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9.カウンター内の椅子に座りながら考える。

 カウンター内の椅子に座りながら考える。

 さきほど会ったパン屋の女性は、祖父を街の守護者と呼んでいた。ここで暮らす者は皆祖父のことを知っている、という旨のことも。それも、とても親しげな様子で。


 祖父がこの世界で生きて、しかも住人から慕われる立派な人だったとは知りもしなかった。私が知っている祖父の姿など、縁側に座り、新聞紙を広げながらお茶を(すす)っているところぐらいである。そうでなければ、煙草をふかしながら野球中継を見ているような――家族の前でしか見せない、あくまで日常の姿だけである。


 孫として述べるなら、家に帰りもせず、母に心労をかけてまでこの世界に居続けたことに思うところがないと言えば嘘になるのだが、それについては、いいだろう。悪評に(まみ)れて、あの人は悪いことばかりしていたなどと言われてしまうよりはずっといい。家族ならば、祖父がこちら側でも立派に生きていたことこそ喜ぶべきだろう。


 けれど。


 手紙を貰ってから――否、祖父が失踪してからずっと分からなかったことがある。祖父がしたかったことは何なのだろうか。一体、何をなさんとして今も帰ってこないのだろうか。祖父が守護者と呼ばれるに至った経緯についてはパン屋の女将に尋ねるとしても。


 ――あの人も、聖女様がお隠れになってから色々とあったものね――。


 女将が、誰に言うでもなく呟いたあの言葉。

 聖女とは一体誰なのだろうか。

 お隠れになった、とは()()()()解釈でいいのだろうか。


 クロークの襟元をただし、腰に下げた短杖を撫でる。大杖は自室に置いたまま。

 私が今羽織っているのはいかにも聖職者らしい外套であり、傍らに置いてあった二本の杖も同じく宗教色を感じるものであった。それこそ、姿見の前でくるりと回って、まるで聖女様みたいだと思ってしまうくらいには。


 この装備を使っていたのが祖母だというのだから、少し考えてしまう。

 奇妙な符号を感じたが、()えてそれ以上考えることはしなかった。今推察を重ねたところで、きっと邪推にしかならないだろうから。


(無事に会えると良いのだけれど)


 祖父を案じながら、何となしに裏庭に向かえば、レンガ積みの塀に囲われた開けた空間となっていた。10坪程度だろうか。面積で言えばおよそ30㎡と広く感じもするが、馬を繋ぐための小さな厩舎(きゅうしゃ)と質素な造りの納戸(なんど)、屋根のついた古井戸、今は葉のない桜の樹が植えられ、手狭に見えた。


 この前来てくれた青年は、ここに馬を繋いだのだろう。

 井戸に水が残っているのか、錆びた滑車から垂れる釣瓶(つるべ)の使い心地はどうか、納戸には何が収められているのか、(うまや)の掃除はされているのか――確認したいことは多々あったが、それ以上に私の目を引いたのは。


(あれ、どう見てもお墓だよね)


 桜の樹、その足許に、上部が半月形をした石板が地面に突き立てられていた。

 石板の正面には『女神の敬虔なる信徒、ここに眠る』とだけ掘られている。急拵(きゅうごしら)えに用意されたものなのか、あるいは感情の高揚があったのか、(くさび)文字はどこか乱れて荒々しい。また石材そのものも日本にあるような色調の整った御影石(みかげいし)とは程遠い、石種も分からないざらついたものであった。だが、誰かが手入れをしているのか苔生(たいせい)も土埃もない。


 墓標の前には花が供えられている。

 白い百合――カサブランカの花束である。

 墓石に花粉が付着しておらず、また黄色い雄しべが切除されていることから察するに、供えた者は花に詳しい、細やかな性格をした人物であるのかもしれない。

 カサブランカの原産地はオランダである。六月から八月が時期の、ユリ科の花である。色はオレンジにピンク、紫や白など多様であり、白色の花言葉は――純粋、無垢、祝福、高貴。壮大な美しさ、雄大な愛、威厳、甘美など――おおむね良い意味で使われる。


 ――ここには誰が眠っているのだろう。


 もしかすると花言葉にふさわしい人物だったのかもしれない。

 だとしたら祖父とはどういう関係だったのか。

 祖父を私達家族から遠ざけ、今もなお縛り付けている人物なのだろうか。

 女神の敬虔なる信徒と書かれていたが、女神とはどのような神様なのだろうか。

 このように書かれるということは、この者は非業の死を遂げたのではないだろうか。


 ――だめ。根拠のないことなんて、考えるべきではない。


 墓前の前に膝をつき、両手を合わせて黙祷を捧げる。

 安らかに眠っていられるように、と。

 この世界の作法は知らないし、また死後の世界があるのかも分からないが、もし存在するなら向こうでは幸福でいられるように、と。


 特に思い入れがあったわけではない。例えるなら、道幅が狭い場所で誰かとすれ違ったときに思わず会釈をするような、日本人として当然に近しい礼節のひとつであった。


 青年は言っていた。


 ――月は、生ける者を惑わし、死せる者を裡に閉ざしてしまう――。

 ――神の造った楽園ですから――。


 あのときは考えもしなかったが、今思えば奇妙な言い方である。

 確かに、月と呼ぶに呼べないあの天体には、天に昇った死者を閉じ込めてしまうような――そう信じてもおかしくない凄味があった。

 きっと、ここに眠る人も、今は月にいて私達を見守ってくれているのかもしれない。少なくとも、この世界にいる者にとってはそれが真実なのかもしれない。おそらくは祖父にとっても。


「…………」


 どれだけ祈っていただろうか。

 私の黙祷は蹄鉄の音で遮られた。


 ああ、こんなときに何て無粋な、と振り返れば、馬の手綱を引いた、騎士装束の青年が立っていた。今日は鉄兜を被っていない。呆れるほどに整った顔が驚いたように私を見下ろしている。


「あ――」


 声を漏らしたのはどちらの方だったのか。


「聖女様。邪魔をしてしまい申し訳ありません。どうぞお続けください」


 ばつの悪そうな顔をして、騎士は掌で墓標を示す。


「いえ。もう済みましたから大丈夫です。それより」


 どうして私を聖女と呼ぶのですか、と聞こうとして。青年の背後に、同じように馬の手綱を引きながら控えている男がいることに気付く。

 知的そうな男性である。年齢は青年よりも少しだけ上であろう。口許に穏やかな笑みこそ浮かべているが、こちらを値踏みするような眼差しが気になった。


「紹介します。こちらは私の部下であり、第一騎士団で副官をしている者です」


 私の視線を察したのだろう。青年は後ろの男性を見遣る。


「お初にお目にかかります、聖女様。第一騎士団、参謀兼副団長のアルフィーと申します。このたびは、我らが団長に奇跡を施していただいた謝意を伝えたく馳せ参じた次第であります」


 アルフィーと名乗った男は(うやうや)しく(こうべ)を垂れて、以後お見知りおきを、と言った。


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