かつて天使だった僕の話
「おかえりなさい、ユリシーズ様!」
家に帰るとジャスミンが出迎えてくれた。
今日は母上と約束しているとは聞いていたが。
「……ただいま。どうしてジャスミンと兄上が一緒にいるんだ?」
「んふふっ」
ちょっと待て。そのおかしな笑い方はなんだ。
「兄上、何を話したのです?」
「『おにいちゃま、だいしゅき♡』と言っていた可愛らしい弟の話だ」
「……ジャスミン、忘れろ」
「え、嫌です。今、想像して悶えていたのに。きっと可愛かっただろうなぁ」
いまや二十三歳にもなる男のそんな姿を想像して何が楽しいんだ?
「でも、あんまり可愛すぎると誘拐されそうで心配ですね」
「ああ、あったな。攫われかけたことが」
「え!」
「……あれは私の顔に関係なく、金銭目的の誘拐でしょう」
「いや、お前の笑顔を見て魔が差したと言っていたじゃないか」
「そんな変態のことなど覚えておりません」
残念ながらまったく記憶にない。だって三歳くらいの話だぞ?
「犯人は男性だったのですか?」
「ああ。お金に困っていたところ、天使が舞い降りて思わず攫ってしまったと供述したらしい」
「まあ! そんな頃から薔薇の片鱗が?」
「そんな片鱗はないし、勝手に咲かせるな!」
どうして身内というやつは勝手に幼少期の話を暴露するのか。自分ですら記憶にない話をアレコレされるのは迷惑でしかない。
「でも怖かったでしょう? ご無事でよかったです」
そう言って私の手をそっと握ってくるジャスミンがいじらしい。べつに当時の怖かった記憶など本当にないし何も問題はないが、ありがたく優しさだけは受け取っておこう。
「そいつは金に困っている男にお菓子を与えられ、楽しそうに手を繋いで戻ってきたぞ」
「さすがは天使様。犯人の心を掴んじゃったのですね?」
「掴んでいない。勝手に改心しただけだろう」
できれば誘拐する前に悪いことだと気付いてほしかった。
まあ、事件は公になることもなく、犯人が反省していて未遂に終わったということもあり、父が男に新しく仕事を与えてやり、解決したと聞いている。
「それからしばらくは家の者がふざけて天使と呼んでいたら、母上のお茶会に来ていたご婦人の前で、『ユリシーズです。ぼく天使なの』と自己紹介をして悶絶させていたな」
「兄上!」
「なんだ? 天使様」
もう、本当に嫌だ! どうしてうちの人間はこういう性格のやつばかりなのか。兄上は父上にそっくりだから腹立たしいことこの上ない。
「愛されていますね、ユリシーズ様!」
「……どこをどう聞いたらそんな感想になった?」
ようやく兄が去り二人きりになると、ジャスミンが嬉しそうに問題発言をした。
「全部です。大好きで大切な弟君の話を、新しく家族になる私に聞かせてくれたのですわ。要するに、宝物を見せてくれたようなものです」
なんと好意的な受け取り方なのか。
まあ、確かに家族として愛されていることはわかっている。だがなぁ。
「父と兄はいじめ可愛がるのが好きなんだ」
「アハハッ、素直じゃないんですね!」
ある意味素直なのだろうがこっちはいい迷惑だ。
「笑っていられるのも今のうちだぞ。いつ、その矛先が君に向くかわからないだろう?」
「どうでしょう。一生、天使ユリシーズに向いている気もしますけど、て、いひゃいいひゃい!」
「よく伸びるほっぺただな?」
「ひどいです! 嘘は言ってないのに」
「真実はときに人を傷つけると覚えなさい」
兄たちは女性をいじめることはないだろうが、そうなると一生自分がからかわれている気がする。それはごめん被りたい。
「大丈夫、私が守ってあげますよ!」
「……それは頼もしいな」
「あ、信じてませんね?」
「いや? 期待してますよ、婚約者殿?」
チュッ、と少し赤くなってしまった頬に口づける。
「任せて、天使様!」
ジャスミンからも口づけが返される。
……コラ、言っているそばから揶揄ってきやがったな?
かぷっ。
「ピャッ⁉」
お。変な鳴き声が出た。
「か、噛んだ⁉ いま、耳を噛みましたね⁉」
「揶揄ったお仕置きな」
「ひどい! ちょっと呼んでみたかっただけなのに!」
「悪気がなければ許されるわけではありません」
「むぅ、私も天使なユリシーズ様に会いたかったわ」
「会えるかもよ?」
「……どうやって?」
「俺は母上似。兄上は父上似」
「そうですね?」
「俺達の子どもはどっちに似るかな」
「!」
うわ、真っ赤になった。どうやら意味は伝わったらしい。
自分の子どもだなんて、以前は考えたこともなかった。でも今は、ジャスミンに似た子どもが生まれたらいいなと夢を見てしまう。
もちろん、授かりものだから出会えない可能性もあるし、それならそれで二人で楽しく暮らせたら幸せだろう。
「……楽しみですね」
「ああ、楽しみだな」
結婚まであと二ヶ月。どんな未来が待っているのか本当に楽しみだ。




