神城朝水の過去話
あれは中学一年の夏休みに入ったばかりの頃だった。
ボクの同級生には隆賢、琢磨、みな、彩乃の四人しかいなかった。みんなとは幼稚園に通う前から家族ぐるみでつきあいがあったので、そんじょそこらの友人よりも仲間意識が強くて何をするにも一緒で、それは中学校に上がっても変わらなかった。
だからある日、隆賢が「肝試ししよう」と誘ってきても誰一人断る者はいなかった。
向かった場所は隣町との境、国道から脇にそれた狭い道沿いにある廃墟、通称「メリーさんの家」だった。そこは元々ラブホテルとして使われており、白いワンピースと麦わら帽子をかぶった外国人風の女性の絵とともに「マリーの白い家」という名前が書かれている看板が目印だった。ボクが生まれる前からとっくに潰れていて、管理もされず荒れ放題になっている間にいろんな噂が立っていた。バブル崩壊ですべてを失った会社の社長たちが集まって最後の宴会をした後に首吊り自殺をしたとか。ホテルのオーナーは実は殺人鬼でカップルを殺害しては山に埋めていたとか。異次元とつながっていて物見遊山で侵入した大学生たちが行方不明になったとか、などなど。
その結果、大竹村含む周辺地域の住民の間ではメリーさんという有名な都市伝説とごっちゃになって「メリーさんの家」という名前で呼ばれるようになってしまった。
肝試しといっても昼間に向かったのだが、「メリーさんの家」は集落から外れたところにあるから人気は全くなく、四方は森林に囲まれているから夜と変わらぬ不気味さを醸し出していた。しかも女性の絵の看板はくすんでいて赤茶色いサビが目立ち、まるで返り血を浴びたように見えたから余計に恐ろしい感じになっていた。
「幽霊が出ても俺が一撃で除霊してやるけんな」
みんな怖がっている中、隆賢だけは自信満々だった。村にただ一つあるお寺、林宝寺の息子で絵本代わりにお経を読んで育ったと自分で言っていたが、実際に除霊する力があるかどうかわからない。ともかく、隆賢が先頭を切って中に突っ込んでいった。
管理はされてないから、立入禁止措置もされず監視カメラもついていなかった。どこもかしこもボロボロで薄暗く、懐中電灯を照らしてみたら床からは雑草が生えている始末であった。しかし何者かが侵入した痕跡がくっきりとあり、壁には落書きがされていた。ポップ調の文字にバンクシーのように写実的なもの、卑猥な文字から意味不明な呪文めいた文字まで何でもあり、内部はちょっとしたキャンバスと化していた。
だからボクは肝試しというよりも、美術館巡りのような感覚をもって楽しんでいた。
「おおっ、これは……」
回転式ベッドが鎮座している、まだ一番比較的マシな状態で残っている部屋。その角に古びた新聞の一ページが落ちていたが、日付はなんと宝文23年8月13日だった。今から遡ることおよそ40年前の日付だ。記事は高校野球の甲子園大会で、報恩学園の下村義紀投手が二回戦を完封勝利した、とあった。ボクは野球を全く知らないから日付の方に興味があったのだが、横で見ていた琢磨が「すげー、元プロ野球選手の高校時代の記事やん!」と驚いていた。
「これ、もらっていい?」
どうせボクのもんじゃないし「いいぞ」と気前よく渡したのだが、後にこの下村義紀という選手の娘さんと入れ違いで星花女子に入学することになるとは当時考えてもいなくて、今思うと何か予言めいたものだったのかもしれない。
肝試しはたちまちお宝探しに変わった。何かもっと珍しいものが見つかるかもしれないとあちこち探し回るも、見つかったのは大半が侵入者が残したものだった。それでも賞味期限の日付が10年前のポテトチップスだとか、山積みになったビールの空き缶だとか、それはそれで味があるものばかりだった。
「あいたっ!」
急に悲鳴を上げたのはみなだった。彩乃が「どしたん?」と声をかける。
「ガラスの破片触ってもうた……」
ボクは懐中電灯でみなの足元を照らすと、キラキラと輝いていた。砕け散ったガラス片が散らばっていたのだ。
「わっ、血が出とるが!」
彩乃の処置は早かった。携帯していた水筒のお茶を使ってみなの指についた血を洗い流すと、
「破片は刺さっとらんな」
そう言うや否や、なんと彩乃はみなの指を咥えた。
「なっ、何しよん!?」
「ツバつけたらはよう治るけん」
人の、それもケガした指を躊躇せずしゃぶるのはさすがのボクも信じられなかった。隆賢や琢磨が次々と「ばっちぃけんやめとけっ」と注意したものの彩乃は聞かない。
「彩乃ちゃん、そんな変態みたいなことせんで……」
アワアワとした顔つきになりながらもなかずままのみな。彩乃は「誰が変態じゃ」と怒りながらも舐め続けていた。
肝試し自体は無事終わったのだが、みなと彩乃の関係がおかしくなったのはそのときからだった。二人の間であまり会話しなくなったし、どこかよそよそしかった。何度かボクが「喧嘩したのか?」と聞いても二人とも否定するばかりで、その直後だけは仲の良い雰囲気を見せるのだが、しばらくすると元通りになってしまう。その状態のまま、ボクたちは中学での三年間を終えた。
ボクは星花女子学園に進学を決め、残り四人は津山にある高校に通うことになった。ボクは引っ越し先の入居手続きを終え、村を発つ日が刻一刻と近づく中、急にみなと彩乃が家にやってきた。
「二人だけで来るなんて珍しいな」
「ちょっと、男相手には話せんことがあって。朝水ならわかってくれると思うて」
と、みなが言った。とりあえず、ボクは二人を部屋に上げた。
「荷造り中なんで殺風景になってすまない。で、話は何だい?」
「あんな、私ら実はつきおうとるんよ」
「つきおうとる…………?」
「うん、私ら恋人どうしなんよ」
みなはあのとき廃墟で指を舐められてから彩乃を強く意識するようになってしまい、自分の方が変態になったんじゃなかろうかと悩んでいたらしい。彩乃も彩乃で後になって自分はなんてことしたんじゃと思うた、と後悔しながらも彩乃を強く意識するようになったという。
「それでギクシャクしてたのか……」
「うん。じゃけえ彩乃と話し合うて気持ちを確かめ合うたんよ。それでお互い好きなんじゃって確信した」
「そうか、良かったな。おめでとう」
ボクは祝辞を伝えた。ボクにとって他人事としか思ってなかったから素直にそう言えただけに過ぎなかった。
あれから一年経って、ボクは明日香にみなと同じことをされた。一瞬ゾワッとして気味が悪くて、つい変態じゃあと罵ってしまったのだが、時間が発つにつれて舐められたところがどんどん熱を帯びていくような感覚に陥って、今も取れていないのだ。
まるで指が明日香になってしまったかのようで……。
「あっ……」
ペロッと指を舐めると、そこから甘い痺れが全身を伝わってくる。特に風呂に入っているときには舐めるだけじゃなく、さすがのボクでもあけすけに口にできないことをしてしまっている。
ボクの頭の中はすっかり明日香で埋もれてしまっていた。もしかして変態はボクの方なのだろうか……。