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ひと  作者: 花野井 京
7/17

7 英雄現る

 鍛冶場は、今日も活気に満ちていた。ダイチは、バイカルに任された槍を鍛造(たんぞう)している。

 「キロさんとクリさんがつくるインゴットは、いつ見ても()()れするなー」

バルがインゴットを手に取って(つぶや)くと、

 「ああ、全くだ。バイカル鍛冶屋の製品が上質なのは、この2人が作るインゴットあってのことだな」

ムパオが炉の火力を調整しながら言った。

 「このインゴットで逸品(いっぴん)を造らねば、どこで造れるのかって事ですよね」

バルはそう頷きながら、自分自身に言い聞かしていた。

 キロとクリが作るインゴットは不純物がなく、精錬技術の高さを示していた。しかも、次から次へと同品質のインゴットを仕上げていた。

 2人の会話を聞いていたダイチも、キロとクリの計画性や高品質を維持し続ける技術と気力に、職人として学ぶべき点を見出していた。

 昼頃に、店番をしていたミリアが慌てて鍛冶場に来てバイカルを呼んだ。

 「今は無理だ。作業で手が離せない。用事ならお前が代わりにやっておいてくれ」

 「だって、相手はタフロンのご領主様よ」

 「なに!メルファーレン辺境伯(へんきょうはく)か」

 バイカルに続きミリアも店へ出向く。

 店先では、普段は、笑顔を絶やさないアイの顔が、緊張で強張っていた。

 

 「久しいな。バイカル」

鋭い目つきをしたメルファーレン辺境伯が、バイカルに声をかけた。

 豪華な金の刺繍(ししゅう)の入った白い服に白いズボンの軍服を着て、腰には青いベルトと銀の柄の剣を()び、肩から深紅のマントを架けていた。

 脇には小太り小柄で眼鏡をかけ、紺色で赤い(えり)元、豪華(ごうか)そうな服装をした、見るからに商人の様な男性。その後ろには、護衛四人が控えていた。護衛は剣を帯び、鋭い眼光から歴戦の勇士だと感じとれる風貌(ふうぼう)だった。

 その中でも、一際存在感のある男がいた。メルファーレン辺境伯と同年齢の男で、端正(たんせい)な顔立ちと屈強な体躯(たいく)をした騎馬隊副官のロイ・ボンドである。メルファーレン辺境伯の常に脇におり、様々な戦で武功をあげている腹心である。

 護衛の一人は豪華な装飾のされた大箱を抱えていた。

 「メルファーレン辺境伯様、ご戦勝を心よりお祝い申し上げます。先のオーク侵攻の国難に(おもむ)き、辺境伯様自らのご活躍によって見事これを打ち破り、国をお救いになられたことを、この国の全ての民が存じ上げております」

バイカルは、背を伸ばし、右手を胸に当て(うやうや)しく礼をすると、ミリアもスカートをつまみお辞儀(じぎ)をする。

 バイカルは店の奥の部屋を勧めたが、メルファーレン辺境伯は断った。

 「堅苦しい挨拶は止めよ。俺とお前の仲だ」

 「私の隣に控えておりますのが、妻のミリアです」

 「妻のミリアと申します。メルファーレン辺境伯様、ご機嫌麗(きげんうるわ)しゅうございます」

ミリアは丁寧にお辞儀をした。

 「おお、其方(そなた)があのミリアか。バイカルから聞き及んでおる。私から優秀な騎兵1人を引き抜いた女性だな」

 ミリアは頬を染めた。


* * * * * * * * * * * * * * * * * * *

 メルファーレンが、まだ次期領主であった頃。

 複数の魔物と対峙し窮地(きゅうち)だった時に、当時冒険者だったバイカルがたまたま助勢したことが縁で、メルファーレンの騎馬隊に入隊した。すぐに、2人は意気投合した。

 バイカルはミリアとの電撃的な結婚を機に、入隊から半年で鍛冶屋に転身したのだ。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * *


 「メルファーレン辺境伯様、お(たわむ)れを。私には任が重かったのです」

 「ははははっ、戯言(ざれごと)じゃ。気にするでない」

 脇に控えていた小太り小柄で眼鏡をかけた商人のような男性が進み出た。

 「私は、ジーク・フォン・メルファーレン辺境伯にお仕えしております、軍事財務官のネロ・リークといいます。メルファーレン辺境伯は、このドリアド領主であらせらせますウィル・フォン・カリスローズ侯爵様より贈られた戦勝の祝いへの返礼に、このドリアドに足をお運びになられました。

 本日は、製造業の盛んなドリアドの職人の技を視察に来ました」

 「ネロ、つまらぬことは良い。バイカルなら察しがついておろう」

 「返礼においでになられたのは、あくまで口実。カリスローズ侯爵と、先の戦で消耗した武器と防具などの取引でいらっしゃったと愚考します。また、この鍛冶屋には、個別の品をお求めに足を運ばれたと推測いたします」

 「話が早い。実は、先の戦で愛用の剣と槍の穂(刀身)が折れた。代わりの剣と槍となると、私が直接この手に取って、見定めたくてな。見せてくれ」

 「英雄メルファーレン辺境伯様のお眼鏡にかなうものがあれば良いのですが」

 護衛の兵士が店先に飾ってある剣を取ってこようとするのを、メルファーレン辺境伯は制止し、自ら歩み出すと飾ってある剣を手に取る。

 「バイカル、これだけではないだろう。逸品(いっぴん)を見せろ」

 「それでは、お手数ですがこちらまで」

 バイカルは、メルファーレン辺境伯を店の奥にある部屋まで案内した。部屋には見ただけで逸品と分かる剣と槍が並んでいた。

 メルファーレン辺境伯は、その中から1本の剣を手に取り、1振りした。

 「悪くないな。だが、刀身が薄い」

 「左様ですか。お気に召さなかった様ですが、私がお見せしたかった品は、こちらでございます」

 バイカルは、部屋の奥にある鍵のかかった棚を開けた。棚には1本の剣が飾ってあった。

 「こちらの品にございます」

バイカルがその剣を差し出すと、メルファーレン辺境伯はそれを無造作に1振りした。

 「見事な剣だ」

 「私の渾身(こんしん)の作でございます」

 「この刀身は、ミスリルだな」

 「はい、ミスリルで(きた)えました」

 「むう、これを我が剣とする」

 「ありがとうございます」

 「次は、槍だ」

 「槍でしたら、まだ店には飾っておりませんが、お見せしたい一品がございますので、お待ちください」

そう言うと、部屋から出て行った。すぐに、

 「こちらでございます」

と、槍を手渡した。

 またもや槍を一振りし、鋭く光る穂先を眺める。

 「見事な逸品だ。鬼気迫(ききせま)るものを感じる。しかし、軽すぎる。・・・これは(はがね)だな」

 「はい、それは鋼を鍛えたものです。ミスリルでは更に軽くなります」

 「分かっておる。これはバイカルが鍛えたものか、伝わってくる気迫の質が異なるが」

 「慧眼(けいがん)恐れいります。それは私が鍛えたものではありません。この鍛冶屋で印可(いんか)をもつダイチという者が鍛えました」

 「そのダイチとやらを呼んで参れ」

 バイカルは、鍛冶場からダイチを連れて来た。

 「この者がダイチです」

 「メルファーレン辺境伯様、お目にかかれて光栄です。鍛冶職人のダイチと申します」

 「この槍は、其方が鍛えたものか」

 「はい」

 「穂を倍の長さに、厚さはこのままで作れるか」

 「お望みとあればお造りいたしますが、穂と呼ばれる槍の刀身の厚さを変えずに、長さを倍にすると、強度に不安が出てまいります」

 メルファーレン辺境伯は左手を静かに上げた。ネロは、豪華な装飾のされた大箱を護衛に支えられながら、テーブルの上に置いた。

 「これで造ってくれ。できるか」

 箱を開けると、黒く輝く鉱石がいくつも入っていた。

 「こ、これはアダマント鉱石では」

バイカルは市場には出回らない、極めて希少性の高いアダマント鉱石を見つめて呟いた。

 アダマント鉱石の採掘量は極わずかで、国王及び王族位しか手にすることはない。最後の採掘も約20年前だったという。

 「アダマント鉱石だ。先のオーク撃退の褒美(ほうび)として、ローデン国王陛下より(たまわ)ったものだ」

 アダマントは、ミスリルを遥かに越える強度だ。これなら、刀身の厚さは変えずに長さを倍にしても、強度の不安どころか、最強の槍となる。と、バイカルは納得した。

 「そんな貴重な鉱石で槍を・・・」

ダイチは思わず口にもらした。

 「私は、いかなる時も、国王陛下をお守りする剣としての務めを果たさねばならない。その私の槍に使うのだから、これこそ王の剣としての本分だ」

 「しかし、アダマント鉱石となると・・・その精錬(せいれん)方法が、今では・・・」

あのバイカルが不安そうに言った。

 「そう、だからこそバイカル、お前に頼みたいのだ。良いな」

 バイカルは、ゴクリと唾を飲んだ。部屋は静かに時が流れた。

 「アダマント鉱石に余りがでましたら、是非お戻しください」

ネロが、ダイチの耳元でそう囁いた。

 「ネロ、この馬鹿者が! 駄作に命を預けよと言うのか」

メルファーレン辺境伯は怒鳴った。

 その迫力は歴戦の勇士のものだった。ネロは飛び上がった。

 メルファーレン辺境伯は息を1つ吸うと続ける。

 「鍛冶職人とは、鉱石に命を吹き込む者だ。素材を鍛える職人が、鉱石の量を気にしていては、逸品など決して出来ぬ。しかも、加工技術の失われたアダマント鉱石だ。それは試行錯誤(しこうさくご)の道となるだろう。

 私が命を預ける槍は、世界で唯一(ゆいいつ)の逸品のみだ。

 素材を惜しんでどうする。このアダマント鉱石は全てダイチに与える」

 何というプレッシャーだ。俺は、世界で唯一の逸品の槍を造るのか。しかも精錬技術が失われた?と聞こえたが・・・しかも、メルファーレン辺境伯様のこの気迫。もし、アダマント鉱石で槍が造れなかったら、造れても駄作(ださく)だったら、俺の命はないな、ダイチは凍り付きそうな心でそう呟いた。

 だが、「命を()しても造りたい」という衝動が、鍛冶職人の魂を熱くたぎらせた。ダイチのきつく握った拳が震えている。

 「このアダマント鉱石はいただきます。最高の槍を創造します」

ダイチは、メルファーレン辺境伯の眼を真っ直ぐに見て答えた。

 ファーレン辺境伯は、他を圧する鋭い眼でダイチの眼を見て軽く頷いた。

 アダマント鉱石の槍とあって、1ヶ月間の猶予(ゆうよ)をもらった。

 メルファーレン辺境伯って、俺が見たオークとの戦で、銀の鎧と深紅のマントを羽織り、騎馬隊の先頭を駆け抜けた騎士だよな?などと、今更ながら考えるダイチであった。


 失われた技術。それは難題だった。アダマント鉱石から造った武器は、一般に最高硬度とされているミスリル製の武器を遥かに(しの)ぐ硬度を持っていた。アダマント製の武器は、刃こぼれはおろか、傷を与える事すら不可能とまで言われている。

 しかも、その金属の武器はこれまで2つしかない。およそ100年前に孤高(ここう)の鍛冶職人ゴロクが造ったナイフとショートソードである。

 アダマント鉱石は、その希少性から流通するものではないため、その鍛冶職人の知識と技は継承されていない。その後、現在に至るまでに、名工と言われる鍛冶職人が挑戦をしてみたものの、全て失敗に終わっていた。

 それは、アダマント鉱石が鉄鉱石やミスリル鉱石に比べ、融解点(ゆうかいてん)が高いことが理由の1つらしい。この難題をクリアできなければ進まない。

 バイカルは、キロとクリのインゴット職人を呼んだ。

 「「アダマント鉱石か、初めて見たわ。失われた技術の復活か、胸が高鳴るわ」」

と、アダマント鉱石を1つ(つま)み上げた。

 2人は、ルーペのようなもので観たり、(こす)ったり、小さなハンマーでコンコン叩いたりした後、アダマント鉱石をいくつか持って、中庭の水車小屋へと姿を消した。

 「アダマント鉱石の精錬か、これが出来れば事は進む」

 「ええ」

バイカル親方の言葉に、ダイチは頷いた。

 1時間程すると2人は戻って来て、

 「「駄目だわ。火力を最大にしてみたけれども、何の変化も見られない」」

 バイカルとガリムは、やはりだめかと落胆(らくたん)する。

 「「木炭の火力では低過ぎる。もっと火力を上げられれば・・」」

 「木炭を超える火力か」

ダイチがそう呟くと、炭焼き職人のガリムが突然、

 「儂ゃ、燃える黒石の火力が、もの凄く高いと聞いたことがあるぞい。その熱はインゴット職人でも耐えるのが大変じゃと」

 「え、燃える黒石? あぁ、そういえば、親方と一緒に炭焼き小屋に向かう途中で、最近見つかって、ドリアドの街で出回り始めたと」

 「「燃える黒石は黒火石(こっかせき)の事ね。火力がもの(すご)く高いって聞いているわ。あれなら試してみる価値はありそうね」」

 「よし、それだ。親方は森の中で、黒火石はドリアドの街に売っているって言っていましたよね」

 「あぁ、この街で売っているぞ。高価だがな」

 「それを購入できませんか」

 「よし、知り合いに当たってみよう」

 「それから、ガリムさんの炭焼き職人としての技術と経験を貸してください。黒火石でも駄目(だめ)だった場合には、ガリムさんの力なしでは無理なのです」

 「何じゃいきなり。ダイチは、儂の命の恩人じゃ。儂にできることは何でもしてやるぞ」

 ダイチは、ドリアド周辺に借りられそうな炭焼き小屋はないかどうか、ガリムに尋ねた。時間が限られているため、この街の周辺で作業ができれば理想的だと考えたのだ。

 ダイチは、中庭に出てクローに尋ねた。

 「黒火石を燃料とすれば、アダマント鉱石からインゴットを精錬ことは可能か示せ」


 「黒火石を燃料にして、アダマント鉱石からインゴットの精錬は可能か」

    不可能

 

 「黒火石でも不可能か」

 まだ奥の手がある。

 「クロー、聞いてくれ。俺のいた世界では石炭を焼いて、火力の高いコークスを作っていた。この世界の黒火石を焼けば、もっと火力の高い燃料ができるのではないかと考えている。その燃料の火力で、アダマント鉱石をインゴットに精錬できるかどうかを知りたい。

黒火石を焼いてできたものを燃料とすれば、アダマント鉱石からインゴットを精錬する事は可能かどうかを示せ」

 

 「黒火石から新たな燃料を作ればアダマント鉱石からインゴットの精錬は可能か」

    可能

    ただし、新たな燃料の作成及びその燃料を使用した場合であっても、

    精錬の高い技術と技能が不可欠である。

 

 翌朝、バイカルが、

 「おいダイチ、黒火石は、馬車1台分なら手に入るぞ。何でも黒火石は、売れなくて在庫が多いそうだ」

 「その店はどこですか」

 ダイチは、馬車で急ぎその店に向かった。黒火石は石炭には似ていたが、違うようでもあった。俺は迷わず、馬車1台分の黒火石を買い求めた。

 代金は、アイテムケンテイナーに入れておいた龍神赤石1つと物々交換で支払った。店主は、龍神赤石を見ると、丸儲(まるもう)けだと喜んでいた。

 鍛冶屋に戻ると、ダイチは、キロとクリに、黒火石ではまだ火力が足りないことを伝えた。

 「「なぜ分かるの?」」などと、詮索(せんさく)されることを覚悟していたが、やっぱりそうなのかと呟いた。

 次は、ガリムにお願いをする。

 「黒火石の不純物をとって火力を高めたいのです」

 「焼いて黒火石から不純物をとるのじゃな」

ガリムは、ダイチに感心した様な目つきをして顎髭(あごひげ)()でた。

 ダイチは、適任者はガリム以外には考えられなかった。これまでの炭焼きの職人として培ってきた技術と(かん)に頼る他ない。

 ダイチは、街から1時間程のところに小さな炭焼き小屋を借りた。そこでガリムに作業をお願いした。

 馬車1台分あるので、存分に試してほしい。失敗してもかまわないと伝えると、

 「儂を信じたんじゃろ。なら、任せておけ」

と、早速作業に入った。


 その日の昼過ぎに、ドリアド領主ウィル・フォン・カリスローズ侯爵の使者がこの鍛冶場にやって来た。3週間以内に剣を100本納めよとの命令である。

 納期が短く大量注文となると製法は鋳造となる。鋳造(ちゅうぞう)は溶けた鉄を剣の型に流し込む製法である。

 バイカル鍛冶屋は、インゴットを叩いて一品物の武器を造る鍛造(たんぞう)が自慢の鍛冶屋だったが、領主からの依頼とあっては断るわけにはいかない。

 鍛造は1本1本職人の技で造るため時間がかかるが、鋳造は大量生産に向いている。この2つの製法で造られた剣を比べると靭性(じんせい)が異なる。靭性とは強度と粘り強さのことだ。鍛造は鉄を叩くうちに鉄の質が変化し靭性が高まり、切れ味のよい逸品となるのだ。

 ダイチは、メルファーレン辺境伯の依頼の槍に専念し、他の職人たちは、カリスローズ侯爵の鋳造剣100本の製作にかかった。


 翌朝、バイカル鍛冶屋へ孤児院から、シスターと薄紫色の毛が綺麗(きれい)な熊の獣人である女性がやって来た。その女性は、この鍛冶屋に鍛冶職人見習いとして奉公することになっていた。

 バイカルは可能な限り、鍛冶屋で孤児を引き受け、手に職を付けさせてやりたいと考えていた。実はバルも孤児院出身で、最初の奉公先となった早馬による文書配達所では上手くいかず、飛び出したところをバイカルが引き受けたのだ。最年少のナナイは、昨年孤児院から引き受けている。

 カリスローズ侯爵からの大量受注のため、多忙を極めている時期であったので、シスターと熊の獣人女性への対応は店番をしているミリアがした。

 シスターは、ミリアに感謝の言葉と祈りを捧げると孤児院へと帰って行った。熊の獣人女性は、名をモルモといい、大柄で肉付きのよい15歳だった。鍛冶は過酷な肉体労働のため、司教もシスターも心配して、他の職を勧めていたのだが、当のモルモが鍛冶の仕事を強く希望した。

 2ヶ月前にシスターとモルモが挨拶に来た時には、モルモは一言も言葉を発しなかった。モルモはバイカルの目をじっと見ながら頷くのみだった。

 バイカルは、

 「承知した」

の一言で受け入れた。

 ミリアは、モルモに黒いつなぎの作業服と黒い靴を渡すと、鍛冶場で皆に紹介した。モルモは背筋を伸ばして一礼をした。

 「よっ、来たな」

ナナイは陽気に手を上げた。モルモとは同じ孤児院の出身だった。

 「あ、孤児院の英雄だ」

思わずダイチは叫んだ。

 「なんだそれ」

バルがそう尋ねると、

 「良い女の子だという事です」

ダイチは微笑みながら答えた。

 バルが首を傾げながら両手を広げ、

 「ますます分からん」

 その後、職人たちは各自名乗ったが、モルモは相手を見て(うなず)くのみだった。

 「モルモは、人前で話すことが苦手だとシスターに聞きました。悪く思わないでね」

ミリアが言うと、

 「「「「了解」」」」

と片手を上げたが、もう視線は手元の鋳造にあった。

 「今は手を止める(ひま)()しい。ミリア、掃除でもさせていろ」

 「落ち着く時期まで私が預かるわ」

 「頼む」

バイカルは、もう作業を始めていた。

 その日は、アイがモルモの教育係として、一緒に鍛冶場と店の掃除をした。モルモは、寡黙(かもく)だが、実によく働いた。

 モルモが、アイと一緒に中庭の掃除をしていると、エマが家から顔を出し、

 「エマです。5歳です。歌が好きです」

と、笑顔でお辞儀をする。

 ニコッと笑顔を返していた。

 「エマちゃん、モルモさんです」

と、アイが紹介した。

 「私に2人目のお姉ちゃんができた」

エマは走り寄り、モルモの手を握った。

 モルモは(かが)んでエマと視線を合わせて、またニコッと微笑(ほほえ)んだ。

 その時、ペーターが初等学校から帰って来た。ペーターは、少しもじもじしながら自己紹介をする。

 「ペーターです。10歳です。初等学校に行っています」

 モルモはエマと手をつないだまま、ピーターに近づくと、屈んでピーターと視線を合わせて、またニコッと微笑んだ。ペーターはドキッとしたのか、少し体を後ろに動かした後、顔が赤くなった。

 「モルモおねえちゃん、一緒にお歌を歌おうよ」

 エマが童歌(わらべうた)を歌い出すと、モルモは、歌に合わせて(つな)いだ手を振りながら、笑顔で首を左右に振っていた。ペーターも手拍子で盛り上げる。アイも一緒に歌い出す。水車のついたインゴットの鍛冶場からもキロ、クリの鼻歌が聴こえてきた。

 アイが、2人にゆっくりとした口調で話す。

 「モルモさんのお話は、笑顔なのよ」

 「お話しが笑顔なの? ふーん」

エマはそれだけで納得していた。

ピーターはじっとモルモを見つめると、笑顔で、

 「また遊ぼうね」

と、家へ入って行った。

 「モルモお姉さんは、笑顔だけで、お兄ちゃんと遊べるんだね」

と、エマは感心していた。


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