ちょっとピンチだ
冬休みに入った。家族旅行も兼ねてまたアサの故郷、大竹村に行けることを楽しみにしていたのだが。
「すまん、やっぱり会社の仕事が片付かなくてな……年末年始を返上することになった」
「私も年末年始が出勤になっちゃったの。どうしても人の都合がつかなくて」
「俺もお寺のお世話せにゃあいけなくなった。世話役の人が怪我で入院する羽目になってなあ」
夕食の場で親父とおふくろとじっちゃんから次々と切り出され、あたしは「マジかよ……」としか声が出なかった。親父の場合は前から無理かもしれないと言われてたし薄々覚悟はしていた。しかしおふくろとじっちゃんもか……。
弟の倭の方をチラリと見た。モジモジしながらうつむき加減で口を開く。
「俺もちょっと大事な用事ができちまって……」
「大事な用事って何だよ」
「ちょっとそれはここじゃ言いにくいな……」
「何だよそれ」
詰問しようとしたら、親父に「まあまあ、二人だけで行っても楽しくないだろう。春には仕事が落ち着くから春休みにしよう」とたしなめられた。
「んー、まあ、しゃあないか……じゃあまた今度だな」
あたしはそんなに深刻には捉えていなかった。アサの件は解決したと考えているからだ。ただ、板野さんに事情を説明してワタ婆さんにも報告はしとかなきゃいけないなと思っていただけに心残りがある。あとでアサに詫び入れとかなきゃな、とため息ついてたら。
「イェア! アイムホォム!!」
このハイテンションな声は……? まさか?
リビングのドアが勢いよく開く。そこには真っ赤なジャケットを着て、派手なオレンジ色に染めた髪とサングラス姿の個性的なファッションの人間が。
「葛! 帰ってきてたんだ!」
「おうよー、だけど飯時にお邪魔して悪いな」
あたしの兄貴、葛がサングラスを外して決め顔を見せつけた。
「帰ってくるならなんで前もって連絡しないの。ご飯作ったのに」
おふくろは呆れている。
「ごめん、さっきまで俺の後援会の人たちと会食してたんでね。これお土産。スポンサーからの貰い物だけど」
「まあ、こんなに……」
おふくろは嬉しがるどころか困惑している。葛は奈良漬を大量に持って帰ってきていた。
小倉葛の職業はプロサッカー選手で、J1チームのFC奈良マホロバに所属している。小学中学と代表チームに選ばれる程の力があり、地元S県のサッカー強豪校に進学して全国高校サッカー選手権大会で優勝したという輝かしい経歴を引っ提げて二年前にプロ選手になった。今年はJ2落ちの危機だったものの、秋以降は兄貴の獅子奮迅の活躍で盛り返してギリギリで残留を決めたのだった。
「ところで明日香、さっきどこか旅行に行く話してただろ」
「ああ。年末に岡山の大竹村に行く予定だったんだけどみんなの都合がつかなくなっちまってさ」
「おう、だったら俺が連れてってやるよ」
「え? マジで?」
「旅でもして心のメンテナンスしないとやってらんねーしな。俺みたいなエースストライカーともなると周りからすげープレッシャーかけられんのよ。てことで帰ってきてすぐで悪いけど明日香連れていくから」
「ああ……まあ、ちゃんと面倒見れるならな」
親父は心配そうだったが、了承してくれた。これでアサとの約束を果たせる。
葛は白い歯を見せつけてあたしに言った。
「ところで岡山ってどこ?」
口にしていた味噌汁を吹き出しそうになった。
「は……? 『大竹村どこ?』じゃなくて岡山? そのレベルなのかよ?」
「俺、自慢じゃねーけど高校はスポーツ推薦で一切受験勉強してねーし、成績も推薦組の中で一番下だったからな!」
葛は高笑いした。入試の筆記試験も名前だけ書いたら受かったらしいし、中学受験で星花に入った自分が賢く見えてしまう。
そんなことはさておいて、とにかく葛のおかげで懸念事項が一つ消えたわけだ。夕飯の後にさっそくアサに電話した。
『ついに来てくれるか!』
「ああ、兄貴と二人旅行になっちまったがな。さっき宿も取ったぜ」
大竹村には天然温泉旅館『泰山の湯』があり、予約代行サイトで部屋を取った。年末で宿泊料は高かったがが葛が全部出してくれるというので問題はない。
『パパもママも待ちわびてるぞ。ああ、時間を早送りしてやりたい気分だ』
「まあそう急くなよ。あたしが行くまで何して遊ぶか考えてな」
『そりゃもうあんなことやこんなことをするんだよ』
「あんなことやこんなことって何だよ」
『ボクの口から言わすのか?』
何をするつもりなんだ。
「まあいいや。そういや大晦日に年越しライブやるつってたな」
『前はパパとボクが演奏してたんだが、家にドラムもあるし君も演奏したまえよ』
「じゃ、ひとつ叩かせてもらうか」
葛にお礼も兼ねていいところを見せてやりたいしな。あいつはサッカー漬けであたしの演奏を聞いたことなかったし。
アサと長話をしたらテンションが高くなってしまった。寝られそうになかったから、普段は手をつけるのも億劫な冬休みの宿題に取り掛かることにしたがまあこれが捗るのなんの。中学受験のときより勉強したんじゃないかと思う。これが恋の力ってやつなのかな。
*
大竹村には車を使っていった。車種はトヨモトのレクセスだが最高級グレードのもので、まだ二年目の葛の年俸じゃ買えない値段だ。FC奈良マホロバには去年まで倉橋太陽という日本代表に何度も選ばれているエースストライカーがいたが、今年からドイツに移籍して、その際にお下がりでもらったらしい。倉橋選手から貰えたなんてすげえな。
「そんだけ小倉葛は期待されてんのよ!」
葛は高笑いする。高速道路を勢いよくかっ飛ばしてるが、速度メーターを見ると制限速度を大幅に超えている。
「おい、飛ばしすぎると警察に捕まんぞ……免許取っとたばっかだし無茶すんなよ」
「あー、大丈夫大丈夫! 真っ先に捕まるのこいつらだから」
追い越し車線から勢いよく抜いていく車たち。その後ろをさらにツーリング中のバイクの集団が爆音を響かせながらついていく。高速道路ってこんなおっかない場所だったか?
「無事帰れるかな……」
「大丈夫だって!」
発言に根拠がない。
ここで、あたしのスマホに着信があった。アサからだ。
「おう、どした?」
『明日香! まだ着かないのか!』
「おまっ、大声出すな! 家出たばっかなのに着くわけねーだろ、まだ湖濱津に入ったところだ!」
『そうか。早く来い! 目一杯可愛がってやるからな』
「おい! 隣に兄貴いんだぞ!」
『いいじゃないか、ボクたちの仲を見せつけて』
「トンネル入るから切るぜ!」
一方的に通話を切った。まったくこいつは……
「誰、今の?」
「昨日話したろ。あたしの同級生の神城朝水」
「ああ、大竹村生まれの子って言ってたな。何か単なる友達どうしって感じじゃなかったな」
車は長いトンネルに入っていく。
「ま、葛ならわかってくれるだろうけど、あたしの恋人さ……」
「おっ、そうか。おめでとう! 倭に続いたな!」
「倭……?」
「あいつも彼女できたんだよ。年末は彼女と遊ぶんだって」
大事な用事ってこれか。あたしには黙って……ってあたしも同じだな。冷やかされたくなかったんだろう。




