6 鍛冶職人
ダイチは、クローにガリムの鍛冶屋でしばらくお世話になることを伝えることにした。
「俺、しばらくの間、ここでお世話になるよ。鍛冶職人見習いを始める」
クローがわずかだがカタッと小さく動いた。
「あれクロー、今動いたよな。カタッって」
クローは、もう動かない。
「・・・まあいい。鍛冶職人として働く前に、ステータスを確認しておこう。バイカル親方にはジョブが前職と現職、その他と3つあった記憶がある。さて、俺の現状はと」
氏名:野道 大地 年齢:25歳 性別:男性 所持金:0ダル
種 :パラレルの境界を越えたホモ・サピエンス
称号:境界を越えし者
ジョブ・レベル:召喚術士・レベル 3
体力 116 物理攻撃力 107
魔力 1(固定値) 物理防御力 99
俊敏性 106 魔法攻撃力 88
巧緻性 567 魔法防御力 115
カリスマ性 235
生得スキル
〇アイテムケンテイナー
〇無属性魔法
ジョブスキル
〇召喚無属性魔法:エクスティンクション
特異スキル
〇学び
「おお、ジョブレベルが2つも上がっている。オーク兵を3匹倒したからな。全体的にステータス値が僅かずつアップしているな。よい感じだ。クローの回答「逞しく生きていく力を獲得するための最適解」、ステータスの能力を上げるためには、地味に上げていくしかないからな」
鍛冶場に戻ると、ミリアが待っていた。
「歓迎しますわ。鍛冶職人見習いとして頑張ってください」
ミリアから職人用の黒いつなぎと黒革靴、手袋などを手渡された。
早速着替えると、
「馬子にも衣裳、鍛冶職人らしく見えなくもない。それとも、まだ見習いにしか見えないかな」
などと、ダイチは満足気に鏡に映った自分を見ていると、鍛冶場からカン、カンと鍛冶の音が聞こえてきた。
鍛冶場では、親方のバイカルとムパオはもう作業をしていた。厳しい視線で真っ赤になっているインゴットを叩いている。一心不乱とはこのことを言うのだろうなとダイチは感心していた。バルと見習いでお調子者のナナイに目をやると、やはり職人だ。口元がギュと閉まり、額には汗が滲み出ていた。
この鍛冶屋では、主に剣と槍を造っていた。鍛冶の製造業が盛んな都市ドリアドには、15件の鍛冶屋があり、そのうち5件が主に武器を、4件が防具を、他が日用品を製作している。バイカルの鍛冶屋は武器店として名を売っていた。
バイカルの鍛冶場で作る武器は、インゴットを繰り返し打つ鍛造で、職人技の一品物が自慢だ。バイカルのジョブスキル「焼き入れの妙技」が遺憾なく発揮され、その逸品は高値で売買されていた。
「前の世界では刀鍛冶は、玉鋼を鍛造すると聞いたことがあったが、ここではインゴットと呼ばれる金属の塊を鍛造するのだな」
鍛冶の工程を垣間見て、ダイチは期待に胸を膨らませる。ダイチは鍛冶職人見習いとして、鍛冶場の清掃や準備、後片づけをしながら、全ての工程を興味深く観察し続けた。
この鍛冶場は週休2日制、午前6時から作業が始まり、午後3時で終了した。労働そのものは極めて過酷だった。力仕事でありながら熱と繊細な技術とのせめぎ合いだ。まさにインゴットに命を吹き込んでいく胆力が必要だった。昼食は30分間とやや短時間ではあるものの小学校教員だったダイチにとっては十分だった。
「給食で俺の食べられる時間は10分間もなかったからな。給食の味は素晴らしいのだけれども、味わうことはできず、毎日エネルギーをかき込むだけだったよな。それに比べれば十分だ」
実働の勤務も、午前7時から午後9時までの長時間で、残業代なしのブラックだったので、今は余暇の時間を持て余していた。
この世界では労働時間の厳守は、特別な場合を除き雇用者の義務であり、破れば厳しい罰則があった。
午後3時からの時間を持て余したダイチは、鍛冶場を借りて、昼間観察していた鍛冶の工程を繰り返し自主練習した。
鍛冶の作業をすると、全身の皮膚が熱風の圧力を受け、目を開くことも辛い、腕の筋肉は悲鳴をあげた。
「これは過酷だ・・・でも、創造できるって喜びだな」
自主練習は、午後6時の夕食までの日課となった。あまりの熱心さに感心して、兄弟子のムパオやバルが、手取り足取りして教えてくれることもあった。
ダイチが鍛冶職人見習いを始めて2週間が過ぎると親方のバイカルが直々に指導してくれることもあった。
飲み込みが早いだとか、鍛造が巧みだとか驚かれた。これもダイチにとっては大きな励みに代わった。
ダイチは、クローに向かって独り言を呟く。
「俺の特異スキル『学び』とステータスの巧緻性の高さが大きく影響しているのだろうな。
最初は、特異スキル『学び』って、役立つものなのかと思っていたが、汎用性の高いすばらしいスキルだ。
しかも、学んだことを具現化する際の『巧緻性』、この2つの能力が合わさると相乗効果が生まれる」
この頃になると、自分自身で刀剣を打つことに挑戦をしていた。
アイは、火事場の準備や片付け、清掃、店番、食事の準備などをそつなくこなしていた。気の利く働きぶりに皆も感心していた。夕食後には、中庭で重い鉄の棒を剣に見立てて、何度も振っていた。
インゴット職人のキロとクリ姉妹も帰って来た。ドワーフの双子の女性だ。2人とも中肉で小柄、活発さを物語るように目元がきりっとしている41歳だった。ダイチは、ドワーフはムパオの様に筋肉がムキムキのイメージしかなかったので新しい発見であった。2人は休暇を取って、首都ガイゼルまで行っていた。
「「ガイゼルの酒は美味しかった。特に赤く透き通っていて甘い香りのするワイインとほんのりとした甘さを感じるラームが絶品だった。それからジラクも、白く濁るところなんか惚れ惚れとしたよ」」
さすが双子だ。話し言葉も息が合っていると、ダイチが感心していた。
「よい花婿は探せたのか」
ナナイが軽口を叩くと、キロとクリはそのきりっとした目をいっそう鋭くして、否定する。
「「失礼ね。観光よ。花婿を探しに行くはずないでしょう。
まだお子様のナナイには分からないでしょうが、寿命の長いドワーフの私達は、今が結婚適齢期。花の盛りよ。この肌の艶なんてミスリルインゴットのようだわ。黙っていても相手から寄って来るのだから。ガイゼルでは、予定通り向こうから寄って来たわよ」
花婿探しを否定しながらも、予定通り・・・って、花婿探しの旅を認めていますよと、思いつつ、ダイチは言葉を飲み込んだ。このやり取りを見ていて、ダイチは働きやすい職場の雰囲気だと感じていた。
キロとクリの2人は有名な職人らしく、良質のインゴットをどんどん仕上げていくというから驚きである。水車付きの作業小屋でどうやってインゴットをつくるのか興味はあったが、インゴットの作業小屋には入れてもらえなかった。きっと水車の動力を利用しているのだろうと推測した。それとは別に2人は特異スキルを持っているのかもしれない。ダイチはそう考えた。
キロとクリは、子供好きでピーターやエマにもお土産を渡していた。それからも、暇をみては2人と遊んでいた。
ピーターとエマは、夜に怖い夢を見ることが度々あった。オーク兵襲撃のことがあったので、バイカルとミリアはたいそう心配して、毎夜4人で一緒に寝ることにした。それからは怖い夢を見る事は殆どなくなったので、バイカルとミリアも胸を撫で下ろしていた。
その間にハーミゼ高原での戦いについての結果がドリアドの街にも届いた。
首都ガイゼルとハーミゼ高原の間に位置する都市タフロンから派遣された部隊を主力としたローデン王国兵400名を、ジーク・フォン・メルファーレン辺境伯自らが率いて、ハーミゼ高原でオーク兵400匹と会戦した。
会戦直後はローデン王国兵が有利かと思われたが、辺りに伏せていた多数のオーク小部隊が、ローデン王国の歩兵部隊に襲い掛かって来た。多数のオーク小部隊は、さながら食べ物に集るハエのようにローデン歩兵部隊を四方から侵食し始めた。やがて、オーク兵は総数450匹を超えてついに形勢が逆転した。
だが、メルファーレン辺境伯は、子飼いの私兵で編成された強力な騎兵40騎を自ら率いて、縦横無尽にオーク軍を蹂躙、撃破していった。
オーク軍はその半数以上を失い、オーク蛮国に退却したという。一方、ローデン王国兵も、この世界では部隊の全滅とみなされる半数の損耗を出していたということからも、正に死闘だったようだ。メルファーレン辺境伯率いる私兵の騎馬隊の損耗も激しかったが、味方の兵士を救うため、果敢に突撃を繰り返し勝利に導いたということだ。
英雄となったメルファーレン辺境伯は、部隊をまとめ領地タフロンに凱旋したという。市民は歓喜をもって1人の英雄と騎馬隊を出迎えたそうだ。
元冒険者のバイカル親方の話では、辺境伯には、ハーミゼ高原を挟んだオーク蛮国との国境警備の任もあり、国王から軍事に関する特権が与えられていたという。
今回、オークの活動が活発になっているとの情報を得ると、すぐにメルファーレン辺境伯が、私兵の騎兵40騎を自ら率いてハーミゼ高原に急行するという果断な対応が最も評価に値するところだと語る。ハーミゼ高原までの山道は騎馬で登ることはできないが、メルファーレン辺境伯の精強な騎馬隊だからこそ成し得たそうだ。
戦場となったハーミゼ高原に到着すれば、騎兵は最大の戦力となる。しかも、軍事特権によって、途中の砦や監視所から王国兵を吸収し、行軍の時間を大幅に省きながら400名の軍勢を揃えていった戦略もさすがだと評価していた。
「この槍の穂先は、刃の強度や粘り強さが秀逸で見事な逸品だ」
ムパオがダイチの造った槍に目を細めて感心している。
ダイチは鍛冶職人見習いとして、バイカルの元で修業を始めて3週間、ようやく自分のイメージする刀身を鍛えることができた。
「親方やムパオさん、バルさん、ナナイのお陰です。ありがとうございます」
「この上達の早さ、技術の巧みさには驚かされる。その槍の穂からは気迫を感じる。この短期間でここまでとは、信じられない」
と、バルが唸りながら槍を見ている。
「俺の1年間の見習いはなんだったという感じだ」
ナナイは羨ましそうに言った。
バイカルは、ダイチの造った槍をもって1振りし、穂先を目で撫でるように見る。バイカルの穂先を見る鋭い職人の眼に、ダイチは緊張する。
「・・・この槍の刃には魂が宿っている。見事だ」
バイカルは、満足そうにダイチに目をやった。続けて、
「ダイチ、今後の槍造りはお前に任せる。そして、ダイチには印可を授ける。今日から印可の鍛冶職人だ」
おおぉーという歓声が上がった。
親方が、その極意を極めたと認める者にだけに印可を与える。印可は、武器や武具を取り扱う商人が、上級職人として認める証ともなる。
「バイカル親方ありがとうございます」
「「「「ダイチ、おめでとう」」」」
「俺もいつかは、逸品を・・・」
いつもは控えめで自信の持てないでいるバルであったが、ダイチに触発されたのか、心の中で誓っていた。
「「今夜はお祝いね。飲むならとことん付き合うわ。ラームがいいかしら」」
双子のキロとクリは息もぴったりで、酒をもう飲む気でいる。勤務は3時までだから、夜は長い。
「ダイチの印可祝いだ。盛大にいこう」
酒好きのドワーフ、ムパオも賛同している。
「俺、買い出しに行ってきます」
ナナイは、店を飛び出して行ったが、すぐ戻って来た。バイカルに金を無心するとまた勢いよく飛び出していった。
ダイチは、バイカルの目を見て誓う。
「今後も精進します」
ダイチの言葉にバイカルがポンと肩を叩いた。
「あの、バイカル親方、もし良かったら、俺の造ったこの槍を、この店先に置いてもらっても良いですか」
「ああ、無論だ。武器は人に使われてこそ、その価値が生きるからな」
バイカルの許可をもらい満面の笑みで礼を述べる。
「ありがとうございます。俺の槍が誰かを守ることになると考えると嬉しいです」
兄弟子のムパオが、ダイチの肩を叩いて言う。
「それが、俺たち鍛冶職人の誇りだからな」
ダイチの後ろ姿にアイが声をかけた。
「おめでとうございます。ダイチ様の日々の努力が報われて、私も嬉しいです」
「あいがとう、アイ。私の努力はまだまだです。ただ、好きな事に没頭し、それが人の役に立つ、人に認められる事がとても嬉しいのです」
「はい、私も斯くありたいと思います」
その日の祝賀会は、夜遅くまで続いた。
バイカル親方の鍛冶場から城門方向に行った屋台街。
「かぁー。美味いなー。ずっと、ずっと食べたかったんだ。ドネル・ケバブに似ているドネ・ケバと野菜と太いソーセージ入りのスープ。
クローよ、俺はミリアさんの料理は素朴で優しい味で大好きだよ。でも、あの炭焼き小屋からこの街に来た日に、目に留まったこの2品は格別だよ。クローにも食わせてやりたいよ」
クローを小脇に抱えながら上機嫌だった。
昨日、初めて鍛冶職人として給金を貰った。印可の上級職人ということで、給金を結構いただいていた。
この世界で生きている、確かに生活を営んでいると実感できる瞬間だった。
今日は休業日とあって、鍛冶職人見習いのジャガー獣人のナナイと共に街の散策、良店探しに出ていた。
昼も近づいて来たので、もう屋台巡りに変わっていた。
ナナイには、屋台で好きなものを奢った。今や給金は印可の俺の方が遥かに高いし、いろいろと世話にもなっているからね。
ナナイは、最初の頃は遠慮がちに食べていたが、その嗅覚で美味しそうな屋台を見つけると、俺を置いたまま走って行ってしまった。取り残された俺はクローに話しかけている。
城門から真っ直ぐ噴水のある広場へと続く石畳の両側に並ぶ屋台からは、肉や魚介類を焼いた匂い、甘い菓子の臭いなどで満ちている。
屋台は元の世界の祭などでもよく見るタイプの出店だ。値段は庶民にも手頃な価格で、腹いっぱい食べても大した金額にはならない。
俺が購入したドネ・ケバは香辛料をまぶした羊の魔物肉を鉄棒で刺して吊るし、遠火で焼いていく料理だ。この屋台には結構な人の列があったけれども、並ぶ価値ありだった。
屋台のおじさんは壮年で小太り、頭に鉢巻、青い半袖のシャツを肩まで捲り上げ、愛想よくサービスしとくよ、などと言って持参した皿を山盛りにしてくれた。それでも俺とナナイの分で400ダル。
太いソーゼージ入りのスープにはジャガイモや豆、にんじんなどを煮込んでいて、野菜の旨味が感じられる絶品だった。
販売していた中年の女性は、頭に白く長い耳が可愛らしい兎の獣人で、黄色い綿のシャツを着ながら、内輪のようなもので首元を仰いでいた。
建物は洋風だけれども、見慣れた風景に心がほっとしていた。
「いやー、サラーミンは美味かった。ここに来ると必ず食べている」
ナナイはそう言いながら戻って来た。話を聞くと、サラーミンはサラミに似たものらしい。ジャガーの獣人ということもあって肉は大好きなようだ。
「あそこの炭で焼いた鶏肉なんて、塩のみの味付けで最高なんだ。一緒に食べに行こうよ」
ナナイのおねだりかな、と思いながらも屋台へと向かった。
「やっぱり肉はいいねー。この塩味がなんともいえない」
「ほほー、これは美味い。串には刺さっていないけれども、焼き鳥の塩みたいな味だ」
ナナイのお勧めの焼いた鳥肉を頬張っていた。
「あ、ナナイ、あのパンはフルーツをはさんでいて美味しそうだな。ほら、客が、何個も買っている」
「あのベグルか、この街では昔っから食べているな。鍛冶場の食事でもよく出ているよ」
「炭焼き小屋でも食べたあのパンか。鍛冶場の食事では、そのまま食べていたよな。でも、赤とか黒とかのフルーツみたいなのが見える。美味しそうだから、1つずつ食べようか」
「俺は遠慮しとくよ。腹も結構一杯になってきたし、食べるなら肉だな」
ナナイは、あくまで肉食だった。
「じゃ、俺だけ買ってくる」
「俺は、そこの焼いた鶏肉をもう少し」
ナナイに肉の代金を渡した。ナナイは喜んで焼いた鶏肉の屋台の列に並んだ。
「いらっしゃい。兄さん、この野チゴとレズンとハチミツの入ったベグルは格別だよ」
「美味しそうだな。1個ください」
「あいよ」
ダイチは代金を払い、フルーツたっぷりのベグルを受け取った。アンパンより2回り小さめの円いパンで、ドーナツに似ていた。茶色の焼き色が食欲をそそられた。
「これは美味い。デザート感覚だ、ハチミツの甘い香りと野チゴとレズンの相性が抜群だ。ベグルも美味い」
ここで言う野チゴは野イチゴ、レズンはレーズン。不思議とハチミツはハチミツだった。特に表面はカリッとしていて中はしっとりのベルクの生地が脇役とも主役ともなり、パンなのに口の中が乾燥するような感覚はまったくない。
「兄さん、異国の人かい。ベグルは、この地方では珍しいものでもないからな。ただ、ベルクが美味いとは嬉しいね。
このドリアドの街は、今は製造業で有名だが、ドリアド地方は古くから麦の名産地だからね。この街の外は、今でも麦畑がどこまでも広がっているよ。
製造業と麦、ハチミツでこの地方は栄えているのさ。ドリアド産の麦はこの国では有名なんだぜ」
「そういえばドリアドの街に来る途中には麦畑ばかりあったな。麦は乾燥した地域でよく育てているとて聞いたことがある。ここは雨が少ないのかな」
「まあな、でも、雨の恵みは大事だ、土が干上がっちまうからな。ここ数年は雨が少ない。今年は特に少なくて、麦の値段が上がっちまって、商売がきついよ。
幸いにも、今年の干支は龍だ。1ヶ月半後の7月7日、恵みの雨はお干支祭に期待しているよ」
「お干支祭って、雨ごいの祭なのですか」
「龍の干支に、天と大地とカミュー様へ豊作を祈る祭りだ。ずっと昔は龍の年には決まって飢饉になっていたそうで、龍の年には豊作を願って祈りを捧げたことが、祭として残ったらしい。そう、祖母ちゃんが言っていた」
「へー、豊作への祈りか」
「まぁ、兄さん、良かったらまた来いよ」
「はい、美味しかったのでまた来ます」
ダイチは残りのベグルを頬張り、その味に満足していた。
そろそろ昼時だし、バイカル親方と鍛冶場の皆、ミリア親子にもお土産に何か買って帰ろうかと辺りを見回す。
焼きホタテの屋台が目に入った。近づいていくとよい匂いが食欲を刺激する。大きな貝が口を開け、白と橙色の厚い身が実に美味そうだ。焼きホタテを1人2個として、人数分の24個を注文した。
その時、石畳の通りを歩いていた人たちが、まるで何かを避けるかのように道の脇に移動し始めた。
「なんだ、なんだ」
ナナイが慌ててキョロキョロしている。
「あ、あれだ。騎馬が来る」
ナナイの指さす方へ振り向くと、城門からこちらに近づいてくる騎馬が見えた。深紅の布地に銀色の剣と槍がクロスし、その上に五角形の盾が意匠された見覚えのある旗が見えた。
「あれはハーミゼ高原でオーク軍と戦っていた銀色の鎧を着た騎馬隊の旗だ」
あの時と同じく、兜と鎧、盾、馬鎧が銀色に統一された騎馬隊が威風堂々と歩いて来る。
石畳からはパコパコ蹄の音が響いてくる。通りの脇に避けた人々は沈黙をもってこの一行を出迎えている。
先頭の騎馬が旗を持ち、後ろに銀色の騎馬が10騎、次に白馬4頭立ての豪華な馬車。馬車は白色で金色の豪華な意匠が施されていた。
次に2頭立てで緑色に金の意匠の馬車が3台、その後ろには、銀色の騎馬20騎が、通りの脇にいるダイチの目の前を通過していった。
「あの時の騎馬隊ということは、都市タフロンの騎馬隊か」
「カッコいいなー。俺もあんな鎧を着て馬に乗ってみたいな」
ナナイは、威風堂々とした騎馬隊を憧れるような眼で見つめていた。
その後、焼きホタテを購入したが、ナナイはまだ通り過ぎた騎馬と豪華な馬車の方を見ていた。
俺はたくさんの焼きホタテを抱えるようにして持ち帰った。ミリアさんは嬉しそうにして焼きホタテを2つずつ皿に載せて配ってくれた。
「ダイチ、ありがとうな」
「屋台に続き、お土産もごちになります」
など口々に言って、ホタテを頬張っていた。
「美味いなー」
「たまらん」
「「これでラームでも飲めたら最高ね」」
などと、喜んでくれた。俺としても嬉しい。ただ、この世界には万能調味料の醤油がなく、塩で味を付けただけであった。ホタテの旨味が際立って、それはそれで美味かったのだが。
家の奥から、
「美味しい。ダイチ兄ちゃんありがとうね」
可愛らしく首を曲げながらエマちゃんが顔を出した。
「ぼくも大好きなんだ。焼きホタテ。ごちそうさまです」
ピーター君は、ここまで来てお礼を言っていた。ミリアさんからもお礼を言われた。
俺は、この世界に来て初めての給金を有意義に遣えたと満足だった。
「午後は、この街を見て回ろうと思う。アイもこの街のことをもっと知りたいだろう。一緒に来るか」
「え、はい。行きます」
アイは明るい声で即答した。
「ダイチさん、俺も行こうかな」
ナナイが、買い食いしたさにダイチに言うと、ムパオがナナイの頭を拳で小突いた。
「デートの邪魔をするんじゃねえ」
「痛っ」
ナナイは、頭を撫でながらダイチに言った。
「お土産を期待しています」
今度はバルにどつかれていた。
「デート・・・これは、デートなの? ・・・」
アイは、ダイチの後ろを歩きながら、ぶつぶつ呟いていた。
「アイ、どうした。気分でも悪いのか」
ダイチが、アイの脇まで戻って、顔色を見た。
「だ、大丈夫です」
「少し顔が赤いな。熱でもあるのか」
ダイチが、アイの額に手を伸ばすと、アイは両掌を顔の前で振りながら、早口で答える。
「大丈夫です。少し暑かっただけです」
ダイチは、にこりとして、
「それなら一緒に歩こう」
と、アイを誘う。
「はい・・・」
ダイチとアイは、並びながらドリアドの街をぶらぶらと歩いた。
藤色の長い髪が風に靡き、陽の光を浴びたアイの笑顔が輝いて見えた。時より道行く人たちから「見て、お似合いのカップルね」「綺麗な女性」などと、囁く声が聞こえ、その度にアイは、もじもじして、うつむいたり、ダイチの横顔をチラ見したりしていた。一方のダイチは、全く動じる様子はなく、散歩を満喫していた。
「あの店」
突然ダイチが指さした。
ダイチは革細工の店に入って行った。アイもダイチに続き中に入った。
「午前中に、この店を見つけた」
ダイチは、店主と何やら話を始めた。アイは、店の中の品を見て回っていると、ダイチから呼ばれる。
「アイ、これはどうだろう」
ダイチは、橙色の革手袋を手にしていた。
「どうだ。気に入らないか」
ダイチがアイに問う。
「・・・ダイチ様、私にですか」
「そう。アイにだ。
毎晩、鉄棒を振っていただろう。きっと手が掌がまめだらけになっているだろうと思って・・・。
これを使うといい」
「ダイチ様・・・ありがとうございます。でも、私は受け取ることなどできません」
「そうか、革グローブをはめると少しは楽になるかと思ったが、無い方がやりやすいか」
「いえ、違います。嬉しいです。とても嬉しいです。ただ、私の様な者のために・・・」
「それなら良かった。・・・店主、この品で、この女性に合うサイズのグローブはありますか」
「勿論です・・・これは、魔物ロングホーンディアの雌の革です。繊維が非常に細かく、滑らかな質感があり、吸湿性、通気性、耐久性ともに優れています。水にも強いという特性もあります。
お嬢さんは幸せ者ですね・・・それでは、サイズを測ります。手を見せてくださいますか」
笑顔の店主に、アイは、そっと掌を店の主人に見せた。
「こりゃ、たまげた。一体何を・・・
コホン、これは、失礼しました。お嬢さんの白魚のような指に、まめだらけの掌だったものでつい・・・えーと、このグローブなら、サイズが合うはずです」
アイは店の主人が差し出すグローブをはめてみた。サイズも良く合い、薄く柔らかな革が手に馴染んでいた。
「ダイチ様、素敵なグローブをありがとうございます。私が毎晩、鉄棒を振っていた事を知っていたのですね」
「あぁ、偶然に見たのだけれども、舞うような美しい剣技だった。アイが、毎晩のように練習していると、バイカル親方からも聞いたんだ」
「恥ずかしい・・・このグローブは、手にしっくりきています」
「気に入ってもらえて良かった。でも、無理はしないようにね」
「はい、ありがとうございます。
・・・私は、心の中で9秒をカウントしながら、鉄棒を振っているのですよ」
「え、アイ・・・そのためにか・・・」
「うふふっ」
2人は店を出て、また街を歩き始めた。街は石畳が敷かれていて、建物は中世のヨーロッパ風だった。ここに暮らす人々は活気に満ちていた。この街は、この国でも有数の都市だった。
城門から見て正面には、ウィル・フォン・カリスローズ侯爵の城。左にはドリアド教会の塔が見えた。ドリアド教会には、孤児院が併設さえているということで、教え子の子供たちのことを思い出し、立ち寄ってみることにした。
ドリアド教会は、白い大きな塔と高い屋根のある立派な教会だった。教会の正面にはカラフルなステンドグラスの入った大きな窓があった。正面の入口には、絶えず人の出入りがあった。
教会に入ってみると、天井の高さに驚かされた。4階建ての建物が入るのではないかと思えるほどの高さだった。壁面にはいくつもの宗教画で飾られていた。優し気な眼差しをした男女や子供たちが描かれているものが多かったが、一枚だけ黒い空と荒れ狂う海、稲光、竜巻、右手から光を出している男神が描かれている絵があった。その構図と迫力のあるタッチが印象深かった。
教会から出て裏へ周った。裏の孤児院を垣根越しに覗くと、多くの子供たちと黒に白の服を着たシスターと思われる女性が数人いた。
子供たちの中で、喧嘩を仲裁したり、木の上から降りられない子に手を伸ばしてひょいと降ろしたり、シスターの荷物を代わりに運んだり、小さな子供たちの面倒をみたりと大活躍の薄紫色の毛をした熊の獣人らしい女の子がいた。今も彼女の両手に小さな子たちが、キャッキャッ声を出してぶら下がっている。
やがて、子供たちと獣人の女の子が手をつなぎ、子供たちは楽しそうに童歌を歌い始めた。
「俺がいた元の世界の小学校でも、低学年の子の面倒見が良くて、頼りにされる女の子っているんだよな」
「素敵な女の子ですね」
「ええ、あの獣人の女の子は、この孤児院の英雄だ」
ダイチは、戦の英雄よりも、こちらの英雄の方が良いなと思いながら、子供たちの元気に遊ぶ姿や声に懐かしさを感じながら眺めていた。天使の笑顔に心が癒される時間であった。
手に持っていたクローがまたピクッと動くのを感じた。
「クローも癒されているのか? なあ、クロー、お前自体に命があるのではないかと考えているよ。どうなんだ」
クローは、動かなかった。
「無視か、それとも答えてはいけないことなのか。まあ、クローはクローだし、今後も頼りにしているよ」
ダイチは、手に持ったクローをポンと叩いた。
ダイチが黒いハードカバーの本に話しかけている姿を見て、アイは不思議に思っていた。
「その本に話しかけていましたよね」
「あぁ、この本はクロー。俺のパートナーだ」
クローの表紙に手を当て、大事そうに摩った。
「うふっ、ダイチ様は、不思議な方ですね」
「今日は充実した休日だった。屋台の肉もスープも美味かったし、焼きホタテを喜んでもらえた。それに、グローブも気に入ってもらえて良かった」
「はい、とても素敵な1日です」
アイは、手にはめた橙色の革のグローブを眺めて呟いた。
ダイチは歩きながら、自分の掌を眺めた。痛々しいほどマメの跡がいくつもあった。
「まだまだだな」
そう呟いた。