いろいろととんでもないことになってしまった
「では、出るぞ」
アサはワタ婆が何者なのか一切説明せず、通話アプリに応答した。
『朝水、久しぶりぢゃのう』
あたしは「おわあっ」と悲鳴を上げてしまった。スマホの画面いっぱいに、しわくちゃ顔のお婆さんが映し出されたからだ。
「これはこれはワタ婆様、ご機嫌麗しゅう……何か御用でございますか?」
アサが敬語を使うところを初めて聞いた。違和感がありまくりで気色悪いまである。
『朝水ではない。ああさんの側におる者に用がある。さっき悲鳴をあげとったぢゃろ。誰ぢゃ?』
ギクッ。
「はい、ボクの友人です……」
あのアサがペコペコと頭を下げている。このワタ婆って人、いったい何者だ……?
「ほら、自己紹介せんか!」
「お、おう……」
あたしも「小倉明日香です」と、恐る恐る頭を下げた。
『朝水よ、この子の顔をよう見せえ』
「は、はい」
アサのスマホのカメラがあたしに向けられる。ワタ婆さんとにらめっこする格好だ。梅干しのようなしわくちゃ顔のお婆さんにまじまじと見られると怖いが、なぜか視線を外せない。
『むむっ!? やはりこの者か……』
「ワタ婆様、どうされましたか?」
『小倉明日香といったな。ああさんよ、一度ワシのところに来んちゃい』
「…………はい?」
唐突すぎて頭の中がはてなマークで埋まる。
「どういうことでしょうか……?」
『実はのう、御神託があったんぢゃ。朝水のすぐ近くに重大な運命を背負っておるものがおると。故に朝水に連絡したのぢゃ』
「え? え?」
あたしにはわけがわからなかった。アサは何か深刻な顔つきになってるし。そのアサがあたしの肩を掴む。
「明日香、何かでえれえことになっとるからボクと一緒に大竹村に行こう!」
岡山弁混じりで、ものすごい目つきで訴えてきた。
「ちょ、ちょっと待てって! ゴシンタクとか急にごちゃごちゃ言われてもわかんねーよ!」
あたしは手を払いのけた。しかしアサはいつものようにふざけていない。
「ワタ婆様は占い師でな、幼い頃からその能力で村人たちを導いてきた。村長であるボクのグランパですら頭が上がらないほどだ」
「お前、村長の孫だったのか、初めて知ったわ……」
板野圭人の娘というイメージが強かったが、じいさんも有力者だったのは知らなかった。
「そんなこっちゃどうでもいいんだ。婆さん、あたしが重大な運命を背負ってるらしいが、それは何なんだ?」
怒りに似た感情があったからか、ついタメ口になった。ワタ婆さんはしわくちゃ顔を崩さないまま返す。
『ある人間の人生に大きく関わることになる。今言えるのはそれだけぢゃ』
「ある人間……?」
『ここでは言えん。会うたときに話す』
胡散臭すぎる。まさか占い料を取る気じゃないだろうな。どういう言い回しで断ろうかと考えたが、アサがまたあたしの肩を掴んできた。
「婆様の言うことは聞いた方がいいぞ。このお方に逆らったら恐ろしい目に……ひいいっ!」
「な、何が起きるってんだよ……」
ガチで怖がってるし。
『小倉明日香よ。朝水もこうやってお願いしとるんぢゃ、来てくれんか』
アサがブルブル震えているのを見ると、断りづらくなってしまった。
「うーん……わかりましたよ。じゃあ冬休みに」
『明日ぢゃ』
「……え? いやいやいやっ、いきなり言われても……!」
「明日ですね! ではお連れします!」
「おいアサ!」
『待っとるでな』
一方的に通話を切られた。
「空の宮から岡山行きの夜行バスが出ている。それに乗っていくぞ。金は全部ボクが出すから」
「てめえ、勝手に話を進めんなって!」
「た、頼むから言う事を聞いてくれ。ワタ婆様を怒らせたら……ひいいっ!」
だから何が起きるってんだよ。でもこの変人が怖がるってよっぽどのことだろう。
「はあ……しょうがねえな。親にはどう言おうか」
「軽音部でコンサート前の緊急合宿を開く、というのはどうだ」
うーん、部活という名目なら許してくれるか。
「ったく……帰り道の分の金も出せよな」
「もちろんだ」
なんか、とんでもねえことになっちまった。
*
親からあっさり許可をもらえたけれど、ウソをついた罪悪感が拭えない。家出するわけじゃないんだが、遥か西の方まで行くのだから家出しているのと同じ感覚だった。
「なあ、今どこら辺だ?」
あたしは隣のアサに聞いた。もう消灯時間になっていたから小声で耳打ちした。
「さあ。多分、ようやく県外に出たぐらいじゃないか」
「予定じゃ七時前に岡山駅着だよな。まだまだ先か……」
眠気は一応あるが、バスの揺れは思った以上に大きいし、二人がけの座席とはいえ狭いから寝られそうにない。リクライニングで座席を後ろに大きく倒せれたらまだ幾分マシだっただろうけど、あいにく客がいる。夜行バスってかなりしんどい乗り物だな……
しかしこいつに一日中、いや二日にわたってつき合わされるハメになるとは思ってなかった。カフェでスイーツを食べたかっただけなのにどうしてこうなった。
「おいアサ、睡眠薬がわりに何かつまんない話しやがれ」
少しむかっ腹が立ったから無茶振りした。が、アサの奴はスースーと寝息を立てていやがる。
「こ、こいつ、一足先に寝やがった……」
しかしこんな環境でよく寝れるな。
トンネルに入って、照明の光がバス内に差し込む。投影されたアサの寝顔が、ビデオに映っていた少女の顔と重なった。すると、また変な気持ちがムクムクと湧き上がってきた。
こいつは、黙っていれば本当に可愛い。このまま髪の毛伸ばして黒に戻してくれねえかな、なんて邪なことを考えてしまう。
つい、じーっとアサの顔を見つめていると、アサが突然あたしの頭を掴んで抱き寄せてきた!
「……!!??」
「ママァ……」
ママ!?
「見い、でっけえ桃じゃあ……」
寝言から察するに、多分桃を収穫して母親に見せびらかしている夢でも見ているのだろう。そしてあたしは多分、桃として扱われているのだ。
「お、おい、あたしゃ桃じゃねえぞ……」
振りほどこうとしたときだった。アサの口がなんと、あたしの耳をハムッと咥えてきた!
「~~~~!!!!」
生暖かい何ともいえない感触に、眠気が一瞬で吹き飛んでしまい、交感神経がMAX状態になっちまった。心臓も激しいビートを奏でる。
「うめえがあ……ママも食うてみい……」
「あっあっあっ……」
容赦なくハムハムしてくる。あたしはもう身動きができず、脳みそがぐちゃぐちゃにかき回されたような感覚に陥ってしまった。
バスが車線変更したためか、アサの頭が反対側に傾いた弾みでようやく解放されたが、耳についた唾液を拭い取る心の余裕も無く、そのまま放心状態になってしまったのだった。