9 眩いばかりに輝く白石
7月1日の朝。
ドリアドの街は7月7日のお干支祭の準備に追われている。
石畳の通りでは、家々から対面の家へロープが張られ、そこに赤や緑、白、黄、橙などのカラフルな三角形の旗が無数に並んでいた。赤は太陽、緑は大地、白はカミュー様、黄はローデン王国、橙は麦の実りを象徴している。
各家のドアの脇には、赤緑黄橙の四色の横縞、中央に白い丸が描かれた旗を斜めに立てていた。ドアの上には麦わらで編んだ玉の上から、麦の穂を五つ垂らした飾りを付けていた。
街の中央にある公園には、お干支祭のステージを設置している大工職人の姿があった。そして、中央の噴水には、右手に白石を持った神々しい男神のモニュメントの設置作業が進められている。また、商店街では、人々が集まり屋台の区割り作業をしていた。
街中が12年に1度のお干支祭への準備が進み、雰囲気を盛り上げていた。
ミリアは鼻歌まじりでお干支祭の飾りつけをしている。
店先で一緒に飾り付けをしていたアイが、ミリアに尋ねる。
「ミリアさん、何か良い事でもありましたか」
ミリアは、笑顔を隠すこともなく、アイにそっと耳打ちする。
「メルファーレン辺境伯様に買っていただいた主人のミスリルの剣と、ダイチさんの造ったアダマント製の黒の双槍一文字が、店始まって以来の高値になったのよ」
更に、ミリアは小声で囁く。
「なんと、契約の2倍の額をお支払いいただいたのよ」
「それは、おめでとうございます。メルファーレン辺境伯様も、お喜びになっての事でしょう」
「それだけではないのよ、カリスローズ侯爵様から剣100本の代金も、今朝届いたのよ」
「人から喜ばれる仕事って素敵ですね」
「本当に。感謝の気持ちや言葉をもらうと、心が温かくなる。だけれども、報酬は懐が温かくなるわ。うふふふっ」
残業も続いたこともあり、特別ボーナスとして金貨をムパオに70枚、バルに60枚、ナナイに40枚、アイに20枚、モルモに15枚、功労者のガリムに500枚、キロとクリに各500枚と大盤振る舞いをした。
バイカルに呼ばれて、ダイチは店の奥の部屋に入ると、そこにミリアも居た。テーブルを挟んで座ると、ミリアが笑顔でダイチを見つめた。
ダイチが改まってバイカルに話しかけた。
「最初に俺から話があるのですが、いいですか」
「構わん」
「黒の双槍十文字をこの店に寄付しますので、店の収益にしてもらえませんか」
「馬鹿者!俺を殺す気か。メルファーレン辺境伯様からダイチが賜った逸品を、店で売ってみろ、俺の首が飛ぶ」
ダイチは、バイカルの首が飛ぶイメージが鮮明に、しかもスローモーションで浮かんだ。
「それに、ダイチは、双槍十文字が扱えるように精進いたしますって、言っていたよな。お前の首も飛ぶぞ」
今度は、自分の首がスローモーションで飛んだ。
「・・・精進します」
ダイチが答えると、バイカルが間をおいて、
「ゴホン、今回はご苦労であった。職人は腕に応じた報酬を得る。これが今回のダイチの報酬だ」
と、ミリアを目で促した。ミリアは黙って俺の前に袋を2つ置いた。
その袋を開けると、大判金貨が入っていた。大判金貨1枚は金貨10枚の価値で取引されている。
「バイカル親方、これはいくら何でも多過ぎます。皆さんの協力があってのことですし」
「大判金貨100枚ある。職人はその技が命だ。
ここの親方として心がけている事の1つ目が、職人の技量と成果を評価し、それに見合う報酬を支払うことだ。ダイチの造った黒の双槍一文字と十文字は、魂の入った見事な逸品だった。
親方として心がけている事の2つ目が、良き職人を育てることだ。ガリムのガリクスの製法、キロとクリがアダマントインゴット精錬の技術を修得することにも貢献した。
これらの技術を持った職人は、今後もこの鍛冶屋の宝になる。感謝している」
「それでも、この額は・・」
ミリアが、ダイチに笑顔で語る。
「ガリクスの製法には、お金の匂いがプンプンしています。
それに、アダマントインゴット製の槍を造った事で、この鍛冶屋も話題になっています。宣伝効果は抜群ですわ、オホホッ。
今後は、アダマント鉱石持ちの王族様や貴族様からの注文も期待でます。それも考えての事です」
「ありがとうございます。それでは、俺の職人としての技術を評価していただいたと考えて、これをいただきます」
ダイチは、頭を深々と下げてから、2つの袋を手に取った。
ダイチは2つの袋が重く感じた。今回の件での仲間たちの祝福の笑顔や心配してくれていた顔が交互に浮かんできた。特別ボーナスの袋をアイテムケンテイナーに大事に納めた。
部屋から出ると店先の飾りを眺めていた。
「ダイチ様、この飾りが気になりますか」
「ああ、不思議な麦の玉の飾りだなと・・・」
そこにミリアが、部屋から出て来た。
「綺麗に出来ているでしょう。外国からきたダイチさんには、不思議に見える? それはね7月7日のお干支祭の飾りなの。干支が龍の年に行う祭なの」
「以前に屋台のおじさんから、12年に1度の祭だと聞きました。昔は龍の年に飢饉が発生したので、龍の年に豊作を祈願する祭であると聞いています」
「遠い遠い昔の話だけど、豊作の祈りを捧げた事が祭の始まりだと聞いているわ」
「豊作の祈りとこの飾りにはどんな関係があるのですか」
「5本の麦の穂は、カミュー様の手の指を表し、麦で編んだ玉はカミュー様のお天道様。カミュー様が、お天道様を持っているところを表しているのよ」
「お天道様って、太陽を掴んでいるのですか」
「どうですかね。12年前、思い出すわ、プロポーズの夜だったの。うふっ、ロマンティックな夜だったわ・・・あ、話を戻すわね。私が主人と一緒に見た時は、カミュー様の手から眩しい光が出ていたけれど。ジロジ伝説では、カミュー様は、眩いばかりに白く輝く太陽を握りしめているって言っていたわ」
「そういえば、ガリムさんは元山の民で、ジロシ山脈の伝説には詳しいと言っていましたね。炭焼き小屋での話では、カミュー様はジロジ山脈の洞窟に住んでいて、その近くでは黒曜石や龍神赤石が稀に取れるって・・・」
「ガリムさんが聞いたら怒るわよ。ガリムさんは元ではなく、今も山の民だと誇りを持っているから。それに童歌にも出て来るでしょう。お天道様や黒や赤」
ミリアは歌い始めた。
♪実れよ実れ黄金の海よ 実る黄金はカミューの涙
そよぐ黄金はカミューの息吹
鳥が飛ぶ飛ぶ東空 虫が鳴く鳴く西の空
干支の七七柱雲 お天道様を手に持って
天の川を泳ぐよ泳ぐ 風の川を泳ぐよ泳ぐ
実れよ実れ黄金の海よ
見つけた見つけたあの子が見つけた
カミューのお山は黒と赤 滝とお池はカミューのお宿♪
「とても素敵な歌声ですね」
「あら、いやだぁ」
ミリアは頬を染める。
ダイチは歌詞を思い出し、1つ1つ確認していく。
「黒や赤はきっと黒曜石と龍神赤石のことでしょうね。それから天道様を手に持って、とありましたね。眩いばかりに白く輝く太陽の事か・・・あれ、あれ」
ダイチの頭の中で河原での記憶と歌詞が繋がり始めた。
カミュー様の住むジロジ山脈へと続く川、その河原にあった黒曜石と龍神赤石、川の中で拾い上げた眩いばかりに輝く白石、川底に沈んだ10m程の頭蓋骨の記憶、ジロジ伝説や童歌の歌詞と一致している。
しかも、歌詞のお天道様を手に持ってとあるけども、お天道様が眩いばかりに輝く白石だとしたら、今は俺のアイテムケンテイナーの中に入れたままだ。
ダイチは、ううーんと、唸り声を上げると、鍛冶場へ走り出した。
「ダイチ様、どうかしましたか」
ダイチは、アイの尋ねる声も耳に入っていなかった。
特別ボーナスを受け取りホクホク顔のガリムに声をかけた。
「ガリムさん、大事なお話があります。これから親方も呼びますので、店の奥の部屋まで一緒にお願いします」
「ん、何じゃダイチ、いきなり」
「急いでいます。お願いします」
そう言うと、バイカルにも声をかけた。
3人が部屋の中でテーブル越しに座ると、ダイチはアイテムケンテイナーから眩いばかりに輝く白石を取り出し、テーブルの上に置いた。
その強烈な光に3人とも一瞬目が眩んだ。
「何だ、この輝く石は」
「こ、これはひょっとして、ジロジ伝説でカミュー様が持つお天道様ではないのか」
ガリムは椅子から立ち上がって叫んだ。
それから、眩いばかりに輝く白石を手に取ってダイチを見つめた。
「儂も山で色々な鉱石を見てきたが、自ら眩い光を放つ石は見た事がねえ。どう考えてもお天道様にぴったりじゃ」
「俺も、もしやジロジ伝説の石かと思い、2人にお見せしました。それからこの石はどうすれば良いかと・・」
「なぜ、ダイチがこの石を持っているのか説明してくれ」
バイカルは落ち着いた口調で言った。その言葉にガリムも落ち着き、椅子に腰かけた。
「実は、バイカル親方とあの河原で出会う前に、川で魚を捕ろうと潜っていたら、川底で発見しました」
「なんじゃと、そんな大事なものが川底にあったのか」
バイカルは、驚くガリムを横目にしながら言う。
「これは、伝説にも童歌にもないことなので、どう解釈すれば良いのか迷う。とにかく、この眩いばかりに輝く白石が、お天道様だとしたら、お干支祭までにカミュー様の元へ届けなければならないだろう」
「はい、私もそれが一番だと思いますが、もう1つ、実はこの石を拾った場所の川底にこの部屋2つ分位の頭蓋骨と背骨などの1部がありました」
「なんだと」
今度は、バイカルとガリムもテーブルを叩き立ち上がった。そして、2人とも言葉を飲み込んだ。
バイカルが、恐る恐る言葉にだした。
「・・・ま、まさか、その頭蓋骨は・・・カミュー様のものなのか」
「俺には分かりません。ただ、そこに巨大な骨があった事は、事実です」
「儂ゃ、カミュー様が骨になられたなんて信じないぞ」
ガリムは唇をキュと噛んで、右手の拳をブルブル震わせていた。
「その頭蓋骨が、カミュー様の物とは、決まったわけではありませんので、俺は、ジロジ山脈にあるカミュー様の住む洞窟に、この白石を持って行くことが1番良い選択だと考えています」
「そうじゃ、まだカミュー様が骨になったとは限らん。いや、それは別の骨で、カミュー様は生きておられるはずじゃ。ならば、カミュー様の住まわれるところにお返しに行くことが1番じゃろう」
2人の話を黙って聞いていたバイカルが、口を開く。
「今日は7月1日だ。7日のお干支祭までに届けなければならん」
2人は頷いた。
「俺1人で行かせてください」
「何を言っている。儂も行くぞい」
「いや、ガリム、ダイチの腕前は、炭焼き小屋のオーク兵撃退で分かっているだろう。俺たちが一緒に行っても、足手まといになるだけだ。期日が迫る中では、機動力が勝負となるからな」
「はい。俺は、これから2時間で水と食料、日用品、防寒着などを揃えてきます。親方にお願いがあります。馬を貸してください。それからガリムさん、俺は、カミュー様の住む洞窟へは、あの川を遡って行こうと思っていますが、山脈の中のどの山か見当があるなら教えてください」
「ダイチ、馬は貸す。15日分の食料と水、日用品などは、ミリアとモルモに用意させよう。防寒着などは、自分で用意してくれ」
そう言うと、バイカルは立ち上がり、地図を書棚から取り出した。テーブルの上に地図を広げた。
ガリムが地図を指しながら、
「ダイチがこの白石を拾った川が、これじゃ。この川を上流へと辿っていくと・・・この地図にはないが、もっと上流がある。これが山の民が聖なる山と呼ぶキリセクレ山だ。
この山の中腹から、童歌にも出てくる柱雲が立っているのを見た者がいるそうじゃ。この地図の・・・このあたりじゃ。
ここへ行くには炭焼き小屋からの南ルートは遠い。ハーミゼ高原に続く山道を登るルートが最も早い。ハーミゼ高原手前に川があるのでそれを北へ行け。
キリセクレ山は、そこから見える槍の穂のように尖った高い山じゃ。
キリセクレ山の麓にある森には、濃い霧が立ち込めておる。そこに住む魔物はとても強い。龍神赤石は、弱い魔物にはそれなりの効果はあるが、強い魔物に効果は期待できんぞ。
魔物と出合ったら、迷わず逃げろ。駄目なら命を賭して戦え。
それから霧の森では、棘だらけの赤い草の茂があるそうじゃ。その茂の中央には大樹があり、その大樹のうろ(幹の穴)は、魔物から守ってくれるそうじゃ。覚えておけ」
「ダイチ、ハーミゼ高原への山道には砦や監視所があるが、メルファーレン辺境伯様が、黒の双槍十文字を領地不問の証にしてくださっているので問題ない。さすがに俺の馬ではハーミゼ高原への山道は登れないので、麓で離してくれ。自分で戻るので心配ない」
「失礼します」
突然、アイが、ドアを開けて部屋に入って来た。
「なんだ。今は忙しい・・・後にしてくれ」
「バイカルさん、私をダイチ様と一緒に行かせてください」
アイの無色透明の瞳からは、並々ならぬ決意が感じ取れた。
バイカルは、アイの眼を睨む。
「・・・・・」
「何を言っとるのじゃ。これは、危険な魔物がぎょうさんいる森を抜けねばならん。しかも、スピードが勝負じゃ。アイは、足手まといにしかならん。気持ちは分かるが、こればかりは無理じゃ」
ガリムの口調が強くなっていた。
「ダイチ様と私が一緒に行けば、安全性が高まります。結果として、森を早く抜けられます。」
バイカルは、アイの眼を見たまま黙っている。
アイは、バイカルの視線から、懸念している事を感じ取る。
「バイカルさん、私の記憶の事を懸念しておりますね。私は、あの炭焼き小屋でオークの下敷きになった直後に、記憶を取り戻しています」
ガリムが目を見開いてアイに視線を向ける。
「なんじゃと・・・オークの下敷きになって頭を打った時かいな」
「正確には、あの直後から、徐々に記憶が蘇ってきているのです」
バイカルは、アイの眼を刺すような鋭い眼で見据えている。そして、アイに問い質す。
「道中は、強い魔物が多く棲む場所だ。命の保証はない。なぜ、アイは、それを為そうとするのだ」
「私にとって、大事なものを守りたいだけです」
「大事なものを守りたい・・・か」
「命の恩人のダイチ様、この瞳を持つ私を快く受け入れてくださった、ここの皆様のお力になりたいのです」
「魔物との戦いには、問題ないのだな」
「ありません」
「・・・分かった」
ダイチは、話の内容が見えずにいたため、バイカルに質問する。
「アイは、記憶を取り戻しつつある。カミュー様にこの白石を届けるためには、その力が必要だということですか」
「ダイチ、その通りだ。アイを連れて行け」
ダイチは、驚いてアイを見た。アイは、藤色の長い髪を後頭部で束ねると、真紅の布でぐるりと固定し、ポニーテールとなる。無色透明の瞳の奥が光り、強い意志と静かな闘気が感じられた。
アイの雰囲気が一変し、ただならぬ雰囲気を纏った姿を見たダイチは、黙って頷いた。
バイカルは、1時間後に出発だと、ミリアとモルモに指示をした。
ダイチは、眩いばかりに輝く白石と黒の双槍十文字、地図をアイテムケンテイナーにしまうと、アイと共に、近くの衣料品店に駆け込み、厚めの下着や上着を予備も含めて数着ずつ、皮の手袋、雨除けの皮のフード付きコート、防寒用のハーフマントなどを購入した。
ダイチは、魔物に注意しながら森の中を歩くので、目立たぬ色合いの服、厚めの襟のある緑色の上着にダークグレーでポケットの付いた皮ベスト、黒いズボンという姿に着替えた。また、ロープを100mと500m巻きの細い紐も買いアイテムケンテイナーに入れた。
鍛冶屋に戻ると、ミリアが水や食料、ランプ、その他の必需品、何かの役に立てばと貴重なポーション5本、毒消し薬3本を革製の肩掛け鞄に入れて、ダイチに渡した。ダイチは、それをアイテムケンテイナーに入れた。
バイカルは、護身用にと、逸品のソードと鞘つきベルトを、ダイチとアイ、それぞれに手渡した。
ダイチは、ガリムが引いて来た馬の手綱を取った。ただならぬ様子を察してか、職人たちとエマが見送りに来ていた。
「皆さん、ありがとうございました。それでは行ってきます」
と、馬に跨った。
ダイチが、手をアイに差し伸べる。アイはダイチの手を取ると、一気に引き上げられて、ダイチの前に跨った。
7月1日、太陽が真上に近づき始めた頃の出発だった。
ドリアドの城門を出てすぐに、カミュー様の洞窟の場所をクローに確認をすると、キリセクレ山との回答だった。この眩いばかりに輝く白石をカミュー様の洞窟へ届けるべきかどうかについては、
「眩いばかりに輝く白石をカミュー洞窟へ届けるべきかを示す」
意のままに
「やはり、ガリムさんの予想通りだ。俺はこのままキリセクレ山を目指す」
「ダイチ様との旅が、この様な厳しい旅になるとは思いもよりませんでした」
「アイに尋ねたいことはあるが、それは後だ。先ずは、急ぐぞ」
「はい。私もお話ししなければならないことがあります」
アイは、ダイチの前に座ったまま首を後ろに向けて頷いた。
ハーミゼ高原へ続く山道への入口までは1日半で到着しなければならない。メルファーレン辺境伯は、黒の双槍一文字を半ば強引に受け取りに来た時には、ほぼ同じ距離を1日で駆け抜けて来たが、ダイチには乗馬技術もなければ、馬も違い過ぎた。馬への負担を考え、休憩をはさみながら駆けた。
ダイチの乗馬は、元の世界で1日体験をしたことがある程度で、馬が駆け出すと重心を崩して落馬しそうになることもあった。特異スキル学びの効果で、程なくして馬と一体になったような感覚で駆けることができた。
2人は、麦畑の中にある街道をひたすら馬で駆けた。麦畑には、所々で農作業をする人たちが見える牧歌的な景色が続いた。
アイは、馬上で、ダイチの両腕の中に座わり顔を赤らめている。
「・・・これが、長閑な旅であったら・・・」
アイは心の中でそう考えたが、ハッと我に返り、自分自身に言い聞かす。
「ダメ、しっかりしなさい。ダイチ様の命を守らなくては、ダイチ様の9秒を埋めなければ・・・」
街道の正面に小高い丘が見えてきた。ダイチは馬から降りて、アイテムケンテイナーから水筒を取り出すと、アイに手渡した。
「ありがとうございます。ここで道が二股に分かれていますね」
「あぁ、アイも疲れただろう。ここで、少し休んだら出発する」
ダイチは、馬にも水を与えてから、地図を取り出し確認する。アイも顔を寄せ、一緒に地図で確認した。
この丘を境に西は首都ガイゼル方面、北はタフロン方面に分岐していた。馬の首筋を撫でると、地図をポケットにしまい北を目指した。
ドリアドの鍛冶屋の奥にある部屋では、バイカルとガリムが話をしていた。
「ダイチとアイが、心配だな」
「ああ、心配じゃ。じゃが、バイカル親方が言った通り、ダイチはオーク兵を10秒たらずで3匹も倒した手練れじゃ。そこに儂らが付いて行っても邪魔なだけじゃ。じゃが、なぜアイを一緒に?」
「炭焼き小屋で、アイの剣を見せてもらった。使い込まれたミスリル製の逸品だった。まさかと思い、アイの掌を見せてもらった時に理解できた。掌には、剣士のタコがあった。しかも、剣の達人が、日々修練した時に生まれる場所にタコができていた。あの年でどれほどの修練を積み、どれほどの死線を潜ってきたことか・・・」
「元冒険者であり、メルファーレン辺境伯様お抱えの、元精鋭騎馬隊員の眼力か。こりゃまた、ダイチといい、アイといい、凄い者たちと巡り合ったのぉ。カミュー様のお導きとしか思えん」
「そうかもしれんが、7月7日のお干支祭までに、カミュー様の洞窟を探し、眩いばかりに輝く白石を返すのだから、かなり厳しい日程となる」
「ところで、カリスローズ侯爵は、兵を出してくださるかのぉ」
「ダイチたちが出発した後すぐに、カリスローズ侯爵様に事の次第の説明と、ダイチたちへの援軍要請の嘆願をした。さすがに今回は事が事だけに、派兵してくださると思う。あそこの魔物は強力であることを付け加え、無礼を承知で100名単位の兵をお願いしておいた」
「飢饉になっちまったら大変だからのう」
「ああ、国の穀倉地帯であるドリアド地方の飢饉は、ドリアドの民ばかりではなく、この国が飢えるということになるからな」
「カミュー様におすがりする前には、12年ごとに飢饉が起きたというからのぉ。儂ら山の民に伝わる話では、飢饉は水不足だけではなく、飢饉の理由となる前兆があるらしい。それが何かは、今ではもう分からなくなってしまったがの」
「それが分かれば、俺たちで防ぐことができるかもしれない。俺たちは、理由となる前兆を突き止めよう」
「儂は、山の民の仲間に、心当たりがないか尋ねてみるぞい」
「頼む。俺もカリスローズ侯爵様に、もう1度、ご連絡を差し上げてみる。キリセクレ山を領地とするメルファーレン辺境伯様にも連絡をしておく」
7月2日。
翌朝、ダイチは、街道から外れ北東へと馬で駆けて行った。
その日の夕暮れ前に、第1の目的地だったハーミゼ高原へ続く山道入口に着いた。ダイチは馬の首を抱きながら優しく撫でて、飼葉をやり、水を飲ませた。
「ありがとう。よく頑張ってくれた。あとは気を付けてお帰り」
と、馬を帰した。
アイは、ダイチからの贈り物である橙色の革のグローブをはめた。
「あ、そのグローブは・・・」
「気合が入ります」
アイは、笑顔で答えた。
山道入口から200m程後ろには守備のための砦があった。すぐ前の入口には監視所があり門は閉じていた。
オーク軍との1戦後まだ日も浅いので、ダイチはここを無事に通れるのか不安であったが、黒の双槍十文字を見せると監視所の兵は敬礼し、門を開けて通過を許可した。
「メルファーレン辺境伯様、さすがです。仕事が速い」
ダイチは、双槍十文字を手に持って山道を登り始めた。アイも、ダイチの後を歩き出した。
山道は幅が2m位で、丸太を置いた階段が続いていた。階段の段差や幅が不規則できつい勾配が続いていた。
ダイチは、この階段を馬で登ったメルファーレン辺境伯率いる騎馬隊の技量に、驚愕した。
山道の脇の樹と藪は鬱蒼としていて、山道の空を塞ぐように茂っているところもあった。
急な勾配が続き、体力的にきつくなってきたので、アイの事が心配になって、ダイチは後ろを振り返る。アイは、息も切らさずに黙々と登っている。
「ダイチ様、どうかしましたか」
「ハァ、ハァ・・・アイは、山道がきつくないか」
「大丈夫です。ありがとうございます。心配してくださったのですね」
「だいぶ登ったので、ここらで休憩しよう」
「はい」
岩に腰かけ休憩を挟んだ。アイが手を伸ばし、ダイチの額の汗をタオルで拭く。
ダイチは驚いて、
「あ、ありがとう。俺は大丈夫だ」
と、照れる。
ダイチの照れる仕草に、アイは、胸がきゅんと、締め付けられるような感覚になり、目を伏せた。鍛冶で見せる迷いの無い瞳とは異なるダイチの一面を垣間見て、アイは心臓の鼓動が速くなっている事を自覚した。
アイが静かに視線を上げると、ダイチは、真っ青な空に流れる白い雲を黙って見つめていた。
途中で日が暮れて来たので、山道で野宿することにした。
夜行性の魔物への対策として、アイテムケンテイナーに入れておいた龍神赤石を、ダイチたちの周囲へ配置した。
アイテムケンテイナーから水とベグル、サラーミンを取り出し夕飯とした。
ダイチは、アイの無色透明の瞳を真剣な眼差しで見つめて口を開いた。
「アイは、記憶が戻っていたのか」
「断片的に記憶が戻ってきています」
「アイに体力がある事は分かったが、その理由に心当たりはあるのか」
「理由は、予想がつきます・・・・」
アイが、視線を下に落とし、沈んだ表情となった。
「辛いのなら、言わなくて良い」
「私はルカの民です」
「ルカの民?」
「ルカの民は、魔族の祖と言われ、忌み嫌われ、長きに渡って迫害を受けてきました」
「・・・・」
「私たちは、メグという指導者の下に、差別や迫害を受けてきた者が集まり、皆が平等に暮らしていける楽園を作りました。私はその楽園の守護者です」
「楽園の守護者とは?」
「以前にも楽園は作られたことがありましたが、その楽園は、ある宗教が関係する武力によって弾圧されたそうです。ですから、そういった武力から楽園を守るための武力集団を、守護者と呼んでいます」
「アイは、その守護者の一員なのか・・・」
「はい」
「どこの世界にも、差別や迫害があるのだな。・・・辛かったろうに、よく話をしてくれた」
「ダイチ様は、私がルカの民だと知っても、恐れないのですか」
「出会った時から、何も変わる事はない。アイは、アイだろう」
「・・・ダイチ様、ありがとうございます。私がルカの民だと知ったら、ダイチ様から避けられてしまうのではないかと不安でした。炭焼き小屋の一件で、記憶が断片的に戻ってきて・・・このルカの民の瞳で、エマちゃんと視線を合わすことさえも、憚るようになりました。」
「・・・自らの存在を蔑むような・・・それほど惨い差別を受けてきたのだね」
ダイチの瞳は、何もかも優しく包み込んでくれていた。
アイの無色透明の瞳に映る不安の色が消えていった。その瞳には、ダイチが自分の気持ちを理解してくれたこと、自分を受け入れてくれたことへの安堵の光が灯っていた。