箱庭の造花
「昨日、麻薬の密売組織のリーダーである男を取り押さえたとの事です」
日の出と共に現れた東の日差しが、カーテンを通過し薄暗い一部屋に入室する。
そんな、自然光のみに照らされた青く薄い空気感漂う私の部屋で、優雅な早朝を崩すかの様に。悲惨な事件及び事故が、一ビット事に表現された液晶から報道され続ける。
「はぁ」
思わず私は息を吐いた。
目を擦りながら鏡の前を横切る。そこに映し出された、ボサボサの頭にヨレヨレの服。目の隈が目立つ、冴えない男。信じたくは無いが、これが私である。
そんな私は、自身の風貌から逃げる様に。窓の外へ視線を移した。
その先には、早朝だというのにパトカーの音が響いていた。
だが、決して耳障りだという感覚は無かった。というのも。
これが、日常なのだ。
街を歩けば強奪や拉致が頻繁に起き、路地裏に勧誘されては密売を受けるなんて事はしょっちゅうである。それを取り締まる防衛隊の方々によって、私の様な人間もなんとか生活出来ている現状である。
私は平凡であり、何も無い。寧ろ、言うなれば平和な生活をしている人間であった。
だがそれ故に、私は酷く肩身が狭かった。
何処に行こうと犯罪の街であり、その中に暮らす平民は、騙され疑われ、貶められるのがオチである。
そのため、私は基本この拠点としているマイホームから、足を踏み出すなんて事はほとんどとして存在しなかった。
強いて言うなれば実需品や食料の調達程度でのみだろう。
だが、そんな私にも唯一誇れる部分が存在する。昔から駆けっこだけは速かったという特技も存在するが、それとはまた違ったもの。
それは。
「あ、おはよっ!今日はちょっと早いんじゃない?いつもはおそよ〜って感じなのに」
「ははは。俺も、そろそろ健康に気を使わなくてはと思ってさ」
「それで早起き?」
「いや、ただトイレに起きただけですね」
「なぁんだ〜」
そう。私が唯一胸を張って自己紹介が出来る部分があるとするならばそれは。
彼女である。
同棲している彼女は、私の人生という名のストーリーのヒロインであり、このヒロインは私にとって勿体ない程完璧な存在なのだ。
彼女との出会いは、今日の様なサイレン鳴り響く、快晴の日であった。
☆
「はぁ」
毎朝飲んでいるコーヒーを作るために棚を開けたところ、中にコーヒー豆が見つからなかったがために、あの日の私はスーパーに向かっていた。
外に出る事を余儀無くされた私は、思わず落胆した。
最近、工事中に事故があったか何かで遅れており、まだ取付が良く無いと噂されている部分もあるが、近くにスーパーが出来た。その事実だけで私にとっては救いだった。
もう少し買い溜めておく必要があると。外に出る事に愚痴を言いながら、目立たない服装と姿勢を貫き、帽子は浅めに被った。
帽子というのは深く被る方が逆効果である。
数分後。スーパーの自動ドアを抜け入店する。本日はツイてる様だ。一度もスリやカツアゲに合わずに到達する事が出来たと。
ひと段落ついた事にホッと胸を撫で下ろした。
そんな時であった。
安堵しながらブレンドコーヒーの棚の前につくや否や。棚からそれを取ろうと手を差し出したと同時。
もう一方から、もう一人の腕が現れた。
「え」
思わず声が漏れた。横一列がコーヒーのコーナーである。それなのにも関わらず、偶然にも手が触れそうになったのだ。
そんな事はあり得ない。恐らく脅迫紛いの事を受け、財布は盗まれるのだろう。
そう予想し、しどろもどろになりながらも私は顔を上げその人物を見据えた。
だが、目線の先に居たその人物は、私の予想とは百八○度違う、可愛らしくそれでいて可憐で美しさも兼ね備えた、一人の女性であった。
「すっ、すみませっ!」
声が裏返ってしまった。
当たり前である。この状況で無くとも、そんな人物と手が触れたらそうなる。
それに、その女性はクスッと一度笑みを浮かべたのち、少し心配そうに頭を下げる。
「こちらこそすみません」
「いえっ、全然っ!」
慌てて手を振る。正直、普段の私を考えると大きな進歩であり、進化である。
私はそう否定を口にしながら、まじまじとその女性を見据える。
華奢な身体付き、それなのにも関わらず、大人の色気も感じる肉質。モダンなスーツ姿を身に纏い、スパッツに脚を包むその姿は、凛々しくかっこよく、ストレートロングの漆黒の髪によく似合っている。
こんな事が現実で起こるのかと。私は思わず今一度目を擦った。だが、それは紛れもなく事実である。こんな状況は、ドラマかアニメでしか体験出来ないと思っていたが、人生も捨てたものじゃ無いかもしれない。
「あの、コーヒー、、お好きなんですか?」
「えっ!?あ、はい!そうですね。毎朝飲んでるんです。最近は、これを飲まないと目覚めが悪くて、、はは」
私は事実を震える口で放った。こんなボサボサな人間が優雅に飲んでると認識して、嫌悪を見せるに決まっていると。内心そう決めつけていた。だが。
「へぇ!いいですね!私もこれが無いと仕事が捗らなくて」
「えっ」
「え?どうされました、?」
「あ、いや...お仕事は、?な、何を?」
「普通の事務職ですよ」
ニッコリと笑顔を浮かべ、そう言う彼女の表情は美しかった。
「そうなんですね!へ、へぇ〜、、す、凄いなぁ」
どうやら、私は酷く人と話すのが下手な阿呆だった様だ。残念ながら、次の話題や受けた言葉という名のボールを返す単語は、頭が回らず口には出来なかった。
それから数秒が経ったものの、お互いに動こうとはしない。私は冷や汗を流し目を逸らした。
気まずい。
その一言が、脳を覆い尽くした。
どうやら私がコーヒー豆を取るまで動かない様だ。待たせてしまうのも申し訳ないため、急いで目に入ったそれを手に取ると、頭を下げてその場を後にしようとする。
が、その時だった。
「あのっ」
「あ、は、はい?」
突如、その女性は私の背にそう声をかけた。
「あの、その、お、お名前は、なんとおっしゃるんですか、?」
少し声を小さくし、恥ずかしそうに訊く。
いや、いやいや。おかしいでしょ。
どうして私の名を聞きたがるのだろうか。そんな事があるだろうか、いや絶対に無い。
どうせ"そんな意思"は無いと思いながら、私は自身の名を口にした。
「えと、私は、遠野真斗、です」
「と、遠野、、真斗さん、、素敵なお名前ですね」
彼女はそう笑みを見せた。明らかにお世辞だろうと。私は変な意地を張ったものの、その女性の笑顔に、魂を売る様に見惚れてしまった。
と、今度は彼女の方が口を開く。
「私は、藤宮小百合です」
名を口にしたその藤宮という名の人物は、その瞬間、一番眩しい。素敵な表情を浮かべた。
これが、藤宮との最初の出会いであった。
☆
あの日はその後、急いで帰ったために大した買い溜めが出来ずに、一週間後にまたもやスーパーに足を運ぶ事となった。
すると、その日も藤宮は同じくそのスーパーに足を運んでいた。
それから何度かスーパーで見かけたため、買い足しに行く事に楽しさを見出し始めていた。
そんな最中であった。私も少しは会話がまともになり、上手く会話が続く様になったその時。藤宮から突如、連絡先の交換を要求してきたのだ。いや、連絡先を頂けるとの有り難き言葉を受けたのだった。
私はそれから、携帯を見つめる日々を送った。
それはゲームや検索等では無く、メールでのやり取り。あえてもう一度言おう、ラインやDMでは無くメールだ。
ただそれのみであった。
会話が弾み、メールを送り合っている内に、その時が来た。
『二人で、会いませんか?』
と。
私は稲妻に打たれた様な衝撃が走った。今までも二人で会っていたと言われればそうだが、こうして面と向かって。ちゃんとした状態で会うのは、随分と度胸が必要である。
私は大きく深呼吸をして、送信ボタンをタップした。
私の緊張を記す様に、件名及び本文は律儀で堅苦しいものではあったが、要約すると。
『いいですね。それでは、そのカフェで』
という一文となる。
その時は心臓が破裂するかと感じた。
何度も脳内でシュミュレーションを行なっては調べ、場所や天気、ルートを完全に覚える程に何度も思考を繰り返した。
そして、その当日。
「お、おはようございます!ごめんなさい、ちょっと遅れちゃって」
「いやいや、今来たところですよ」
私はそう笑ってみせる。その台詞は、早く来た時に言うものだと思っていたが、彼女は実際に予定より二十分程遅れていた。
それは正直問題である。予定が大幅にズレてしまったがために、思考が停止しかけた。
が、直ぐに思いとどまり、私は口を開いた。
「じ、じゃあ、行きましょうか」
「そ、そうですねっ」
その日は初々しくも、カフェでお茶をし、ショッピングを行い、映画を楽しみ夜景を楽しんだ。
一時はどうなる事かと頭を抱えたものの、どうやら上手くいった様で良かったと。私は心から安堵した。あえて言うのならば、周りに人があまり居ない場所を、藤宮は選んでいた様に思える。
恐らく、私と同じく絡まれたくは無いからだろう。その点に関しては私も同意見だったがために、人通りが少ない場所を選んで行動していた。
そのためお互いが納得出来る、良い一日になっただろう。少なくとも私はそう思っていた。
だが、夜景を眺める藤宮の方を、ふと振り向くと。
その顔は、なんだか思い詰めている様なものだった。
「どうしたん、ですか?」
そのままの感想を口にする。それに、彼女は「いや」と呟き、押し黙ってしまった。
どうすれば良いのだろうか。デートというのはプランだけではどうにもならないのだろう。実際にそこに来てみれば、イレギュラーの連続である。
だが、私はそこでようやっと気づいた。藤宮の右手が、右足を掴んでいる事に。
「あ、脚、、大丈夫、ですか?」
「え、あ、はい、」
口にして、とうとう理解した。私はとんでもない阿呆である。彼女は私とのデートのために履き慣れない高級なヒールを履いてきていたのだ。
それにすら気がつかず、私は自身のスケジュールの実行のために、散々歩かせてしまった。
思わず頭を抱えた。なんて事をしているのかと。私自身が嫌になった。
慣れない事を受け入れて行う内に、最も意識すべき事を忘れていたのだ。
私はそう覚悟を決めて、立ち上がった。
「脚、、キツいですよね?俺が運びますから」
藤宮を背に、私はしゃがんで手を構える。その対応に、彼女は首を横に振る。
「い、いやいや、いいですよ。悪いですし、、それに、恥ずかしいですし」
否定を放つ藤宮に、私は構えたまま声を上げた。
「大丈夫です。今日もずっと人通り少ないところ通ってましたし、全然人、いなかったじゃ無いですか!」
私は無理な理屈と共に、そう勢いのみで藤宮に提案をする。
こんな私の奇行に、さぞ恥ずかしがっていただろう。現に私もそうである。これを白馬に乗った王子様が行なっているのならまだしも。私の様な者にやられでもしたら、普通の人はここから飛び降りた方がマシだと言うであろう。
だが、彼女は違かった。
少しの間悩む素振りを見せながら、冷や汗混じりに辺りを見渡す。と、そののち。
「ありがとうございます。わ、分かりました。その、お、お願いします」
「っ!」
驚愕から目を剥いたのは私の方であった。そんな返事を頂けるとは到底思ってはいなかったのだ。彼女は天使であろうか、いや天使である。いや既に女神である。
恐らく、私を気遣っての賛同であろう。私の、彼女を気遣った発言は、彼女に気遣いをさせてしまう結果となってしまったが。
背中に広がる、暖かな感覚と、私の服をギュッと握る藤宮の手は、それを嬉しがっている様にも思えた。
こんな時間がずっと続けば良いのにと。あらぬ事か、出過ぎた妄想を私は広げていた。
だが、そんな幸せな時間を崩す様に。人目の少ない暗い道を歩く私の前から、二人組の柄の悪い連中。髪はどちらもが真っ黒ではあったものの、アクセサリーや眉毛、服装によって、治安の悪い者だと予想する。
だが、決めつけるのは良くないと。ゆっくりと近づく彼らに目を向けた、その時。
「おい。金」
「え?」
やはり、この街で私の予想と反した素敵な人物が、こんな時間帯にこの道を通行している筈が無かったのだ。私は酷く絶望した。
それと共に恥ずかしさから逃げる様に、藤宮は私の肩から降りると、そのまま背に隠れる。
「財布貸せっつってんだよ。それで分かれ無能」
一言では分からない。人間という生き物は口があり声帯があり、振動によりコミュニケーションを行う生き物である。それを、単語一つで終わらす方がおかしいだろうと。
私は心中で抵抗を口にした。と、言っても、今まで大した言葉を放っていなかった私が言うのもなんだが。
そんな現実逃避ともとれる想像を脳内で構築する中、隣の藤宮は私の袖をギュッと掴んで背に隠れた。
彼女が震えているなんて事は、掴む手と密着する体で安易に想像出来た。故に私は、悩む。
ここで抵抗するべきだろうか、いや不可能だ。その方が悪化するに決まっている。
だが、今の私ならば。いや、これから変わらなくてはならない私ならば。今行かなくてどうすると。
脳内で自身に言い聞かせ声を上げる。
「彼女が怖がっているでは無いか!この人に触れたら、俺がただじゃおかない」
「「はぁ?」」
前に踏み出し、無理に胸を張って演じてみる。だが、その言葉に嘘偽りは存在しなかった。
そう放ったのち、私は藤宮に振り返って小さく零した。
「絶対に守る。守ってみせる。だから、安心して」
「んだこいつ」
「行こうぜ。気色わりぃ」
私の様な人間がその様なクサい台詞を放ったからか、彼らはやる気が無くなりその場を後にした。
やはり、人を追い払う時には狂人になりきるのが最善の様だ。
だが、今の言葉は私自身「かっこいい」と想定しての発言だったがために、結果は良かったものの、ダメージを負った。
が、すると。
「あ、ありがとう、、怖かった、」
「...っ」
袖を掴む藤宮が更に接近し、服という一枚の布切れを含めれば肌距離はゼロであった。
その様な環境により、私の顔が熱くなっていくのを感じた。
「も、もう、大丈夫、だから、、おんぶ」
「え、あ、、そう?」
一度降りたこのタイミングに、藤宮はそう提案を口にしたが、私と接近したこの場所から、離れようとはしなかった。
不安に直面した時と混ざり合った安堵の表情。
それ以降も決して離す事は無かった袖。口数は少なかったが確かに安心する空間と体温が、心地良くて、忘れられなくて。
ふと隣の彼女を見据えると、震えながら、どこか寂しそうな、苦しそうな表情とも取れる顔をしていた。
その姿が可愛らしくもあり、月夜に照らされたが故にとても絵になっていた。そんな姿が、私の心を大きく動かした。すると。
「今日は、、本当にありがとう、、私、渡したかったものがあって」
「えっ」
藤宮は、そんな可憐な表情のまま、突然バッグに入ったそれを私に差し出した。
「これって」
それは、二月である現在にふさわしいマフラーであった。
「遠野に似合うと思って、、嫌、だったかな、?」
「っ!そんな事無いっ!ありがとうございます!ほんと、、嬉しいですっ!」
こんな事は初めてだったがために、私はとても喜んだ。それに、藤宮はクスッと笑うと、またもや袖を掴み、そのままその日は夜の街を歩いた。
それが、藤宮との大きく距離を詰める事となった最初の出来事であった。
☆
あの初デートの日を含めた三回のデートの末、藤宮から告白を受けた。
本当は私から言うべきだっただろう。それまでもその様な機会が幾つかあった気がしたが、私がそんな事を行える筈も無い。
即ち、答えは一つであった。
それを踏まえ、今がある。現在では同棲もしており、喧嘩もたまにはあるものの、こうして仲良く過ごしているのが現状である。
だが、最近思い始めている節がある。
ー大した遠出をしてないなー
コーヒーを飲みながら、予定が疎らに書かれたカレンダーに目をやりふと思う。デート自体は行なっているものの、人の少ない場所や近場ばかりである。
更によく考えれば、ちゃんとした食事を二人で行なっていなかった。
理由を言われれば納得である。こんな犯罪に溢れた街で、遠出なんて恐怖でしか無いだろう。私も現にそうである。
故に、藤宮が望んだ事ではあるのだが。彼女は本当にそれで満足しているのかと、不安になる。そんな本当の考えを口にしてしまったら、また遠慮しがちな藤宮は否定してしまうと。
そう予想した私は、自身のわがままかの様に口にした。
「藤宮」
「ん?どうしたの?」
休日の早朝。朝食を準備する藤宮に向かって、私は提案という体で切り出した。
「今度、時間がある時、隣県の遊園地に行かない?大きなテーマパークなら、防衛隊も完備してるだろうし、安心できると、、思うけど」
「...」
私の一言で、その場には沈黙が流れた。
まさか、良くない事を言ってしまっただろうか。やはり隣県というのは遠過ぎただろうか。はたまた、人の多い遊園地なんて誘いは、彼女に何か良くないものがあったのだろうか。
私の浅はかな発言によっての反応だと感じ、額からは冷や汗が溢れた。
どうにかして会話を変えなくてはと考えた私は、もう一つの案としてしまっていた提案を続ける。
「あ!あぁ〜、そうだ。それよりも、有名なカフェが近くにーー」
「ごめん」
「え?」
必死に口にした私の言葉を、藤宮は言い終わるより前に遮る。
「最近、、なんか、そういう気分じゃ無くて、」
「ど、どうしたんだ、?」
確かに、言われてみると最近元気が無い様にも見える。その事実に更に汗をかいて、私は迂闊であったと頭を抱えた。
結局、自分の事しか考えてないのではないかと。
今更遅いと分かっていながらも、私は話し相手になれればと考え、コーヒーカップを机上に置いて歩み寄る。
「何か、、辛い事が、?」
「...」
「...ごめん。俺、なんも気付いてなくて、、今更聞けたタチじゃないのは分かるけど、話して、くれないかな?」
わがままでしか無かった。恐らく幻滅したであろう。元々、私の様な人間を受け入れてくれた時点で女神である。
流石に、仏の顔はここまでであろう。数秒待っても返事が来なかったがために、私は表情を曇らせ目を逸らした。
が、その瞬間。
「...いい、のかな?」
「え?」
「こんな事、、話しちゃって、」
「いいよ。何でも話してくれよ!俺が、、その、手を貸せることじゃ無くても、、いや、貸せる事の方が少ないかもしれないけど、それでもモノによってはーーっ」
いい終わりと同等のタイミングで、私は顔を上げて彼女の表情を凝視した。
私の視線の先の彼女は、まるでそういう事じゃ無いと言うような表情を浮かべて、遠い目をしていた。
「ぁ...」
私はこの空気感もあり、小さく変な声が漏れ出た。だが、藤宮の方も覚悟が決まったのか、顔を上げて小さいながらも口にする。
「その、最近、、仕事が、辛くて」
「仕事、、か」
これこそ、私の言えた事では無い。
確かに私も仕事はしていたが、現在はフリーである。それに対して、彼女は日中仕事を行い、休日はこの様に家事まで行なっている。
ここだけを見ると、圧倒的に私が悪者に見えるが、平日の家事は私が行っており、最初までは休日も私が行っていた。
と、そんな事は言い訳に過ぎないのだが。
「そう。最近辛くてね、、なんだか、上手く笑えないっていうか」
「...そこまで、なのか、?」
小さく呟く私に、藤宮は目を逸らしながら小さく頷く。
「...そこまでなら、辞めてもいいんじゃないか?ただ、俺が頑張って仕事探せばいいだけの話なんだから」
私も同じく小さく目を逸らして放った。バツが悪かったのもあったが、一番は恥ずかしかったのだ。
藤宮に会った時には既に仕事を失っていた時期であった。そのため、彼女からの信用はゼロにも等しかった。だが、それでも何か力になりたかった。
それなのに、こんな事を言う度に藤宮は段々と落ち込んでいっている様な気がした。すると、藤宮は数秒唇を噛み締めて俯いたのち、顔を上げて笑顔を作る。
「ありがとう。...じゃあ、考えておくね、、遊園地」
「え!?あ、そっち!?」
私の先程の相談は何だったのだろうか。だが、あの私の言葉で、意識を変えてくれたのならば光栄である。
そんな意味不明な事を考えたのち、逃げる様にお手洗いに駆け込む藤宮の背中に、ハッとして私は付け足した。
「あ、遊園地じゃ無くても、近くに出来たカフーーあ」
どうやら、言い終わるよりも前に、ドアを閉められてしまった様だ。また後で伝えれば良いかと。私の中でそう考え冷めたコーヒーを捨てられずに口に運んだ。
その日は、いつもの様に室内で過ごした。彼女曰く、おうちデート好きだよ。との事だったが、もう少し新鮮な思いをさせてあげたいのも事実である。
「...藤宮って、結構インドア派だよね」
「え?いや、そんな、あ、あぁ〜、そうかも」
「そうでも無いのか?」
しどろもどろになる藤宮に、私は疑問を抱いた。
「その、遠野は、、アウトドア系の人の方が、、好き?」
少し寂しそうに肩を落としながら、藤宮は呟く。それに、軽く首を横に振る。
「いや、そんな事は無いよ。俺も、藤宮とうちでデートするの好きだし」
「...ありがとう」
泣きそうになりながらも、笑顔で藤宮は感謝を伝えた。その表情に、何か込み上げてくるものがあり、私は思わず彼女に抱きついてしまった。
「えぇっ!?ど、どうしたの遠野!?」
「ごめん。でも、なんか、、こうしてていい?」
「...ふふ」
突然気持ち悪い事を放ちながら、おかしな行動を起こす私に、一度は動揺を見せたが、直ぐに微笑んでそれを受け入れてくれた。
大切だった。ずっと一緒に居たいと思った。出会いは、そんな壮大なものでも無ければ、一目惚れする様なロマンチックなものでも無かった。まあ、現実であの様な出逢い方をするのは劇的と言われればそうなのかもしれないが。
それでも私は、元から好きな気持ちが、大好きに変わり、恋から愛へと変化していた。
経験不足の私には分かりづらかったが、恐らくこれがそうなのだろう。恋は盲目。人は恋愛すると馬鹿になる。その通りだろう。
だが、嫌では無かった。寧ろ、心地良かった。だからこそ、そんな素敵な彼女の心を覆う雨雲を、私の力で晴らしてあげたいと思いたった。
私に出来るだろうか。
ネガティブな考えは変わらなかったが、私の意志は、以前よりも確かに強く存在していた。
その日はその後、藤宮の好きなアニメやドラマを漁り、私が影響を受けた映画の鑑賞や、恋愛モノを見た後は余韻に耽りながらお互いを求めたりもした。
藤宮が部屋を退出する事も多々存在していたが、基本的にはお互いを更に知れ、話し合えた一日になったと感じていた。
「ありがとう」
ベッドの上。私が寝るまで毎度の様に隣に座ってくれている藤宮に向かって、自然と言葉が漏れ出た。
「ううん。こっちこそ、私みたいなの、、好きになってくれてありがとう」
「っ!そんな事無いぞ!?」
耳を疑う発言に、私は気づいたら声を荒げていた。
「えっ」
少し食い気味になり過ぎていただろうか、驚いた様に藤宮は目を丸くした。
「あ、いや、、そんな事、俺は言って欲しくない」
引いてしまっただろうか。そんな恐怖心から、思わず私は声を小さくしていた。
だが、そんな私にも彼女は微笑んだ。
「ありがとう、、ほんと、、なん、、ありがとう」
ふと、何かを言いかけたものの、それを噤み、藤宮は泣きそうな顔で感謝を告げた。
私はそれが気になってもいたが、それよりも藤宮への想いが勝り、続けた。
「自分を自分で追い込む必要は無いよ。この世の中は、世界が嫌ってくるけど、、だけど。いや、だからこそ、信じないといけない。せめて自分は」
私は遠い目をして、はっきりしない意識の中で彼女に助言を口にした。その様子を、同じく遠い目をして。少し表情を曇らせ聞き入れる藤宮。
そんな様子を目にしハッとした私は、続ける様に微笑んだ。
「でも、それが難しいんだよね。でも、無理に、今意識を変える必要は無い。少なくとも、俺は。いや、俺は誰よりも藤宮を大切に想ってるし、大好きだ。辛い事は、もう一人で考える必要は無い」
優しい瞳で藤宮を見つめると、目に涙を薄ら溜め、こちらに視線を向ける。その表情が、双眸が、私には何故か耐えきれず、反射的に寝返りを打った。
そんな、肝心なところで逃げてしまう私に、藤宮は尚も優しく笑みを浮かべると、小さく
「ありがとう」
と。
それだけを、口にしたのだった。
☆
「おはよっ」
「おお、おはよう」
突然隣に現れた藤宮は、いつもの笑顔で小さく挨拶を口にした。
「...大丈夫?」
だが、隣に座った藤宮は先程とは一転。なんだか浮かない表情へと変化しており、口を突いてその言葉が出た。
「え、う、うん。大丈夫」
張り付いた笑みを浮かべて彼女は笑う。
最近、何かと仕事が大変だという話を以前受けた。恐らくそれに関してだろうと予想した俺は、前に向き直って口を開いた。
「そっちの事は、よく知らないけど、、その、あまり、無理しないでよ?」
「でも、仕事だから。それに、これは私しか出来ない事なの」
力強い意思を感じる面持ちと言葉で押し切られたため、思わず押し黙る。
与えられた仕事は最後までやり切る。それが、藤宮の仕事におけるバイブルであった。故に、否定は出来なかった。
「そっか、、そうだ。そういえば、ずっと言おうとしてたんだけど、今度。一緒にお茶しに行かない?有名なカフェが近くにも出来たらしいよ」
その一言に、藤宮の口元が綻ぶ。
「いいね。うん、行こ。まぁ、その仕事が終わってからかなぁ」
まだ終わりが見えていないであろう職務に、彼女は心からの笑顔は出せずにいたが、藤宮のその言葉は、本物であった。
すると、藤宮は突如立ち上がり、気合いを入れるように声を上げる。
「ありがとう!よっし。それじゃあそれに向けて、頑張らないとね」
「え。ああ、別に頑張って欲しいからそう提案したわけじゃ無くて」
無理をしてしまいそうな発言に、慌てて否定を口にする。だが、対する彼女は優しく微笑み。
「分かってるよ。ありがとう」
とだけ返した。
すると、その一言を置いて歩き始めた藤宮の背中に、以前に聞いた彼女の仕事での"辛い部分"というものを思い出して口にした。
「えっと。その、笑顔が難しいって。前、言ってたよね?その、それって、営業スマイルってやつ?そういうの、なの?」
その単語に、ふと足を止めて少し間を開けたのち、藤宮は少し寂しい表情で振り返った。
「うーん。やっぱり、その立場にならないと分かりづらいかもね」
なんだか、貴方には分からない。そう遠回しに言われた気がした。
俺の一言に彼女も一言で返すと、またもや歩みを再開した。
そんな藤宮の背を追いかける様に歩き始めながら、成長しなくてはと。
そう心中で唱えた。
☆
藤宮と仕事の話をしてから四日間程が経った。
あの時の表情といい、あまり深入りするわけにもいかない雰囲気を感じ、話題が出ない事は彼女にとっての弊害が解消されたのだろうかと。私はそんな自分勝手な理由を定義し、話を切り出さないでいた。
だが、やはりその表情は暗いままであった。
「えっと、、その、食べないの、?」
「へっ、あ、うん、、遠野が食べてるの、見てるのが好きだから」
「...本当は食欲無いんじゃないか、?」
「え」
まるで世界が焼けた様に、目に見える世が暖色に染まる、外が薄暗くなる夕方。
夕食を口に運ぶ私の対面で座る藤宮に、そう切り出した。
あれから数日が経っている。平日は彼女も仕事があるため、夕食時のみがこうして顔を合わせて食事が出来る時間なのだが。
共に食事をした事は無かった。
「俺で、、本当に良かったのかな、、と思って」
「何、、言って、」
「だっておかしいだろ、、デートはいつも近場。食事も一緒にまともにしてないし、こんなのっ、、こんなの」
もう、疑問を見て見ぬフリするのは限界であった。
目の前の、藤宮の表情はどんどん曇っていく。こんな事は言いたくは無かった。
私は、彼女が幸せであれば良かった。だからこそ、辛そうな表情が、もう限界であった。
「なんで俺を選んだんだ、?ずっと苦しい顔して、、辛そうで、、俺じゃ駄目なのか、?本当は嫌なんだろ?俺と一緒に居るのが」
「そんな事っ!」
「そんな事無いって?なら、、なんでなんだよ」
「それは、、仕事が、」
「仕事仕事って、、だからそれは俺が相談に乗るって言ってるだろ!?なんでいっつもそればっかなんだよ!勝手に苦しくなって、話してもくれないで、俺に信用無いなら、一緒に居なきゃいいだろ!」
「っ」
お互いに、それを言い終わると共に目を剥いた。
私は、一体何を言っているのだろう。自分で、自分を信じろと彼女に言ったでは無いか。それなのに、私が一番信じれていなかったのだ。
「...」
深く息を吐き、涙目になりながら藤宮は席を後にした。そんな彼女に、私は「あっ」と変な吐息のみを零し追いかけようとしたが、拳を握りしめて「割り切るしかないか」と、聞こえるか聞こえないかの声量でぼやく藤宮に、私は口を挟む事が出来なかった。
☆
「んっ!」
「うあおっ!?」
あれから一週間が経ったある日。突然背後から両肩を触られ、思わず声を裏返す。
「なんだか、今日は久しぶりにご機嫌だね」
「少し、仕事も慣れてきたのかな?ちょっとはマシになったよ」
ニコッと。藤宮は笑ってみせる。
その笑顔は、まだ本当と言えるものでは無い様にも見えたが、以前よりも輝いて見えた。
「そ、そっか。良かった、、お疲れ様」
藤宮のその表情に何を言ったら良いのか分からず、そんな一言を返した。
「ねぇ。仕事が終わったらカフェって言ってたけど、その後でいいから映画観に行かない?好きだったよね?」
「えっ!?あ、うん。いいけど」
予想外の切り出しに、変な声が出てしまった様だ。だが、更に長く一緒に過ごせる日が増えると考えると、心が躍った。
「やった」
少し微笑んで小さく呟く。こちらには聞こえてないと思い込んでいるのだろうか。その姿がとても愛らしく、愛おしく感じた。
だが、やはりその笑顔にはどこか寂しさも感じて、安易にその言葉や提案に喜ぶ事が出来ずにいた。
すると。
「ん?どうしたの?」
藤宮の方から、短く疑問を口にする。
それを口にするのが怖かったからか、はたまた彼女が愛おしかったからか。思わず、何を言うでも無く目を背ける。
「...大丈夫だ、俺が居る。俺を悪者にすれば良いよ。藤宮が気に病む必要は無い」
目を見る事は出来なかった。俺が言えた立場ではないからだ。
だが、それを理解してか、藤宮はクスッと微笑んだ。
「ありがとう」
先程の一言は、また彼女を無理に笑わせてしまったみたいだ。それでも、今はこんな事しか言えない人間だとしても。
いつか彼女の雨雲を晴らす事の出来る人間になりたいと。
そう目標を定めた。
☆
「あ、おそよう!」
寝室から目を擦って足を踏み出す私に、藤宮は笑顔を向けた。
最近、彼女の笑顔が戻ってきた様だ。それが、寧ろ一種の恐怖でもあった。
「えと、、おそよう」
「どうしたの〜?元気無いけど」
「いや、その」
私はどう対応していいか分からずに、変に言葉を漏らし目を逸らす。それに、藤宮は意地悪に微笑んで顔を覗く。
「もしかして、あの時の気にしてるの?」
「いや、、そりゃあ。...その、、ごめん。あの時は」
結局、変に返事を返すだけで、あれから謝罪を口にしていなかったのだ。既に遅いだろう。私は殴られるを覚悟で口にし目を瞑った。
だが。
「いいよ。ちょっと苦しかったけど、、遠野の言う通り。私、ちょっと重かったよね。ごめん」
「いや、、別に、いいが」
それでは無い。私が思っていたのは。私が気になって、気にして。気にかけていたのはそこじゃ無い。
いっその事殴って欲しかった。
そんな、私の求めていた答えを何一つとして返さなかった彼女はそう頭を下げると、はにかんで顔を上げた。
「それじゃあ、これで、仲直り。...だね」
「あ、、ああ。こっちこそ、、本当にごめん。藤宮が大切だから、、つい、自信をなくしちゃってっ!」
私がそれを言い終わるよりも前に、藤宮は私の口に人差し指を添えて小さく笑った。
「それ以上はいいから。ごめんね。本当に、」
何か腑に落ちない私は、胸の奥がモヤモヤと。胸騒ぎを覚えながら、それを受け入れ微笑み返した。
すると、そんな藤宮から。
更に予想外の言葉が、ふと。台所に戻ろうと足を数本進めたのち、振り返って放たれた。
「あ、それと。今度、言ってた遊園地。行こっ!今度の土曜、どう?」
「え」
私の頭を混乱させるには十分な藤宮の一言に、そんな間の抜けた返しを、私は繰り出した。
「楽しみだねっ!遠野」
「そうだな」
混乱だらけの数日を過ごし、約束の土曜はやってきた。
「その、、最近元気そうだね。...大丈夫なの?その、、仕事の方は」
言うか迷っていたが、ここまでの変化は流石に口にせざるを得なかった。
「うん、、最近、考え直してね。吹っ切れたの!考え過ぎない様にしようって、思って」
予想とは違った反応だった。最近の彼女の様に、笑顔と明るい声音、そして遠回しな言葉ではぐらかされると予想していた私は、少し冷静に答える藤宮に、ホッと胸を撫で下ろしそれを聞き入れた。
未だに分からない事だらけだった。それでも、今は彼女が笑顔でいれる喜びを、自身も同じくらい感じながら、今日は何も考えず楽しもうと。そう決めた。
☆
その日は文字通り、今までの事を忘れる程に楽しめた。やはり、デートというものは相手を楽しませるのが一番ではあるが、それは自身も楽しまなければ成立しないものであろう。
藤宮は、今日一日は暗い表情を露わにせずに、絶叫アトラクションが苦手な私を連れ回していた。その割には、アトラクションに乗る際、私を先頭にしていたが、彼氏である私の見せ所であろう。
そう私は意気込んで、ジェットコースターの入り口を先に通った。
が、恐怖には勝てないだろう。ゆっくりと動き出すそれに、私は酷く怯え震えた。それを笑いながら、大丈夫と付け加えしがみ付く藤宮。
「お、おい、そっちの手すりに捕まらないと危険なんじゃ無いのっ!?」
「もぉ、ビビリだなぁ、大丈夫だって〜」
カタカタと。段々と登る我々を乗せるには心細い小さな箱が、頂点にまで達した。
目の高さは一番の高さだろう。このテーマパークを見渡せる程であった。
「ねぇ、凄い!全部見えるよ」
何か私の肩を揺すって発しているが知るか。私はそれどころでは無いのだ。
震えた手で必死に手すりに捕まり、ギュッと目を瞑る。すると、時が止まった様な感覚と共に、次の瞬間ーー
「う、うぉぇぇぇぇぇ」
「ご、、ごめんね、」
気付いたら私はトイレに篭っており、未だ状態が優れない中、ベンチで藤宮に背中を摩られながら声を上げた。
散々だ。自分で言い始めた事だが、遊園地は間違いだったかもしれない。だが。
「ごめんねぇ、」
謝りながらも微笑む、その彼女の優しい笑顔と、脳裏にこびりつくアトラクション中の笑顔。
散々である事には変わりなかったが、来てよかったと。嫌だが、また来るのも悪く無いと。そう思わせるには、十分過ぎる報酬であった。
それからというもの。食欲の無くした私は、藤宮と同じく食事は共に摂る事はせずに、公園内の風景を観て回った。どれもこれも美しいものばかりで。いや、本当に大切な人と見たそれは、どれも輝いて見えて。同じく大切になった。
そんな事をする内に、閉園の時間が近づき、状態が戻った私に藤宮は少し恥ずかしそうに、こちらに上目遣いで問うた。
「その、、最後に、観覧車、乗らない?」
「っ!」
そんな一大イベント。断る理由が無かろう。
確かに私は高所恐怖症ではあったが、それがどうでも良くなる程には、彼女との密室の存在感は高かった。高まる気持ちと鼓動に合わせて、景色と高度も高くなっていく。
「ねぇ」
「ん?」
一言だった。藤宮が発したのは、私を呼ぶ様なそんな単語だった。それ以外を言うつもりはないという藤宮の姿勢に、私は何を求め待っているのかを察し、彼女に詰め寄った。
「悪い、、今日は、俺があんな状態になっちゃって、忙しい藤宮を、癒そうと、思ってたのに」
「ううん、それは言わないで。確かに、遠野が思ったよりこういうのが苦手で驚いたのは事実だけど」
表情を曇らせる私に、藤宮は笑顔で答えた。
「本当に楽しかった。ありがとう、誘ってくれて」
先程までの元気な様子とは一転。今度は優しい、胸の奥がざわつく様な素敵な笑顔で、オレンジ色の光に照らされた彼女は続けた。
その表情と言葉に、私は耐えきれなくなり、次の瞬間には抱きしめていた。
「ひゃっ、びっくりしたぁ」
「俺も、、ありがとう。来てくれて」
「え」
「不安だったんだ。ずっと、俺の事嫌いなんじゃ無いかって、、本当はもううんざりなのかなって、、そう思って」
「な、なんで、?」
「だって、そうだろ、?なんだかずっと、心から笑えてないみたいで、遠出も出来てなくて、食事も一緒にしてなくて、」
「それは」
私の言葉に、藤宮は否定を口にしようとしたが、それよりも前に遮った。
「でも、、そんなんじゃ無いっていうの。よく分かった。ありがとう。俺、藤宮の事、まだ全然良く分かってないけど、辛い事を預けられる様な存在になるから」
「...遠野」
こんな経験を全くしてこなかった私の、必死の言葉である。変な言い方である。不器用である。でも。それでも藤宮は、優しく抱きしめ返して、呟いた。
「うん。私も、、もっと、遠野の事、知りたいから。これからは、、不安にさせないように、ちゃんと、話すね」
「え、それってーー」
藤宮の一言に私は反応し、少し離れると、次の瞬間。
閉園間近の神聖な空気の中、西日が天辺に到達した観覧車の内部に差し込んだ。そんな美しいコントラストの中、私達二人は、綺麗な、接吻を交わした。
「あ〜っ、楽しかった!」
「うん。ほとんど、俺のせいで乗れなかったが」
「いいの!遠野と来ただけで、楽しいんだから」
はにかむ藤宮に、私は優しい笑みを返した。日が落ちる中、彼女は未だに元気そうだ。吹っ切れたというのは本当らしい。
あの観覧車内で交わした会話。藤宮は、あれから自身の境遇の話を持ちかけてはこないが、そんなに急ぐ事は無いと。私は微笑んで藤宮の隣を歩いた。
少しずつ。一歩ずつ進めばいいと。
今共に歩く道の様に、歩幅は合わせなくていい。追い抜かれて、追いついて、追い抜いて、また追い抜かれて。それでもいい。
ただ見えない距離にまで行かなければ、それで。
そんな、少し寂しい妄想も過りながら、私は肩を取る藤宮に身を任せていた。
が、そんな時だった。
「あ、、と、遠野、ごめん。別の道から行かない?」
「え?な、なんで」
藤宮に突如手を引っ張られ、私は不思議に首を傾げる。何か会いたく無い人でも居るのだろうか。そう思い、私は前方に目を向けるがしかし。
映し出されたのは、こちらに歩く数名のみ。その人物は子供連れの母親や、会社員の方など、危ない人。及び、関わってはいけなそうな人物は居なかった。
それに私は疑問に思い、藤宮に振り向いて真偽を確かめようとするが。
刹那。
「ねぇねぇ。あの人なんで一人でお話ししてるの?」
「え」
先程の、母親と共に歩いていた小学生低学年であろう男の子に、そう声をかけられる。
何を言っているのだろうか。
人違いだろうか。
いや、だが確かにその少年はこちらを凝視している様に見える。だとするとどういう事だろうか。
だとするとーー
「こらっ、そういう事言っちゃいけません」
その母親が、そう小声で叱り付け、こちらを恐ろしいものでも見る様な目で見つめる。
私は何か嫌な予感を感じ、周りを見渡す。先程の会社員の人や、街行く学生。この街ではおかしくないという様に、皆目を合わせようとはしなかった。
そう、この反応は何処かで。いや、よく見た事があった。これはーー
ーーカツアゲを受けそうになる私の行動であった。
おかしい。これでは、私がまるで犯罪者の様ではないかと。そう思った、瞬間。
「ごめんね」
「え、」
ふと、神妙な面持ちで、藤宮は謝罪を口にする。
理解ができなかった。言葉が出なかった。
一体どういう事なのかと、そう疑問を投げかけたかった。が、私の口は、重く硬く閉じたままだった。
そんな私の表情で何かを察したのか、藤宮は一呼吸空けて、覚悟を決めた様に口を開いた。
「私、実はもう死んでるの」
「え」
時が止まった様に感じた。街行く人も止まり、交通機関も、風景も、世界が全て、止まっている様に感じた。
音も無く、私の脳内にただその一言が響いた。
「なん、、えっ、どういう、」
「ごめんね、無理もないよね。そんな反応でも。...実は私、今日一回も乗り物券買ってないんだ」
「え」
「物を持つことは出来るけど、持つとその物が突然消えちゃう様に周りからは見えるみたいで、、だから外では何も持たない様にしてたの。...だから、乗り物に乗る時は、、ううん。それに、お店に入る時も、遠野に先に入ってもらってたの」
「え」
「ずっと不安に思ってたご飯もそう。私、お腹減らないの。外に出ないのも、こうして、街の人に声かけられるのが怖かったから。遠野が、変な人だと、思われたく無かったから。...馬鹿だよね、、いつかはこうやって、バレちゃうのに、」
「え」
「私、奇跡だと思ったんだよ。あの日、スーパーで遠野と出会って、私に反応してくれて」
「ち、ちょっと!ちょっと待って!」
淡々と続ける藤宮に、私は追いつけていなかった。
「...やっぱり、、嫌いになる?」
「いや、いやいや、そういう話じゃ無くて、」
私は慌てて手を振った。
「嫌いとか、、そういうのじゃ無くて」
「...そっか。とりあえず、、場所。変えよっか」
「あ」
少し目を逸らす藤宮の言葉で、私はハッと我に帰り周りに目をやる。
どうやら、私は普段以上に気持ち悪く。いや、それを通り越してヤバい奴になっていた。そう理解した私は、赤面しながら小さく「うん」と頷いた。
☆
「それで、、どういう、事?」
事情を把握した私は、藤宮との会話を控えながら、人通りの多い道を歩いて帰った。
あの道を、二人で歩くのは初めてだったがために、言葉なんて言わずとも、心が昂った。
だが、そんな私の隣を歩く藤宮は、いつにも増して、辛そうな表情を浮かべていた。
人通りの多い道だったお陰か、いつもの様なチンピラに絡まれる事も無く、こうして無事に家に到着する事が出来た。
いつものリビング。テーブルを挟み、対面に藤宮。夕飯の時と同じ光景なのに、どこか冷たくて、重く感じた。
「...さっきので、全部だよ。私、前に亡くなってるの」
「そこからもう、、分からないんだけども、」
声を小さくし、私は放った。それに、少し間を開け藤宮は続けた。
「あの、私達が初めて会ったスーパーがあるでしょ?覚えてるかな?」
「え、ああ。昨日のことの様に覚えてるよ」
私がコーヒーを切らし、久しぶりに外出したあの日。コーヒーを取る際に手が触れるという夢の様な体験。そんなの、忘れる筈が無い。というよりもこの間思い出したばかりである。
「あのスーパーって、工事中に事故があったの知ってる、?」
「っ!」
家の近くだったが故に、私の方にも情報が来ていた。新たなスーパーの建設という事もあって、私も興味があったのだ。
「って、、事は、もしかして」
「そう。その、私が、、被害者、、って、言っていいのかな、?不慮の事故だし、」
「事故だって被害者は被害者だよ」
私は少し声のトーンを落としてそう返した。その言葉に藤宮は少し目を丸くしたものの、直ぐに微笑んで「そっか」と呟いた。
その場に、またもや沈黙が流れた。少し考え直し、私はハッと本題に戻る。
「いや、そうではなく!」
「え?」
「俺は、その、そっちを聞きたい訳ではなく、その先で」
「ん?ああ、私が幽霊かって事?」
キョトンとした表情で返す藤宮に、少し頰を赤らめながらも、呆れた様に「そうだ」と答える。
「うん。言い方的には一番近いかな。みんなには見えないし。ただ、物持ったら一緒に消えちゃったり、幽霊って言っても物は持てるし、服は着てるのに服だけが歩いてる様には見えないみたい」
なんだか、不思議な感覚だ。幽霊であるのにも関わらず私には目に収められて、普通に生活もしている。藤宮が言う様に物も持てるし、体に触れたりキスもしていた。
まるで、本当にそこに存在している様だ。
「...本当、なのか?」
「...うん。信じられないと思うけど、、私だって驚いてるの。遠野にだけ、見える事」
私の問いに、藤宮は唇を噛んで表情を曇らせた。だが、おかしい。私は普段から霊感がある訳でも、見えるわけでもない。それなのに何故、彼女だけは見えるのだろうか。
そんな、様々な事を思考する間に、私は一つを思い出し目を見開いた。
「もしかして、、睡眠も?」
「...そう、私は食べないし寝ない」
「だから、、いつも俺が寝るまで隣に居たのか、、それに、朝もいつも先に起きて」
私は、考えつく事は全て結びつけた。だが、すると不思議に全てが当てはまったのだ。
初デートの日、絡まれた際だ。あの時もそうだったと。
「だからか、」
私は気づくと、納得した様に息を吐いていた。ただ理解しただけで、納得をしたつもりは無かったのだが。
「...ごめんね。騙してて」
「ああ、いやっ。べつに、全然」
今にも泣き出しそうに。歯を食いしばって放つ藤宮に、私は動揺して変な言葉を零してしまった。
こんな時にも、こんな気持ち悪い反応しか出来ないのかと、自身を悔やむ。
「嫌いに、なったよね、」
「っ!そんな事」
「いいんだよ、、元々会う事は無かったの。私、ずっと環境が苦しくてね、、遠野みたいな人と、話したかったの。私に近い、遠野みたいな人と。だからこうして、凄く楽しい日を過ごせて、私には勿体ないくらいの幸せと愛をくれて、、幸せなんだ」
その、成仏をするかの様な発言に、私は思わず机に手を強く置き、立ち上がった。
「そんな事無い!」
「え」
「まだまだだよ。俺の愛は、、これだけじゃ無いよ。さっきはびっくりして反応がおかしかったけど、俺は幽霊だろうとなんだろうと、藤宮は藤宮だと思ってる。今までだってずっとこうやって一緒に来ただろ?大丈夫。確かに外で大声で話は出来ないかもしれないけどさ、さっき話してなくても二人で歩いてただけで凄い楽しかった。俺は、藤宮と同じ景色を見て、それぞれ思って、想いあって。それで十分なんだ」
「と、遠野、」
「別に一緒に食事するのが全てじゃ無い。食事出来なくてもいい。一緒に寝れなくてもいい。正式な結婚が出来なくてもいい。だから、これで、まだ始まったばかりのこんな序盤で、一番の幸せだって思わないでくれよ。まだ、一緒に居てくれよ」
「っ」
「あ、」
私はまた一人で突っ走ってしまった様だ。こうして一人また、泣かせてしまった。
俯き袖で目を擦る彼女を前に、私は何を言えばいいのか分からずに、慌てふためく。この光景を俯瞰的に観察したら、私は相当な犯罪者であろう。だが、そんな私を差し置いて、彼女は涙目の笑顔を浮かべた。
「ありがとう。こんな、、人でも無い、私を好きになってくれて、」
「...藤宮」
「遠野が、私の事を見える人で本当に良かった。...私を見つけてくれて、、本当にありがとう。...大好き!」
「うおっ」
藤宮は、らしく無く私に抱きついて来た。驚いたが心地いい。離れたくは無い。まだ、もう少し、このままで。
そんな幸せな空間で体の力を抜く私に、強く抱きしめる藤宮は耳元で小さく口にした。
「...ありがとう、遠野。これからも、、よろしくね」
「っ!それって」
その一言に私は喜びと嬉しさを感じ、目を見開いて反射的に抱き締めるのを止め、彼女の正面に目の高さを合わせた。
「うん」
それに、藤宮は優しく微笑み短く答えたのち、同じく涙目になりながら、私も感情のままに感謝を口にしたのだった。
「こちらこそ、、よろしくっ!」
☆
「ん、、んん」
意識が段々と鮮明になっていく。私は先程まで何をしていただろうか。
藤宮の秘密を知り、受け入れ、話し合いを行った後、いつもと変わらない夜を過ごし、遊園地デートに疲れた私は早めに就寝してしまった様だった。
「寝てたのか」
ゆっくりと、起き上がる。
何か、嫌な予感がする。
何故か、いつもより、肌寒い気がする。
なんだろうか。確かに最近夜は冷え込むが、それよりも。部屋が、虚しい様な。そんな感じである。
「ふ、藤宮?」
私は先に寝てしまった事に罪悪感を露わにしながら、彼女の名を呟いて部屋を見渡す。
が。
「藤宮?」
冷え切ったリビング。薄暗い寝室。色の無い風呂場。皮肉な程満天の星が照らす、空虚なベランダ。
どこを捜しても、彼女の姿は無かった。
「藤宮、、ま、まさか」
冷や汗が頰を伝った。それは直ぐに冷たくなり、寒さによるもので無い震えを、加速させた。
「嘘だろっ」
私は気づいたら上着を羽織り、部屋を出ていた。
何処に向かっているのか、分からなかった。だが、私の体はただ、あの場所。
"初めて藤宮と出会った場所"に向かっていた。それ以外に思い浮かばなかった。
彼女が未練を残し、現世に居続けた場所。それが、あのスーパーだったのだ。
何度も再開を果たしたのは全てあのスーパー。初めて連絡先を交換したのも。趣味を聞いたのも。職種を聞いたのも。
初めて名前を言い合ったのも。全て、あの場所だ。
きっと成仏するつもりである。藤宮は昨晩、私と出会い話せた事に満足している様子であった。そして、私が彼女の秘密を知った事が引き金となり、今日この日。初めての遠出デートの日。
この青黒い美しい空の向こうへ。彼女は飛び立ち帰還するのだ。
そんなの、あんまりでは無いか。私は足を早めながら胸中で思った。絶対に、これで終わらさない。藤宮は、もっと幸せを知るべきだ。
二十代という若さで亡くなった、残りの人生分。幸せを取り戻さなくてはいけないのだ。こんなちっぽけな。まだ半分すら与えられていない幸せで、還って欲しくは無い。
絶対に、これで終わらせない。
私は懸命に走った。既に街の彩りは消え去り、辺りは暗闇に包まれていた。そんな中、私は僅かな光と杆体視を頼りに進む。
が、そんな時だった。
「うっ!」
「いっ、、てぇなぁ。どこ見てんだ?」
「あ?なんだこいつ」
やはり、暗闇の中走るのは危険である。夜の店が少ないためにこの地域を選んだ筈なのだが、どうやら夜になるとこちらの方にもこういう輩が増えてくるらしい。
見るからに関わってはいけない風貌をしている。
「す、すみませんっ」
「お前みたいなヒョロがんな夜中に歩き回って、、いい度胸だな」
「ちょっと俺ら今から打ちに行くんだよ。悪りぃけどちょっと恵んでくれ」
二人の柄の悪い男は、そう切り出し私に詰め寄る。それに対し、私はいつもの如く下手に出過ぎず、尚且つ目をつけられない様に普段より少し奥手で返す。
「す、すみません。今、お金無くて」
「は?そんなバレる嘘いいからさっさと出してくんね?」
何様だと内心呟きながらも、それが事実なのだから仕方がないと私は口を開く。
「本当に持っていないんですよ、、その、確かめてくれてもいいので」
「あ?だったなんで外居んだよ。金も持たねーで」
「っ!」
その後も、彼らは何かを言っていた気がするが、そんな事はどうだっていいと。
私は、彼らの奥。路地裏にフワッと現れた藤宮の姿を僅かに捉え、身を乗り出した。
「は?んだおめぇ、逃げんのかよ」
「ち、違いますっ!ご、ごめんなさいちょっと、急いでいるので」
「おーいおーい。逃げてんじゃねぇかよっ!」
「ごふっ」
彼らの間を抜けて追いかけようと足を踏み出したものの、片方の男に足をかけられ、大きく転ぶ。それを見下しながらゲラゲラと笑う二人の声がうるさい。
駄目だ。感情的になっては。
相手をよく見ろ。二人というのもあり、逆らったらタダでは済まないだろう。
そうだ。いつもの様に、ヘコヘコして頭を下げ、事情を説明して殴られて、それから向かえば良いでは無いか。
そうだ。ここでこの感情に任せたら、この先どうなるか分からない。先を考えろ。
先を考えーー
「どけよ」
「「は?」」
ーーられるか。
「邪魔ッ、すんなっ!」
私は声を荒げ、立ち上がり、勢いのまま潜り抜けて足を早めた。背後からは、二人の足音が近づく。昔から足だけは速かった私は、今の現状を考えるととても有利であろう。スーパーに着いてからが問題だが、このまま走るしか無いと。
私は振り返らず、同じくスーパーに向かっている様子だった藤宮を追う様にして、走り続けた。
「はぁっ、はっ!ふ、藤宮っ!藤宮っ!」
ただ一心に。側から見れば異常者だろう。いや、背後の二人を含めると、もっとマズイ存在だと認識されている事だろう。だが。
こんなもの。いつもと大差ない。
「止まりなさい!そこの三人!」
「「「っ!?」」」
交差点の曲がり角を越えたその時、突如隣から、何者かの声が響いた。恐らく、防衛隊の方だろう。どうやら、私もあの二人の内に入ってしまった様だ。最悪だ。
だが、それでも、彼ら二人は止まらない。恐らく私だけでも止まれば、彼らは逃げ、無実である私は身柄を取り押さえられたのち、解放されるだろう。
がしかし。
私は、そんな事をしてる暇なんて、今は無いんだ。
歯嚙みし、馬鹿な事をしていると理解しながらも、私は足を速めた。藤宮の事もあったが、反射的に、本能的にただ体が動いた。
向かわなくてはと。早く、一刻も早くだ。
近くに出来たスーパーの筈が、遠く感じた。街には他にも数名の歩行者が存在し、ただがむしゃらに走る私は彼ら彼女らにぶつかっては謝るを繰り返し、時間だけが削がれていった。
と、そんな矢先。
「あぁ?お前かぁ、元凶」
「っ!嘘だろっ!?」
丸刈りに耳は勿論、舌や大きく露わになっているへそにピアス。どうやら、先程の二人組の仲間の様だ。
恐らく、防衛隊に追われているのを連絡され、車を用意してやって来たのだろう。
車の隣で二人を待つ様な彼の姿を、私は眼前に捉えて走る速度を弱めた。
「おいおいおい。お前のせいで大事になっちまったよ。どう責任取ってくれるんだ?」
「っ!クッ!」
「っ!お前っ、待てよっ!」
私は近づく彼に、冷や汗混じりに思考を巡らせ、既のところで路地裏へと方向変換し足を踏み出した。
背後の方で二人と合流した先程の男性は、「それよりも防衛隊だ」という様に、二人を乗せ急いで車を出した。
それにより、少しは余裕が生まれたと安堵し、裏道を通ってスーパーを目指した。
それから、数分後。
いつもは目と鼻の先だと感じていたスーパーが、まるで山頂の如く神々しくそこに存在していた。
やっと着いたと。私はただそれだけを噛み締めたのち、すぐさま辺りを見渡した。
「藤宮っ、、どこだっ?」
等のスーパーは閉店間際であり、既に人は居らず、私が入るにはなかなかの勇気がいる様子であった。がしかし、意を決して入店したものの、そこには藤宮は愚か、人っ子一人居らず私は思わず赤面した。
「こ、ここじゃ無いのか、?」
私は慌ててスーパーを後にすると、駐車場を歩きながら辺りを見渡す。
と、刹那。
「っ!藤宮、?」
遠くで、いつもの可愛らしいコートがチラつき、背しか見えない彼女を、私は気づくと追っていた。
「藤宮っ!」
「えっ」
どうやら、人違いで空気を悪くする事は無かった様だ。その人物に追いつき名を呼ぶと、驚いた様に藤宮は振り返った。ストレートロングで漆黒の髪。間違いない。
藤宮小百合だった。
「ど、どうしてっ」
「どうしてはこっちの台詞だ!」
「っ」
藤宮の声を遮る様に叫ぶ私に、彼女は肩を震わせ退いた。
「ちょっ、ちょっと、、そんな大きな声出したら、周りから、」
「そんなの気にするか!」
「え」
「俺は、おかしくてもいい。周りから変だと言われようが構わない。みんなには見えなくても、俺は見えてる。お互いに見えてるなら、大きな声で話して何が悪い。思いを伝えるのに場所は関係無い」
「遠野、」
またもや、彼女に寂しそうな顔をさせてしまった。彼氏失格だろう。
それを言ったのち、黙り込んでしまった彼女に問う様に。私は少し間を開け切り出した。
「どういう、つもり?もしかして、、還るの?」
「...」
藤宮は、バツが悪そうに目を逸らした。どうやら図星の様だ。
「私、嬉しかった」
「え?」
「運命だと、思ったよ。あの日」
藤宮は悲しい目をしながら顔を上げると、小さく放つ。
「ずっと、この場所で一人だった私を、唯一見てくれた人。それが、、遠野だったの」
「...それは、みんな見えないから、、他にも見える人が、居るかもしれない」
「ううん。私は、遠野だからこのスーパーから出られたの。本気で、貴方と一緒に居たいって、思ったから」
そこまで言うと、藤宮は口を尖らせ恥ずかしそうにしながら、頰を赤らめ私の目を見た。
「遠野が。私をここから抜け出させてくれたの。...だから、あの時は本当に、嬉しかった」
「そんな事、、俺はしてない。俺の方こそ、藤宮に惹きつけられたんだ」
「ふふ。じゃあ外に居た遠野の方が、想いが強かったから、逆に私が惹き寄せられたのかもね」
冗談めかして笑顔を浮かべる藤宮が可愛らしかった。美しかった。だからこそ私は、胸の奥が苦しくなり、唇を噛んだ。
「それなのに、、なんで行っちゃうんだよ、」
「...遠野、、私は、それくらい幸せだった。だから、もう十分でーー」
「そんなのわがままだろ!」
「えっ」
抑えきれなくなった胸のざわめきは、心の器から漏れ出し。いや、器を壊して口を突く。
「満足したから還るって、、そんなの自己満足だろっ!...多分、藤宮の未練は秘密だったんだ」
「ど、どういうこと、?」
「藤宮の言う、俺と過ごす事。それが、元々の未練だった。でも、俺に告白してくれたあの日。藤宮の未練は無くなり、あの日に成仏する筈だったんだ。...それなのに、消えなかった。それは、藤宮が幽霊でありこの世の存在で無い事を隠したまま。秘密にしたまま、この世を去る事に対して未練を感じていたんだ」
「っ!」
「だから、このタイミングで、還ろうと思ったんだろ、?」
「は、はは、凄いな、、遠野には、敵わないや」
私の読みは的中したのだろう。それを耳にした藤宮は乾いた笑みを浮かび、必死に自分を保っている様子だった。
そんな辛そうな表情を浮かべる彼女に、これ以上を告げるのは心が苦しかったが、私は続ける。
「でも、俺は満足してない」
「...」
「藤宮の満足は、、そんなものなの?俺は、まだずっと一緒に居たいと思う。幽霊でもいい。分かった上で、俺から話がある」
「...っ」
私は真剣な表情で彼女に迫った。いつもとは違う顔に、少し動揺しただろう。藤宮の身体は震え、一歩退いた。
だが、もう覚悟は出来ている。
今までの私ならば出来なかったであろうそれを、今。これ程まで私を変えてくれたのだと証明するために、それをしてくれた一番大切な人に。大好きな人に。
彼女と目線を合わせる様に。いや、更に下手に出るように膝を着いて、震える唇を誤魔化す様強気に伝えた。
「藤宮。俺と、結婚してください」
「っ!」
「...」
「...」
その場には、私を痛めつけるかの如く沈黙が流れる。だが、私は決して彼女から目を背ける事はしなかった。
答えを貰うまで、絶対に動かない。逃げないと誓う様に。
対する藤宮は今にも泣きそうな瞳を逸らし、震える手を反対の手で掴んで深呼吸をしたのち、重たい口を開いた。
が、それによって放たれた彼女の言葉は、私の予想とは少し違ったものだった。
「はぁ〜あ。馬鹿だねっ。い、、いつまで私の事考えてんの?バッカみたい!あんなの全部嘘!遠野の事なんて、、最初っから、、最初から好きでもなんでも無かった!」
「...」
「私は、未練を消化して早くに成仏したかっただけ!丁度私の事見える、女慣れして無さそうな馬鹿が居たからっ、利用しただけ!それなのにっ、そんな熱くなって、馬鹿じゃ無いの!?」
「...嘘、、下手だな」
「っ!」
私の心を抉るような言葉を放つ藤宮の顔は。私の顔よりも恐らく苦しそうだっただろう。顔を真っ赤にして、泣きそうな瞳のまま、震えた声でそれを言い切った彼女は歯嚙みした。
「...今更そんな事言っても遅いよ。ごめん。また、藤宮を苦しい思い出させちゃって。でも、藤宮がわがままな分。俺も、わがまま言わせてもらう」
「...クッ!」
「あっ!」
すると、藤宮は俯いて涙を腕で拭ったのち、踵を返し走り始める。その唐突な反応に、私は手を伸ばし弱々しく声を漏らす事しか出来なかった。
「ちょ、ちょっと待って!」
慌てて、私は立ち上がり、がむしゃらに藤宮の背中を追う。
これでは、先程と変わらないでは無いかと。胸中で嘆息しながら足を速める。
少し前にも言ったが、私の唯一の自慢は足の速さである。故に、彼女の背中は段々と近くなっていった。
が、しかし。
「クソッ!お前!ガソリン入れとけよ!」
「しゃあねーだろ!?んな事なると思わねぇんだから!」
「っ!」
スーパーの前。私の背後で、聞き馴染みがある。いや、先程聞いたばかりの声が耳に入る。
マズい。私は何を思うでも無く、それが脳内に浮かんだ。が、その直後。
「っ!あいつっ、さっきの!」
「あんやろぉ、、しゃあねぇ。どうせ捕まるんだ。もうちょっと耐えようぜ」
「同意」
「なっ」
怒りに任せて襲ってくるか、はたまた防衛隊に恐れてこの場から立ち去るかのどちらかだと予想していた私は、冷や汗混じりに笑う彼らを前に、思考が止まった。
「く、クソッ」
私はそれから逃げる様に。と、言うより、それよりも彼女を優先したいというように、踵を返し藤宮を追う。
「藤宮っ!待ってくれ!」
「っ!」
私の必死の叫びに、藤宮はまたもや苦しそうな表情で振り返る。別に振り返る必要は無かったのだ。それなのにも関わらず、こちらを向いてくれた彼女に、私もまた泣きそうになりながら、だからこそ声を大にして放つ。
「まだその時じゃ無い筈だ!そ、その、、俺はまだ認めてない!」
「えっ」
「俺は、藤宮が幽霊だって、、もう亡くなってるなんて信じてない!幽霊なのも嘘なんだろ!?本当にそうなら証明してくれよっ!俺が納得するまで、、納得するまで、一緒に居てよ、」
「...」
とうとう抑えていた涙が瞳から零れ落ち、私は段々と掠れた声になりながら伝えた。
それに、藤宮は唇を噛んで同じく大粒の涙を流しながら、無理に笑って口を開いた。
「遠野だってっ、、嘘、下手じゃん」
「...っ!」
「ごめんね、遠野の言った通り。私、わがままなの。自分で満足して帰るなんて最低、、だから、こんな最低な奴の事、忘れて前に進んで欲しいの。...酷いやつでしょ?こんな私より、、もっと、いい人いっぱい居るから、大丈夫だよ」
溢れる液体で目の前が歪みながらも、藤宮の表情は見て取れた。声の調子を整えているだけで、彼女は顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくっていた。
「...な、何言って、、そんな事ーー」
「おい、お前」
「ひっ!?」
私がそんな彼女に返そうとした瞬間。先程の輩三名が背後に追いつき、その中の一人が私の肩に手をやった。
「さっきの落とし前、きっちりつけてもらうぞ」
「こっち来いよっ!」
「ちょっ!?」
強い力で、私は引っ張られた。
どうやら、私を連れてスーパーの中に入ろうとしている様だ。
「な、何をっ!?」
「お前のせいでこうなったんだ。てめぇを人質に立て篭もってやるよ。そうすりゃもう少しは稼げるだろ。時間も金もよ」
「ハッ、上手いこと言ってんじゃねーよ」
「っ!?」
必死に抜け出そうとする私を三人がかりで押さえつけて、どんどんとスーパーの入り口へと向かっていく。
私は、それに抗おうとしながらも、私の様な体力と体つきをしている人一人に抜け出せる力がある筈も無く、体の向きは藤宮に向けたまま、段々と距離が離れていく。
「クッ!ふ、藤宮っ!待ってっ!まだ、まだっ、行かないでくれっ!」
「...遠野、」
「さっきからお前何一人で叫んでんだよ」
うるさい。
こっちの話だ。
入ってくるな。
「うるさい!こっちはそれどころじゃねーんだよっ!邪魔すんなよ!」
「お前、どの口がっ!」
「ごはっ!」
「遠野っ!?」
思わず口からは、内心で強く思った言葉が出てしまっていた様だ。それと共に、腹には彼の太い拳が飛び、私は前方で押さえつけていたもう一人の男に抱えられた。
こんな事、前までは無かった。都合の悪い時は口を噤み、その場をやり過ごす。
その筈だったのに。どうして今の私は、こうも感情に任せてものを言ってしまうのだろう。
どれもこれも、彼女のせいであり、彼女のお陰である。
「ってかお前泣いてんじゃねーかっ!ハハッ、だっせぇ!」
「おいおい、散々でけぇ口叩いといて一発殴られただけで泣きつくのか?」
「残念だけど、当分ママのところには帰れないよ」
「うるさい」
「「「は?」」」
「今大事な話してんだよ!」
「お前っーー」
「居たぞ!あそこだ!」
「「「っ!マズい!」」」
私が頰を別の意味で赤く染め、睨みつけながら吐き捨てると、またもや拳を振り上げる。
だが、それよりも前に、防衛隊が到着し三人は慌てて声を上げる。
「や、やべぇ」
「早くしねぇと」
「動くな!...っ!裏切り者も一緒か」
どうやら、防衛隊側からは裏切り者と認識されているらしい。この状況を見て、被害者だという事を察して欲しいところなのだが。
だが、それによって生まれた僅かな隙を狙って、私は身を乗り出す。
「藤宮!」
「っ!」
「待ってくれ。もう少し、ここに、居てもいいんじゃ無い?」
「...でも、」
「お願いだ」
「え」
「ああ!もう!さっさと連れ込め!」
私が小さく言葉を漏らした矢先。その三人に更に力強く取り押さえられ、私は必死の眼光と形相で、何も無い筈の駐車場に涙を流した。
「お願いだ、、行かないで、、」
「っ!」
「頼む、、俺には、藤宮しか居ないんだ。他とか、そういうんじゃ無くて、、藤宮がいいんだ」
「こいつ、まだなんか言ってやがるっ!」
口からは、ただの子供のわがままの様な。そんな言葉が漏れ出た。
「俺だって、、藤宮が話しかけてくれたからとか、俺に気にかけてくれたからとか、、コーヒーが好き同士だからとか、そういう理由で好きになったわけじゃない」
「...」
「幽霊って知っても、自分勝手で最低だって知っても、俺は、藤宮と一緒に居たいんだ。藤宮がいいんだ。...お願い。ずっとなんてわがまま言わない。だけど、もう少し。...あと少しだけ、、俺にも、夢を見させてくれないか?」
「っ」
私は、相当かっこ悪かっただろう。プライドを捨てた、自分の純粋な気持ちと願いを懇願し、涙という形で感情を表へ溢れさせたのだ。
顔を上げた私のそれを見た彼女は、胸に手をやり、更に表情を険しくさせて目を逸らし足を踏み出した。無理もないだろう。失望したかもしれない。
それでもいい。
それでも私は、失いたく無かった。
「待って!お願いだっ!家事もやるっ!朝、ちゃんと早く起きて、掃除もやる。就職先も探す!たとえ存在が無かったとしても、ご飯を一緒に食べられなくても、毎日二人分用意するから!正式には出来なくても、俺が頑張って結婚式もする!そ、その、それ以上は、出来なくても、幸せな家庭にする!だから、、だからっ!」
「...」
こちらを見ないよう目を伏せる藤宮は、唇を噛んで拳を強く握りしめた。
そんな彼女に、私は。自分に素直に向き合って理解した気持ちを。そのまま口にした。
「逝かないでっ!」
「っ!」
私の掠れながらも力強い言葉に、藤宮はとうとうこちらに振り返ってくれた。
そんな彼女と目が合ったと共に、私はその男達に連れられスーパーの入り口前にまで達する。
と、刹那。
「や、やべぇ!?」
「う、嘘だろっ!?」
「噂本当だったのかよ!?」
私を取り押さえていた三人が、同時に声を震わせ叫ぶ。
私は意味が分からなかった。
何に怯えているのだろう。
防衛隊の方はまだこちらには到達していない。
それを見つめる藤宮もまた、驚愕した様に目を見開いていた。
私はそれに反応して三人に振り向いた。だが、その三人はーー
ーー真上を向いていた。
「上、、っ!」
彼の内の一人が放った、噂は本当だという話。私も同意見であった。
スーパーの看板が、外れ。
私の目の前に、それが迫っていた。
「遠野っ!」
それに驚き、足が竦む私に。
藤宮は私の名を叫んで、全力でこちらに向かった。
私は名を呼ぶ藤宮に、反射的に目線を移動させる。すると、彼女が私の眼前にまで到達した、次の瞬間。
一撃の衝撃と共に、私の意識は途切れたのだった。
☆
「う、、こ、こ、は?」
頭が痛い。破れそうだ。
何があっただろうか。
あの時、三人組に体を押さえつけられながら藤宮に想いを伝えて、防衛隊の人が来て、そして。
そうだ。スーパーの看板が激突したんだった。
私はその事実を、薄い意識の中思い出し、細めた目をゆっくりと開いた。
「クッ」
それにより、大量の光が目に入り、眉間にシワを寄せる。ゆっくりと何度も瞬きをし、段々と鮮明になる景色を脳で理解する。
明度の高い配色の天井。生活感の感じない清潔で綺麗な部屋。一定数で鳴る電子音。
そこで、私は理解する。
「ああ」
私は、病院に居るのだと。
我が家よりか少し固めなベッドの上。私は起き上がり、辺りを見渡す。
右側には窓があり、そこから日差しが差し込んだ。その手前には小さなテレビが置いてあったが、長らく寝ていたからか、点いてはいなかった。
予想通りではあるが、漫画の様な、目覚めると周りに人が居るなんて事も、横で誰かが寝ているなんて事も、お見舞いの品や手紙が置かれている事も無かった。
「...はあ」
私はその事実に息を吐いたが、直ぐにハッと意識を変える。
体に、異変がないのだ。
あれ程巨大な看板が激突したというのに、不思議でたまらなかった。
「っ!もしかして、」
あの時、最後に見た光景。そう、藤宮がこちらに向かって助けようとしてくれていたのだ。
もし、実体がなくとも何かを起こせるのだとすればーー
私は、彼女に助けられたのだ。
「...藤宮、」
何を考えるよりも先に、涙が溢れた。彼女は最後に、私を救ってくれたのだ。私の命と引き換えに。
最後に。いや、そんな筈あるかと。
私は涙ながらにそんなはずは無いと首を振り、必死になって周りを見渡した。
藤宮は何処だ、と。
その気持ちに任せ、立ち上がろうとした、その時。
「あ、遠野さん。目が覚めたんですね」
「え、あ、は、はい、お陰様で?」
突如、左側のカーテンから現れた、ナース服の女性に声をかけられ、言葉を濁す。
「良かったです。元気そうで。どこか辛いところはございませんか?」
「あ、いえ。特には、、あの、それよりもーーっ!」
藤宮の事を訊こうとした私は、口を噤む。
そうだ。私以外には見えていないのだと。
「ど、どうなされましたか、?」
「あ、、いや。あの、えと、、俺は、どのくらい寝てたんでしょうか?」
「まだ一日程度ですよ。少しお待ち下さい。担当医の方から、お話があると思いますので、呼んで参ります」
「あ、お、お願いします」
やはり、重症では無かったらしい。短く感じて、実は数年の時が経っていたなんて話はよく聞くが、その点においても、私には漫画の様な展開は無いらしい。だが、これも藤宮が助けてくれての事なのだと考えると、目の奥が熱くなった。
それから数分後。担当医から私の今の現状と、病院に運ばれた際の話を受けた。
先程の話と同様、大事には至らなかったようで、簡単な処置で済んだとの事だ。その医師曰く、奇跡だったと。
だが。
「えぇーと。そのくらいですかね。その時の貴方の状態については」
「は、はぁ、、そうですか」
「ですが」
「え?」
「貴方、前から薬を多量摂取していますね」
「え?」
時が止まった様だった。最近、この感覚を味わったばかりだというのに。
「ど、どう、いう、?」
「貴方の体から薬物反応がありまして、随分と服用していたと思われるのですが」
「そ、、そんな事、無い、ですけど」
意味が分からない。
アレルギーは無く、風邪や病気も無い。ここ最近、いや。この数年間の間で薬を飲んだ記憶なんて無い。しかも、そんな大量になんてものは、甚だ無かった。
「自覚は無い、、ですか」
「自覚も何も、俺はそんなものっーー」
「あの場に居合わせた、方々からお聞きしたのですが。貴方」
目の前の白衣の男がそこまで淡々と告げると、一呼吸置いて、ポケットの中からジップロックの様な、真空パックを取り出した。
その中には拳以上ある石が、厳重に保管されていた。
「そ、その石が、、なんですか?」
「おお。覚めたみたいですね」
「え」
「落ち着いて聞いてください。貴方、昨晩までこの石にずっと話しかけていたそうです」
「は、?」
脳内が、病院内の壁の様に、真っ白に染まっていった。
「人の名前を付けて、本当に人であるかの様に話しかけていた様なのですが。確か、、藤宮、だったと聞いています」
「っ!?」
信じられないそんな言葉に、私はとうとう普通を保てなくなり、口元が綻んだ。
「は、はは、嘘だ、、嘘ですよそんなの!」
思わず声を荒げてしまった。こんな状況、飲み込める筈が無い。
「お、落ち着いてください。私も、その場に居合わせたわけでは無いので、詳しくはお話しかねますが、」
「ならっ!」
「そのため、その際に居合わせた方と二名で、防衛隊の方がお見えになっておりますので、そちらの方で詳しくお話しになって下さい」
「え」
度肝を抜かれた様に、私は力無く下を向いた。
その後、大した傷にはならなかった私は、下の階で待っているという防衛隊の方々に顔を出した。
そこでも同じ話をされ、昨日居合わせた防衛隊の証言は、あの場に居た三人の男と一致しているそうだった。
それに、私は信じないと。何度も弁明を図った。だが、それは全て無駄だと感じ、私は感情に任せてその場を後にした。
藤宮は幽霊なのだ。皆には見えていないだけで、そこに存在していた。皆は私を薬物中毒者だと呼ぶだろう。こんな世界だ。仕方がない。
だが、私は知っている。
彼女の笑顔を。
彼女の生きた証を。
彼女の声を。名を。
そして、私と共に築いた、愛の一章を。
私はそれを胸に、病院から抜け出そうとしたが、フィクションの様に簡単には抜け出せない様だ。病み上がりの私は簡単に捕まり、部屋に戻された。
それから二日後。体に異常は無く退院となったが、その前にと。
医師からの紹介で精神科に移動となった。
私は渋々、その病院に足を運んだものの、その先でも話は同じであった。
「その向こうに、貴方の大切な人が居る。それは、どの様な人物ですか?外見の印象から、ゆっくりで構いません。浮かび上がらせてください」
「これでは催眠療法じゃ無いか」
「いえ、これは貴方の大切な者を具現化するためのーー」
「こんな事やってる暇じゃ無いんだ!」
埒のあかない話に、私は声を荒げた。こんな事、言うべきで無いのは分かっている。この方も、医師の方も、防衛隊の方も。皆が、私のために行なっているのだろう。
それでも、私は見えない人達に、気持ちを分かってもらおうなんて事は思えなかった。
「俺は、藤宮を捜さなきゃいけない」
「藤宮さん、ですか。それは、恋人ですか?」
「ああ!そうだ。そうだよ!あのスーパーで出会ったんだ!見えないだろうけど、あそこで、、っ!」
そこまで話して、私はハッと気がついた。
あの日の事故を、調べて貰えばいいのでは無いかと。
「どうされました?」
「あの場所。俺が看板に激突したあのスーパー。あれが建築中、事故があった筈だ!」
「スーパー、、っ!あのスーパーですか」
「そうです!貴方に言うべき事ではありませんけど、あの時の被害者を調べてみてください。藤宮が、、藤宮小百合の名が、載ってるはずです!」
私は希望が見えたと。そう感じた。
それを証明出来れば、彼女が居た事が。彼女が生きた証が、形となる。
私はただ、彼女の痕跡が欲しかったのだ。
すると医師は何を言うでも無く、快くそれを受け入れてくれた。その対応に、私は酷く罪悪感を感じたが、ただ頭を下げその結果を待つ事にした。
その後一週間が経ったのち、入院していた病院の担当医から、連絡が電話でやってきた。
「それで、、どうでしたか?」
私は、ゴクンと。生唾を飲んで覚悟を決める。その緊張感を感じ取った様に、その医師も声のトーンを落とした。
「本来であれば対面でお話させていただきたいのですが、一刻も早くとの事だったので、受話器越しで失礼いたします。防衛隊の方々にもご協力頂いて、調べさせていただきました」
そう前置きしたのち、真剣な声音で私に確認を促した。
「...単刀直入に、真実を申し上げます。よろしいですか?」
「はい、」
その場に、緊張が走る。
私の鼓動はどんどんと速まり、大きくなり、携帯電話を持つ手は震えた。
すると。
「申し上げ難いのですが、、あのスーパーでの事故による被害者の中で、藤宮小百合という人物は見当たりませんでした」
「...は?」
どうしてこうもうまくいかないのだろう。
私は、頭で考えるよりも前に、口から漏れ出た。
「なんだよ、ふざけんなよ!?出鱈目言ってんじゃねーよ!」
「お、落ち着いてください。私は事実を申し上げただけでーー」
「そんなの事実じゃ無い!藤宮がっ、本人がそう言ったんだ!」
電話の向こう側からは、何も聞こえてこない。それはそうだ。こんなに感情に任せて叫んでいるのだから。
すると、突如、間を置いてその医師は切り出した。
「では、その藤宮という方がいらっしゃるとして、何故その人は貴方の前に、もう現れないのですか?」
「えっ」
その一言に、まだ居ると信じていた私の中の何かに、ヒビが入った様に感じた。
「そ、それは、、天に、、かえって、成仏、したから、」
「本当ですか?」
「え、あ、ああ」
「貴方は、突然あれを石だと認識した。つまり、貴方は幻覚症状から目が醒めただけなのでは無いですか?」
「あ、ああ、あああああああああっ!」
プツリと。私は電話を切っていた。
切った電話と同じく、私の中の何かが、切れた気がした。
「ああっ!ふじっ、藤宮っ!藤宮ぁ!」
私は、彼女を捜した。
ひたひたと冷え切った私のワンルームに、裸足で捜し回る足音が響いた。いつもと同じ夜。いつもと同じ部屋。いつもと同じ光景である。
それなのに、それなのに何故だろう。
それが苦しくて、寂しくて、まるで監獄の様に冷たくて仕方がなかった。
「はぁ、はぁっ!藤宮っ!藤宮!」
ただ探し回った。彼女を。彼女の居た痕跡を。生きた証を。
何かないか。あの日、スーパーで手が触れたあの日から約一年。それ程の時間を共にしたのだ。何かしら残っている筈だろう。
皆見えていない。
私は取り残された。
皆記憶がない。
私だけが取り残された。
何度も捜した。目撃者も捜した。
どれだけ、私はおかしな人になれば気が済むのだろう。いつもの人見知りを忘れさせる様に、私は無我夢中で街の人に訊いて回った。あの現場の工事に携わったという方にも話を伺った。
だが、そんな人物はいなかったと。皆口を揃えて答えた。
皆知らない。私だけが知っている。いや、もう既に勘付いていただろう。
私の部屋に大切に保管してあった、初デートで藤宮に貰ったマフラー。引き出しを開けたそこにあったそれが、ただの雑草だったのを見つけた時から。
「っ!そうだっ!メールッ!」
そうだ。それがあったじゃないかと。私は僅かな希望を思い立った。
全ての始まり。それは、彼女とのメールのやり取りだったでは無いかと。
私は即座に携帯を取り出し、メールを確認した。悲しい事に、私は藤宮以外の人物とやり取りしていないため、彼女のメールは直ぐに見つかる。
筈だった。
「え、、なんで、」
だが、受信ボックス及び送信ボックスに、メールは存在しなかった。
「なんでだよ、、なんでだよっ!」
私は感情のままに携帯を投げつけた。
居る。
居ない筈がない。
あれ程一緒に居たではないか。
おかしい。
おかしい。
私は思考を巡らせた。必死に、思い出そうとしていた。
そう。何故なら既に、私は思い出せずにいたのだ。
「あ、ああ、ああああ!」
必死に目を背けていた。ずっと。
あの病院でそれを告げられた時から、なんとなく分かっていた。
そうだ、私はあの日。
私はははははーーー
気づくと、私は部屋の隅。
私は使う事は無いだろうと思っていた小さな脚立に足をかけ、登っていた。
そして、私の目の前にはーー
ーー天井の隙間に通して括り付けた、縄が垂れ下がっていた。
☆
「麻薬の密売組織のリーダー、遠野真斗。二十九歳男性。死亡が確認されました」
名簿に記入を行いながら、そう確認を含めた言葉を放った。
時刻は午後二時半。残酷な程に快晴な、爽やかな日であった。
彼のアパートである建物の周りには何台ものパトカーが止まり、武装をした防衛隊が大勢でこの一室に集まっていた。
「...」
すると、隣。長い黒髪が美しい女性、藤宮小百合が苦しそうに目を逸らした。
「...辛い、よな」
「...仕方ないわ。仕事だもん」
藤宮は、割り切った様にそう小さく口にする。
数年前から、犯罪が増え続けるこの街に防衛隊という特殊な存在が配属された。それと共に、極悪な死刑囚には、新たな処置が定義付けられた。
死刑という刑罰はあまりに非道徳的であると。そう考えられ制定された新たな処罰。それが。
その人物が行った悪事を自身の身を持って受けるというものであった。
彼の麻薬によって人生を狂わされた人々の苦しみを体感させるべく、防衛隊が仕組んだ仮想の世界だったのだ。
そして、彼女。藤宮小百合の仕事はーー
ーーそんな極悪な人物の希望となる事であった。
「...でも、いくら仕事でも、相手は一度記憶を消されてるわけだし、そんなの、ただの恨みでしかない、」
「そう、だよな。これって、本当に犯罪者を罰してる事なのかな」
表情を曇らせる藤宮に賛同する様に、冷たくなった遠野を見つめながら返した。
すると、背後から。
「おいおい。誰だと思えば裏切り者じゃんかぁ」
「そういう言い方は良くないですよ、隊長。ただ、僕もあの行動には驚きましたけど」
突如として二人の防衛隊が入室する。
「これは、小林隊長。大井川さん。お疲れ様です」
「おう。で?裏切り者。あれはどういう意味だったんだ?」
頭を掻きながら話す隊長と、隣の男性に頭を下げる。
すると小林隊長は、そう威圧感を露わにしながら藤宮に迫る。
と、それに。
「申し訳ございませんでした。それは、俺が提案して」
「えっ」
深く頭を下げ、隊長に謝罪を放つ。と、それに驚愕した様に、藤宮は目を剥いた。
「はぁ、なんでお前が、、つーかそれよりも俺にヤンキー役させんなっての。絶対見た目で決めただろ」
「ノリノリだったじゃ無いですか。上手かったですよ」
「おっ、上手かったか?俺」
隣の男性に助けられた様だ。隊長が不満を爆発させる前に、場の空気を和らげてくれた。
と、今度は女性隊員と別の隊員が続けて現れる。
「お疲れ様でした」
「お疲れ様です」
「す、すみません、、まだ小さいのに、息子さんにも協力していただいちゃって、」
「いえいえ、平気ですよ。喜んでましたから。役者みたいだって」
挨拶を交わしたのち、藤宮はその女性に頭を深く下げる。すると、その隣に居た男性の隊員が割って入る。
「すまなかったな。打ち合わせを急に入れた日。遠野真斗との初デートの計画が入っていたと後から聞いた」
「いえ。確かに十分程の遅れが出てしまいましたが、その、、優し、かったので」
その人物が頭を下げると、藤宮は遠野との記憶を思い出し、目を背け寂しそうに返した。
すると、その表情で察したのか、それを確信にするべくその男性隊員は疑問を投げかける。
「それより藤宮。どうしたんだあれは。自分は幽霊だとか、そんな事話には無かっただろ」
「あっ、それは俺がーー」
「んっん!」
「...」
割って入ろうとしたその時、藤宮はそれを遮る様に大きく咳払いをした。
と、そののち。一度こちらを一瞥して、藤宮はその男性に頭を下げる。
「す、すみません、、でも、綺麗に終わらせてあげたかったんです」
「はぁ、結局結果は同じだったけどな」
ため息混じりに、その男性は吐き捨てると、奥からまたもや小林隊長がやってくる。
「仕事に私情を持ち込むな。次やったら、この部署に居ないと思え」
「はい、、承知しました。申し訳ございませんでした」
横切ると共に耳打ちする隊長に、藤宮は歯嚙みして頭を下げる。
すると数秒が経ったのち、藤宮は頭を上げてこちらに目をやった。
「どうしてあんな事言ったの?」
「...言っただろ。俺のせいにしていいって」
「それとこれは話が別。仕事の失敗は自分の失敗だから。部署も違うし」
藤宮はそう悲しげに一度大きなため息を吐くと、踵を返す。
「ふ、藤宮、?どこに」
「私の仕事は終わったから。次の仕事」
「あ、あー。なるほど」
そう納得した様に頷いたのち、ハッと思い出し彼女を呼び止める。
「ち、ちょっと」
「えっ、どうしたの?」
「ちなみに、あのスーパーの事故って、」
「ああ。あれは、看板に見せかけて柔らかい生地で出来てたの。あれを落としたのも防衛隊側だし、その時にタイミングよく彼を気絶させたのも、取り押さえてた防衛隊の方」
「そ、そうだったのか、、遠野真斗が病院に運ばれた事しか知らされてなかったから、つい」
防衛隊内部には、更に犯罪者への仮想の世界を作り上げる新たな部署が作り上げられ、藤宮はその部署に配属されている。その仕事の内容は、それ以外の部署には告げられていないため、その話を聞いて初めて納得した。
「ふふ、除け者にされてるの?」
クスッと。彼女は笑い、冗談めかして放つ。それに目を逸らしながら。
「部署が違うんだから仕方ない」
と呟くと、藤宮ははにかんで付け足した。
「それもそうだね〜。それじゃあ、今度。仕事終わったし、カフェ、行こうね」
「あ、ああ。そう、だね」
そう優しく放って、彼女は部屋の出口へと足を踏み出す。
確かに微笑んでいた。だが、どこか苦しそうな。悲しい表情をしていた。
藤宮に、この仕事は向かないかもしれない。でも、苦しくても必死に業務を行おうとしている藤宮が、美しくて。愛おしくて。輝いて見えた。
藤宮は憧れの存在であり、敬語が嫌いという面からこういう話し方を心がけているが、年齢が同じなだけの頼れる先輩である。
その部屋を後にしながら、藤宮は目に涙を浮かべ、拳を強く握りしめた。
そんな、仕事にはストイックで、淡々としていて。でも本当は寂しがり屋で、愛情深くて。犯罪者だとしても、親身になり苦しみ泣いてあげられる優しさを持つ。
そんな"俺"の、最高な好きな人は。
昔から憧れていた、防衛隊である。