神城朝水に神を見た日
あれはちょうど三ヶ月前、星花祭の日だった。
一般公開の二日目はいつものように恐ろしいぐらいの客が入っていて、軽音楽部の演奏会場の体育館もぎっしりと人で埋まっていた。
プログラムでは軽音楽部の一つ前に演劇部の舞台があった。あたし達は演劇部の開演前、だいぶ早い時間から控室に集合して最後の打ち合わせやチューニングをしていたんだが……
もう一つの控室の方から、怒鳴り声が聞こえてきた。防音性が高い部屋にも関わらず聞こえてきたもんだから相当大きな声だった。
「何だ何だ?」
先輩のやめときな、と制止する声も聞かず、あたしは様子を見に行った。
ドアは開けっ放しになっていて、そこから見えたのは二つのまったく同じ顔が肩を怒らせて怒鳴り合っている場面だった。
「開演前にいきなり言われても困る! 考え直してよ棗さん!」
「司さんはそれでもいいわけ? 最後の舞台で妥協したら一生後悔するよ!?」
学園内には何人か有名人がいるが、演劇部の泉見棗、司の双子の姉妹もその中の二人だ。父親は演出家、母親は舞台俳優という演劇一家の生まれで、二人とも親からの才能を受け継いでいて演劇部の大会で数々の賞を取っていたことは知っていた。
舞台衣装を着込んだ演劇部員たちはただオロオロしているばかりだし、ましてや部外者のあたしがどうにかできるもんじゃない。何も見なかった、聞かなかったことにしてそそくさと戻ろうとしたら、ハッハッハと高笑いが。まさか。
「何をエネルギーの無駄遣いしているのかね、君たちは」
出た。神城朝水が。泉見姉妹は怒鳴るのをやめてあたしらの方を見たから、つい頭を下げてしまった。
「お前、何してんだよ! とっくに集合時間過ぎてんだぞ!」
「昨日、うっかり北枕で寝てしまったから南枕で昼寝してリセットしてたのさ」
「はあ!?」
相変わらず何言ってんだこいつは……みんなも頭の上からハテナマークを飛ばしまくってるし。
「ときに、泉見姉妹とお見受けするが。ボクの父は君たちのご両親の舞台に楽曲を提供したことがある。すなわちボクと君たちには縁がある。よって、ボクは君たちから事情を聞く権利がある。何があったのか言いたまえ」
なんちゅう理屈だと心底呆れ果てた。だけど泉見姉妹もお互いに言い争ってばかりじゃ不毛だと感じたのか知らないが、事情を話し始めた。
「棗さんが演出を変えたいと言い出したんだ。だが変えてしまうと演出とBGMがまったく合わなくなってしまう」
「だから無音でも良いじゃない!」
「ダメだ! こっちだって棗さんの提案を受け入れてやりたいよ。だけどBGMが無ければそれでこそ中途半端になってしまう……」
「じゃあ今からでも合う音楽をネットから探してよ」
「そんな時間はない!」
アサはふむふむとうなずくと、
「BGMがあれば万事解決といったところか。明日香、軽音楽部のライブは何時だ?」
「12時だよ。何度も説明したろ……」
「あと1時間弱か。よろしい、では30分くれたまえ。この神城朝水が曲を進呈してやろう」
「はぁ!? おっ、お前正気か? そんな短時間で……」
「泉見姉妹! 台本を!」
聞いちゃいない。泉見姉妹も気圧されたのか、恐る恐る台本を渡した。アサはパラパラとめくっただけだったが、
「変更したいところはヒロインとライバルが口論している場面。そこを取っ組み合いに変えたいのだな」
「えっ!?」
「どっ、どうしてわかったの……」
あの泉見姉妹が目をひん剥いている。驚いているというかドン引きしているようだ。
「良い脚本だ。読んだだけで曲がスーッと流れてくる。しかしどうもこの場面を読むと曲がスッと出てこない。例えるならそう、便秘だな」
べ、便秘て……ほら、泉見姉妹が口ポカンしてるぜ?
「だがこいつを取っ組み合いに変えたら、ドバーッとお通じが来るんだよ! ハッハッハッハッ」
汚すぎる例えだが、なぜか強い説得力を感じたから疑問を挟む余地はなかった。
「というわけで、今から曲作りに入る。泉見姉妹、こっちの控室にきたまえ」
「……わかった」
ここから先が凄まじかった。アサは軽音楽部の控室に乗り込むや部員を全員追い出して、泉見姉妹と三人きりになった。
中からシンセサイザーの音が聞こえだした。最初は単なる電子音でしかなかった音色が、どんどん形を変えていっておどろおどろしいものへと変化し、曲としての形が出来上がっていく。
それは料理で例えるなら、材料の下ごしらえから調理、盛り付けまでを早送りで見ているような感覚だった。
こいつは元々やべー奴だが、曲に関しちゃ別ベクトルでやべー奴だ。羨望や嫉妬すら抱かせないほど敵わないイカれた女だ。
ドアが開く。レコーダーを手にしたアサが出てきた。難解な手術を終えた医師みたいな清々しい顔つきをしている。
「ハッハッハ、30分も要らなかったな!」
スマホの時計を見たら、まだ20分経ったぐらいだった。アサに続いて、泉見姉妹が出てきた。魂を抜かれたような顔つきだ。神業を目の前で見せられたらこうもなろう。
こんなのと同い年なのかと思うと、あたしはゾクっとしちまった。
*
星花祭が無事終わり、後夜祭のキャンプファイヤーが始まった。看板やら備品やらがどんどん投げ込まれて燃えていくのを見てようやくホッと一息つけたってところだが、アサの奴はなぜかゲラゲラと笑っていた。
「何がおかしいんだ?」
「絵仏師良秀の気持ちになっていただけさ」
古文の授業でやった話だ。自分の家が妻子ごと燃えているのを見て不動明王の炎の描き方がわかったと喜んでいる絵師良秀。財産と妻子の命を代償にした良秀までいかないにしろ、アサも大概狂っている。ただし、いい意味も含めてだが。
「神城さん」
声がしたが、泉見姉妹だった。
「おかげであたし達の最後の公演は大盛況に終わった。本当に助かったよ」
「そうかい。それは良かった。ではこれを渡そう」
アサは紙を一枚手渡した。
「何だこれ? 『請求書』って……」
「ボクも一応プロなんでねえ。払うものは払って頂かないと困るのだよ」
アサの音楽は金に変えることができるレベルだ。事実、アサの父親であるアーティスト、板野圭人の名義で何曲か世に送り出している。しかし高校生、しかも泉見姉妹にも作曲料を請求するとは。金に関しちゃシビアなんだな。
「ただし、ボクから急に持ちかけた話でもある。よって大まけに大まけして90%オフの出血大サービスだ。持ち合わせがないなら現物でも構わないぞ?」
「はあ……わかった。親にせびるから待って」
泉見姉妹の、棗か司かどっちかわからなかったが、請求書の裏にペンで「約束手形」と書いて、請求書と同じ金額と支払期日を書いて返却した。
「血判も押そうか?」
「いや結構。ボクは血が大の苦手でねえ」
キャンプファイヤーを見てゲラゲラ笑う感性を持っていても、血が苦手なのは何だかおかしかった。
「またこの先、ボクが必要なら声をかけてくれたまえ。社交辞令ではないぞ? 今後とも仕事でお付き合いするかもしれないからな。ハッハッハッ」
アサはそのままどっかに行ってしまった。
「そこの君、軽音の子だね」
「あ、はい」
「あの子のことをちゃんと見てあげなよ。間違いなく、一度危ない道に入ったら抜け出せなくなるタイプだ」
役者としていろんな人間を見て、演じてきたであろう泉見姉妹の言うことだ。あたしはできる限り、アサの側にいてやらないといけないと改めて思った。
以上、簡単だがこれがあたしとアサのたった三ヶ月前の昔話だ。
ゲストキャラさん
泉見棗・司姉妹
考案者:桜ノ夜月様
登場作品:『ハレーションに弾丸を』(桜ノ夜月様作)https://ncode.syosetu.com/n1406gg/
『木を染めし 泉の司は 天を見ゆ』(黒鹿月木綿季様作)https://ncode.syosetu.com/n8190gf/