忠義
「もう良いか?」
悲しみに暮れていた顔から、安らぎの顔になって寝ている者をみている犬に対して、促すかのように声をかけた。
「はい、もういいです。
これで安心して離れられることができます」
「そうか・・・・」
「どうして死んじゃうの!ねぇ、まだ一緒にいてよ!!」
『無理を言う子だ、もうじきこの犬は命の灯火を失うと言うのに』
泣きじゃくりながら声を上げる子供の様子を見ながら呟いた。
『それは仕方がありますまい、いつものことです』
『・・・そうか』
見慣れているのか、それともなんとも思ってないのか、職務に忠実な存在が答えた。
『それよりも邪魔をしないで下さいね、影鷹様』
『その名はもうよせ、遥か昔の名だ』
『私どもしてみれば影鷹様は影鷹様です、他に呼び名は知りませぬ』
『・・・・そうか』
長い旅を終えた白い犬が息を引き取った。
その様子を見て、子供が声を上げて泣き出した。
周囲にいる者達は沈痛な表情でその姿を見ていた。
「・・・お疲れさま、ようやくあなたの旅は終わりました」
笑って声を掛けると、そっと札を取り出して首にかけようとしたが、できなかった。
「あいた!なにするんですか!!」
「まだ逝くには早い!!」
敵意剥き出しの唸り声を上げて、白い毛並みの子犬が噛みついた。
子犬と見間違えるほど、背丈が小さな犬だった。
「坊ちゃんが納得してない!だから逝くものか!」
「そうはいってもですねぇ・・・」
困り果てたように言いながら、ついさっき噛みつかれた手をさすった。
「おい、犬神殿、ぬしの主が納得したら逝くのか?」
「・・・あんたは何が言いたい」
「何も、いらぬことを言うだけだ」
言うなり、そっと子供に声をかけた。
「おい、子供よ、このままお前が泣き叫び続けていたらこの子犬は逝くに行けなくなってしまう。
その場合は未来永劫に苦しむことになるがお前はそれでも良いのか?」
声なき声が聞こえたのか、子供が驚いたかのように振り向いた。
「坊ちゃんに何を言う!」
言うなり手に噛みついたが、分厚い手甲に阻まれた。
そんな犬に冷ややかな視線でみると、
「お前が泣き叫び、逝くことを認めないでいれば苦しむばかりだ。
お前はそれでも良いのか?
飼い主としての責任を果たさず、己の執着によって更なる苦しみを与えるのがお前の望みか?」
淡々と突き放すかのように説いた。
「ぼくが・・・苦しめるの?」
「そうだ、このままではな、どうする?」
「そんなの嫌だ!」
叫ぶと、泣きながら怒り出した。
「ずっと護ってくれていたんだ!それなのに苦しめるのなんて絶対に嫌だ!」
「そうか、ならばどうする?
このままこの者の死を認めずに泣き叫び、執着して逝くことを認めず鎖にてがんじがらめにするのも良い。
それとも再び出会うことを願い、別れを告げるかはお前が決める事だ」
「あなたも甘いですねぇ・・・本当に」
呆れ返ったように呟いた。
「生者必衰の理を説いたところで何も変わりませんよ?
それよりも強引に引き離してさっさと連れて行った方がよっぽとお役目を果たすことになりませんか」
「黙っていろ、今はこの者に話している」
冷たい殺意をにじませて迎えに来たものを、案内人に反論した。
「また・・・会えるの?」
「そうだ、まあお前次第だがな」
手甲に噛みついたまま、犬が目に涙を浮かべた。
「お前がそれを望むか否かで決まる。
案ずるな、しっかり送ってやろうさ」
「・・・・それって越権行為なんですけどね~」
困り果てたかのように案内人が呟いた。
「まあ今更あなたに何を言っても無駄なのはわかっていますし、閻羅王様もこうなることを見通してあなたに同行を願ったようですし・・・・。
今更聞いても無駄ですが、本当に良いのですか?」
「それくらいで済むなら安いものだ」
(少しばかり転生の時期が遅れたとしても、大勢になんら変わりあるまい)
「本当にもう・・・徳を使って送るなんて・・・・あなたも本当に物好きですよねぇ・・・」
「はは、まあそう言うな。
『仕事』を増やされるよりかは遥かに良い」
笑って答えた。
「まあそうでしょうねぇ・・・ではあなたが責任を持ってしっかりあちらに『送り届ける』ということで良いのですね?
それで手続きを取りますよ?」
「ああ、それでいいさ。
ちょっとばかり抱いて渡ってやること位、大したことではないからな」
「渡し船に乗せずに連れていくなんて・・・まぁ、随分な好待遇で」
「そうすれば万が一にも記憶を失うことはあるまい?」
「『死出詣で』ですか?まあ良いですけど・・・では私はあちらにて手続きと申請を出してきます。
あとのことはお任せしましたよ、良いですね?」
「ああ、頼むな」
言うなり案内人の姿が消えた。
「もう良いか?」
悲しみに暮れていた顔から、安らぎの顔になって寝ている者をみている犬に対して、促すかのように声をかけた。
「はい、もういいです。
これで安心して離れられることができます」
「そうか・・・・」
言うなり、頭を優しく軽く叩いた。
「まあなんだ、良い時間を過ごしたようだな、最後に挨拶をしておけ」
優しく笑いかけると、そっと促した。
「坊ちゃん、また会えますからね、きっとまた会えますからね。
その時はまた一緒に野原を駆けまわって遊びましょうね、約束ですよ」
大粒の涙を流しながら、眠っている子供の頬を優しくなめた。
名残惜しそうに。
「さて、逝くか。
次はどんな時を過ごすのか?楽しみにしてはどうだ」
「また会いに行きます、必ず」
「はは、その意気込みならきっとまた会えるだろう。
その時は思いっきり楽しむと良いさ」
ひょいと抱き上げると、死出の道へと旅立った。