78.私の背に乗ってください、とウィリアム様は言った。
――葉月殿、私の背に乗ってください――。
ウィリアム様は言った。
「背中に、ですか?」
私は意味がよく分からずに聞き返す。
――私はこれより敵本陣へ吶喊しますゆえ、支援をお願いしたいのです――。
――生きて、帰るために――。
「分かりました」
私が頷けば、彼はその場に伏せるように身を屈める。鞍も鐙もない毛皮に跨がることになったが、何とか飛び乗ることに成功する。
「…………」
正直に言えば。
不安というか葛藤はあった。
敵本陣へ突撃すると聞いて、彼は一体何を言っているのだろうかと思った。危険だから止した方がいいとも。そも、どうしてそのような姿になってしまったのか、人間に戻ることができるのかという疑問も過ったが――。
――生きて帰るために、か。
それは狡い。
そんなことを言われてしまっては断れる訳がない。
それどころか、彼がこの窮状において相棒に選んだのが私だという事実に、一種の誇らしささえ抱いてしまった。嬉しいと思った。彼と一緒にいられるのなら、仮令死んでも良いと思える程度には――あくまでも仮定の話、本当に死ぬつもりはさらさらない――私の心は沸き立った。不安も恐怖もどこかに行ってしまった。
「乗りました。出発してください!」
私が言うや否や、彼は走り出した。
体感時速は三〇キロから四〇キロくらい。
振り落とされないように彼の躰にしがみつく。
目を開ければ、敵の大群へ真っ直ぐ、全てを置き去りにするように光景が流れていく。飛来する矢も、剣も槍も、口をあんぐりと開けた雑兵の間抜けな顔すらも――。
此方を狙う弓兵や弩部隊がいれば、率先して彼は食い千切りにかかる。攻撃が間に合わないようであれば、私が奇跡『雷の矢』――神代の竜狩りに従事した女騎士が用いたとされる、遠距離の相手を素早く射貫く奇跡である――を行使して時間を稼ぐ。それでも矢弾が飛んでこようものなら『神の怒り』で周囲の敵兵ごと豪快に吹き飛ばす。
騎乗した部隊長が行く手を阻もうものなら『太陽の光の槍』を投擲する。得物を一瞬で灼き溶かし、彼が鋭い爪でとどめを差す。
彼の息が上がろうものなら『生命湧き』と『中回復』を重ねて掛けることで、傷付けられた躰だけでも治療してやる――。
ここまでの協働において、互いに言葉を必要としなかった(というより喋ろうものなら舌を噛みそうで口を開くことすらできなかった)。
彼が私に合わせてくれたのか、それとも私が彼に合わせることができたのか、或いはその両方なのか。いずれにせよ、その事実が。私が彼を護り、彼が私を護る。そうした在り様が嬉しかった。恍惚に、頬が勝手に持ち上がることを抑えることができなかった。
それが。
その油断がいけなかった。
右手の後方――死角から飛来する矢に気付かなかった。
鏃が私の肘を掠めた。
その衝撃で毛皮を掴む手が緩み、私は彼の背中から振り落とされてしまう。
受け身を取ることもできなかった。
頭部から落下したせいで視界が歪む。頼みの綱である杖も手放してしまった。
四方八方を武装した敵兵に囲まれ、もう駄目だと思った時――。
――葉月殿――。
ウィリアム様が来た。来て、くれた。
腔内に蓄えた雷光を射出することで、私を包囲する男達を薙ぎ払ってくれたが。
その瞬間――。
――ずどん、という音が響いた。
続いて、爆発音が木霊する。
「…………?」
何てことは無い。大型弩砲から発射された大槍が彼の瞳と口を貫いて爆ぜたのだ。そうと判った時には、彼は仰け様に倒れ、その姿は獣から人間に戻っていた。
「――ウィリアム様ッ!」
駆け寄ってみれば、顔面の右半分が大きく抉れ、下顎に至っては骨まで露出している。
流れる血が止まらない。酷い怪我であった。
(落ち着け。奇跡だ。『太陽の光の癒し』ならばこの程度、治せるはずだ)
そう考えると同時に、右手が忙しなく周囲を弄るが――当然、杖は掴めない。
嗚呼、そうだ。
杖はどこかに行ってしまったのだ。
だから奇跡は使えない。
どうしよう。どうすればいい。
私から奇跡を取ったら何が残るというのだ――。
(もう駄目だ……!)
自分には、できることが何一つとしてないのだと悟った時――遙か上方、櫓にいる弩砲の兵士が、十字状の把手を巻き上げるのが見えた。
間もなく、私は――私達は射殺されるのだ。
それならせめて、ウィリアム様だけでも護ろうと、彼の躰を抱き締めれば――。
「何やってんだよ姉貴。『女神の祝福』渡しただろ」
弟の声がした。
最初は、空耳かと思った。
生命の危機に瀕して、ありもしない幻聴がしたものだと。
でも違った。
私のすぐ側に誰かが立っていた。
尖った独特の兜。
夜風に靡く草臥れた外套、長身痩躯の陰影。
肩越しに振り返る瞳は黒く、面頬と詰め襟でその素顔は窺えない。
だが、この窮地に関わらず、冷笑を浮かべているだろうことは何となく分かった。
――オスカーさん?
この人が私を姉と呼んだのか。
否、そんなことよりも。
危ない。そこは射線上である。
私がそう言おうとした時、大槍が発射されるが――。
「危ねえなあ、おい」
僅か一瞬のことであった。
突如現れた救世主は、左手に持った鉤状の短刀を横に薙ぎ払うだけで、大槍の軌道を逸らしてみせた。直後の爆発は奇跡『フォース』で相殺してしまう。
だが、それで終わりはしなかった。
オスカーさんが腰袋から『黒火炎壷』を取り出して櫓に向かって投擲すれば、足場ごと大型弩砲を爆破せしめてしまう。
「――へへ。幾つになっても火遊びは面白いねぇ」
嬉々として語るオスカーさんは私に振り向くと。
「姉貴、いつまで茫然としているつもりだよ。ここは俺が時間を稼ぐから、早く団長を回復させてやってくれよ」
と言ってのける。
「……あんた、なの?」
「細かい説明はあとでするよ」
そう言うなり、オスカーさん――否、弟は私達を囲う大勢の兵士に突っ込み、右手の特大剣を振り回して陣形を崩しにかかる――かと思えば、左手を『結晶の聖鈴』に持ち替えて、遠間の相手には『強い魔術の矢』を連射して、掻い潜り接近した相手には『魔術の大剣』で横一文字に薙ぎ払って――今度は腰袋から『火炎壷』『ククリ』『投げナイフ』『糞団子』などといった道具を次々と取り出しては投げつける。
手数の多さと俊敏さを活かしながらも、相手を嘲弄するかのような戦い振りであった。
――いけない。見ている場合じゃない。
今のうちに、ウィリアム様を助けなければ。
今の私は奇跡が使えない。縦しんば杖があったとしても精神力は枯渇しかけている。まともな奇跡を使えるかも怪しい。最後の切り札は、弟がくれた妙薬『女神の祝福』だけであった。
腰袋を開いて、中に収めた硝子瓶を取り出そうとして。
手に取った感触が妙に軽いことに気付く。
――割れている? そんな、馬鹿な――。
半狂乱に陥りながら瓶を検めれば、腹の部分に深い亀裂が走り、中身の殆どが漏洩して腰袋の底をしとどに濡らしている。隣の『秘めた祝福』も同じ有様であった――。
――嗚呼。そうか。
私が振り落とされた時だ。
その衝撃で割れてしまったのだ。
私の、せいで――。
歯を食い縛りながら、ごく僅かに残った液体をウィリアム様の口まで運ぶ。
二三粒の雫ばかりが瓶を辷り、ウィリアム様の口許をそっと濡らすが――それだけであった。何も起きやしない。彼の創が塞がることもなければ、意識が戻りもしない。
――奇跡は起きないから奇跡というのだ――。
いつかの弟の言葉が脳裏を過る。
あの時は、戯曲か何かからの引用と思い、それが違うとなれば呆れもしたが――。
そうだ、違うのだ。
私にとって奇跡とは、起きる起きないという受動的なものではなくて。
ただひとつ。
起こすものでしかないのだ。
「姉貴、まだか! 一人じゃ限界だぜ!」
焦れたように弟が叫ぶ。既に、道具も集中力も尽きたのであろう。短刀と特大剣からなる独特な剣技を披露するだけであった。
「お願い! 私の杖を探して。さっき落としたみたいなの」
「杖? ――あった、これか!」
弟は、偶然足許に転がっていた大杖を拾い上げると、私に向かって投げて寄越す。
杖は放物線を描いて私の腕に収まった。
「何で杖なんだよ。『女神の祝福』はどうした!」
「割れたの! だから奇跡を起こすしかないの!」
「畜生ッ、そういうことかよ!」
またも叫んだ弟は、地面に突き立てた短剣を軸に、遠心力で特大剣を振り回す。
その身には既に数多の傷が付けられて、血塗れであった。
――急がなければ。私も弟も死んでしまう――。
奇跡を起こす。
別に、嘘は言っていない。
冷たくなった彼の横に立ち上がる。
『女神の祝福』でも治らなかったということは、きっと、そういうことなのだろう。
だから、私は。
恥も外聞も無く、空に堂々と鎮座する満月へ杖を掲げた。
私にできることは、これしかなかった。
――満月よ。どうか、どうか。
私の大切な殿方を返してください。
取り上げないでください。
それができないのならば。
今すぐ
堕ちて
しまえ――。
そう念じた途端。
最初に、大地が揺れた。
次いで星が降った。
宝石箱をひっくり返したかのような、色とりどりの岩石が地面に激突する度に、轟音と熱波が生じる。月を仰げば、ぐんぐんと此方に迫っている。血色の失せた、生白く青褪めた白銀の望月である。目を凝らせば、岩肌のざらついた質感まで分かりそうであった。
――もう少しだ。もう少し――。
数えるのが馬鹿馬鹿しくなるほどの流星が降り注ぐことで、弟ひとりに足止めを食らっていた敵の軍隊も総崩れとなり、忽ち撤収していった。倒れて動かない者は、弟に斬られたのか、星が直撃した運の悪い者だろう――。
「姉貴?」
弟が振り返る。
その姿はやはり血に塗れていて。
月に呪詛を吐きながら祈る私と、動かない彼を見て――全てを悟ったかのように俯いてしまった。
ふと、彼と初めて会った時の言葉が蘇る。
――月は、生ける者を惑わし、死せる者を裡に鎖す、神の造った楽園です――。
相違ない。
流石はウィリアム様、慧眼である。
思えば、私はその時から彼に惹かれていたのかもしれない――と思った。
前回に引き続き、本小説のインスパイア元である『ELDEN RING』のレビュー(というか宣伝)を述べていく。興味のある方は是非とも購入してみてはいかがだろうか。
* * *
前回はエルデンリングの問題点について述べた。
ざっくり言えば。
「開発の意図が見え透いて没入感が削がれる」
「ほんとにテストプレイしたの?」
「カメラワークがゴミ」
「戦っていて面白いボスが少ない問題」
「『え、なんで?』って思う瞬間多過ぎ問題」
……こんな感じだろうか。
しかし多いな不満や愚痴が。
却説、今回は上記のような不満をあっさりと覆してしまうぐらいの長所を、即ち世界設定の緻密さ、意想外の構成について述べていこうと思う。
『エルデンリング』では、主人公「褪せ人」は舞台である「狭間の地」を、霊馬に乗って旅をして、気の向くままに神やら英雄やらをブチ転がすわけだが――地上にいる限り、嫌でも目に入るのが黄金樹である。書いて名の通り、太陽のように光り輝く大樹が聳え立っているのだ。壮観である。
初見プレイ時ならば「嗚呼、ここは広大な世界なんだな」とある種の感動を抱くのかもしれない。
だが、これが実際は超ミクロな世界であったらどうだろうか。
黄金樹がただの飛来する菌類ないし寄生虫であり、褪せ人を導く「祝福」も、眼球に感染する何らかの病原菌が齎す幻覚であったらどうだろうか。
事実、狭間の地に登場する蟻や海老、熊などはとてつもなく大きいのだ。
少なくとも、主人公である褪せ人が、我々プレイヤーと同じサイズ感を持った人間であるとは一概には言えないのかもしれない。
……どうだろうか。
中々に面白い世界設定(考察かもしれないが……)ではないだろうか。
ただ強敵をブチ転がすだけでは過去作の劣化にしかならないが、こと世界観については非常に魅力に溢れているのがこの『ELDEN RING』というゲームなのである。
貴公も、褪せ人となり、狭間の地を旅して、貴公にしかない啓蒙を得るという態度でプレイするのも面白いのではないだろうか。




