神城朝水も期末テストは辛いらしい
「あー、疲れた……」
期末テスト一日目が終了。午前中で学校が終わり、テスト期間中の部活は禁止みんなは一斉に帰るか、図書館にこもって悪あがきするかのどちらに分かれる。あたしは前者を選んだ。
頭を酷使してカロリーを消費してしまったせいか、いつもより酷い空腹感を覚える。今日は母ちゃんが家にいるから飯を作って待ってくれているが、帰るまで持ちそうになかったので購買でアンパンを一個買って帰り道でつまむことにした。
外に出たら、並木の下で神城朝水が逆立ちしていた。スカートはめくれてしまっているが、下にジャージを履いてしっかりとガードしている。みんなは見てみぬふりしてそそくさと立ち去っている。
「相変わらず変なことして……」
あたしも他人のふりをしてそのまま通り過ぎてやろうかと思ったが、
「おえーーーーーーん!!」
と、アサが突然奇声を上げた。
「おえんおえんおえんわー!!」
「な、なんだこいつ」
まったく意味不明なことを叫ぶから、あたしはビビっちまって走り出してしまった。が。
「どわっ!」
足がもつれて転倒。とっさにカバンを下にしてクッションにしたからダメージは無かったものの、
「あーすーかー、ごーきげーんよーう」
見上げたら、なんとアサの顔があった。こいついつの間に!?
「友達をほったらかして帰ろうだなんて冷たすぎやしないかね?」
「逆立ちしながらわけのわかんねーこと叫んでるあぶねー奴に誰が近づくんだよ……」
「期末テストなどという苦行を味わったら叫びたくもなろう」
「あたしもボロボロだったけどさすがにおめーみたいなことはしねーから」
あたしは立ち上がって制服とカバンについた汚れを払った。
「つーか、なんで逆立ちしてたんだ?」
「血の流れを頭に集めて頭の働きを戻すためさ」
そんなんで戻るかい、と心の中で突っ込んでおく。
「『おえん』って何だ?」
「不甲斐なさを感じた者の魂の叫びさ。ボクの故郷ではみんなそうしている」
神城朝水は岡山の生まれである。普段は父親に似て芝居がかった口調だが、感情的になると岡山弁が飛び出るという奇癖がある。
以前、部活の練習の合間にアサが使っているシンセで勝手に使って遊んでいる中等部の後輩がいたが、アサがそれを見て、
「こら! めげたらどうすんじゃ!」
と怒鳴りつけたことがあった。壊れたらどうするんだ、という意味だったが、それよりも「じゃ」なんて語尾使うの爺さん婆さんだけかと思ってたから、同い年のアサの口から飛び出したのにはびっくりした。
ただ、普段の行いがたたってか後輩は一切怖がることなく、しばらくの間後輩たちの間で「こら! めげたらどうすんじゃ!」というアサのモノマネが流行ってしまうほどだった。
さて、アサの口によると岡山の人は不甲斐なさを感じたら「おえん」と叫ぶらしいが……
「まあ、『ダメだ』って意味だろうな」
「正解! 鋭いねえ」
アサは両手の人差し指であたしを指してきた。なんかあんまり嬉しくねえな。
「天才神城朝水も、勉強に関しちゃあたしとどっこいどっこいか」
「だが明日は音楽のテストがある。君が一番得意としてる科目だろう?」
「そりゃ軽音部だからな。つーか今さらだが、なんでアサは音楽じゃなく美術にしたんだ? プロとしてのプライドか?」
「よくぞ聞いてくれた、実はな、美術の青宮先生に『奥の部屋にスイーツがあるよ』って誘惑されて、部屋に閉じ込められて無理やり履修届けを書かされたのさ」
「ハイ嘘確定」
「そんな露骨につまらなさそうな顔しなくたっていいじゃないかね」
「わはは、面白いなー」
無表情かつ棒読みで手を叩くと、アサは「フン」と不愉快そうに鼻を鳴らした。
「あーはいはい、悪かった。すねんなって。で、美術選んだ本当の理由は何よ?」
「インスピレーションを得るためだ。元来、美術と音楽には密接な関係がある。美術作品を題材にした楽曲も数多い。たとえばムソルグスキーの『展覧会の絵』とかだな」
「『展覧会の絵』……確か中等部の音楽で習ったんだけどどんな曲だっけ。クラシックっぽいけどあんまり興味ねえからわかんね」
そう言うと、アサがハミングで歌い出した。
「あー、それだ。いろんなとこで聴くやつだ。確かにまあなんか美術品の曲っぽいな」
せっかく思い出したのに、適当な感想しか出てこない。しかしアサは曲について詳しいようで、うんちくを垂れだした。
「ムソルグスキーには画家の友人がいたが若くして亡くなった。遺作の展覧会に足を運んだときのことを曲にしたのがこの『展覧会の絵』だ。友人を想いながら会場に足を運び、数々の作品に心打たれる様子、次の作品を鑑賞するまでの間心境のの変化が凝縮されている」
「ふーん」
アサの言っていることの半分も脳みそに残らない。
「メディアなどでは曲の一部を切り取って垂れ流しているが、最初から最後まで通しで聴かなければ意味が無いんだよ。フランス料理のフルコースでメインディッシュだけ食べる者はいないだろう? 会席料理でお造りだけ食べる者はいないだろう?」
どんどん早口になっていく。
「まあまあ落ち着けよ。それより腹減っただろ」
あたしはあんぱんを出した。
「はんぶんこしようぜ。甘いもん食う方が逆立ちより効果があるぞ」
「では、遠慮なく頂こう」
半分にちぎってアサに渡すと、二口ぐらいで食べきった。
「うむ、糖分が頭に行き渡ってきたぞ」
「そりゃよかった」
商店街を抜けて駅前に出ると、おっさんがマイクでがなり立てていた。他にも思想が強いメッセージが書かれたノボリを立てている連中が大勢する。
「最近、市内でよく見かける政治団体だな」
「チッ、昼時なのにうっせーな……」
無視して駅舎内に入ろうとしたら、政治団体のスタッフのおばさんに行く手を遮られた。
「私たちの訴えを政府に届けるために署名をお願いします!」
「すんません、急いでるんで」
「若い方が政治に興味を持たないでどうするんですか!」
何だこのおばさん? エラソーに。それが人にものを頼む態度かよと口にしそうになった。
すると、ずずいとアサが前に出た。
「ここに書けばいいのかね?」
「お、おい」
「お願いします!」
おばさんは露骨に顔色を変えて、ペンを手渡した。
「では、今のボクの気持ちを伝えよう」
アサがシャシャシャっと手を動かすと、おばさんの顔がひきつった。
「な、な……」
「フハハハ! どうじゃ、上手いじゃろ!」
岡山弁が出た。自分ではよほど大満足したらしい。
名前を記すべきところにはマキグソが描かれていた。しかも周りを飛ぶハエまでしっかりと描き込んでいる。あたしもつい爆笑してしまった。おばさんは顔を真っ赤にして駅舎から出ていきやがった。おう出てけ出てけ。
「お前、やるねー!」
「んん!?」
「どっ、どうした?」
「曲が閃いた! こうしちゃおれん、すぐ帰るぞ!」
アサは星川電鉄で使えるICカード「ikubei」を改札機にかざすと、下りホームまで走っていってしまった。あたしの家は上り方面だからここでお別れだが、挨拶ぐらいしてけよ……しかも次の電車来るまで10分あんのに。
てか、まだ期末テスト中だぞ。勉強は?