。
「お、おい恭四郎っー」
「無駄な抵抗ーではなかったようですよ。お陰でどこにあなたが居るのかがわかりましたから」
「えっ、ああ…うん、でもー」
さすがに発砲はマズイだろうと言いかけた雪臣の表情を読み取ったのか恭四郎はサラッと言い捨てた。
「大丈夫です。殺してはいませんから。ただー反撃と逃走を防ぐ為に両手、両足を撃ち抜いただけです」
「恭四郎ッ、お前なぁー」
一瞬前まで命の危険に晒されていたことも忘れて呆れ果てた様子で口を開きかけた雪臣の言葉を遮り、恭四郎は振り向いた。
「雪臣様、ご無事でしたか?お怪我は?」
「まぁなんとか…生きてるよ」
修羅場に駆けつけたという状況をまったく無視したかのような恭四郎の冷静さにふと我に返った雪臣は気まずい思いのまま別れたのを思い出し、ぶっきらぼうな口調で答えた。
「確かに生きてはいますけどー安心は出来なさそうですね」
屈み込んだ恭四郎の手がふわりと雪臣の前髪を掻き上げた。雪のように白い額にはさっき投げ飛ばされた時に切れたのか、薄っすらと血が滲んでいる。
「歩けますか、雪臣様ー抱かえ上げていきますか?」
「……」
俯いて答えない雪臣に恭四郎の声は淡々と続く。
「覚醒剤は打たれてませんね」
恭四郎が雪臣の腕を取った瞬間、雪臣はそれを苛ついたように振り払った。
「打たれてねぇよ!!歩けるしっ!子供扱いしてんなーうわぁっ!!」
振り払って立ち上がるつもりだった腕をグイと引っ張られバランスを崩した雪臣は派手にひっくり返ったーかのように見えたが。すんでの所で恭四郎の腕の中に抱き止められていた。
「ちょっ…お前っ!!いきなり何すんだよ!危ないだろうが!!俺はまだー」
「雪臣様ー」
雪臣は次の瞬間再び言葉を失った。至って冷静に見えていた恭四郎が、背後からいきなり雪臣を抱きすくめたのである。言葉にならないがその縋るような抱擁に雪臣は恭四郎の言葉にならない想いをその時初めて確信したのだった。
「…死にたくないという気持ちが少しでもあるのでしたら、こんな無茶な事はしないで下さいー」
絞り出すような声で苦しげにささやく恭四郎の声を耳元で聞いた雪臣は思わず振り返って間近な恭四郎の横顔をまじまじと眺めた。
「今度こそ本当にダメかと思った…もうたくさんです、こんな思いはー」
憮然としたポーカーフェイスとは裏側の、思わず漏らした恭四郎の本音の前で雪臣もこれまでにないほど素直な言葉が口を突いて出た。
「ーゴメン……」
物騒な状況下であることはさておき、ここ数日来のギクシャクしていたしこりも失くなり、無事大団円を迎えたかに見えた雪臣と恭四郎だったがー。
「どさくさに紛れて私より先に雪臣ちゃんに抱きついてんじゃないわよっ、但馬!!」
「あ、綾さんー!?」
視界の端にふと不穏な気配を感じて雪臣が見上げたその先にはー。なぜか鬼のような形相でたたずむ綾の姿があった。不機嫌極まりないという表情の綾はまるで自分が恭四郎に抱きつかれたかの如く、鼻息を荒くして目の前の恭四郎を睥睨している。
「何でここにー?」
思わず口を突いて出た雪臣の疑問に答えたのは綾本人ではなく、その時ちょうど部屋に入ってきた隼人だった。
「このお嬢さん、どうやらずっと警察の行動を張ってたらしいーでお嬢と喜徳氏が横田に居るのを突き止め2人を奪還しようととんでもない事を企んだ!!」
「とんでもない事って……?」
「別にたいしたことじゃないわーただ日本の自治権を脅かす大事件が横田基地で起きてるらしい。これを黙って見過ごしたら日本の未来は危ういから何が起きてるのか現地に集合して真実を見極めようってことを法学や政治学関係の友達にチョコチョコ〜っと拡散してもらっただけェ」
しらっと言い放つ綾だたが、友達というのは彼女を信奉する男友達のことに違いなかった。
日頃、婚約者がいる身でとその奔放さに眉をひそめられることもある綾だがその交遊範囲は多岐に渡っており、伊達銀行の総裁令嬢の肩書を活かしボランティアやNPO活動に協力するうちに知り合った志ある学生達も大勢いた。そういう若者達は世の動向に敏感である。問題提起をすれば静かな水面に小石を投げ込んだように大きな波紋になっていくのは火を見るより明らかで、まさに綾のプレイガールとしての面目躍如なのであった。
「あ、綾さん…危ないじゃないー」
いきなり乱入してきた綾に呆気に取られた雪臣は彼女がキャンキャンと口を開く度に揺れる艶やかなショートボブの黒髪を見つめて呟いた。が自らの犯した過ちをすぐに悟ることになった。くるりと振り向いた綾の視線は完全に獲物を狙う鷹のそれだった。
「大体ね〜、雪臣ちゃんも雪臣ちゃんよ!!私が踊りに行ってる間に喜徳さんと居なくなっちゃうだなんて!!知らない土地でさっ、麻薬組織だか何だか知らないけど、見るからに怪しい外国人が追いかけて来てるってのに自分達だけでさっさと逃げ出すなんてッ!いったいどーいうことなの!?」
「いや…あいつら完全に俺と喜徳さん狙いだと思ったから…綾さん巻き込まないように外に出た方がいいと思って…さー」
「嘘ッ!!完全に私のこと、忘れてたでしょ!?」
「い、いやぁ〜。でもさ、綾さんは1人でも大丈夫でしょ?銃も持ってるし、護身術もできるしーね?喜徳さんは出会ったばかりでどれだけ自己防衛スキルがあるのかわかんなかったからー」
滅多に崩すことのない美貌を引きつらせながら途切れ途切れに答えた雪臣の言葉は綾の迫力ある一言に一刀両断された。
「ブブーッ!!雪臣ちゃん、アウト!!それ女子に一番言っちゃいけないセリフだから〜」
「へッー何が!?」
ビクリとした雪臣の言葉に、綾の言葉が容赦なく覆いかぶさった。
「君は強いから1人で大丈夫だねって!!女の子はね、たとえ大丈夫でも守ってもらいたいもんなのっ!!」
「痴話喧嘩はそこまでにー」
突然、顔面スレスレに恭四郎の掌が挟まれ、思わず綾は口をつぐんだ。
「続きは帰ったらになさって下さい。まだ無事に帰れると決まったわけじゃありませんのでねー」
「それもそーね。じゃ一時休戦ってことで」
拍子抜けするほどあっさりと引いた綾は何事もなかったかのように持っていた小さなポーチから取り出したスマホをいじりながら言葉を続けた。
「但馬、警察はここへ乗り込むことはできるの?」
「いえ、隼人が証拠固めの為にこの様子を動画中継はしていますが、基地の内部は治外法権なので国家権力が足を踏み入れたとなると後々問題が発生しますのでー」
恭四郎の言葉を引き取って傍らにいた隼人が口を開いた。
「だから俺達3人がイカれたヤク中の振りして基地に入り込んだってわけだ。沖田君の芝居は迫真がかってるし、恭四郎に至っちゃ銃のぶっ放し放題でさ、申し分ないよなぁ〜?」
浮き浮きと話す隼人にこれまたノリノリで嬉しそうに頷いたのは沖田1人のみで綾と恭四郎は隼人の言葉などまるで聞こえなかったこの如く無反応。雪臣の氷のように冷たい眼差しだけが唯一隼人の言葉だけが幻でなかったことを物語っていた。
「でも雪臣ちゃんはこの状態だし組織の連中を相手にしながら基地の外まで連れ出すのは難しいんじゃない?喜徳さんだってー」
綾はふと口をつぐむと、沖田に介抱されている放心状態の喜徳に視線を移した。その瞳には軽蔑とも憐憫ともつかない複雑な感情が宿っていた。直接かける言葉もなかった。
綾にしてみれば夏の伊達賢章に続き、血の繋がりのある叔父がまたもや自分の婚約者の命を危険に晒したのである。綾の性格からしてもここは何としても雪臣を助け出さなければと居ても立ってもいられない心情に違いなかった。やがて喜徳を吹っ切ったように振り向いた綾は、自らを鼓舞するかのように満開の花のような笑みと共に明るく言い放った。
「そんな事もあるかと思ってね。SNS拡散して人数集めてもらっておいたの。日本の自治権に関心のある人、横田の第2ゲートに集合ーっ!!てね」
「学生を集めてどうなさるおつもりですか?」
警察や政府(というか桂之介と一ツ橋首相の独断ではあるが)のとにかく事を荒立てずに極秘裏のうちに雪臣と喜徳を奪回せよとの指示とは真逆な事を言い出した綾への警戒心に恭四郎の眼がスッと細まる。
「駐屯兵達は学生達の対応に気を取られて基地の中の警備が手薄になるわよね?そうこうしているうちにメディアも嗅ぎつけてくるだろうしー」
「それで?」
「第2ゲートが騒ぎになってるうちに、もちろん大々的にとはいかないだろうけど警察が引込線づたいに侵入して、麻薬組織のボスを捕まえればいいんじゃない?」
「えっ!?国家権力が機密情報てんこ盛りの基地に不法侵入?さすがにそれはヤバくないか?もしバレたらー」
いつもならスクープを狙うはずの隼人だが、綾のあまりに大胆な発想にもしかするとこの娘は事の重大さが飲み込めていないのではと思わず疑わしげな口調で口を挟みかけたがーその声はピシャリと綾に遮られた。
「だから文句言えないように担保を取るのよ、お兄さん!!お兄さんが今、実況中継やってるYouTubeのURLを私に送ってくれない?はいっ私のQRコード!!」
「あ!?ああー」
ズイッと目の前にスマホをかざされた隼人は、反射的に自らのスマホを近づけていた。訳もわからず、言われるがままに隼人は受信したばかりの綾のラインにURLを送信した。ブブッという振動音がした瞬間、綾が素早い動作でスマホの画面上に指を動かし、何事かを打ち込んだ。
「これでよしーと」
「綾様…今、何をされました?」
綾の早技に恭四郎が不審げな眼差しを向けながら尋ねた。
「ああURLを拡散しといたから!!皆、この様子実況されてるからいい顔してね〜っ」
「えっ!?」
「ええ〜っ!!」
「綾様ッーそんな事をされては警察が!!」
「入れなくなる?」
片方の口の端をキュッと吊り上げ、いたずらっ子のような微笑を浮かべながら綾は挑むような眼差しで恭四郎を見上げた。しかしそんな綾の相手をする時間さえ惜しい恭四郎は綾と目を合わせもせず隼人に向かって口を開いた。
「隼人、実況を止めろ!!」
「いいから!!お兄さん、続けて!!」
とっさに隼人のスマホを取り上げようと動いた恭四郎だったが、綾は両手を広げて素早く隼人の前に回り込んでいた。
「だからっーこれが担保なんだってば!!雪臣ちゃん達は麻薬組織に拉致された。米軍はその組織を基地内にかくまっている。治外法権を暈に着てーそんな事が許されていいのか!!」
綾の本気を悟った恭四郎の視線が初めて目の前の綾の姿を捉えた。
「ーそんな中で米軍が自らの治外法権を主張しても、日本国民に受け入れられるわけがない。むしろ余計に反感を買うはず…そのような事態を避ける為にフレデリック・アームストロングと米軍は何の関係もない!!そんな輩がこの基地に隠れていたことさえ知らなかった、かくなる上は我々も日本の警察に喜んで協力しようーと米軍が選択せざるを得なくなるというシナリオという訳ですか?」
「その通り」
「果たしてそんなに上手く事が運びますか?」
「こじつけるのが外交手腕ってもんでしょ!!」
「ごもっともです」
ぐうの音も出ないとはまさにこの事。鮮やかな綾の理論に恭四郎は黙り込み、隼人と沖田は無言で称賛の拍手をした。
「素人でなければ思いつかない荒技ですがー確かにやってみる価値はありそうですね。組対が乗り込めたとしても正規ルートでは煩雑な手続きが必要でそれを待っていてはアームストロングは基地から飛び立ってしまうに違いない。本国に帰ったら最後、二度と日本には姿を現さないでしょう。そうなれば組対悲願の大規模な麻薬ルートの検挙も水の泡になるーおい」
次の瞬間、恭四郎はクルリと振り返り先程手足を撃たれて身動きがとれずにいる男に英語で話しかけたのだった。
「お前のボスはどこに居る?」
その声は静かではあったがその場に居た者達が皆、思わず息を呑むような凄みが籠っていた。
「ふんっ!誰が喋るかよ!!」
傷の痛みに苦悶の表情を浮かべながら毒づく男に、恭四郎は畳み掛けるように言葉を発した。
「アームストロングに義理立てしてもお前の得になることは何も無い。この怪我ではお前はボスの所に戻ることはできないし、わざわざお前を迎えにも来ないだろう?軍にとってもお前の存在は邪魔でしかない。守ってはくれないぞ。お前は完全に捨て駒だー」
☆
「但馬さん怖かったぁ〜。合法スレスレ…いや、もう超えちゃってるか…ま、お陰でボスの居場所わかったけど」
割り切っているのか何も考えてないのか、相変わらず他人事目線の沖田の呟きを背に、男からフレディの居場所を聞き出した恭四郎は早速対策本部の照に連絡を取っていた。無事雪臣と喜徳を保護した旨の報告とフレディ検挙の為、基地内への組対の極秘潜入を依頼してスマホを切ると、雪臣の傍らに戻っていた綾に声をかけた。
「では綾様、組対がここに着くまで雪臣様と喜徳様をよろしくお願いします。こちらには沖田刑事が残りますのでお2人で」
「なんでプロの刑事さんを残して素人2人でのラスボスの大捕物なわけ?」
「それはー」
「萱野たつ子と話をつけなきゃいけないからーだよ、綾さん…だよな?恭四郎」
思いがけず響いた凛とした声に、綾は弾かれたように傍らの雪臣を見た。
「雪臣ちゃん」
「ブンヤは実況中継しなきゃなんないからかかせないし…な」
額についた血を綾に拭われていた雪臣だったが痛みに顔をしかめながらも身を起こして真っすぐな眼差しで恭四郎を見上げた。
恭四郎は応えない。だがたつ子の名前が雪臣から出ても、その目には何の感情のさざ波も立ってはいなかった。恭四郎が完全にいつもの調子を取り戻したと確信した雪臣は、次の瞬間春の陽を浴びた桜の花が一斉にほころんだような笑みを浮かべながらまるで神託を告げるかの如く口を開いたのだった。
「行ってこいよ、恭四郎ーお前達の過去に何があったのか大体はそこの雑魚記者に聞いたけど……でも、俺とお前のこれからの為にー俺はお前を待ってるから」
「雪臣様ー」
何か言いかけて恭四郎はふっと雪臣から顔を背けた。その語尾が心なしか震えたように聞こえたのは気のせいか?と思わず綾は訝しんだが。
「では、後ほどー」
と一礼して去って行った恭四郎の横顔はまったくいつもの平静な表情でそこには微塵ほどの感情の揺らぎは感じられなかった。
☆
「おいっ!!ちょっと待てよ恭四郎!!1人で行くなって!」
慌てふためいたのは隼人だった。半年以上追い続けた世紀の大スクープを撮り逃しては一大事とあたふたと恭四郎を追いかける。スマホを片手にようやく追いついた隼人は、口笛を吹きながら冷やかすような口調で恭四郎に話しかけた。
「しかしまぁ驚いたよなぁ〜お嬢には!!2、3日前までお前のことがわからないとか何とか言ってたつ子の事でギャアギャア拗ねてたお子ちゃまだと思ってたのに、お前と再会した途端にコロッっと態度が変わっちゃって…憑き物が落ちたみたいに別人になってるしー」
「すべて俺が悪かったんだ」
恭四郎は射抜くような目で真っすぐに前を見つめて呟く。その視線には少しの迷いもなかった。
「雪臣様には最初から正直に打ち明けるべきだったのに、それが恐くてできずにいたーたつ子はそんな俺の弱さを見抜いて事件を起こしたんだ」
「恭四郎、お前……」
「たつ子にはもうこれ以上、罪を犯させない……修の為にもーそれが俺に今出来る唯一の事かとー」
隼人は軽く目を見張り、恭四郎の横顔を見たが、その表情はすぐに深く納得したものに変化を遂げていた。
「ああそうだ……そうだよな?俺もさ、あの日からずっと考えてきたんだ。もしあの時、俺が修から離れなければ、奴は死ななかったしたつ子とお前の人生もずいぶん違ってたんじゃねぇかって。でも結局、思ってるだけじゃ何にも変わらねぇんだよな。たつ子はあの日からずっと苦しみ続けてる。救ってやらなきゃな、修の為にも」
互いに見つめ合った2人は、どちらからともなく頷いて再び足を踏み出したのだった。




